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騙る世界のフィリアリア  作者: 絢無晴蘿
第二章 -神騙り-
87/154

02-09-05 すべて手の内の遊戯、それぞれの決意


「ティアラちゃん、完全復活!!」

朝から元気な声が響く。

朝食を用意しているアルト達の下に、ばたばたと音を立てて現れたのは昨日大変な重傷を負ったはずのティアラだった。

「おはよう! さっきソードにいろいろ聞いたけど、ほんとみんなごめん! そして、えっとリスティさん? いろいろありがとうございました!!」

ソードからリスティのことやいろいろと話しに聞いていたティアラは、大体の事情は分かっている。まくしたてるように一気に言うと、きょろきょろとあたりを見渡してアイリの下に駆け寄った。

「アイリっ、よかったぁ……怪我してない? ほんと独りにしてごめんね、しかもソードのやつ、簡単に負けちゃうしっ!」

「う、うむ。しかし、ティアラのせいではないだろう、気にしていないぞ?」

「アイリっ。ほんっとごめん……今度ソードに土下座させるからっ」

「わかったわかった。それよりも、ティアラが無事で良かった」

アイリは、皆を代弁するように言った。昨日まで重症で意識不明だったようには見えないティアラに、みな驚きながらもほっとしていた。

「あったり前でしょ! まだ行きたい国もお祭りもあるし、やりたいこと沢山あるんだから死んでたまるもんか!」

「はいはい、元気なのはわかったけど、酷い怪我をしていたのは確かなんだから、安静にしなさい」

まだまだ話し足りなそうなティアラを遮り、リスティはティアラを無理やり座らせると皿を持たせた。

「とりあえず、朝食を食べましょう?」

「あ、ごちそうになります」

思い出したように鳴ったティアラのお腹の音に、アイリ達は苦笑しながらスプーンを渡した。


「これからだが、私はアルト達と共にもう一度白蓮の都に行こうと思う」

ティアラが目覚める前に相談していたのだろう、食事がひと段落すると、アイリがこれからについて話を始めた。

元々、アイリは白蓮の都に鎮魂の為に来たのだ。おそらくプルート達はもういないだろうが、念のためアルトと潤、そしてリスティと共に白蓮の都に行き、ティアラが目覚めなければカリスとテイルが留守番、と言う話しになっていた。プルート達の事は昨夜にカリスの式文でラピス達に知らせてある為、すぐにアーヴェの本部から調査が来るだろうが、その前にアイリは、できることなら依頼を達成させたかったのだ。

「そのあと、空夜殿の知人に会えたらと思っている……」

「くうや……? もしかして、以前のエースを殺したっていう?」

「あぁ。どうやら、この村に住んでいたらしい……」

「ふーん」

ラピスの監視という役割の為に星原内部の事情には精通しているティアラは頷く。

アイリを拾って星原に誘ったのは何を隠そう夜神空夜だ。

空夜に救われたと言うヒトは多く、星原内では空夜と空夜と共にエースを殺したとされている夢条響は犯人では無く何者かに無実の罪をなすりつけられたのではないかと言われている。ティアラは空夜達が行方不明になってから星原に来た新参者だが、それでもその話は影で話されているのをよく聞いていた。

