01-10-02 風の音が聞こえる
シルフィーヌ・フォン・メイザース
それは、かつて大陸中にその名を知らしめた風術師の名である。
風術師の名門メイザースから同じく風術師の名門であった音川家に嫁いだ魔女の名である。
そして、――最悪の魔女、天災、デウス・エクス・マキナ――様々な名で呼ばれる存在であった。
メイザースの家を捨て、家族を忘れ、妹を巻き込み、彼女は世界を巡った。
そんな彼女には、最愛の夫と息子が二人、そして娘が――いる。
「……アルティーネ?」
そこまで無言で成り行きを見守っていたマコトが、呟いた。
「……わたしの、名前だよ。アルトはそれの愛称。わたしは、音川家で育てられたけど……お母さんのほうの家では、そう、呼ばれてるらしいから」
メイザース家の者とアルトはなんどか会ったことがある。と言っても、これから一生会う事はないと思っていた。
動揺を隠しきれないアルトは、目の前の彼を見上げる。
「ほんと、他人事だな」
神楽崎の周囲で、何かが渦を巻く。
出流の炎を消して、吹き飛ばしたモノ。
それは、もう正体が解っていた。
風。
あまりにも荒々しい暴風。それが、彼の周囲を渦巻く。
風術師の名門、メイザースを名乗るだけはある。あまりにも強い風に部屋にあったシーツがはためき、周囲の小物が吹き飛ぶ。
風から顔をまもるマコトを見て、アルトはすぐに決断を下す。
「まこ……ごめん!!」
「っ?!」
間髪いれず、神楽崎の操る風がアルトのいた場所を切り裂き、硝子が割れた。
「アルトっ、マコトっ!!」
「っち……逃げられたか」
慌てて部屋の中を見た出流の前には、割れた窓とボロボロになったベッドが一つ。そして、窓の外を見降ろして、飛び降りる神楽崎がいた。
「いたた、うぅ、まこと大丈夫?」
窓の外。そこから少し離れた地上に、アルトはいた。
見上げれば、四階建ての病院の壁。アルトが飛びだしたのはその最上階の窓からである。
引っ張って落されたマコトは、不機嫌な顔をしながらも立ちあがる。
「来たぞ」
「う、わかってる」
あのまま部屋の中で戦っていたら、どうなっていたことかわからない。あのままではマコトも危険だった。
だからアルトは窓を割って飛び降りたのだ。
マコトをあのまま部屋に残しておいては神楽崎が何をするのか分からない。そう思った瞬間には、腕を掴んで一緒に飛び降りていた。
着地には風で衝撃を消したため、なんともない。
それよりも、同じように風を纏って四階の窓から降りて来た神楽崎だ。
「なんで……なんでわたしのこと、恨んでるの?」
「それが、嫌いなんだよ。なにも知らないクソガキっ!!」
神楽崎の周りで風が起こる。
荒々しい風は神楽崎の心を写しているようだった。
が、アルトとマコトはそれに動じない。マコトが動じないのはいつものことだが。
そんな様子に、神楽崎は苛立ち舌打ちをする。
「まことはちょっとさがってて」
神楽崎をじっと見つめながら、アルトは前に一歩、進んだ。
いつもと変わらず。無防備な姿で。
風術を使う様子も何も無い。
ただ、自然な姿で神楽崎と向かい合う。
「くそっ」
その様子にしびれを切らしたように神楽崎は指を鳴らした。それが合図かのように風術が解き放たれる。
風には色が無い。そのはずだと言うのに、神楽崎によって生み出された風はどこか暗かった。
黒ずみ、まるで汚されたような風。周囲の風を巻き込んで、巨大化し、唸り声をあげて地面を削っていた。
暴風がアルトを包む。
激しい風に思わず顔を覆ったマコトに見えたのは、黒い竜巻となった姿だった。
が――一瞬で霧散してしまう。
先ほどまでの激しさは何だったのか。夢か幻だったかのように、消えてしまっていた。
「無駄だよ」
アルトがたっていた場所だけ、まるでなにもなかったようだった。
が、周囲の地面は抉れ、周囲の木々は緑の葉を散らしている。
「なっ――」
「あなたの風術は効かないよ」
無傷のアルトが、立ち臨んでいた。
「『愛し児』……かっ」
精霊に愛され、無償の加護を得る存在。それが――愛し児。
風に愛された少女に、風術は聞かないのだ。
無論、精霊達の止められる範囲とはなるが、それでもほとんどの風術師は愛し児の中でも特に強い加護を受けているアルトを普通の風で傷つけることは出来ないだろう。
しかし、これは異常だ。
神楽崎の風術は未熟なアルトにとってはまだ完全に防げるようなものではない。
が、そんな事を知らない神楽崎は舌打ちをする。
「ったく、うわさ通りかよっ」
神楽崎は指を弾き鳴らせば、周囲に転がっていた石や岩が風によって浮遊を始める。
風術がダメならば、違う物で。神楽崎は風術しか使えないのか、風で物を操り攻撃をしようとする。
が、風術師であるアルトにとってはそれこそ無駄なことだ。
