第303話 讃岐の特産品
──讃岐国衙
「紗吉殿! 朝廷より返書が届きました!」
国衙の役人・橘が、一通の文を手に紗世と三宅のもとへ駆け寄ってきた。
「どうでしたか!?」
紗世は思わず身を乗り出した。
橘は満面の笑みを浮かべる。
「認められました! うどんも素麺も、讃岐の産物として朝廷へ貢進することが認められましたぞ!」
その声に、国衙内が一斉に沸き立った。
「やりましたね、紗吉殿!」
三宅も嬉しそうに頷く。
「はい!」
紗世も満面の笑みを浮かべた。
「では、うどんや素麺を貢進するための生産も進めていきましょう! 仕組み作りをどんどん整えないと!」
「ええ。ちょうど今日の午後は、小麦や塩の生産者、商人たちを集めた契約説明会です。」
三宅が手元の書類を確認する。
「朝廷へ貢進する品の材料になると知れば、契約を希望する者も増えるでしょうな。」
「そうですね!」
紗世は大きく頷いた。
───午後
国衙の一室には、大勢の小麦生産者や塩を扱う商人たちが集まっていた。
「今日は、うどんの材料を卸してほしいって話なんだろ?」
「説明会って言っても、何を説明するんだ?」
「うちは家族で細々やってっからなぁ……。丁寧に作ることはできても、大量には卸せねぇぞ。」
様々な声が飛び交う。
そこへ、紗世、三宅、橘が入ってきた。
ざわめきが止まり、一斉に三人へ視線が集まる。
三宅が前へ出た。
「皆、よく集まってくれた。今日は、讃岐の産物として朝廷へ貢進することとなった、うどんや素麺。その原材料となる小麦と塩を、製麺所へ納める契約について説明する。」
すると、小綺麗な身なりをした中年の男が立ち上がった。
「大量仕入れなら、うちを使ってくれ! うちは人を雇って、それなりの規模で仕事をしている。量なら他に負けねぇぞ!」
「確かに、大量に仕入れられることは魅力的だ。」
三宅は頷いた。
「だが、今回の品は朝廷へ貢進するものだ。ゆえに、何よりも品質を重視する。」
「品質……?」
男が首を傾げる。
「小麦なら、まず不純物が少ないこと。それから粒の状態が揃っていること。塩も同じく、不純物が少なく、製麺に適した品質であることを重視する。」
「それなら、うちにも十分勝ち目があるな。」
初老の男が笑った。
「それから、納品の期日を守れることも重要だ。朝廷へ貢進する品である以上、納期を守ることは絶対条件となる。」
「朝廷へ出す品になるって、本当なのか?」
「俺たちの小麦や塩が、京へ運ばれるってことか……?」
部屋の中が再びざわめき始める。
三宅は手を上げて、皆を静めた。
「そうだ。ここ讃岐で生産したうどんや素麺を、朝廷へ貢進する。そのためにも、原材料を安定して確保しなければならない。」
そして、三宅は紗世へ視線を向けた。
「そのための制度については、紗吉殿から説明していただく。」
「紗吉……?」
その時だった。
三宅の背後から、水干姿の紗世が姿を現した。
「皆さん、こんにちは。」
再び部屋がざわついた。
「え……あれって……。」
「お姫様だ!」
「前にうどんを売ってた、都のお姫様じゃねぇか!」
「紗吉殿って……あのお方のことだったのか?」
紗世は少し照れたように笑った。
「驚かせてしまってごめんなさい。でも、今までにない仕組みを作る以上、生産する方々にも色々と不安があると思います。」
紗世は集まった者たちを見回す。
「そこで、生産や取引に関する制度を新しく作りました。私もその制度の発案に関わっていますので、今日は私から責任を持って説明させていただきます。」
紗世は一つずつ、丁寧に説明していった。
品質の基準を満たしていれば、大規模な生産者でなくても契約できること。
毎月、あらかじめ決めた量を製麺所が買い取ること。
天候や災害など、やむを得ない事情で生産量が落ちても、一定の報酬を保証すること。
そして、製麺所と専属契約を結んだ生産者には、税の立て替え制度を適用すること。
「つまり……どれだけ作っても売れ残るかもしれない、って心配をしなくていいんですか?」
若い男が尋ねた。
「はい。契約で定めた量については、製麺所が買い取ります。ただし、品質を保つことが条件です。」
「天候が悪くて作れなかった場合は?」
「その場合も、最低限の報酬を保証します。もちろん、何もしなくても報酬を受け取れるという意味ではありません。できる限り働いていただいた上で、それでも天候などの事情で生産が落ちた場合です。」
「なるほど……。」
「それに、税の立て替えってのは?」
別の男が尋ねる。
「税を納めることで生活ができなくなるような場合、製麺所が不足分を一時的に立て替えます。そして、その立て替えた分を、その後の報酬から少しずつ返してもらいます。」
「つまり、食うものまで売って税を払わなくてもいいってことか?」
「はい。働く人が生活できなくなれば、結局は働けなくなってしまいますから。」
紗世は穏やかに答えた。
「私たちは、皆さんに長く、安心して働いてもらいたいのです。」
その言葉に、部屋が静かになった。
しばらくして、誰かがぽつりと呟いた。
「……それなら、安心して仕事ができるな。」
「毎月、決まった量を買ってくれるんだろ?」
「品質さえ守れば、小さな家族経営でもいいんだよな?」
「税まで立て替えてくれるって……。」
少しずつ、部屋の空気が変わっていく。
不安ではなく、期待の声が増えていった。
「……断る理由、あるか?」
誰かがそう言った。
「俺は契約するぞ!」
「俺もだ!」
「うちの小麦を見てくれ!」
次々と声が上がる。
橘は慌てて書類を整理し始めた。
「では、これより契約を希望する者を一人ずつ確認する! 後日、それぞれの生産地へ伺い、実際の商品を確認させてもらう。その上で、品質や生産量を見て正式な契約を結ぶこととする!」
「おう!」
「分かった!」
「いつ来るんだ?」
一気に活気づく室内。
その様子を見ながら、三宅が小さく息を吐いた。
「思った以上に、つつがなく進みそうですな」
「ええ。」
紗世も笑った。
「でも、一番大変なのはここからです。」
「ここから?」
「製麺所が本格的に動き始めて、実際に制度を使い始めてからです。」
紗世は少しだけ遠くを見るような目をした。
「私も都へ戻ったら、こちらの様子を聞くために文を出します。三宅様、橘様。どうかよろしくお願いしますね。」
「もちろんです。」
三宅は深く頷いた。
「紗吉殿が作ったこの仕組み、必ず形にしてみせます!」
紗世は笑顔で頷いた。
讃岐に残された時間は、もう長くない。
だが、自分がここを去った後も続いていくものが、少しずつ形になり始めていた。




