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第307話 天狗と妖と神と弁当

───塩江山中


惟成と天狗の修行も、いよいよ大詰めを迎えつつあった。


山中の少し開けた場所。


惟成と天狗は、互いに刀を構えて向かい合っていた。


天狗は一見、隙だらけに見える。


だが――。


(わざと隙を見せているな。)


以前の惟成なら、そこに飛び込んでいた。


しかし、今は違う。


隙を突いたつもりで踏み込めば、瞬く間に天狗の姿勢が変わる。


刀が返され、その勢いのまま自分の懐へ刃が届く。


その一連の動きが、今の惟成には見えていた。


迂闊には踏み込めない。


(相手が動くのを待つか。それとも、こちらから隙を作らせるか……。)


惟成が思案を巡らせていた、その時だった。


「……!」


「……!?」


惟成と天狗が、ほぼ同時に同じ方角を見上げた。


遠くの空に、小さな白い点が浮かんでいる。


それは瞬く間に大きくなり、こちらへ向かって真っ直ぐ飛んでくる。


「……虎徹か。」


 惟成が呟いた。


「何?」


天狗は眉を寄せ、空を睨む。


白い影は二人の頭上まで来ると、くるりと身を翻した。


そして――。


ズサッ!


地面へ軽やかに降り立った。


白い毛並みの野干。


その背には、大きな荷が括り付けられている。


「虎徹。どうしたんだ?」


惟成が歩み寄る。


虎徹は、いかにも面倒そうに鼻を鳴らした。


〈紗世がな。惟成の修行も終わりが近いから、最後に弁当を持っていってやってくれ、と。〉


「そうだったのか。わざわざすまない。」


〈本当は自分で持っていくと言っておったのだがな。さすがに紗世を山の奥まで連れてくるわけにもいかん。何だかんだ役人共に連れ回されておるでな。〉


「……そうか。」


惟成の口元が、僅かに緩んだ。


その背後から、天狗が歩いてくる。


「……お前」


虎徹を見る。


「妖か?」


〈……なんだ、この男は。〉


虎徹が怪訝そうに天狗を見る。


天狗は惟成へ顔を向けた。


「惟成。お前、妖とどういう関係だ?」


「どういう関係と言われても……」


 惟成は少し考えた。


「俺と虎徹が直接、何かの契約を結んでいるわけではない。紗世に憑いている妖だ。」


〈憑いているとは何だ、憑いているとは! 儂をそこらの低俗な妖と一緒にするな! 儂は紗世を見守って――〉


虎徹が言いかけた、その時だった。


惟成と天狗と虎徹の視線が、一斉に傍を流れる小川へ向いた。


水面が、不自然に揺れている。


さらさらと流れていたはずの水が、逆巻くように渦を巻き始めた。


「……何だ?」


惟成が目を細める。


天狗も刀へ手を掛けた。


だが、虎徹だけは呆れたように溜息をついた。


〈ああ……来たか。〉


「何?」


次の瞬間――。


ザバァァッ!!


小川の水が大きく跳ね上がった。


水飛沫の中から、一人の女神が姿を現す。


〈虎徹~~! 妾も来たのじゃ!〉


「……海神ワダツミ様!?」


惟成が驚きの声を上げた。


その隣では、天狗が目を見開いていた。


「……!」


天狗は慌ててその場に跪いた。


海神ワダツミ様……!」


〈ん?〉


海神ワダツミは天狗を見ると、ぱっと顔を輝かせた。


〈おお! 天狗か! 久しいの!〉


そう言うと、海神ワダツミは何事もなかったかのように虎徹へ近寄り、その白い毛並みに顔を埋めた。


〈おい……海神ワダツミよ。やめんか。〉


〈良いではないか。この毛並みに吸い寄せられてしまうのじゃ。〉


天狗は跪いたまま、呆然とその光景を見ている。


「……妖に……神だと……?」


惟成はそんな天狗を横目で見た。


(……俺も、今の状況がよく分からない。)


野干姿の虎徹。


その虎徹にじゃれつく海神ワダツミ


そして、その海神ワダツミに跪く天狗。


つい先ほどまで命懸けの修行をしていたはずの山中とは思えない光景だった。


惟成は一瞬、誰に声を掛けるべきか迷った。


結局、いつも通り虎徹に向き直る。


「ええと……虎徹。では、紗世からの荷を受け取ろう。」


〈そうしてくれ。本当は紗世も来たがっていたのだがな。〉


「そうなのか?」


〈ああ。だが、小麦畑の農夫達の子供らが紗世をすっかり気に入ってしまってな。〉


虎徹は少し呆れたように続ける。


〈今日は大勢の子供に囲まれて、畑を見せてもらうだの、農夫達に話を聞くだのと連れ回されておる。〉


「……なるほど。」


惟成は苦笑した。


紗世らしい。


「それなら仕方がないな。ありがとう、虎徹。」


〈そう思うのなら、この荷の中から少し分けてもらいたいものだがな。〉


「ん?」


〈当然、弁当だ。〉


 虎徹の目が、荷へ向く。


 すると――。


〈おお、それは良い! 妾も紗世姫の料理を所望するぞ!〉


海神ワダツミまで目を輝かせた。


〈紗世姫の料理は絶品じゃからな!〉


惟成は二人を見て、小さく息を吐いた。


「これだけ荷が大きいということは、おそらく天狗や虎徹、海神ワダツミ様の分まで考えているのだろう。」


 虎徹と海神ワダツミの目が、さらに輝いた。


〈さすがは惟成。分かっておるではないか。〉


〈うむ。やはり紗世姫は気が利くのう。〉


「ただ、すまんが食べるのはもう少し待ってくれ。」


惟成は天狗を見る。


「天狗との手合わせが残っている。」


〈そうか。〉


虎徹は荷を下ろすと、木陰へ向かった。


〈ならば、儂はここで待つとしよう。惟成がどれほど強くなったか、見せてもらう。〉


〈妾も見るぞ。〉


海神ワダツミもその隣へ腰を下ろす。


〈天狗よ。惟成を存分に鍛えてやるが良い。〉


「は、はい……!」


天狗はまだ跪いたままだった。


そして、ゆっくりと立ち上がる。


惟成は刀を抜いた。


天狗もまた、刀を構える。


木陰では、妖と神が弁当を楽しみに待っている。


妙な観客を迎えた山中で――。


二人の最後の手合わせが、始まろうとしていた。

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