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010 時間差

 柔らかな春先の香りを立てる陽光が、瞼の向こうから静かな朝を知らせてくる。

 今日という一日が、いつもと変わらないことを教えてくれているかのような日差しを受けて、僕はゆっくり瞼を開いた。

 いつも通りの時間、いつも通りに起き上がると、これまたいつも通りの身支度を整えて外に出る。

 国王から与えられた家は大きすぎず小さすぎず、一人暮らしでも何不自由なく管理することができる丁度良い広さだった。


 王城へと繋がる大通りに面して建てられた自宅から出て、大通りを中央区画に向かって移動する。

 今日も今日とて、ブランディラーク共和国の首都コークは活気に満ち溢れていた。

 多種多様な冒険者が大通りを歩き、そんな彼らへとこれまた多種多様な露店の店主が、荷台の向こうから声を飛ばす。



 ペルぺトス地下迷宮に潜り、財を持ち帰っていたのは三十年以上も前の話。

 今の僕は、王国から認められた秘技解明技師と呼ばれる一職人だ。

 前を歩む彼らのように、探索に必要な荷物を抱えてあの縦穴へと飛び込むことはもう二度とないだろう。

 今の僕の仕事は、迷宮から出土した魔法、魔術武具の解析鑑定を行い、技術の解明や複製ができないか検証、実験する事だ。


 冒険者たちと共に、僕も中央区画を目指す。

 研究所があるのは迷宮の上に広がった中央広場の一画で、充実したこの研究所を僕は国王から任されている。


 中央広場には、『ペルトぺス迷宮解析研究所』の他、大手武具製作一家、オルケス家が営む『オーケストル武具工房』が冒険者用にと開かれている。

 そんな工房のガラス張りの展示品を眺めていた冒険者たちが僕を見る。どれも知っている顔だった。


「ゴブレット教授、おはようございます」

「はい、おはよう」


 灰色の毛並みに、特有の長い耳を揺らした妖兎種(ルナ・レプス)の冒険者。彼女は、以前迷宮から長槍の魔術武器を持ち帰って来た。それを鑑定したのが僕だった。 


「ゴブレットさん、おはようございます!」

「はい、おはよう」


 妖羊種(ヴァニタス)の青年は研究の為、僕が作った魔術武器の両刃の直剣を渡している。現状は問題なく使用できているらしく、到達階層を着実に増やして行っているらしい。

 ただ、豊かな羊毛に血を付けたままにするその癖は、どうにか直せないものだろうか。


「こんにちは、教授」

「はい、こんにちは」


 見えなくなった左半分から声がかけられ、驚きを隠しながら僕も声を返す。

 地下迷宮で左目と左耳を失ってからというもの、こうして左半分の世界を失ったわけだが、まあ、フーゴと比べればマシというものだろう。

 フーゴの場合、右足を丸々一本失ったのだから。

 僕が義足を拵えてやったおかげで問題なく日常を過ごせているが、彼はやはり、冒険できないことに少なからず不満を抱いているようだった。

 以前会った時など「前みたいに駆け回れる足を作れ」などと言って来たのだから。

 もう大人しく、王国近衛騎士団の剣術指南役という大義のためだけに生きるべきだと僕は常々思う。




 研究所に入った後は、所長室に一度入り、面倒な書類を処理する。

 ほとんどは助手が処理してくれているが、所長の僕でなければ決済できない書類を、片っ端から片付ける。

 高価な研究材料費やら検査機やらの決算が殆どで、国から渡された費用を頭の片隅に浮かばせながら、決算の可否を見て仕分けて行く。

 そんな単調な事務作業の中で、一枚の書類が目を引いた。


「これは……」


 ペルトぺス迷宮からの出土品目と書かれたその書類に記載された一番下の出土品、それがひときわ異彩を放っていた。


「本?」


 書類の文字を声にして数秒。その意味を飲み込めた瞬間、僕は椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、所長室を飛び出した。

 