「ティアラは、今日は一日留守番だからな?」

「え」

「あたりまえだろう。あれだけの傷を負って倒れたのだ。安静にして過ごすべきだ」

「うぅ……はーい」

「テイルを見張りで付けて行くからな?」

「えーっ?! あたしの信用無くないっ?!」

「前科があるからな」

「……はーい」

さすがに今回は心配させたことを反省していたティアラは、アイリの言葉に素直に頷く。しかし、もしもテイルが居なかったら勝手について来たかも知れなかった。

そうこうしている内に、みなの準備が終わった。

「じゃあ、行ってくるね!」

アルトが元気に外に飛び出ると、すぐにその場で立ち止まった。

後ろからついて来ていたアイリは、突然止まったアルトにぶつかる。

「アルト、どうした?」

アルトは、複雑な様子で前方をうかがっている。

なかなか前が進まないので、カリスが文句を言いながらアイリの横に出て来ると、その視線の先を負った。

「なんで、あなたが……」

顔の半分を覆い隠す仮面をかぶった男。

アルトは以前会ったことがある。

いや、アイリもカリスもテイルもティアラも、一度は会ったことがあった。

「ファントム……」

一度目はとある町で、二度目はアーヴェの本部で、なんども逢っていたアルトは不安そうに名前を呼んだ。

「やあ、星原の諸君」

口元に笑みを浮かべて軽く手をあげるのは、四番目のジョーカーであるファントムだった。

「張り切っているところのようですが、君達には本部にまで来てもらいましょうか」

それは楽しそうに彼は言う。

「もちろん、強制ですよ?」

「な、強制だと?」

「あれ、この流れってもしかしてアルトとオレも?」

「え?」

ファントムの事などまったく知らない潤が話しの流れから思わずたずねると、潤の事を知らなかったファントムも不思議そうに彼を見た。

「……えーっと、どちらさまでしょう?」

「現在アルトのお目付け役の潤と申しますが……」

「えっ、潤にぃ、私のお目付け役だったの?!」

「流留歌出発する前にスバルに頼まれた」

「お兄ちゃん、いつの間にっ?!」

「……あー、別に来ても来なくてもいいんですけど」

「じゃあ、勝手について行くわ。アルトを置いて帰ったらスバルにどやされそうだしな」

勝手に話は進んでいるが、まだ納得行っていないカリスは不審げにファントムを見ていた。

それに気づいたファントムはニコリと微笑む。

「別にとって食おうと言う訳ではありませんから、そんなに警戒しなくて大丈夫ですよ。……それに、友を殺したくはないでしょう?」

「え?」

最後の言葉が小さく聞き取れず、カリスが聞き返すが、彼は胡散臭い笑みを浮かべるだけだった。

「だが、私はまだ依頼を……」

「依頼主のほうには連絡がいってますし、白蓮の都のほうは現在本部のほうで封鎖中ですのでご心配なく」

「……」

まだ時間があるかと思っていたが、アーヴェ本部の動きがかなり迅速だったようだ。

アイリはそうかと答え、険しい表情をしながらも従う姿勢を見せた。

が、


「……ほう。リスティよ。彼等が星原から来たと言う客人か」


女の声がすぐそばで聞こえてきた。

姿を消していたのだろう。風を感じたと思うと、アルトの左上にふわりと精霊が現れた。

炎のような真紅の髪が風に揺られ、濃紺の瞳がアルトを映す。じいっと見つめられたアルトも精霊を見るが、彼女とは初対面のはずだ。

そのうち、興味を失ったように精霊はファントムに向き直った。

「久しいな、仮面の。あの節は世話になった」

「おや、まだ存在していたのですね、リンゼにウルファ」

どうやら知り合いだったらしい。

リンゼと呼ばれた精霊は、ふわりとファントムの前に移動した。それと共に、彼女の一歩後ろにさらに精霊が現れる。

狼の耳をもつ青年の様な姿をした彼は、騎士の様に剣を佩き控えている。

「てっきり、主人と共に討ち死にしたものかと思っていましたが」

「まさか。そなたこそ馬鹿をやって夢払い師を巻き込んで殺されているのではと心配しておったのだが、まだ無事の様だのう」

