02-13-03 神と嘯き騙る者
隔絶世界に、黒い亀裂が幾つも入っていた。
淀んだ瘴気が周囲に満たされ、唯人はそこにいるだけで緩やかに死んでいくだろう。
さらに、時がたつにつれて、瘴気から魔物まで生まれていく。
そんな場所で、少年は――いや、黒の女神は嗤っていた。
「な、なんて……」
なんて、一方的な。
黒の女神と初めて対峙するカーリーは、自身の至らなさに拳を握った。
メトセトラが悲鳴と共に消えていくのを、見ているしか出来なかった。
神の前では、無力だ。
瘴気から小さな魔物が生まれ、カーリーの足に絡みつこうとする。それを潰しながら歯を食いしばった。
「ワタシ、あなたを苦しませて、苦しませテ、殺しタいの。どうしたら、絶望シてくれるかしら?」
いたぶる様に、少しずつ黒の女神はシェランに近づいていく。
それを今、カーリーは止められない。だから、止められる可能性がある者に、叫んだ。
「三番目!!」
「……」
先ほど、カーリーを助けて倒れた、無表情の仮面をかぶったジョーカー。
どうにか立ちあがっていた彼は、カーリーを見る。
「あなただろう? あなたなのだろう? ファントムが言っていた、第三者は?! オベロン計画を知りながら、それを妨害するために一人で動いていたのはっ!!」
ファントムに第三者の存在を伝えられた時、カーリーはそれが誰なのかすぐ考えた。
ファントムではないとして、候補は絞られる。なにしろ、招かれていない者が隔絶世界に入る手段がほぼ無いからだ。
第三者は紫の悪魔がシェランと会う時になにかしら妨害しようとしているとファントムは言っていた。なら、その時に立ちあう人物の可能性が高い。
フィーユ、ではない。彼女はそこまで策士ではない。たとえそうだとしても、一人では決して行わないだろう。誰かしら、仲間を求め、おそらくジョーカー達には情報の共有を図るはずだ。あとはメトセトラだが、彼女も怪しい所があるものの、第三者ではないだろう。
彼女は、この地から離れられない。隔絶世界を管理し、永久監獄を管理し、アーヴェの本部まで管理して、さらに守護者として存在している彼女の仕事量が多すぎて、第三者として暗躍することなどほぼ不可能だからだ。
なら、消去法であとは一人しかいない。
この隔絶世界に、他に誰か潜んでいるのかと気配を探ってみたが、それも無かった。
だから、カーリーは叫んだ。
「三番目!!」
「…………そう、ファントムが……」
重い沈黙の後、彼は答えた。
「そうだ、私達が第三者……でも、足りないのだ。まだ、彼女がこの舞台に降り立っていない。まだ、動く事ができないっ!!」
「足りない?」
彼女とは、一体――?
問いかけようとしたカーリーは、何者かがこの隔絶世界に現れた事に気付いて視線を向けた。
この事態を好転させるものか、それとも。
「あぁ、良かった。間にあいましたね」
「大遅刻だぞ、ファントムっ!!」
目元を隠す仮面の男、四番目のジョーカー、ファントムが『扉』をくぐり抜け、この世界に足を踏み入れる。
それに気付いたスフィラが、目を丸くして、そして妖艶な笑みを浮かべた。
「すみません、少しばかり寄り道をしていたので……」
そう言う彼の後ろから、バタバタと騒がしい音がして扉から転がり落ちる人影が六つ。
「ぐえ……」
「うわっ、ごめん!」
「ちょっと、カリス! どいてよっ!!」
「うそだろっ」
「な、なにこれ……」
「えっ、あれ、えっ??」
本部に居るはずの、星原の子ども達――アルト、出流、アイリ、ティアラ、カリス、テイル、彼等が、いた。
「は? ファントム? なんで、なんで彼等をここに――早く逃がすんだ!!」
面白いモノを見つけたとばかりに、女神が顔を輝かせる。
子ども達――未来ある者達、彼等を力を失った古き神の前で残酷に殺すのは、きっと苦しい事だろうと。しかも、この体はかつてあの子ども達と共に暮らしていたのだ、きっと子ども達もひどく苦しむはずだ、と。
