011 死者蘇生
夜明けとともに、アンバーとユピタは騎士団本部の奥に置かれた、第六訓練場へと引っ張られて行った、らしい。
その頃俺は一人、死者の安全地帯『忘れられた領地』へと里帰りしていた。
産まれたのは二千と百二十年と少し前。俺は、顔も知らない親に産み落とされた。
産まれた場所も、彼もしくは彼らに付けられた名前も知らない俺が唯一覚えている幼少期の記憶は、紫色の霧が年中無休で漂い、死の気配と腐敗した臭いが充満した生者のいない寂れたこの街だった。
毎日毎秒体を蝕む瘴気に晒され、死を目や耳で感じながら腐臭を嗅ぎ続けた結果、俺は死の境界線を見失った。
気づけば瘴気の中を自由に徘徊し、死を愛でていた。魂を観測できるようになったのもこの頃だ。
自分の中で揺蕩う何かを見て、空を覆い隠すほどの荒波を見上げて、初めて気持ち悪いと感じた。
死よりも生の方が気持ちが悪い。それが異常だと知ったのは、生を取り込み未来へとその種を連れ去る鉱石の名を賜った青年だった。
とても懐かしくとても暖かい。そして、何物よりも気持ちの悪い感覚だった。
今はそこまで強く感じないけれど、生きとし生ける全ての生物は、死んでいる方が親しみやすいと言うのが正直なところだ。
この考えは、きっとこれからも変わらないのだろう。
「なのに頑なにあの二人と友達を続けようとしているのは、俺がまだ生にしがみつきたいから。なのかな……」
答えは返ってこない。が、分かっていてもついつい語り掛けてしまう。
チラリと背後を振り返れば、そこには目隠しを付けた一人の女性が、俺の腰に腕を回して抱き着いている。
今俺がいるのは、帝都への帰り道の上空。
蹄翼の混獣の背に跨った俺は、部下であり死者である治癒術師を連れていた。
くすんだ金色の髪を腰まで流した平均身長の女性。名前はアリス。
レースで縁取られた黒地の目隠しを付けた彼女は、体のシルエットを隠す同色のローブを身に纏い、フードを軽く頭の上に乗せてあまり肌を晒さずにいる。
はたから見れば、少々近寄りがたい印象を受けるだろう。
彼女とは、千年以上前に知り合った。その時はまだ生きていた。
しかし、再開した時にはその体は冷たく、瞳のもくすんで色が変わる事もなくなっていた。
俺が、初めて助けられないかった事を後悔した相手。そんな彼女は、今は俺が造り出した魂をその身に宿してこちらに体を預けていた。
俺が円卓へと戻ったのは、朝日が空高くに登った頃だった。
刑はすでに執行されていて、第六訓練場には誰もいなくなっていた。
おかげでよく見える。見覚えのある二つの波が。
刑執行後にまだ移動を開始していなかったそれらの波を観測した俺は、腰に差していた短杖を引き抜きそれらに向けた。
「カプティス <止まれ>」
体内で大きな布のように織った魔力を、収魂呪文と共に杖の先端から中空へと広げた。
アンバーとユピタの魂は難なく魔法にかかり、杖の先端で揺れる。
これで一段階目は完了。
次は死体を見つけて、アリスに修復してもらえれば、二段階目は完了だ。
「ここで何をしている?」
そう考えていたが、やはり現れた。
ヴェントス騎士団団長アレス・ミュートその人である。
「魔法の練習と戦力補充です」
「部隊長二人を蘇生し、部下にするつもりか?」
「既に次の部隊長は選んでいるのですよね。ならば何の問題もないのでは?」
アレス団長が、そう易々とアンバーやユピタを切る事はないと考えていた。
しかしそれは、あの場に皇弟が出てこない場合の話だ。
団長三人と補佐騎士四人程度ならば、何らかの方法で二人の斬首刑を防いでいただろう。その考えは今も変わらない。
ここで俺が到着するまで人払いをしていたのが、何よりの証拠だ。
「ダリルが自身の部隊を強くすることに異論はない。が、私の部下全員が、お前に理解を示している訳ではない事は理解しておけ」
「承知しています」
この前の会議で危うく首を刎ねられかけたのだから、忘れもしない。……名前は忘れたけど。
ともかく、これで団長からの許可も得た。
「二人の体は、死体保管庫の中だ」
実験や研究に使用するため、円卓の敷地内には実験動物の死体を保管する場所が存在する。それが、死体保管庫だ。