知り合いではあるが、仲はよろしくないようだ。

ぴりぴりとした空気が辺りを漂っている様な気がして、アルト達はなんとも居づらい雰囲気だった。

リスティも心配そうにリンゼ達を見守っている。

「さて、仮面の。私は彼らに用がある。話しは聞いていたが、少々時間をもらおうか」

「……いつも思っていましたが、リンゼって身勝手ですよね」

「お前もたいがいな」

ファントムは一歩下がると後ろを向いて手を振る。

「なるべく早く終わらせて下さいね」

「善処しよう。無理だとは思うがの」

微笑みながらリンゼはアルト達に向き直る。

ウルファはファントムの姿をちらりと見て、警戒しながらもリンゼの後を追う。

「私がリンゼだ。夜神空夜の友人であり、同朋であり、不本意ながらも家族であった」

「な……に……?」

アイリが、驚きに小さく声をあげた。

リンゼもウルファも精霊だ。彼等は、人間である空夜を契約した主ではなく、友人であり家族と称した。それは、珍しいことだ。

「それほど不本意では無かったように見えましたが」

「黙れ、部外者」

「おお怖い。触らぬリンゼに何とやらですか」

ひやかしていたファントムのすぐそばに、ウルファが歩み寄り、睨みつける。すると、肩をすくめてファントムは口を閉じる。

「それで、アイリというのは?」

「わたし、だ」

おずおずとアイリが返事をすると、リンゼは視線を向ける。

「……そうか。噂に聞いていたよりも、凛々しく成長したようだの」

まるで、子を見守る母の様に、リンゼはアイリを見ていた。

「空夜が、私の事、を?」

「あやつがいた頃の星原の者達の事なら耳にたこができるほど聞かされた。主を独り残してしまうのが気がかりだったと言っていたが、どうやらそんな気を配ることなどなかったようよの」

アイリとリンゼを見守るカリス、テイル、ティアラ、アルト達を見て微笑んだ。

「空夜は……」

「あやつは、お前達を巻き込みたくないと言っておった。自らを陥れた犯人を、捕まえるつもりだった」

「やっぱり……空夜は犯人では、無いのだな」

「そう、聞いている。もう、そのような無謀をするつもりはもうないと言っておったが」

「無謀……?」

「星原のエース殺害には、セレスティンが関わっておる。だから、あやつらは星原から離れなければならなかった。離れなければ、星原がどうなるか、戦えない者達も多く所属している星原に、セレスティンの者達が何をするか分からなかったからの。大切な者達を守る為に、離れたと言うのに……あやつは馬鹿者だから、また大切な物を作ってしまった。だから、それ以上セレスティンに関わることを止めて戦いから遠ざかることを決めたのさ」

一気にリンゼは語ると、ふうと息をついた。ようやく肩の荷が下りたとばかりに。

「ぬしと会う事ができるとは思わなかった。本当に、運命とは分からぬものだ……ましてや、オトカワの姫と共に来るとは」

そう言うと、リンゼはアルトに向き直る。

「え?」

「ラゴ……シルフの娘であろう? よく似ている」

「う、うん。お母さんの事、知ってるんですか?」

「……成り行きでな。私は、特殊な精霊でな、元々は人であった」

その言葉に、アルト達は言葉を無くして驚く。

人が精霊になる、ことは確かにあることはあるというが、めったにおこるようなことではない。それこそ、神話や童話で語られるような話だ。

目の前の女性が本当にそうだとしたら、アルト達は生ける伝説を見ている様な物だ。

「そう驚かれると新鮮だの。この村の者は驚くという事を知らん輩ばかりだったからな。むしろこちらが驚かされてばかりで……と、話しがずれたか」

いけないいけない、と首を振るリンゼは、ウルファをちらりと見てからさらに衝撃的なことを言った。

「私の生前の名字は、火水埜。のちに日野と改名したと聞く。音変(おとかわ)……いや、今は音川か。音川シルフにははるか昔の日野家の事を知りたいとなんどか会ったことがあったのでな」