「いえ。大丈夫だと思いますよ」
ファントムが、すがすがしいとばかりに笑みを浮かべた。
なにが起こっているのか、理解できていないのだろう六人組は、どたばたと立ちあがりながらも瘴気の立ちこめる異様な世界に警戒して――裏切り者の彼に気づいた。いや、正確には、そこにいたのは黒の女神だったが。
「マコト、く、ん?」
言葉を失った彼らの中で、最初に声を発したのは、出流だった。
呆然と、変わり果てた少年を見て、そして膝から崩れ落ちた。
「う、そ。なんで、なんで、黒の女神が……」
かつて、星原の皇の館を襲った彼女を、何度も何度も予知夢で視て来た出流は、すぐに気付いた。目の前にいるのは、霧原誠ではないと。
気配が、纏う空気が違う。なにより、マコトはあんなふうには笑わない。
なら、マコトは一体どうなってしまったのか。最悪の予想が脳裏を横切り、言葉を失う。
「え? なに、言ってるの。あれは、え?」
ティアラが、何度も視線を出流と彼の顔を行ったり来たりしながら困惑しつつ槍を構える。
そして、テイルはそんな出流を庇いながら、立てるかと手で支えつつ彼を見た。
無言で、カリスは十二神将達を呼ぶ。アイリもまた、なにが起こっているのか分からないが、それでも皆を守ろうと結界を張る準備をしていた。
そして、アルトは。
「なんで、なんでっ、これが、目的だったの?!」
暴風が、アルトを中心に吹き荒れた。
「どういうことなのさっ!!」
どういう経緯でこんな事になったのか、まったくもって分からないが、溢れ周囲を威圧する神気にアルトも出流と同様見覚えがあった。
玻璃を失ったあの夜、笑みを浮かべながらアルト達を見ていたあの神だ。
怖ろしい。けれど、それ以上に怒りが勝った。
重い足を一歩、また一歩前に進ませる。
「マコトっ!!」
目の前の少年のうちに、神が在る。
それが、許せなかった。
「初めまして。いや、久しぶりダったかしら? ふふっ」
アルトの巻き起こした風と黒の女神がぶつかり合う。
あたりの木々が風に揺れ、木の葉が散った。
次の瞬間、優ったのは黒の女神だった。
風は呆気なく霧散すると消えて、そよかぜでも吹いたかのような反応の彼女だけ残った。
いつものアルトならばこうも容易く破れるはずが無いが、この隔絶世界という場所が黒の女神を優位に立たせていた。
この世界は、シェランに招かれた者やメトセトラが認めた者しか出入りができない。そう、風の愛し児であるアルトの最大の協力者である精霊達がこの空間に存在しないのだ。ひび割れ、隔絶されていた世界と繋がった今も、まだこの世界に精霊達はいなかった。
動揺し、それに気付けないアルトはがむしゃらに風を起こして黒の女神に向かう。
「芸が無いわネ」
黒の女神はそっと手を伸ばす。その手のひらに、アルトの熾した風が集まり、あっという間にあたりは風などなにも無かったかのように落ち着いてしまった。
「アルトっ!!」
暴走するアルトを、カリスが肩を掴むと無理やり後ろにつきとばした。
「ほラ、返すわよ?」
黒の女神によって収まってしまったかのように見えた風。手のひらに集めたそれを、術者であるアルトに返した。
黒く穢れた風は、先ほどよりも荒れ、たけり狂うように吹き荒れていく。
つきとばされ、倒れていたアルト――彼女以外が、暴風によって四方に飛ばされていた。
そして、何度も強い風に晒された周囲の木々の葉はほとんど散り、幾つもの枝が折れ、辺りは悲惨な様相になっていた。
さらに、それをみた魔物達が一斉に彼らに襲いかかる。生まれたての弱い存在とはいえ、数がどんどん増えていく。それにみな対応しきれない。
そんな、黒の女神が起こした惨状に、アルトは呆然と見ているだけだった。
彼女が近づいてきても、それにカーリーが逃げろと叫んでも、動く事が出来なかった。
「守らレるだけの存在が、自覚して無力ヲかみしめるその瞬間。大好キよ」