たしか、蔵のような見た目になっていたはずだ。
二人の魂を下げた杖を肩に掛けた俺は、アリスを隣に連れて通路を直進する。
突き当たりを右に曲がり通路の途中で左へ。その後、突き当たりまで進んで右手の扉を開く。
外に繋がった通路へと出て、半分を過ぎたあたりで通路の脇に逸れた小道へと入り、奥まで行くとそれは見えて来る。
青々と揺れる芝を挟んだその向こう側。平屋の構えでそこにいるのは、堅牢そうな石造りの死体保管庫だ。
保管庫の重厚な扉を開いて中へ入った俺を迎えたのは、等間隔に並んだ棚と、その上に収められた木箱たちだった。
五列三行の三段棚全てに載せられた木箱には、それぞれ管理番号が割り振られている。
その中から、俺は管理番号が振られていない無印の木箱を引っ張り出す。
刑に処した騎士団員に番号を振ることはできないだろうと読んでのことだ。
予想は的中。釘を打たれて閉じられた蓋を剥ぎ取った俺の前には、床の上に寝かされた二つの棺。その中には、首と胴体を離された友の亡骸が入っていた。
「まさか、本当に蘇らせるつもりなのかい?」
いつからそこにいたのか、振り向けば死体保管庫の出入り口で、見知った顔がこちらを見下ろしていた。
開戸に体を預けるキルバス皇弟は、不満や怒りではなく、何か面白いものでも見ているようなまなざしを向けて来る。
この人、どうやって近づいてきたんだ?
いや、これは考えても仕方のない事なのかもしれない。だったら、考えるのは後回し。アリスに死体を修復させて蘇生するのが先だ。
ありがたいことに、皇弟は俺がこれからしようとしていることを止めにきたわけではないらしいし、ここはさっさと蘇生させて帰るのが最善のはずだ。
治癒魔法を指示して首と胴が繋がったことを確認してから、二人の魂を注ぎ入れた。
そして、そこに蘇生とは他に、もう一つ魔法を挟み込む。
霊縛の魔法。これによって、二人に簡単な隷属を強いる事ができる。
「俺たちを蘇生したのは、こうして遊戯を楽しむためじゃないだろ」
「いや。こうして毎日遊ぶためかな」
忘れられた領地。その地の元領主が使用していた大豪邸にて。
アンバーの呆れ果てた顔と、ユピタの苦笑いが俺を捉えていた。と、思う。
アンバーもユピタも、今は鼻先から下を昆虫を思わせる斜角の多いマスクで覆っていて、その声はくぐもっている。
領土内に広がった瘴気も死者ならば問題ないが、生き返ったばかりのアンバーやユピタには有害な環境だからだ。
アンバー作の空気清浄魔術を組み込んだ、魔具のマスクだ。
生きからってすぐに依頼を出したが、それを一日とかからずに仕上げて見せたのは、流石としか言えない。
「そんな訳ないだろ。ダリル、お前は何を考えて俺たちを生き返らせたんだ?」
六本足を持つ虎のような獣の駒を俺が前へと進ませると、アンバーはすかさず、一本角の獣を操る騎兵の駒を俺の動かした獣の駒の横っ腹に突っ込ませた。
「アレス団長たちが、戦争の準備を進めてる。そのための戦力増強だ」
仕方なしに答えつつ、冷静に戦況を分析する。
騎兵の駒は、移動距離と速度には目を見張るものがあるが、攻撃力はそこまで高くはない。
つまり、一発で殺される可能性はそこまで高くない。
ダメージチェックのダイスを振ったアンバーは、目尻を少し下げた。
笑った?……まさか。
視線を盤上に落とし出目を確認した俺は、小さくため息を吐くと同時に、獣の駒を盤上から外した。
三分の一を引かれた。
「敵は?」
「ブランディラーク共和国。と、追加でペルトペス迷宮」
次に、四本の腕にそれぞれ体の半分を覆えるだろう大楯を握った猿モドキの駒を前へと出した。すると、杖を掲げた魔法兵の駒を移動させたアンバーが、重要拠点の一つを占拠する。
「本気で言ってるのか?」
「本気だ。あの国を亡ぼすつもりらしい。でなければ、団長四人が準備を進めるわけがないだろ」
攻め込まれ過ぎた。これ以上拠点を占領されれば、こちらの負けが確定してしまう。
六枚の翼を広げた竜に似た駒を、こちらが所有している残り一つの拠点の前へと動かしたのを見て、アンバーは勝ちを確信したかのような速さで、次の駒を前へと押し出した。
身軽な装備の駒。刺客だった。