「なんか、もう……会う人全員がお母さんの事を知ってそうで怖い……」

「私達の様な中で、あの御仁を知らぬ人はそうそういないだろうな。あの様な母を持ったことは仕方ないと諦めるしかあるまいの」

「うぅ……」

「私的に、あの人は本当に人間なのか時折疑問に思いますよ」

「黙れ、仮面の」

「あの、私ファントムって名前あるんですけど、私の扱い酷くありません? リンゼさん?」

「それは偽名だろうが仮面。あと、お前が私の名前を呼ぶな」

やはり、二人の仲は悪い様だ。ばちばちと火花が散りそうで心臓に悪い。

そして、いつの間にかウルファが居なくなっている。

リンゼはこれで終いとでも言うように、アルト達に向き直ると話しだす。

「星原の子らよ、またここに来るがいい。その時はこの無粋な仮面なしでいろいろと語ろうぞ」

「あぁ。次は、空夜のことをもっと聞きたい」

「は、はい。私も、よければ昔の日野家とか音川家のことを教えてもらえたら嬉しいです」

リンゼは頷いて、ファントムのほうを見た。

すると、ファントムの後ろの方にあった家から、ウルファが出て来るところだった。

小さな袋を持っている。

「ウルファ?」

「リンゼ。これを……彼らに託してもいいだろうか?」

「……勝手にすればいいだろう。それは私の物ではないからの」

リンゼに確認をすると、ウルファはアルト達の下に歩み寄る。

「星原とは依頼を受ければなんでもすると聞いた」

「なんでも、っていっても、僕等ができる範囲ですよ」

テイルが答えると、ウルファは頷く。

「……写真の現像などを頼むことはできないだろうか」

「知り合いに出来る人が居ます。預かってもいいのなら、星原経由で現像をお願いしてきますが」

「頼みたい」

そういうと、彼は小さな袋をテイルに手渡した。

心なしか、狼の耳がどこかぴんと立っているように感じる。

「……みなが、最後に集まった……写真なのだ」

「……分かりました。出来上がり次第、すぐに渡しに来ますね」

こくりと頷くと、ウルファはリンゼの後ろにまたいく。

「では、そろそろ用は終わりました? 本部に行ってもいいですか?」

「よいぞ、仮面。ほら、さっさと消えろ」

「……はいはい」

そう言うと、ファントムの隣に扉が現れる。

黒く、光沢を放つその扉には金の取っ手と金のナンバープレート。それには、Ⅳと書かれている。

「さ、アーヴェの本部に行きましょうか」

選択権はないとばかりに、ファントムはにこやかな笑みを浮かべてその扉を開けた。

扉の先には、テーブルとソファの用意された白い壁の部屋が広がっていた。

が、それをおもむろにファントムは閉めてしまう。

思い出したように、彼は右手の平に左の握りこぶしをついた。

「そういえば、行く前に聞かなければならないことが」

くるりと振り返った彼は、アルト達の中から、独りだけ視線を向ける。

「カリス君。そういえば、君は三番目の彼に頼まれて呪具を作ったそうですね」

「師匠……アマーリエさんがほとんど作ったけど。少しだけオレが手伝っただけだが?」

不審に思いつつも、カリスは応える。

「では、その呪具とは一体どんな呪具でしたか?」

「……それは、一応守秘義務ってもんがあるんで言えねえよ。おなじジョーカーなんだから自分で確かめたらどうだ?」

「そうしたいことは山々ですが、彼と逢える機会がほぼない上に、どうも彼には疑われてるので聞けないんですよ」

「そう。じゃあ、オレも答えられねぇよ。それに、なんでそんなこと聞くんだよ」

そっけない態度のカリスだが、ファントムは元セレスティンの一員。彼をまだいまいち信じられないのだ。

「そうですか。私の予想では……おそらく、己の魔力を倍増させるようなモノか寄坐(よりまし)の身を守るモノ……もしくは悪霊から身を守るモノ、かとあたりを付けていたのですが、どうですかね」

