第335話 帰還の先に
惟成は、鬼討伐から帰った姿そのままで、内裏の門へ急いだ。
(お主上の謁見は、もう終わったのだろうか。帝はまだ二十代後半……女御や更衣を迎えても、まだまだおかしくはないお歳だ。)
胸を、何かに小さく引っかかれたような感覚があった。
内裏の門へ続く廊下。
その先に、正装をした姫の姿が見えた。
華やかな飾り髪。
海を思わせる鮮やかな青緑色の飾り布が、歩みに合わせて揺れている。
その布には、見覚えがあった。
自分が贈ったものだ。
間違いなく、紗世だった。
しかし、姿を見つけた次の瞬間、惟成は眉を顰めた。
(誰だ……? 紗世の隣にいる男……。)
男が、紗世の顔を覗き込んでいる。
(何だ、あいつ。女の顔を覗き込むとは……。)
そして、惟成は気付いた。
男が、紗世の手を握っている。
「紗世!!」
それを見た瞬間、反射的に紗世を呼んでいた。
惟成の呼び声に、紗世が振り返る。
「惟成! 帰ってきたの!?」
紗世の顔が、ぱあっと明るくなった。
惟成は、紗世のもとへ駆け寄っていく。
だが、紗世のそばにいた男の顔を見て、足を緩めた。
「…………鷹丸様……?」
惟成は眉を顰めた。
(鷹丸様だけど、中務卿宮様なんだよ〜!)
紗世は心の中で叫んだ。
しかし、ここでそれを言っていいのか分からない。
とりあえず、話題を逸らすことにした。
「えっと……お帰り! 父上も一緒?」
「ああ。兼成様も帰ってきている。今は検非違使庁にいらっしゃる。紗世の方は、もう終わったのか?」
「あ、うん。」
「そうか。ならば、一緒に帰ろう。」
惟成はそう言うと、中務卿宮に向き直った。
「では、鷹丸様。失礼いたします。」
そう言って、紗世の手を引く。
しかし、次の瞬間。
惟成は、何かに引き留められたように歩みを止めた。
紗世の反対の手を、中務卿宮がしっかりと握っていた。
離す気はないらしい。
「……鷹丸様。お離しください。」
惟成は、抑揚のない声で言った。
「嫌だと言ったら?」
中務卿宮も、惟成の目を真っ直ぐに見つめた。
「嫌も何も、離してくださらないと姫が困ります。」
惟成もまた、感情を表に出さずに言い返す。
「三条。」
中務卿宮は、紗世に声を掛けた。
その目は真剣だった。
「この者は確か、兵衛志の源惟成だったか?」
「あ……そうです。今は兵衛尉に昇進しました。」
「……そうか。」
中務卿宮と惟成の間に、見えない火花が散った。
「源。」
中務卿宮が口を開く。
「藤原兼成殿の姫は、私が邸まで送る。そなたは帰れ。」
惟成も引かなかった。
「私は、姫の父君であられる兼成様から、姫を迎えるよう頼まれております。姫を連れずに帰るわけには参りません。」
(ダメーー! 惟成! この人、中務卿宮様! 宮様!! 皇族!!! 逆らっちゃダメーー!!)
紗世は冷や汗を流した。
(………惟成、ごめん!!)
紗世は心の中で手を合わせる。
そして、至って冷静な声で口を開いた。
「惟成……様。私は、この方に送ってもらいます。父上にも、そうお伝えください。」
惟成は、微かに目を見開いた。
そして、小さく拳を握る。
一瞬だけ、紗世を見た。
「…………承知した。」
そう言うと、惟成は軽く頭を下げた。
踵を返し、内裏の外へと消えていく。
紗世は、その背中を見つめたまま動けなかった。
惟成の姿が門の外へ消えても、足は一歩も動かない。
「……三条。」
隣から、中務卿宮の声が落ちてきた。
けれど、紗世は返事をしなかった。
今すぐ追いかけなければ。
そう思うのに、中務卿宮に握られた手が動かない。
いや。
動かせない。
ここで中務卿宮の手を振りほどき、惟成を追いかけたら――。
中務卿宮の面目を潰す。
そうなれば、惟成だけでは済まない。
父上にも、四条邸にも、どんな影響が出るか分からない。
だから、あの場では惟成に帰ってもらうしかなかった。
そうするしかなかったのだ。
「……三条。」
もう一度、中務卿宮が呼ぶ。
紗世はようやく顔を上げた。
「何ですか。」
「そなたは、あの男を追わなくてよいのか。」
中務卿宮は、惟成が消えた方角を見ながら尋ねた。
その声音には、わずかな笑みが含まれている。
まるで、紗世の心の内をすべて見透かしているようだった。
「……追いかけられるわけがないでしょう。」
「なぜ。」
「宮様が、私の手を握っているからです。」
「ならば、私の手を振りほどけばよい。」
「そんなことをしたら、宮様の面目が潰れます。」
「私の面目を気にしているのか。」
「当たり前です。宮様は皇族でしょう。」
「では、そなたは私の身分を恐れているのだな。」
紗世は答えなかった。
その沈黙が、答えになってしまった。
中務卿宮は、ふっと目を細める。
「恐れているのに、私を拒むのか。」
「……拒んでいるわけではありません。」
「では、何だ。」
「困っているんです。」
紗世は、握られた手に視線を落とした。
中務卿宮は、紗世の手を握ったまま、静かに尋ねた。
「……源とは、どういう関係だ。」
「将来を誓い合っています。本当だったら、今頃三夜通いも終えているはずでした。」
中務卿宮の胸が、じくりと痛んだ




