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333/352

第333話 宮中追走劇

「………ふぅ。」


紗世は退出すると、小さく息を吐いた。


(さて!! 早く帰らなきゃ!! 鷹丸……中務卿宮様に会ったらマズイもんね。)


「あの……帰りはこの廊下をずっと行けば良いんですよね。」


紗世は前を歩く女房に聞いた。


「ええ。左様でございます。」


それを聞いて、紗世は丁寧に頭を下げた。


「申し訳ございませんが、少し急ぎますので、案内はここまでで大丈夫でございます。」


「かしこまりました。」


紗世は軽く頭を下げると、早歩きで歩き始めた。


────


謁見の間では、帝がまだ紗世の話をしていた。


「誰も考えたことの無いものを考え、しかも形にするとは……実に面白い姫であったな。」


「……しかし、お主上。やはり女人というものは、静かに男を立て、淑やかに微笑み場を和ませるが美徳と存じますが……。」


右大臣は眉を下げながら言った。


「まあ、確かに奥ゆかしい姫は美徳と思うが、あの藤原の姫はあれが魅力であろう。全ての姫が奥ゆかしいとなれば、皆同じでつまらぬ。」


そんな話をしていた時だった。


「────お主上。」


中務卿宮が静かに口を開いた。


「む? どうした、中務卿宮?」


帝が首を傾げる。


「大変恐縮でございますが……今朝から腹調子が思わしくなく……しぶり腹にて、退出させていただきたく。」


そう言いながら、軽く頭を下げ、徐ろに立ち上がった。


「し……しぶり腹?」


帝が固まった。


「はい。」


女房達も固まった。


「そうか。それならば早く行くが良い。」


帝は何とも言えない顔になった。


「急ぎ、樋殿へ行かせていただきます。」


至って真面目な顔。


「これにて失礼いたします。」


中務卿宮は優雅に一礼すると、普段より僅かに急いだ足取りで部屋を後にした。



部屋を出ると、中務卿宮の目つきが変わった。


先ほどまでの苦しげな表情は、どこにもない。


長く続く廊下を見据える。


そのはるか先には、先ほど退出した紗世がいる。


「……。」


中務卿宮は、迷うことなく歩き出した。


────


「宮中って、何でこんなに無駄に広いの……。」


紗世は疲れから、早歩きから普通の歩く速さに戻っていた。


とぼとぼと歩きながら、考えるのは惟成と父・兼成のことだった。


(……二人とも、今頃何してるのかな。鬼は見つかったのかな。いつ帰ってくるのかな……。)


紗世はそっと髪飾りに触れた。


(惟成と早く、正式に夫婦になりたいのに……。鬼退治から早く帰ってきてくれないと、年明けたら十七歳になっちゃうよ。)


紗世は頭を小さく横に振った。


(大丈夫! 惟成は強いし、優秀だし、鬼なんてすぐ見つけて、やっつけちゃうんだから!)


顔を上げた、その時だった。


ふと、遠く後方から衣擦れの音が聞こえてきた。


(宮仕えの女房かな?)


何気なく後方を振り返る。


「!!!!???」


後方を、物凄い速さで早歩きしている男が視界に入った。


(あれ……たか……中務卿宮様!!??

え、待って。めちゃくちゃ早いんだけど!?)


みるみるうちに、紗世との距離が縮まってくる。


(マズイ!! 追いつかれる!!悠長に歩いてらんないじゃん!!)


紗世は裾を少し持ち上げ、再び早歩きで歩き始めた。


スッ、スッ、スッ……。


後方からも、


スッ……スッ……スッ……。


(いや、歩幅全然違うじゃん!!こんなに急いで歩いてるのに、全然差が開かないどころか、縮まってる気がする……!)


紗世は後ろから迫ってくる中務卿宮の足音が、まるでホラー映画のように感じられた。


(怖い怖い怖い!!何で追ってくるの!?)


廊下を曲がった直後だった。


「姫君。」


後ろから声を掛けられた。


紗世は一瞬、足を止めそうになったが、再び早歩きをした。


(聞こえない。聞こえてません。)


「姫君!」


(ぅう……ごめんなさい!)


中務卿宮が後ろから呼ぶが、聞こえぬ振りを貫く。


しかし、歩く速さは中務卿宮の方が速い。


声はすぐ後ろ。


もう、無視できぬ所まで来ていた。


「藤原の姫君! 待たれよ!!」


「待ちません!」


即答だった。


「え?」


あまりの即答に、中務卿宮は一瞬面食らった。


「ま……待たぬとは……! 何故だ!?」


「追ってくるからです!」


「用がある!」


「私はありません!!」


紗世は言い切ると、裾を大きく持ち上げた。


そして――。


走った。


「……!」


中務卿宮が目を見開く。


「は? え? 走っ……!?」


紗世は走りながら、ふと我に返った。


(あ。しまった。宮中で走ってる。)


普段なら、あり得ない。


宮中を歩く女房たちも、殿上人も、皆が衣を乱さぬよう静かに歩いている。


ましてや、姫君が廊下を駆け抜けるなど――。


(でも、今はそれどころじゃない!!)


後ろを見る。


中務卿宮が追ってくる。


「待て!」


(嫌です!!)


紗世はさらに走った。


そして――。


「待てと言うにいいいいいいーーーっ!!!」


中務卿宮も走り出した。


「えええええええ!?」


紗世は思わず振り返った。


(走った!!中務卿宮様が走った!!宮中で!?)


廊下の先にいた女房が、こちらを振り返る。


さらにその向こうにいた女房も振り返る。


「……。」


「……。」


二人の目の前を――。


藤原の姫君が走っていく。


その後ろを――。


中務卿宮が走っていく。


「……。」


「……。」


女房たちは、ただ呆然と見送った。


「……今のは。」


「見なかったことにいたしましょう。」


「……左様でございますね。」


一方。


(きゃああああああああ!!!!)


紗世は必死に走っていた。


(いやあああああああああ!!!まだ追ってくるうううううう!!!)


「というか、三条!!! そなた、足速いな!!」


(普段、皇族は運動なんてほとんどしないでしょ!!私は馬に乗るために特訓したから、体力はあるんだから!!)


紗世は内心で妙な勝ち誇りを覚えながら、必死に走った。


しかし――。


「……っ、ぐぅっ……!!!」


ガタンッッ!!


後方で大きな音がした。


「……え?」


紗世は反射的に振り返った。


そこには、中務卿宮が胸を押さえ、廊下で膝をついて蹲っている姿があった。


(え!?もしかして、何か持病が!?)


さすがに放ってはおけない。


紗世は慌てて引き返した。


「だっ……大丈夫ですか!?」


中務卿宮の前まで駆け寄り、手を差し伸べる。


その瞬間――。


ガシッ!!!


差し伸べた手を、強く掴まれた。


「え……?」


紗世が目を見開く。


ゆっくりと、中務卿宮が顔を上げる。


その顔には――。


先ほどまでの苦しそうな表情など、どこにもなかった。


むしろ、満面の笑み。


「捕まえた♪」

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