「……だから、言うつもりはない」

話を聞くうちに、いらだちながらも何も言うつもりが無いカリスを見て、ファントムは一つため息をついた。

「なるほど。では、仕方ないですね。今度こそ、本当に本部に行きましょうか」

諦めたように、彼は言うと、今度こそ扉を開ききり、先に進む。

仕方なしに、アルト達は彼の後を追うのだった。






シエラルから遠く離れた国の森。

暗い夜のことだった。


雲がかかり、風に乗って雨の匂いがする。

そのうち、ぽつぽつと雨が降ってきた。

清蓮は立ちつくして、そのまま濡れていく。

うっすらと……腕に、足に、顔に、鱗が浮かび上がる。

人魚と人間とのハーフである清蓮の、呪いのような体質。それがずっと嫌いだった。

父は、そのせいで殺された。

母は、清蓮を逃がすために死んだ。

ようやく逃げ延びても、奴隷として売られ、サーカスに飼われ、特異な体質を売り物に見世物にされた。

『きれいだよ』と、大切なもう一つの家族に言われるまで、ずっと嫌いだった。

両手をひろげ、目を塞ぐ。

見たくなかった。

自分の体を。

そして、現実を。


『そんな顔をしないでくれ。私だって上から命令されて仕方なく……あぁ、あの男の人は強かった。ゴーレムだっけ? あと、あの女の人も……弱いくせに必死になってめんどうで』


『なにが人間に虐げられた者たちだよっ、なにが差別に苦しんだんだよっ。てめえらのほうがよっぽど残酷なことをしてんじゃねぇかよ!!』


人形遣いの楽しそうな声が、星原の少年の悲痛な叫びが頭の中で鳴り響く。


『まあまあ、慌てないでください。くくっ……組織を抜けようと思った一番の理由は、この組織の有り方でしてね……そろそろ、貴女もこの組織が不審だと気づきましたか? それとも、気づいていませんか?』