「所長、おはようございます」

「はい、おはよう。ちょっと訊きたいのですが、出土品目の中にあった『本』はどこで保管されています?」


 所長室から出た僕は、研究室の一つに入ってそこにいた妖馬種(ヒン・プーカ)の研究所職員に声をかけた。

 出土品目には『本』とだけ書かれていたが、何も本が一度も見つかった事がないわけではない。

 むしろこの本こそが、僕の求めていた品だ。

 以前出たのは、迷宮について書かれた誰かの手帳だった。

 冒険者時代に僕が拾ったもので、それがあったからこそ、こうして国王から研究所を任されている部分もある。



「本ですか……ああそれなら、第三研究室にあったと思います。しかし、何故そんな物を? 魔法も魔術も何も付与されていない、ただの手記のようでしたが?」


 妖馬種にして珍しく、馬の耳と尻尾が腰から伸びているだけの彼女は、見た目では殆ど人種と同じだ。

 しかし、年齢は六十を迎える僕とほとんど変わらないらしい。


「手記? もう解読ができたのですか?」

「解読? 手本のような帝国語だったと聞いています」


 以前入手した手帳には、迷宮の名前や階層の数。そして出現する迷宮生物や罠の種類など、迷宮の概要が事細かに記載されていた。

 そんな重要な情報は、様々な言語に手癖の強く表れた手書きの文章で読みにくくされていた。

 その為、解読に相当時間がかかった。

 そんな手帳とは異なり、帝国の言語で綺麗に書かれているとあれば、そこまで重要な情報は眠っていそうにない気もする。


「ちなみに、どのような内容だったかは聞いていますか?」

「いえ詳しくは……ただ、誰かへの謝意が強く現れていて、読み進める気にならなかったとは言っていました」

「随分と研究者らしかならない考えですね」

「時にはそんな感傷だって重要だ」

「ん?」

「ああいえ。私も所長と同じことを言ったら、そう返してして来たものですから」


 人種と同じ五指の生えた手のひらを振って見せる職員に軽く感謝を告げて、僕は第三研究室を目指した。


「これが、君の報告して来た手記ですか?」


 第三研究室に入った僕の正面には、分厚い本がいくつも積み重なって迎えられた。

 これらは全て、魔術の込められた魔術書と呼ばれる道具で、何かの生物の血で書かれている。

 魔術書は、少量の魔力を流すことで簡単に魔術を発動することができる便利な道具で、迷宮探索の冒険者の中にはこの手の道具を武器として扱う者もいる。

 故に、出土品目にはこれらを『魔術書』と正式名称で書かせている。

 そんな魔術書の山が正面に築かれている中、異彩を放ったものが一つ、小脇の小さな机に置かれていた。


「その通りです。これはかつて、誰かが自身の心の情景を克明に書いた手記です」

「だから、解読に気が進まなかったのですか?」


 幼さの残る白毛の妖兎種の少女は、僕の言葉に眉根を下げて俯いた。

 ここまでとは。流石に精神魔法を疑うところだが、僕が今掛けている片眼鏡も、同じく迷宮出土の魔術道具。

 迷宮出土の品物であれば、概要を知ることができる。


『ガンド・バラクススの手記』

 そう書かれたその手記には、妖しげな魔法も危険な魔術も加えられておらず、迷宮とは関係のないペンとインクで描かれていることが告げられた。

 だとすれば、目の前の少女は、書き手の心情に当てられているだけと言うことだ。


「君は、少々感情的に動きすぎているようです」

「……それではいけませんか」


 少女はゆっくり、俯いていたその顔を上げた。

 その兎の顔に嵌め込まれた、月面を思わせる一対の瞳からは、決然とした彼女自身の意思を感じた。


「時に感傷は必要。ですか?」

「はい。私たちは生きているんです。今、この瞬間を一生懸命に。それは、かつて彼らが歩んだ道でもあるはずです」


 一語一語を強く口にする彼女は、その視線を主機へと向けた。


「だからこそ、彼らの想いを正しく受け止めなければいけない。その為には、この研究所で彼の想いに触れるのは間違っていると、私はそう思います」


 この研究所の目的。それは、他国からの武力による圧力から抗えるだけの力を国内に広めて守りを固め、最終的には不死の領域へとこの手を伸ばすこと。

 簡単にいえば、武力を蓄えかの種からの干渉を跳ね除けようとしているという事だ。


 かの種、原妖種(フェアリー)の彼が、この国を去って三十六年が経った。

 その間に起きたことといえば、アメリアとトーマ国王が結婚して、その間に四人の子供を授かった事と、ペルトペス迷宮第五十階層に辿り着いた僕とフーゴが体の一部を失った事くらいだろう。

 あとは、僕だけが目に見えて老けたということかな。



 ダリル・ベレッタ。彼に恋していたアメリアは、いつまでも戻ってこない彼を想い、時々ぼんやり空を見上げるようになった。それも、決まって黄昏時の空を見つめるのだから、なんとも分かりやすい。