すぐそばまで来た女神に、アルトははっと正気に戻ると慌てて風を放ち、そしてその場から逃げようとする。
彼女は、アルトでは決して敵わない。先ほどの攻防で痛いほど感じ取ったアルトの判断はしかし遅かった。
アルトが逃げようとしたそぶりを見せた瞬間には、女神は距離を詰めてその腕を掴んでいた。
とっさに振り払おうと腕を振るが痛いほど握られた手は離れない。
黒の女神は黒い風を腕に纏わせると、その力を使って人間の筋力では考えられないような力でアルトを持ちあげると、投げ飛ばした。
衝撃を予想して悲鳴を上げたアルトだったが、叩きつけられた場所は柔らかかった。
ぐえっと呻き声が聞こえてアルトが目を開けると、テイルがアルトと地面の緩衝材となっていた。
「だ、だいじょうぶ、ですか?」
「う、ん……」
正直、体中が痛いが、それでもアルトは頷く。
そして、立ちあがろうとして失敗する。
「テイル、アルト、伏せろ!!」
またしても、カリスが叫んだ。
何事かと思いつつも、先ほどの事もあり二人はすぐに地面に伏せる。
その瞬間、周囲に雷が奔った。アルトとテイルの頭上で、何度も激しく雷鳴が轟き、なにかにぶつかる轟音が響く。
そっと頭上を見ると、結界がアルトとテイルを守っていた。
カリスの結界だろう。そのカリスはどこにいるのかと見れば、十二神将が黒の女神によって消されていくところだった。
下級ではあるが、それでも神である存在が、容易く消滅していく。
カリスが黒の女神からもアルト達からも離れた場所でアルト達に結界を張り、さらに十二神将を操っていたカリスが召喚した神霊が強制送還された力の反動に歯を食いしばり耐える。が、すぐに膝をついて倒れ込んだ。
カリスが倒れ、動きが乱れる十二神将達を蹂躙する黒の女神に、カーリーが後ろから切りかかった。
気付いていたが、それでも黒の女神は避けきれない。
避けきれないと知ると、彼女は炎を捲き起こしてカーリーへと放つ。
鮮血が舞い散った。
服が燃え、半身がやけどで爛れながら、カーリーは黒の女神に一太刀いれていた。
だが、浅い。
薄皮一枚斬られた左腕を庇うことなく、彼女はカーリーを蹴飛ばした。
さらに彼女は、右手を掲げると、黒い剣を生みだしてカーリーを串刺しにしようとつきたてる。
それを庇うように、三番目がカーリーの前に踊り出た。
「第五十二章一頁立ち入らずの森よ」
誰もが聞いた事のない呪文を唱えると共に、二人の前に見えない壁が創られていく。
剣を弾かれた黒の女神は面白そうに三番目を見た。
「あら、貴女は……いったいナニからしら?」
「……」
無言で三番目は本の中に手をつっこむと、そこに異空間でもあるのか中から巨大な古めかしい大剣を抜く。細身に似あわない腕力で大きく振り上げると、ためらうことなく鈍器のように振るった。
「乱暴ネ」
ひらひらと踊る様に女神は避けていく。それが、まるであざ笑うかのように周りを挑発する。
湧き出て来る魔物達を焼き殺しながら、フィーユは黒の女神を苦々しく見ていた。
せめて自分が全快ならば……しかし、全快だったとしても勝てただろうか。
とにかく、今の状況でどうすればいいのか。最適解を探さなければと思うが、それがさらに焦りになり戦いを鈍らせていく。
「フィーユさんっ」
同じく魔物を殲滅していたファントムが名前を珍しく叫ぶ。
えっと思う間もなく、フィーユは地面に叩きつけられた。
衝撃に咳き込みながら何が起こったのかと見ようとしたが、視界が暗い。
よく見れば、巨大な影の様な魔物がフィーユを押しつぶそうとしていた。
考え事をしていたせいで近づいていたその魔物に気付かなかったのだ。
小さい犬の様な、しかしいたる所に触手の様なものが生えた魔物がフィーユにまとわりついて逃げる事を許さない。
押しつぶされる。と、フィーユが覚悟した時、その魔物を少女が切り裂いた。
背ほどある槍で一刀両断したのは、ティアラ・サリッサだった。
さらに、テイルもゴーレムを使役して魔物達を殺していく。