同じく風を巻き起こしてそれらを吹き飛ばす。
それを予測していたのだろう、神楽崎の姿が先ほどまでいた場所から消える。
「っ?!」
風の知らせで慌てて頭上を見上げると、風を纏って飛翔した神楽崎が腕ほどあるナイフを両手で構えてアルトの元に落下をしているところだった。
その距離、僅か数メートル。
慌てて回避をしながら風流を起こして神楽崎の着地点をずらそうとする。が、神楽崎の風がそれを阻む。
神楽崎の纏う風がアルトの動きを拘束しようと猛威を振るう。無論、ほとんどは消されてしまうがそれでもアルトの動きを阻害する事は出来た。
避けきれず、に腕から鮮血が飛び散った。
さらにナイフを振るう神楽崎から後ろへ下がろうとして、マコトの存在を思い出す。
今、どこに居るのか下がりながら後ろをちらりと見た。
「そんなにあの餓鬼が気になるかよっ」
嗤い声が近くで聞こえた。と思った瞬間、少し離れた場所で見守っていたマコトの元へと最初にアルトが防いだ風術がうねり声をあげながら放たれる。
「まことっ!!」
不意打ちに自らの術が間にあわない。
「それは――うちが防ぐっ!」
紅蓮の炎が巻き起こった。
そこには、窓から飛び降りることが出来ず走って来た出流がいた。
マコトを庇うように、炎の壁を生み出される。
が、火と言うモノは風で容易く吹き飛ばされるモノ。
防ぎきれずに出流の肌に裂傷が奔る。が、威力が落ちたとわかるとマコトと共に転がりながら逃げる。
風は、制御が出来ずに何も無い場所へ突き進んで霧散。
「なんで……まことたちは関係ないでしょ!!」
「関係? 大ありだよ。テメェに関わるモノ全てがオレの敵だ!!」
神楽崎は問答無用で水平にナイフを振るう。
後ろに下がろうとしてつまずいてしりもちをついたアルトは神楽崎を見上げた。
なぜ、こんなに恨まれなければならないのか、解らない。
憎悪に燃える視線を受け止めながら、考える。
音川家とメイザース家の中は最悪だ。だからと言って、ここまで恨まれるのには理由があるはずだ。
そうでなければ、彼が……追い詰められたような、泣きだしそうな顔をしないはずだ。
「教えて、わたしがなにをしたのか……」
「っ……くそっ!!」
なにも応えずにそれが答えだとでも言うように神楽崎はナイフをアルト眉間に突きたてようとして、全身から炎が立ち上った。
一瞬、気がそれた瞬間に立ちあがる。
すぐそばに来ていた出流に気づいて少しだけ驚いた顔をした。
「あ、ありがとっ」
「ん。それより、この人どうするのさ」
「とにかく、止めないと……」
「……分かった」
手伝うというように、アルトの隣に並ぶ。
その姿は、戦うことへの抵抗はない様だった。
同時に、神楽崎にまとわりついていた炎が内側から風で強引に消される。
その様子は、まるで見えない風の鎧を纏っているかのようだった。
鋭い眼光が出流を睨みつけていた。
「っち、炎術師がっ」
服こそ煤けていたものの、それ以上の被害はない様だ。
「やっぱり風術師とは戦いたくないわ」
風術は遠距離攻撃に優れていると言われる。しかし、中には風の鎧を創りだし防御を行う者もいる。
が、細かい調整が難しい事もありあまり使う者はいない。調整に失敗すると自らを傷つけてしまうからだ。
神楽崎は、それを見事に調整して炎術を消したのだ。
そもそも、空気に左右される炎では風と相性が悪い。
「あぁっ、たく、うぜぇ」
向き合う二人の少女を見て、神楽崎は頭を掻きながら呟いた。
未熟とはいえ、対するのは風の愛し児であり、風術師の名門音川家の長女。生半可な風術では消されてしまう。
そして、神楽崎は知らなかったが音川と対を為す日野家の次女にして先見の才を持つ炎術師。
先ほどの炎ぐらいなら消す事もたやすいが、目障りだ。
「なにが……なにが『殺すな』だ」
神楽崎の周囲の風が変わる。
元々暗い色の風が、さらに黒く。漆黒に。闇に染まっていく。
「……闇属性ね」
出流が呟く。
神楽崎の周りにはタールの様な黒い風だったモノがあった。
影が揺らめき、まるで生き物の触手のように得物を求めて飛びだした。
幾本もの枝別れした影、そして風だったモノがアルトと出流を襲う。
さらに、不意を狙ってどこからともなく色のない風が二人を切り裂こうと狙う。
「っ、アルト!!」
「解ってる!」
風の愛し児であるアルトにただの風術は効かない、故に、風は執拗に出流を狙う。が、それをアルトは助けなかった。
同時に、アルトの元には傍の木の影から、出流の影から、太陽を遮る雲の影から……様々な影から攻撃を受ける。
触手の様な姿を変えた影は、時に出流を狙いながら、アルトを追い詰める。
防戦となったアルトと出流。が、ふと神楽崎は気づく。
なぜ、あの少女―― 出流は風術を避けている?