『なぜ、未だに白蓮の都を襲った者達の正体が分かっていないのでしょう。なぜ、貴女はよりにもよってこの組織の、プルートなんぞに助けられたのでしょう』


ファントムが、清蓮に言った言葉が、なんども蘇る。





きっと、白蓮の都を襲ったのは、もう一つの大切な家族を壊したのは……セレスティンだ。





目から涙がこぼれおちる。しかし、雨と混じり合ってすぐに分からなくなる。

復讐すべきは人間ではない。セレスティンだ。

「でも、ダメ」

セレスティンが白蓮の都を襲った。おそらく、清蓮を捕まえていた組織もセレスティンと関わる場所。

ファントムが言っていたことは正しい。

きっと……清蓮はセレスティンに騙されている。

自らを助けたと称して利用価値があるからと手元に置いておこうとしたのだろう。

あの神殺しの一族の少年の様に。

人魚と人間のハーフという珍しさからだろう。

「それでもっ」

だが、人間を憎まないといけない。

そうしないと……自分を許せない。

自分が許せないから人間を憎む。自己中心的な思考だと人は笑うだろう。

それでも、清蓮は人間を憎まなくてはならない。

だって、『きれいだよ』と言ってくれた空夜を殺したのは、人間なのだ。

人間を憎まないといけない。

人間を……。

それは矛盾だ。

だって、空夜は人間だったのだから。

でも、違う。そうじゃない。矛盾なんて目を瞑って、人間を憎まないと。

憎まないと……。


「わたしが、あの子をみつけてしまったんだ……わたしは、わたしが、空夜を殺し……ちがう、わたしのせいじゃない……空夜が死んだのは……人間の、せい……」


雨の中、いつまでもいつまでも、少女は立っていた。


「でも……」


淀んだ瞳に、いつしか炎を宿して彼女はやがて進みだす。







その日、プルートはとても上機嫌だった。

朱月に不気味がられるほどににこやかで、鼻歌まで歌いそうな様子だった。

「そんなに、なにが楽しいの」

プルートがいつも仕事を行っている部屋、朱月や数人が事務にこもりっきりになることもあるそこで朱月はついに我慢できずに聞いた。

「あれ、言ってなかったっけ?」

「まったくなにも」

「どうせすぐにわかるから大丈夫だ」

そう言って彼は、薄く笑った。

そういえばと朱月は思い出す。この後、呼び出しがあったのだ。

現在集合できる者は全員ホールに集まる様にと連絡が来ている。

ホールはセレスティン自体が単独行動の者ばかりで集まると言う事が無いためにめったに使われない。が、今回は特別だ。

スフィラより話があのだと言う。

プルートにとって、スフィラのことは何よりも最優先であり最も大切な存在である。彼女のことで一喜一憂するぐらいに。

スフィラが関係しているのだろうとあたりを付けて、朱月はそれ以上問う事を辞めた。どうせ、分かると言うのならば触らない方が賢明だ。

そして、それはやはり考えた通りであった。


時刻になり、ホールに赴くと、めったに集まらないセレスティンに所属する者達が集まっていた。

ざわめきと熱気の中で、朱月は壁のほうへと移動する。プルートは準備があるとどこかに行ってしまった。

ふと、気付くと朱月よりも後方のほうで紫の悪魔が居る。

彼は腕を組み、壁に寄り掛かって壇上を見ていた。

そこには、ゆったりとした肘掛椅子に座る女性の姿がある。

漆黒の髪に漆黒の瞳……黒の女神、スフィラ。彼女の姿を瞳に閉じ込めるように紫の悪魔はじっと見つめていた。

そのスフィラの後ろに控えるようにプルートはいる。

「そろそろ、集まったかしら?」

よく通る声が響く。

「ええ。もう、時間です」

恭しくプルートが答えると、にこりとスフィラは嗤う。

「そう、ならいいわ」

すっと立ち上がると、スフィラは壇上の下に集まる者達を見下した。

おそらく、彼女には目の前の人々は人と映っていない。ただの、蠢く物にしか見えていない。そんな視線だった。

「私が言いたいのは一つだけ……オベロン計画を始動する。……せいぜいアーヴェの者たちを血祭りにあげましょう?」

くすくすとスフィラの笑いが響いた。

アーヴェへ怨みがある者達だろう、後ろ暗い過去を持つ者達が雄たけびを上げる。ようやく計画を実行するのかと研究者らしい者達同士が顔を見合わせてやかましく語りだす。そして、数人の計画の全貌を知る者はあたりの様子をうかがいながら慎重に動いている。

計画の一端しかしらない朱月だが、この計画が実行される前に自身の身の振り方を考えておかなければと焦る。

朱月がセレスティンに居るのは、ただ人を血塗れに殺したいからだ。その為にはどうしたらいいのか、限られた情報の中で考える。

オベロン計画の実態を知っているのはほんの一握りの者達だが、ほとんどの者達はただ計画が実行されると言う事だけで異様な熱気を放っていた。

ふと、朱月が気付くとざわめくホールから、いつの間にかスフィラとプルートは消えていた。

スフィラは先ほどの宣言だけ言いに来たらしい。

それだけかと思うが、それでもスフィラを信仰する者達などには衝撃的なことだっただろう。スフィラが居なくなった後も、ホールの中は人であふれかえり、ざわめきが大きくなっていった。

朱月も異様なホールから出ようと出入り口に向かうと、紫の悪魔が居ないことに気づく。

さきほどまでいた場所に彼はもういなかった。



人々の喧騒から離れ、独り少年は薄暗い廊下を歩いていた。

周囲には誰もいない。

この基地にあるほとんどのヒトはホールに集まっているだろうから、当然だろう。

さらに、彼は進んでいく。

右腕を左手で握りしめ、早足で歩く。

そして、止まった。

目の前には、今まで通ってきた廊下と見た目の変わらない通路が広がっている。

「……ようやく」

とても、暗い声だった。

「………………よう、やくだ……」

そして、懇願するような声だった。

「あの神を……殺せる!!」

そこには、憎しみを湛える紫色の濁った瞳があった。


マコトと名乗っていた少年は、それは嬉しそうに、嗤った。






本編にはでてこない話し。

リンゼさんの生前の名前は、火水埜鈴是(すずせ)でした。

ちょうど、音川家で短い期間でしたが歴史上唯一となった男性の当主羅昴(ラゴウ)と同じ時期を生きていた人でしたが、いろいろあって精霊に。

……よく考えたら本編にまったく関係ないせいでラゴウさんの影も形も本編にでてきてなかったことに気付いて愕然としています。

年越しやお盆になるとアルト達に会いにやってくる外見青年で中身おじいさんのラゴウさんの話をいつか書くと思います……。


次回

オベロン計画‐‐始動

紫の悪魔、襲来


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