第六羽、勇者学の父に逢うがために~in 茨城~
お腹減ります
僕は佐間。何の力も持たない、「手羽先モルモット工業高校」の調理科、一年生だ。
相崎が失踪した理由を探し始めたが、先生をあたったところで首を振るばかりだ。そこに圧力が加わっているのは確かであったが一般学生のコネクションで当たるには厳しいものがあった。
「そうだ……確か小父さんが……」
小父さんというのは初代手羽先モルモット工、世界勇者である「相=崎・モルモッティ・政一」の弟のことだ。血縁者ではないが昔よくしてもらった人だ。
「叔父さん、僕のこと覚えてるかなぁ」
無論小父、相生天次に勇者の力はない。
だが「勇者学」の基礎を築いた、古代勇者学の発掘者、近代勇者学の父と呼ばれ崇められた農家の小父さんだ。
ヘクタールに満たない土地をせっせかと耕す汗まみれの小父さんの瞳はいつでも子供のように輝いていた。
東舞財閥傘下の野田線を乗り換え、旧国鉄、PO関東のPORへ乗り換え、僕は旧水戸街道へと進んだ。
ここらの町並みに広がる田園風景はまさに「農家による支配」を示した小麦色であった。民家の瓦はセラミック製だが、そこに住む人々の表情は瓦のように堅く、また情には脆かった。
「ふぅ、大分歩いたものだなぁ」
一息つきたく、目についた茶屋の暖簾をくぐる。鼻腔をくすぐる渋い香りと甘い上質な糖分の香りは調理科として放っておくわけにはいかなかった。
茨城県は稀な気候に恵まれた地域で北で採れる作物の南限、南で採れる農産物の作物とも言われている。
「ええと……猿島茶と、みつだんごをください」
熟年の女性にメニューを眺めながら品物を頼むと、すぐに持ってきてくれた。
作りおきだろうか、と思い堅さを覚悟したが、なんともたれの暖かさが口の中に広がり、きな粉も大豆の臭味が無く上品な味わいであった。
むせそうになってお茶を啜ると、温度が腹の底に染み渡り、「これは緑茶のシルバーティップスだ」と思うほどだ。セカンドフラッシュ、紅茶のシャンパン、ダージリン、そういう言葉が溢れ出してくる。というものの僕は紅茶の知識には乏しく、それがかなしく思われた。
「ご馳走様でした」
いい言葉だ。食にはそこに関わる人がたくさんいて、たくさんの「ありがとう」があるのだ。
僕は日本に生まれて、日本の「おもてなし」の精神に感動できることに感謝した。
また歩き始めた。
続く
どうでしたか? 勇者要素があまりありませんでしたが僕は温まりました。僕はね。ご意見ご感想おねがいします1