風は無色である。故に、風術を避けることは難しい。神楽崎は先ほどからわざと見えるようにした攻撃と見ることが叶わない風を使って攻めていた。
が、出流はまるで風が視えているかのようにその攻撃を避ける。
彼女は風術師というわけではない。アルトはともかく、出流がなぜ風を避けている?
出流の動きが止まる。と、同時にアルトの反撃の風が神楽崎の元へ届く。
なぜか、神楽崎は風を避けるために出流の目の前に逃げる。いや、なぜかというよりも、出流が神楽崎の逃げる先に先回りをしていただけのことだ。
まるで、これから起こることを知っているかのように。
逃げた先に出流がいることに気づいても、もはや違う場所に逃げられない。間にあわない。
「確かに、炎は風に弱いけど――」
出流の身体から噴き出した紅蓮の炎が神楽崎を焼いた。
「――零距離からなら、どう?」
髪が焦げると、異臭がする。それをアルトが知ったのは最近のことだったりする。
普段、料理をすることも炎に触れる機会もなかったからだ。
時々料理をしても、火を使う前に兄のスバルか玻璃に止められてしまう。
だから、その異臭への嫌悪を思わず顔に出してしまったのは仕方のないことだった。
目の前には、出流によって縛られた神楽崎。その髪は所々縮れて、服は煤けている。
とはいえ、やけどなどをした様子はない。
「おみごと」
おもわずそう呟いたアルトに、出流はしぶそうな顔をして頷いた。
「慣れてるから」
あまり、嬉しそうではない。
なにに慣れているのかアルトには判断できなかったが、あまり聞かない方がいいだろうと判断してそれ以上のことは言わなかった。
アルトと出流は友人ではあるが、二人ともその過去に関して全て知っている訳ではないのだ。
アルトだって出流に隠している、いや、いっていないことがある。だから、彼女が話すまでは待っていよう。そう、決めていた。
そう決めたのは、ティアラとカリスの話を聞いたせいもあった。
その二人の元に、遠くに離れていたマコトは近づいてくる。
「大丈夫か?」
いつもと変わらず感情のこもっていないような声。神楽崎とともに炎に巻き込まれてしまった出流の煤けた顔と髪、服を見てマコトは聞く。
感情がこもっていないのはべつに心配していない訳ではない。ただ、そう聞こえてしまうだけだ。
「ありがとう、大丈夫」
微笑む出流の横顔が、なぜか見なれない気がしてアルトはじっとその様子を見ていた。
どこか、アルト達と笑っている時の出流とは違うような気がするのだが、なにが違うのか解らないのだ。
「それで、こいつは……」
神楽崎をどうするのか。そう、マコトが口を開き――その後ろで黒い影が起き上り、マコトを襲った。
それはまさしく、油断だった。
アルトも出流も、本当の戦いなどまだ知らない子どもで、護られてきた側だったから、気づかなかった。
黒い影は、神楽崎が縛られ見張られながらも作りだした魔法で、それとともに縛っていた縄をほどいて驚いたアルト達から距離をとっていた。
そして――世界は眩い光でくらむ。
耳をつんざく雷鳴。
目を開けているはずなのに見えないのは、一瞬のうちに周囲に巡った雷のせいだった。
周囲に焦げたようなにおいが立ち込める。
ようやく目が慣れて来たところで、マコトは気づく。
目の前に少女がいた。
何時もならしない様な鋭い視線は神楽崎を捕らえ、その手は黒い影を無理やり掴んでいる。ぽたぽたと落ちる血は、影が切り裂いたらしい腕から流れていた。
「わたし、言ったよね。まことたちは関係ないって」
怒っていた。
おそらく、マコトも出流も初めて見るほど、強く。怒りをあらわにしていた。
神楽崎ですら驚いた様子でアルトを見る。
それほどまでに、アルトの纏う雰囲気が変わっていたのだ。
人には、それぞれ触れてはならないモノがある。それを、神楽崎は侵した。
その事に気づいても、もう遅い。