 そんな彼女に惚れたのが、この国の王であり人種のトーマ・ブランディラークだった。

 全くもって驚きだ。

 声をかけて来た時もそうだが、なんとか彼女を励まし喜ばせようとする彼の顔と言ったら、酒を片手に若気の至りだと語り合えるくらいには眩しかったものだ。

 アメリアとトーマ国王が結ばれるのも、そんなに時間はかからなかった。

 結婚の祝いを挙げたのは、彼がいなくなってから五年後のこと。

 当時、トーマ国王が三十四歳なのに対して、アメリアは百四十四歳とかなりの年の差婚だった。が、見た目は人種基準で見ればアメリアの方が若かった。

 その辺の人種を見ていると、二十代前半くらいと遜色ないほど若々しかったと思うのは、僕が人種と近しい寿命しか持っていないからだろうか。

 それはそれとして、こうして僕らの冒険者パーティは、アメリアの結婚と王妃就任に際して完全に解散となった。

 勿論、僕もフーゴもそれぞれに新しい冒険者パーティを作りそれで探索を続けたわけだけれど。



 僕は四十四階層、フーゴが四十八階層に到達する実力になった頃だ。

 久しぶりにパーティを組んで遠征に行こうと、フーゴから誘いをよこした。

 地下深くなると、迷宮内で数日過ごすことになる。その為には多くの物資を運び込む必要があり、必然的に人数も大規模化するのだ。

 僕は誘いを受け、二人のパーティに追加で数名の冒険者を新たに加えて遠征へと出た。

 遠征は順調で、一週間ほどで五十階層まで降りた。

 全員無傷で迎えた五十階層。その時、それは僕らの前に現れた。

 額に一本の角を生やし、四つの真っ赤な瞳でこちらを見るそれは、僕らを真直ぐに見ていた。

 今でも思う。あの時に逃げていれば、と。


 勝てる様な相手ではなかった。

 仲間を数人失ったところで撤退を叫んだ僕とフーゴは時間稼ぎのために残り、僕は左耳と左目を。フーゴは右足を失った。

 それだけの負傷で生きて帰ってこられたと言えば聞こえはいいが、大柄なフーゴが足を失い、片目が見えなくなった僕が抱えて逃げていたのだから、簡単には帰れなかった。


 フーゴを抱えて迷宮の坂を上り続け、ようやく一階層の階段に辿り着いた時には時間がかかり過ぎて、回復魔法の適応外となってしまっていた。

 こうして、僕らの冒険者生活は幕を閉じた。

 これが、あの原妖種がいなくなってからの二十六年間の僕らの冒険譚だ。


 話がだいぶ逸れたが、彼がいなくなってからそれだけ時間が経過しているということだ。

 その間、ファータ帝国が大々的に動いた事と言えば、貴族の二人を国家反逆罪として処刑執行を行なったことぐらいで、それ以外の情報は一切入ってこなかった。

 尤も、これはあの新聞に記載されていた情報だ。それ故に確実性はあっても、不透明性は拭いきれなかった。

 後悔されていないだけで、国内ではほかにもっと何かあったのではないか?

 結果、どれだけ考えても、最初には必ず出て来る単語があった。


『戦争』の準備をしていると見ていいだろう。そんな怪物たちを相手にするのならば、こちらも準備をする必要がある。

 だからこその研究所で、僕の存在だ。

 魔術武具を製作し、魔法武具の解析鑑定を行う。

 そんな僕らに、目の前の日記は読むべきではないという。


「貴女の考えは理解しました。この日記を私が読み解き、その後どうするかの一考に付しておきましょう」


 この時の彼女の気持ちを私が知るのは、それから一ヶ月後のことだった。

 研究所の第三研究室を占領した僕は、泊まり込みで日記の内容を解析して行った。

 文字自体は、帝国語の綺麗な書体で記されていた。しかし、何が仕掛けられているかはわからない。

 慎重に一頁一頁捲って行った僕の頭の中には、情報が渦を巻き、脳を締め上げていた。


『ガンド・バラクススの日記』

 ペルトペス迷宮を建設した一人の日記。ここには、迷宮の全てが記されている。

 建設目的。そこへと至った歴史。そして、それを行なった結果と後悔。


「バラクスス……」


 どうして忘れていたのだろう。あの新聞にも、この名前は記載されていたはずだ。

 処刑された貴族の片方が、この名前だった。たしか、アンバー・バラクスス。

 日記を読み終えた僕は、表紙に目を戻した。

 そこに描かれていたのは、三十六年前のあの日、彼が手のひらに乗せていた首飾りと同じ羽を思わせる葉っぱを抱いた何かの蛹の絵だった。


「琥珀の首飾り……アンバー……何故、こんな簡単な事にすら気付かなかったのでしょう」


 研究に没頭するあまり、頭から抜け落ちていた。攻略だとか、出土品だとかに目を向けるばかり、失念していた。

 この迷宮は、一体誰が、何の為に造ったのか。


 彼が最後に見せた寒々しい後姿を思い出した僕は、再度、書き手の心情がありありと刻まれた日記に目を戻した。


『これからの時代を生き、これからの時代に産まれる全ての生命へ

 先達者として深く、深く謝罪する。私たちは、悠久の過ちを正すことが叶わなかった。そして、その責任も果たせない道半ばにてこの命を散らす事をどうか、許さないでくれ』


 そんな文言で締めくくられていた日記の内容は、小鬼種(ゴブリン)の僕の理解を越えていた。


 不死へと至った生物『マルヴェラ』を、最下層の七十二階層に縛り付けている事。

 魂が迷宮から出られない理由は、マルヴェラの強大すぎる力を弱体化させるために、迷宮全体に力を分散させているその弊害だという事。

 この迷宮から採れる魔術武具は筆記者の作品だが、魔法武具は、迷宮内に共に残った魔術師が同じ隊の魂を武具に注ぎ込んで作ったものだという事。

 そして、まだマルヴェラは生きているという事。


 ペンダントの意味を、僕はようやく知った。

 あれは、呼び鈴だった。

 不死がもたらすこの国の破滅だ。


「不死の超生物マルヴェラ…………」


 ダリル。君はあのペンダントの意味を知っていて、この国を離れたのですか?


 誰にも届きはしないだろう質問を胸の奥底で呟いた僕に対する返事は、思わぬ方向から届いた。


「敵襲! 敵襲! 帝国が、原妖種が攻めて来た!」

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