第1話 美しい勇者
村が、火の海に沈んでいた。
草木は大地へ還っていき、建物が次々倒壊していく。
村人たちは火の手から逃れようと、村の外へと向かって走っていく。
村人たちを追うのは、ヒートウルフの群れ。
赤い毛並みをなびかせながら、村人たちの背を追い、銀色の鋭い牙でその首にかぶり付く。
致命傷を受けた村人が倒れた後は、村人の肉に興味を示すこともなく、次の獲物に向かって走っていく。
村を焼き払うのは、サラマンダーの群れ。
オタマジャクシに似た赤い大きな体には、体に似合う大きな口がついており、息を吐く度に周囲へ炎をまき散らす。
太い四つ足でゆったり歩き、倒れている村人を見つけると、大きな口で丸吞みにしていく。
「はあ……はあ……」
村に住む少年――アスノは、村の守り神として崇められる石に背を預け、滅んでいく村を眺めることしかできなかった。
八歳という幼い体には、魔物一匹倒す術さえ持ち合わせない。
仮に十ほど年が上だったとしても、ヒートウルフによって穴だらけにされた脚では、そもそも満足に戦うことさえできない。
「村が……。父さん……母さん……」
村を歩いていた一匹のサラマンダーが、アスノの匂いを嗅ぎつけて進行方向を変える。
のっしのっしとアスノに近づきながら、涎代わりの炎をボタボタと垂らす。
サラマンダーはアスノの前に立つと、口を大きく開いて、アスノへ口を近づく。
アスノが何度も見せつけられた、サラマンダーが獲物を飲み込むときの動き。
アスノは目から涙を流し、全身を大きく震わせながら、ただ祈った。
「神様……。誰か……助けて……」
恐怖のあまり、目を閉じる。
飲み込まれた後どうなるかなんて考える余裕もなく、恐怖で思考が真っ黒に塗りつぶされた。
「大丈夫?」
が、アスノの体はいつまで経っても飲み込まれず、代わりに女の声が聞こえた。
アスノが恐る恐る目を開けると、そこには上半身が切り落とされたサラマンダーがいた。
断面からは血が噴き出し、上半身が右へ、下半身が左へと倒れていった。
サラマンダーの横には真っ赤な服に身を包んだ女が立っており、剣を鞘へと納め、アスノに向かって手を伸ばした。
「恐かったね。もう、大丈夫だから」
炎による赤い光が輝いてなお、女の短髪は燃えるような赤を主張していた。
頬にはサラマンダーの血がべっとりとついてはいるが、不思議とアスノは恐怖を感じなかった。
女が何者かなどわからないが、大丈夫なのだと不思議な確信があった。
「う……うわあああああああああん!」
アスノは、恐怖から逃げるように女に抱き着いた。
女もまたアスノを抱き返し、小さな頭を撫でた。
しかし、すぐにアスノの肩を掴んで、自身から離した。
「私は今から、この村の魔物を殲滅してくる。だから、もう少しだけここで、一人で待てる?」
本音を言えば、アスノは女に行ってほしくなかった。
ようやく見つけた安心できる場所が、自分の側からいなくなって欲しくなかった。
しかし、依然魔物たちは村を徘徊し、状況は一刻を争う。
アスノは泣くのを我慢しながら、大きく頷いた。
「偉い! さすが男の子だ!」
女はアスノから完全に離れ、背を向ける。
そして鞘から剣を抜き、村の奥に向かって走り始めた。
女の足音に気づいたヒートウルフが、女の元へと駆けつける。
鋭い爪を伸ばして、女の体を串刺しにしようとする。
しかし、女は一振りにて、ヒートウルフを葬った。
頭も、体も、牙さえも真っ二つ。
圧倒的な力の差を以て、村に蔓延る魔物たちを次々仕留めていった。
アスノは女の背を、ずっと見続けた。
有無を言わさぬ暴力的な強さと、全身が血でびしょ濡れになっても止まらない姿勢を、ずっとずっと見続けた。
女の姿が建物の影に隠れ、見えなくなるまで、ずっと。
「本当にありがとうございます。何とお礼を言えばよいか」
全ての魔物が仕留められ、村を覆っていた火が鎮火した後、運よく生き残った村長が頭を下げた。
生還した他の村人たちも、続いて頭を下げた。
「いえ。勇者として、当然のことをしたまでです」
「勇者? では、貴女が」
勇者。
人間ならざる力を持った人間。
人間社会を脅かす魔物たちの頂点――魔王を倒すために旅をしていることは、辺境の村にまで知れ渡っている。
村長は、目の前の女が勇者であるとわかった瞬間、その場に平伏し、掌を動かして背後の村人たちにも平伏するように促した。
「え、ちょっと。頭を上げてください!」
女は焦るが、村人たちは次々と平伏していく。
まるで絶体神でも崇めるように、女の前に平伏する人間たちの群れができる。
女は困った表情で頬を掻き、自身に平伏する村人たちの背を見る。
そこで気づいた。
たった一人立ったままの、アスノの存在に。
女はアスノの顔を覚えていたようで、指をさして表情をほころばせた。
「君は、あの時の! よかった、無事だったんだね!」
喜ぶ女を見ながら、アスノは女に向かって前進した。
他の村人が、アスノに平伏するようズボンの裾を掴んだが、アスノは気にすることなく脚を前へと動かした。
僅かに顔をあげ、抗議の目線を送る村長も無視し、アスノは女の前に立った。
そして、魔物に襲われていた自分に手を差し伸べてくれた時のように、アスノは女に向かって手を伸ばした。
「一目惚れしました! 結婚してください!」
アスノの言葉に、周囲は静まり返った。
村人たちは思わず顔をあげるも、あんぐりと口を開けたまま、一言たりとも発さない。
アスノの目の前にいる女も、想定外のことに小さく口を開け、すぐに吹き出し笑い始めた。
「あはは。なにそれ」
女の表情は、魔物と戦っている時の冷静な表情と打って変わり、無邪気な子供のような表情だった。
「ば、馬鹿者! 申し訳ございません、勇者様」
村長がアスノの無礼を窘めるため、急いでアスノの元へ行き、頭を押さえつけて無理やり平伏させた。
そして、自身も再び平伏し、女に許しを請うた。
しかし、当の女はいっさい気にしていなかった。
笑いすぎて目に溜まった涙を指先で拭きとり、アスノを押さえつける村長の手を丁寧に剥がし、顔をあげたアスノに向かってにっこりと微笑んだ。
「セーラ。私の名前。結婚はできないけど、もし君が大人になって、私と同じくらい強くなれば、一緒に戦うことはできるかな」
アスノ、八歳。
初めての恋を前に、顔を真っ赤にして、頷くことしかできなかった。