風に吹き飛ばされた彼らだったが、その衝撃に立ち直り、マコトと出逢った衝撃からも立ち直った彼等は逃げる事も出来ず戦うことを選択していた。
「どうすれば、こいつら消えるんでしょうかっ?!」
殺しても潰しても、瘴気から生まれていく魔物に、テイルは呆れながら言った。
「分からない。だが、とにかく倒すしかないだろうな」
そう言いつつも、あまり攻撃手段を持たないアイリは悔しそうに結界を張ってティアラとテイル達の補助をする。
テイルのゴーレムは簡単に魔物を潰して行くが、テイル自身は身を守る手段が乏しい。それをどうにか援護をしながらアイリは辺りを見渡し、仲間の危機に気づいて叫んだ。
「出流っ!!」
仲間たちの中でもかなり遠くに飛ばされてしまったらしい出流は、離れた場所にいた。そう、ちょうど辺りに満ちる瘴気が集まる場所に。
飛ばされた時にすぐそこから離脱できなかったのだろう。瘴気から生み出されていく魔物達が、出流に集まっている。
助けなければとアイリは動こうとするが、しかし簡単には動けない。溢れた魔物が集団から外れようとしたアイリを狙う。
「誰か……」
誰か、出流を助けられないかと見渡すが、そんな余裕誰もない。気付いた数人が出流を助け出そうと動くが、やはり魔物に阻まれてしまう。
そして、まるでこちらの様子を楽しむように、結果を先送りするように、ふらふらと周りの者達に狙いを定める黒の女神の存在もある。不用意に動く事は危険だった。
そんな中、アイリも誰も気付かないうちに、出流に近づく影があった。
それが、さらなる危険をもたらすとしても。
出流は痛む足を庇いながら魔物と対峙していた。
皆より離れた場所に飛ばされ、さらにその時の衝撃で足を痛めてしまったのだ。
そのせいで仲間と合流できず気付けば魔物に取り囲まれていた。走れないことはないが、囲みを突破してもなにかしらきっかけが無いとすぐに追いつかれてしまうだろう。
薙刀を振り回しながら、未来を視る。
一瞬先の未来から予測して、体を動かして行く。
攻撃からどうにか逃げ続けているが、そろそろ体力の限界だ。それに、濃い瘴気の中、活動を続けることは難しい。いずれ逃げ切れず殺されるだろう。
「どうすれば……」
アイリやテイル達が出流の状況に気づいたようだが、しかし遠い上にアイリ達も魔物達と戦っている所だ。出流が今、どうにかするしかない。
覚悟を決める、だが体力だけはどうしようもない。
近づいて来る犬に似た魔物を振るった薙刀で下がらせる。触手が蠢く変異した植物のようだんだんと息が切れていく。足を庇っているせいで余計だ。
ななにかを斬り飛ばしながら少しずつそこから離れようとする。それを、木々の背丈ほど在りそうな巨人の様な魔物が遮る様に現れる。
「なっ……」
アイリ達の姿が巨人で見えなくなると少しだけ心細くなっていく。
大丈夫、大丈夫。そう心の中で言い聞かせながら彼女は薙刀を振るった。
巨人を一人で倒す事は難しい。だから、巨人から離れ、他の魔物達を蹴散らしながらアイリ達と合流しようとした。
が、地面を踏んだはずの足がなにか可笑しな感触を感じた。
「……あっ」
地面から触手が跳びだして来るところだった。
全てを予知する事は出来ないため、なるべく死に近い事柄だけ予知していたせいだ。その為、死に遠い足を拘束される予知を出来なかったのだ。
足に触手が絡みつき、引き倒された出流はどうにか起き上ろうと顔をあげた。
そこには、取り囲むように魔物達がいる。
「あっ……」
逃げられない。そう、目を閉じた時だった。
「……立てるかしら?」
ふと、周囲の瘴気が和らいだような気がした。
目を開けると、そこには金髪の女性が出流の前に佇んでいた。
周囲には魔物が居なくなっている。あれは幻だったのかと思ってしまうほどだ。
足に絡みついていた触手も、枯れたように力を失い消えてしまった。
「……シェラン、さま」
