第1話 病弱令嬢とレアカードコレクター
第1話 病弱令嬢とレアカードコレクター
天井に映る豪華なシャンデリアを見上げながら、皇結衣はゆっくりと瞬きを繰り返し、自分が最後に見た光景がカードショップの天井崩落事故だったことを思い出しながらも、どう考えてもその続きを見ているとは思えない現状に混乱していた。
柔らかな羽毛布団に包まれた身体を起こそうとしただけで胸が苦しくなり、息が上がり、全身から力が抜けて再びベッドへ倒れ込むと、それだけで額に汗が浮かぶほど体力が消耗してしまい、世界ランカーとして何十時間も大会会場を歩き回れた前世の身体との違いに思わず顔をしかめる。
「お嬢様、大丈夫ですか」
若いメイドが慌てて駆け寄ってきたことで、自分が誰かに仕えてもらうような立場になっているらしいことを理解した結衣は、差し出された鏡を受け取ってその中を覗き込み、そして声にならない悲鳴を上げそうになった。
そこにいたのは、艶やかな銀髪を肩まで伸ばした幼い少女だった。
白磁のように白い肌と宝石を思わせる青い瞳は確かに美しかったが、それ以上に病的なまでの細さが目立ち、少し強い風が吹くだけで倒れてしまいそうなほど弱々しく見える。
さらに鏡の中の少女が驚いた表情を浮かべれば、当然ながらその少女も同じように驚いていた。
どうやら夢ではないらしい。
結衣は茫然としながら周囲を見渡し、頭の中に流れ込んでくる馴染みのない記憶を必死に整理していく。
少女の名はエリシア・フォン・ローゼンベルク。
八歳。
侯爵家の令嬢。
そして病弱。
長年にわたる持病によってほとんど外出もできず、医師からは成人まで生きられる保証もないと言われている。
だが結衣が驚いたのはそこではなかった。
ローゼンベルク侯爵家という名前を聞いた瞬間、忘れようもない記憶が脳裏に蘇ったのである。
M&D。
マジック&ダンジョン。
全世界で数億人がプレイする超人気カードゲーム。
決闘者≪デュエリスト≫である結衣が人生を捧げたゲーム。
そして世界ランカーとして活躍した舞台。
そのフレーバーテキストや設定資料集を読み込んでいた結衣は知っていた。
エリシア・フォン・ローゼンベルクという人物を。
ゲーム内の歴史書カードに名前だけ登場する不遇の侯爵令嬢であり、病で若くして亡くなるため本編にはほぼ関わらず、家も数年後に没落する悲劇の一族の一人だった。
「待って、嘘でしょ……」
思わず漏れた言葉にメイドは心配そうな顔をするが、結衣にはそれどころではない。
もし本当にM&D世界への転生だとすれば問題は山ほどある。
ゲーム本編開始まであと約八年。
そしてその十年後には魔王軍による大侵攻が発生する。
王国軍は壊滅。
主要都市の半数が陥落。
人気キャラも大量死亡。
結衣は当時イベントシナリオを見ながら号泣したほどだった。
つまり放置すれば世界そのものが危ない。
だがそれ以前に今の自分も危なかった。
病弱で短命。
家は借金だらけ。
未来は没落確定。
普通なら絶望していてもおかしくない。
しかし結衣は世界大会で幾度も逆転勝利を収めてきたプレイヤーだった。
負け試合をひっくり返すことには慣れている。
負け確定に見える盤面ほど燃える性格だった。
その時だった。
不意に頭の中へ懐かしい声が響いた。
『聞こえますか、皇結衣さん』
結衣は目を見開く。
女神だった。
事故直後に出会ったあの美しい女神の声である。
『転生は無事成功しました、サービスとしてあなたのデッキ資産を利用可能にしてあります』
「サービスってレベルじゃなかったよね」
『喜んでもらえて何よりです』
どこか楽しそうな声だった。
『ただし現在の身体容量では強力なカードを無制限に扱えません、自身の成長に応じて段階的に制限が解除される仕組みになっています』
「なるほど、さすがに神話レア連打は駄目なんだ」
『その代わり序盤用カードなら問題なく使用できます』
女神の声が途切れる。
次の瞬間、結衣の視界に半透明のウィンドウが現れた。
そこには見慣れたデッキ画面が存在していた。
何百時間どころか何千時間も眺め続けた愛用デッキ。
思わず涙が出そうになる。
神話レア。
限定レア。
大会優勝記念カード。
プロモカード。
全て存在していた。
「うわぁ……本当に全部ある」
ゲーマーとしての本能が震える。
特に中央に鎮座する虹色のカードを見つけた瞬間には心臓が跳ねた。
《創世の女神アリア》。
世界でも所有者がほとんどいない最高レアカードだった。
もっとも今は灰色表示になっていて使用できないらしい。
その代わり利用可能なカード群の中に一枚だけ見覚えのあるカードがあった。
《癒しの妖精リリィ》。
序盤に活躍する回復役のSRカード。
初心者救済として有名なカードだが、育成次第では終盤まで現役で使える優秀な存在でもある。
結衣は迷わずカードをタップした。
すると淡い光がカードから溢れ出し、小さな魔法陣がベッドの上へ展開される。
そして。
「りりっ」
手のひらほどの可愛らしい妖精が飛び出してきた。
金色の髪を揺らしながら空中を旋回する小さな少女は、ゲームのイラストそのままの姿で結衣の周囲を飛び回る。
結衣は感動した。
推しカードが現実になった。
世界ランカーとしてこれ以上のご褒美はない。
そして妖精は迷うことなく結衣の額へ小さな手を当てる。
柔らかな光が身体を包み込む。
すると今まで肺を締めつけていた苦しさが薄れ、鉛のように重かった身体が少し軽くなった。
「えっ」
結衣は驚く。
回復魔法が効いている。
本当に。
現実で。
それも驚異的な速度で。
妖精は誇らしそうに胸を張りながら結衣の肩へ座る。
「りりっ!」
「ありがとう」
そう言って頭を撫でると妖精は嬉しそうに笑った。
その様子を目撃していたメイドは完全に固まっていた。
口をぱくぱく動かしているが声にならない。
数秒後。
「お、お嬢様が妖精と契約されましたぁぁぁぁっ!?」
という絶叫が屋敷中に響き渡った。
そしてその叫びを聞いた使用人たちが駆け込み、さらに父と母まで飛び込んできたことで、静かだったエリシアの部屋はあっという間に大騒ぎになる。
だが結衣は知らない。
この日がローゼンベルク家復活の始まりであり。
病弱で短命な少女だったエリシア・フォン・ローゼンベルクが。
未来の王妃候補となり。
世界を救う英雄となる。
その第一歩だったことを。
そしてまだ出会ってもいない一人の王子が。
将来、自分の人生を大きく変える存在になることを。
今はまだ誰も知らなかった。