風だけでなく、バチバチと火花が散る音がする。
周囲に、不穏な空気が流れる。
と――
「あー、はいはい。まったく、どこに行ったのかと思っていたら、こんなところで喧嘩売ってるなんてね」
ぱこんと軽い音がして、神楽崎の頭が叩かれた。
「えっ?」
張り詰めた空気が一瞬のうちに瓦解する。
思わず声をあげた出流は、背筋に寒さを覚えていた。まるで、気づかなかったのだ。
瞬間移動でもしたのだろうか。神楽崎の後ろにはアルトにとっては見覚えのある青年――プルートがいた。
不機嫌そうな顔で笑いながらアルトたちを眺める。
マコトをちらりと見て――それに対して何も言わずにただ微笑んだ。
「すみませんねぇ、うちの神楽崎が。まったく、暴走するなって言い聞かせて来たというのに」
いう事を聞かない子どもの事を言うかのように彼は軽く話す。
「で、神楽崎、帰りますよ? 用事を終えて戻ってきたら移動手段が居なくなっていてほんと困ったんですからね」
そういいながら、無防備にアルト達に背を向けた。
呆気に取られていた様子だった神楽崎だったが、すぐに気を取り直すと忌々しそうにアルトを睨みつけて、プルートの後に続く。
残されたのは、荒らされた庭と、アルトたちだけ。
そして……一陣の風が、神楽崎を追うようにアルト達の横を通り過ぎた。
『…………けて……』
思わず目をつぶって風を受け流すアルトたちの元に、誰かの声が響く。
それは、本当に小さくて、怯える様に震えていた。
ただ、誰もその言葉を聞きとることは出来なかった。
風の吹く音だったのか、それとも誰かの声だったのか、判断がつかなかった事もある。
ふいに吹いた風は、すぐに去って行ってしまった。
助けて
誰か、助けて
もう、こんなことはやめて
誰かが悪かった訳じゃない
誰も、悪くなかった
ただ、運がなかっただけ
だから……お願い
あの人を――止めて
メイザースへの復讐を願う、神楽崎卓を
ちょっと設定とかいろいろ
読み飛ばしても大丈夫です
愛し児について。
愛し児とは、フィリアリアの世界で精霊に愛され加護を受けた者のことです。
風の愛し児であるアルトは、風に関する攻撃なら大抵精霊達が勝手に無害な物に変えてしまいます。風の属性攻撃はほぼ消されてしまうのです。
高所から飛び降りると風が勝手に着地を援助したり、アルトが歩くと暴風が消えてしまったり、嵐が進路変更したりといろいろ便利。でも、時々困る。
愛し児は能力では無く、体質によるものです。
火の愛し児なら、炎に手をつっこんでも火傷しなかったり、水の愛し児なら水の中でも息が出来たり、土の愛し児なら周囲の土壌が豊かになったりと精霊から祝福をされています。
非常に稀に、全ての精霊に愛された愛し児である『精霊王』と呼ばれるものが現れたり。
なぜ呼び方が違うかと言うと、昔、その体質だった少年が精霊たちを束ねる王の「精霊王」になったと言う伝説から全ての精霊の愛し児はそう呼ばれています。
話はもどって、アルトについて。
なんだこいつ、風術師相手ならほぼ最強じゃね? みたいなアルトですが、いろいろ限界もあります。
風と何かを複合したような呪術は無害に変えきれずに攻撃を受けたり、精霊がいない場所でも消されますが完全に消す事は無理だったり。
それと、経験の差という壁があり、アルトよりも風の精霊をより上手く使役して術を発動させている風術師からの攻撃も受けてしまいます。
神楽崎は風術師としては一流なので、普通に戦っていればアルトとも戦う事が出来ました。
他に、風術がアルトに届かなかったのは、実は神楽崎が精霊たちの事を拘束して風術を使っていたからだったり。数人の精霊を拘束して無理やり風術を強化していたので、その精霊たちの反抗と他の精霊達がいつもよりもさらに力を貸していたからです。
次からは、説明不足な設定を、小出しに出して行くかもです