去年、アルトと共にこの隔絶世界に迷い込んだ時、少しだけ話したことのあるアーヴェの支配者……彼女が、周囲の魔物と瘴気を一掃していた。
瘴気から生まれる魔物が生まれた瞬間、周囲に光の筋が奔ったと思うと、魔物が消えていく。
彼女は両手でまるで指揮をとるように光を操っていた。
「今のうちに、逃げるわよ」
そう言うと、出流の手をとって立ち上がらせると走りだす。
ほっとした拍子に、出流の視界に知らない光景が浮かび上がった。その内容に気付くと、慌てて叫ぶ。
「まって! 上からなにかがっ」
上空からなにかが降ってくる。それは危険なモノだ。すでに、なにかが降ってくる音が聞こえてくる。
シェランは慌てることなくすぐに状況を把握すると、出流の頭を守る様に抱きかかえ、上から降り注ぐモノから逃げるように横に跳びのいた。
轟音。それと共に、雷が弾けて辺りに火の粉を飛ばす。
「……あら、運がイいのネ?」
「あっ……」
炎が森に燃え広がっていく。
それを背後に、黒の女神が嗤いながら歩いていた。
出流達に、少しずつ近づいていく。
変わり果てたマコトの姿に、出流は言葉を失っていた。
彼は、こんな顔をしない。こんな笑い方をしない。当たり前だ。彼の体を器にして黒の女神が降臨しているのだから、今の彼はマコトではない。
「マコト、くん……」
それでも、もしかしたら届くかもしれないと名前を呼ぶ。
「嗚呼、そう言えば、アナタ……日野の歌姫だったわネ。なにか使えルかもって生かして来タけど……もう、いいかしラ?」
マコトの言葉は返ってこない。
黒の女神が、出流に向かう。厳しい顔をしたシェランがその前に立ちふさがった。
「……もう、止めなさい。スフィラ」
「実の娘ハ守らなかったくせに、その子は、守るの」
「……っ!」
古い傷を抉る言葉に、シェランは声を詰まらせた。
だが、今と過去は違う。スフィラの暴走を認めてはいけない。
認めたら、もうシェランに彼女を止められなくなる。
「これ以上、貴方に罪を重ねさせたくない」
「ふ、ふふ……あははは……そう。そうね。ふふ……」
突然嗤いだした黒の女神にシェランはびくりと震えた。
まるで、おかしくて仕方が無いと言うように、彼女は嗤い続け、そしてぴたりと止める。
「デモ、残念。力を失ったアナタじゃ、止められないワ」
スフィラがシェランに剣を向ける。
シェランの周囲、地面から木々が異様な成長で生え茂ると、彼女を守る様に動きだす。
そして、二人がぶつかった。
黒の女神を拘束しようと、地面から不意打ちに木々の根が鞭のように跳びだすが黒炎が焼き尽くす。シェランを斬り殺そうと剣が振るわれるがそれをシェランは紙一重で避けていく。
このまま続きそうな攻防だが、押されているのはシェランだった。
時折、辛そうに目を細める。
彼女はかつての戦いでほとんどの力を失ってしまった。戦えているが、ほとんど無理やり戦っている状態だ。これ以上長引けば難しい。
くらりと倒れかけたシェランを、黒の女神は見逃さない。
隙をついて、今度こそ斬ろうとして、薙刀がそれを払った。
「……大丈夫、ですか?」
出流が、ほっとしながら聞いた。
「えぇ……ありがとう」
そう言って、二人は並び立った。
黒の女神と対峙する。
正直、出流にはどうすればいいのかまったく分からない。このまま黒の女神と本当に戦って勝てるのかと思ってさえいる。
だが、このままでは殺される。それは嫌だ。
どうにか生き延びようと薙刀を彼女に向けた。
黒の女神は笑みを浮かべる。
「でも、無駄ヨ」
その瞬間、シェランがこほっと吐血した。
「え……?」
シェランの胸から、魔物の触手が生えていた。
ジワリジワリと血がしみだして、そして乱暴に触手が抜かれる。
地面に、シェランが倒れた。
いつの間にか、また魔物達が辺りを囲んでいた。黒の女神に意識を取られ過ぎて、魔物達がいた事を意識の外に置いてしまっていたのだ。
「ね?」
無駄だったでしょ?と彼女が笑顔で首を傾げて問うてくる。その恐怖に、出流は顔をこわばらせた。
