第百三十六話 おかえり、アレクシア
「騒がしいと思ったら……」
低く、よく通る声が響いた。
その声を聞いた途端、周囲に集まっていた騎士たちが自然と姿勢を正し、左右へ道を開ける。その向こうから歩いてきたのは、体格の良い壮年の男だった。
「団長!」
アレクシアの表情が、ぱっと明るくなった。普段はあまり見せることのない、どこか子どものような嬉しそうな顔で、一歩前へ出る。そんな顔を、四堂悠太は初めて見た。
「久しいな、アレクシア。近々、魔王軍の侵攻が本格化するかもしれない。援軍を送ってほしいと頼みに来て以来か」
「はい。団長も、お変わりなく」
「お前もな。……と言いたいところだが」
騎士団長は、アレクシアを頭からつま先まで眺めると、僅かに眉を寄せた。
「まず聞かせろ。魔王との戦いはどうなった?」
「……まだ、終わっていません」
「だろうな」
騎士団長は腕を組む。
「終わっていたなら、もう少し派手な知らせが国中を駆け回っているはずだ。では、なぜお前がここにいる?」
そこまで言ってから、少し困ったように頭を掻いた。
「いや、勘違いするな。会えて嬉しくないわけではない。むしろ、こうして元気な顔を見られて安心している。だが、お前は魔王を倒しに行ったはずだろう」
「その途中で、放っておくことのできない異変が見つかりました」
「異変?」
「各地にある、精霊の祠です」
アレクシアは少し言葉を選んだ。
「魔王だけを追っていれば良い状況ではなくなりました。詳しいことは、私たちにもまだ分かっていませんが、このサランセルゴ共和国にある水の精霊の祠でも異変が起きています。先ほどまでそこを調べていました」
「水の精霊の祠で……」
騎士団長の表情が僅かに険しくなる。
しばらく考えたあと、アレクシアを真っ直ぐに見た。
「魔王討伐を諦めたわけではないのだな?」
「もちろんです」
アレクシアは、一瞬も迷わなかった。
「必ず決着はつけます。ただ、そのためにも今は、各地で起きている異変を一つずつ確かめなければなりません」
「……そうか」
騎士団長は、しばらくアレクシアの顔を見つめていた。
四堂悠太には、二人の間にどんな歴史があるのか分からない。
ただ、騎士団長がアレクシアを見る目は、部下を見るものとは少し違っていた。
もっと近い。
そんな気がした。
「ならばいい」
騎士団長は、それ以上何も問わず頷いた。
「それより、リューベックはどうだ?」
「無事です。団長が送ってくださった騎士たちも、コレット副隊長や冒険者たちと共に、街の防衛や復興を担ってくれています」
「そうか」
騎士団長の表情が、少しだけ緩んだ。
「百人も持っていかれて、こちらとしても少々痛手ではあるんだぞ」
「……申し訳ありません」
「謝るな。必要だから送った」
即座に返され、アレクシアが顔を上げる。
騎士団長は、首都の空へ視線を向けた。
「この国は、五年前に変わった。多くの騎士や民を、王の領土欲のためだけに死なせてきた国を、俺たち自身の手で終わらせた」
「……はい」
「その後、ヴィンラント連合とアルブリー王国が和平を受け入れてくれたからこそ、今の三国の平和がある。我が国も魔王軍の被害は受けている。だが、最初に侵攻を受け、長く前線を支えてきたのはヴィンラント連合だ。今度はこちらが手を差し伸べる番だ」
騎士団長は、そこでアレクシアへ視線を戻した。
「魔王軍との境界にあるリューベックを、『自分たちの国ではない』という理由で見捨てるようでは、五年前にこの国を変えた意味がない」
「……はい」
アレクシアは、静かに頷いた。
その横顔を見ながら、四堂悠太は少し不思議に思った。
以前のアレクシアなら、「謝らなくていい」と言われれば、そのまますぐに前を向いていたような気がする。
だが今は、一つひとつの言葉を受け止めるように、ゆっくりと頷いていた。
(……アレクシアも、変わったんだな)
「ところで……」
騎士団長が、改めてアレクシアの顔を見た。
「なんでしょう?」
「お前、良い顔になったな」
「……え?」
「前にここへ戻ってきたときにも思ったが、あの頃よりさらに落ち着いた」
騎士団長は、腕を組みながら、昔を思い出すように目を細める。
「以前のお前は、何かに追い立てられているような顔をしていた。どれだけ強くなっても、まだ足りない。もっと覚悟を持たなければならない。そんなことばかり考えているように見えてな」
騎士団長は、少し苦笑した。
「……まぁ、見習いの頃に『お前には覚悟が足りない』と言ったのは俺なんだが。真面目なお前には、少し効きすぎたようだ」
四堂悠太は、思わずアレクシアを見る。
覚悟の話なら、少し分かる。賭博場で、すべてを失う覚悟を繰り返すことで自分を鍛えてきたと、アレクシアは言っていた。
自分を守るためではなく、誰かを守るために。
それが彼女にとって、ずっと当たり前だったのだろう。
「……色々なことがありました」
アレクシアは、少し離れたところにいる四堂悠太たちへ目を向けた。
「昔の仲間にも、今の仲間にも……随分、助けられました」
「そうか」
騎士団長は、それ以上深く聞かなかった。ただ、どこか満足そうに笑った。その顔を見て、四堂悠太は思う。
この人もずっと、アレクシアのことを心配していたのかもしれない。
「団長」
「なんだ?」
アレクシアは一度だけ息を吸った。
「……ただいま戻りました」
一瞬、騎士団長の目が、見開かれた。周囲にいた騎士たちまで、少しだけ静かになる。やがて——。
「……そうか」
騎士団長の顔に、豪快な笑みが浮かんだ。大きな手が伸び、そのままアレクシアの頭に乗せられる。
「おかえり、アレクシア」
「……子ども扱いはやめてください」
「何を言っている。俺にとっては、七歳の頃から大して変わらん」
「私はもう十八歳です!」
「十一年程度で何を言う」
「十一年は十分長いでしょう!」
アレクシアは頭の上の手をどけようとしたが、騎士団長はまるで気にしていない。
やがて、珍しく困った顔でこちらを見た。
「……シドー、助けてくれ」
アレクシアが、珍しく四堂悠太へ助けを求めた。
「いや、僕が入ったら余計ややこしくなりそうだから……」
「見捨てるのか⁉」
「親子みたいなところに割って入る勇気はないよ!」
「親子ではない!」
即座に否定した。
だが、騎士団長は楽しそうに笑っている。
少し離れたところでその様子を見ていた四堂悠太は、ふと首を傾げた。
(……七歳?)
十五歳で騎士団長になったことは聞いている。だが、七歳とは何の話なのだろう。尋ねようとした、そのときだった。
「アレクシア先輩!」
「お久しぶりです!」
周囲で機会を窺っていた若い騎士たちが、一斉にアレクシアへ駆け寄ってくる。
「こら、待て! 一度に来るな!」
あっという間に人の輪の中へ飲み込まれていくアレクシアを見ながら、四堂悠太は、質問を胸の中へしまった。
(……まあ、あとで聞けばいいか)
その「七歳」の意味を知るのは、もう少し後のことだった。