防御力はないに等しい刺客がいるのは、俺が押さえている最後の拠点、その背後。防衛戦力が一体も置かれていない位置だった。
「だとして、俺たちに何をしろって?」
「迷宮潜って、マルヴェラを殺せってさ」
互いに盤上に視線を落とした俺とアンバーは、遊戯を進めながらも仕事の話をする。
拠点を内側から荒らされた事で、こちらの陣営の獣たちは、守りに徹さざるを得なくなった。
刺客は速攻で倒したが、代わりに兎に蜥蜴の尻尾を生やした小獣が三体犠牲になった。
戦力差は俺が三なのに対して、アンバーは六割を残している。
これは、負けですかねぇ……。
昔から戦術やら戦略というものを考えるのが苦手な俺だが、今相手にしているアンバーはその辺りが上手い。正直、勝ち目の薄い戦いだった。だが、だからと言って、途中で投げ出したりはしない。
「殺すってどうやって? マルヴェラは不死の王。万死の主だ」
盤上の駒の動きを静かに見ていたユピタが、会話に参加して来た。
そんなユピタの前で、俺はサイのような図体の狼を強引に前に出す。
ダメージチェックもこちらに味方した。
このダイス、さっきから最高値出してるけど細工されてたり……ないな。
これ以上戦力が削られる前に、どこかの拠点を取り返さなければこちらに勝ちの目はない。
残りターン数的に、これ以外の選択肢は残されていなかった。
「仮にマルヴェラを殺せたとして、迷宮に広がった不死の力はどうする? 確実に怪鳥の止まり木全域を不可侵領域に変えるだけの威力を持っているんだ。だから俺たちは手出しできず、隠して現状維持をするしかなかった」
「怪鳥は、まあ皇弟がどうにかするだろ。迷宮とマルヴェラは、俺がどうにかするから問題ない」
手段はすでに考えてある。問題としては、この作戦がマルヴェラを殺すことを前提に置いている事ぐらいだ。
しかし、マルヴェラを殺せなければ国一つを滅ぼしただけで、世界は何も変わらないというお粗末な結末を迎えることになる。
それは誰も望んでいない。ベルヴェラムを殺してこそ原妖種だと本能が叫んでいる事から、それは確かだ。
狼たちの活躍によって開かれた道を、自陣最速の二つ首に八本脚の馬を拠点に突っ込ませた。
想定していたのか、アンバーはターン変更の瞬間に動きを見せた。
別位置に置いていた盾持ちの騎兵を、逆にこちらの残された一つの拠点へと動かした。
単騎による特攻。普段ならばそこまでの脅威にならないはずが、この状況でのあの騎兵はとても厄介だった。
盾を持っているだけで防御力が跳ね上がっている騎兵をそのまま放置すれば拠点は制圧されるし、それを阻止するために拠点の防衛を動かせば、その間に責めさせた駒を倒されてしまう。
どうしたものかと悩み出した俺は、打開策をあれこれ考えながら、二人にこれからの動きを指示した。
「アンバーには戦力増強のために武具の製作を。ユピタは、感覚を取り戻すためにも俺と戦闘訓練だ。それから二人とも、この街からはなるべく出ないようにしてくれ。一応、外では死んでることになってるんだから」
指示を出し終えてたところで、こちらもいよいよ大詰めだ。
一枚の壁のように胴体を平べったく広げた二足歩行のヤモリを、防壁よろしく騎兵の前に置いた。
対面に腰掛けるアンバーの表情が、マスク越しでもわかるくらいに喜色が溢れ出る。
いつも俺が負ける直前に見る顔だった。
視線を盤上に移せば、丁度アンバーが駒を掴んでいた。
騎兵に気を取られていたが、ヤモリが置かれていたその先には、遊戯開始時点から魔術兵器が一体配置されていたのだ。
金属の全身鎧を着た四本足に二本腕の巨人の駒を、俺の占領していた拠点へと入れたことで、点数は全てアンバー陣営へと移った。
これで十七戦十五敗。今回もまた、俺の負けだ。
「それはいいけど、どれくらいここにいるつもり?」
勝ちの余韻に浸っているアンバーを横目に、ユピタはマスクの位置を気にしながら訊いてきた。
空気の澱んだこんな場所に長居したくないという事だろう。
「そんなに長くは残らないさ。戦争の準備を皇弟たちが終わらせるまでだから……ざっと三十年くらいか」
マスクの下で二人が頬を引き攣らせた気がしたが、きっと気のせいだろう。
俺は駒を全て初期位置へと戻して、ユピタを見た。