「なんダかんだ言って甘いお母様、好きヨ?」
そう言いながら、彼女は近づいて来る。
逃げられない。出流は思わず目の前に迫る剣に目を瞑った。
が、なかなか予期していた痛みは来なかった。
「……?」
片目を、ゆっくりと開けてみる。
出流の首元に、ほんとうにあと少し動かせば切り裂かれていたような所に、剣がある。だというのに、黒の女神は動きを止めていた。
「…………なん、で?」
心底、不思議そうに黒の女神が言った。見開いた瞳が揺れていた。
魔法で創られていた剣は、そのうち霧散して消えてしまう。
そして、ようやく黒の女神は動いた。
出流から後ずさり、離れていく。
「や、やめろ! まだ、まだ『彼女』が来ていないっ!!」
遠くで、酷く切羽詰まった様子の三番目が叫ぶ声が聞こえたが、その意味を考える前に、黒の女神が小さく呟いた。
「どうして……きょひする、の?」
頭を両手で抱え、彼女はさらに後ずさり、突然がくりと膝を折る。
「い、あ……な、ん、で、いやああああああっ」
いったい、どうしたのか。突然半狂乱に叫びをあげた彼女に、出流は驚きと生き残ったことに安堵した拍子に座りこんでしまった。
彼女が正気に戻る前に逃げなければと思うが、だが、動けなかった。
そんななか、鋭い声が響く。
「愚か者が……! 時は満ちた。偽りは終わった。我らには世界を壊す理由がある。起動せよ!!」
『世界を壊す』という言葉が。
それは、三番目のジョーカーの口から紡がれた言の葉だった。
黒の女神を中心に、魔術陣が花開くように広がっていく。
さらに、何時の間に設置されていたのか、隔絶世界のいたるところから魔術陣が幾つも出現していた。うっすらと、様々な光を放つ複雑な歯車のように広がるそれは、動きだして行く。
出流が知らない物ばかりだが、いくつか知っているものもある。
支配。守護。隔離。幾つもの魔術が複雑に絡み合い、姿を現して行く。
「まったく、なんて無茶を……!!」
三番目は焦りから震える声で全ての魔術を制御している。
なにが起こっているのか出流には解らなかった。
カリスが青い顔をして、フィーユが顔をこわばらせる、そして、ファントムは微かに笑みを浮かべていた。
「キサマっ」
怒りに満ちた声が響く。
魔術陣から、白い魔力で出来た泥の様な物が溢れだし、黒の女神が囚われていく。
それを払いのけようとするが、立ちあがれず、力を入れることすらできない彼女は、すぐに飲まれていく。
「どウしてっ、よくもっ!!」
憎悪の瞳が、三番目を射った。
どうにか泥を払いのけた右手で、三番目を指差すと、大きな破裂音が響いた。
「くっ……」
白い仮面が吹き飛び、血が飛んだ。
三番目は、頭のすぐ近くで起きた爆発に巻き込まれていた。
血を流す彼は、特にひどい顔を押さえながら倒れ込む。そして、彼の目につく赤い髪が金髪に一瞬にして変わっていった。だが、それを指摘できるほど余裕があったものはいなかい。
魔術陣は消え去らない。術者が倒れてもなお、光を強めていく。
そして、完全に黒の女神の姿は泥の中に消えた――。
前回書くのを忘れてしまいましたが、プルートはシルフさんが大っ嫌いです。理由はシルフが幼いころからプルートの邪魔ばかりしてきたからだとか……。そんでもって、なんだかんだ長い気のくせして中身は幼いので嫌いな人がとにかく嫌いです。
無鉄砲だったシルフさんは一ケタ台の子ども時代からセレスティンとよくやりあっていました。よくここまで無事に生きてきた感じの経歴の持ち主……。
いろいろ新キャラが出てきたので紹介的な。
萌壟さんは潤さんのお姉さんで、いつかまた出て来るかもしれません。
ソーラリウルちゃんは実は世界を壊そうとした前科持ち。なんだかんだで三章でいろいろとくわしく出てくる予定。
クラオさん、覚えているでしょうか。一章で一回出てきています。水の大精霊マナと喧嘩をしていた神様です。




