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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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目の前に明るい光が見えたから、僕はそっちのほうへ急いで走った。

少しでもブブの負担を減らしたくて。


気づいたら、僕は、どこかの森のなかの洞窟にいた。

どうして森のなかだって分かってかと言うと。

さっき入ってきた入り口を振り返ったら、そこから、青々とした森が見えていたからだ。

代わりに、通ってきたはずの真っ暗闇の通路は、どこにも見えなかった。


ぶ、ぶ、ぶ、ぶ、ぶ、という音に見ると、ブブは、光を消して、僕の胸に止っていた。

はあ、疲れた、って顔をして、そのままうとうとし始める。

有難う。休んで回復してね、って気持ちを込めて、僕はブブの鼻先にそっと指先を触れた。


おっちゃんは僕の後ろからついてきていた。

なんだ。

振り回した手に触れなかったのは、後ろにいたからか。

ちょっとだけ、おっちゃんのこと、人じゃない何かかと思いかけていたけど。

やっぱりちゃんと人だったみたいでよかった。


洞窟のなかには、敷物がいくつか敷いてあった。

おっちゃんはそのひとつを僕に勧めて、そこへ座るように言った。

僕はおっちゃんの言う通りに座った。


おっちゃんは熾火に粗朶を足すと、息を送って、火を大きくした。

それから傍らの鍋を取ると、壺から柄杓で水を汲んで、鍋をいっぱいにした。

その鍋に、なにやら乾燥した葉っぱをひとつかみ放り込んで、火にかけた。


夏なんだけど、ここは不思議なくらい涼しくて、焚火の火も心地いいくらいだった。

ぱちぱちとはじく焚火の音を、僕はしばらくの間聞いていた。


その間、おっちゃんも僕も、一言も口をきかなかった。

聞きたいことはいっぱいあるんだけど、何から聞いていいのか分からなかったし、それよりも、焚火の音があまりに心地よくて、ずっと聞いていたかった。


「……昔々、この森には森の民がいました。」


先に話し始めたのはおっちゃんだった。


「彼らは、千年を一日の如く暮らし、平原の民とは一切、交わらない人々でした。」


そういう森の民は多い。

僕の故郷の郷も、どっちかと言うとそっちよりの人たちだと思う。


「この森は、神聖な森と言われて、平原の者たちも、近づくことを憚られる場所でした。」


そういう森は、平原の民にも敬遠されるらしい。

というより、森ってところは、平原の民にとっては、危険が多い場所なんだと思う。

森の民にはたくさんしきたりがあるけど、それは、森の危険から森の民を護るものでもある。

平原の民は迷い込んでも、そんなしきたりなんか知らないから。

怪我をしたり、ひどくすれば、命を落としたりする。

そうして、ますます、森を恐ろしいところだ、って思うようになる。


だけど、それはそれで、いいんじゃないかな、って僕は思う。

森の民は森に。平原の民は平原に。

それぞれ、棲みやすい場所に分かれていれば、お互いに居心地いいんじゃないかな。


「その森に、あるとき、平原の民の赤ん坊が迷い込みました。

 まだ首も据わっていない、生まれてからそう日も経っていない赤ん坊でした。」


迷い込んだ、とおっちゃんは言ったけど、生まれてすぐの赤ん坊が、自分で森に来るなんてあり得ない。

誰かに連れてこられて、そうして、この森に置き去りにされたんだ。


だけど、この森の民は、長い間、平原の民とも関りを持たなかった。

平原の民も、この森のことは畏怖して遠ざかっていた。

そんな場所に、わざわざやってきて、赤ん坊を置き去りにするっていうのは、いったいどういう事情だったんだろうか。


「平原の民と関わるつもりはない。

 赤ん坊はそのままにして、その命は森の手に委ねよう。

 ほとんどの森の民はそう考えました。

 けれど、一組の年老いた夫婦が、それに反対しました。

 生まれたばかりの赤ん坊を放置すれば、確実に命を落としてしまう。

 赤ん坊に、森の民も平原の民も関係ない。

 みすみす幼い命が失われるのを、見過ごすことはできないと。

 そうして、わたしは、命を救われました。」


「もしかして、それって、おっちゃんの話しだったの?」


ようやく気づいた僕に、おっちゃんは、ええ、と小さく笑った。


「わたしはこの森で、一人前になるまで、森の民に育ててもらいました。」


「それは、珍しいね。

 森の民は、平原の民の子どもを保護しても、なるべくすぐに平原に返すでしょう?」


「ええ。

 わたしを育ててくれた両親も、何度も、わたしを平原に返すように、言われたようです。

 歩けるようになったとき。話せるようになったとき。物心のついたとき。

 その後は、わたしを拾った季節の来るたびに、毎年のように。

 けれど、両親はわたしを平原には返しませんでした。

 可愛くて可愛くて手放せなかった、と母は笑いましたけどね。

 両親には、実の子どもはいませんでした。

 けれど、わたしのことは、自分たちの本当の子どものように育ててくれました。

 わたしのことを、森に授かった大切な子ども、と言ってくれました。」


森の民が平原の民の子どもを育てる、ということはとても珍しい。

郷の掟でそれを禁じているところも多いはずだ。

赤ん坊にはもちろん罪はない。

だけど、平原の民に関われば、それはきっと禍をもたらす。

もうずっと長い間、森の民にはそう言い伝えられていて。

平原の民にはなるべく関わらない。

それが、森を護る最善の方法だと、考えている森の民は多いんだ。


「わたしは見た目も周りの人たちとは違っていましたし。

 自分が異質だということは、幼いころから気づいていました。

 けれど、だからといって、困るようなこともありませんでした。

 わたしを返したほうがいいと言った人たちも、両親がそうしないからと言って、あえて、両親やわたしに辛く当たるというわけでもありません。

 両親とわたしは、他の森の民の家族と同様に、森で平穏に暮らしていました。」


それは、そうなるかな、とも思う。

基本、森の民は、他の人のすることには、あまり感知しないから。


「わたしを育ててくれた両親は、わたしを拾ったときには、もう結構な老人でした。

 わたしが物心つき、一人前になっても、両親の姿はまったく変わりませんでした。

 両親にとって、わたしの成長は、本当に、一瞬、だったとよく言っていました。

 あっという間に大きくなってしまったって。

 千年、何も変わらない郷のなかで、わたしひとりだけ、変わっていくものでした。」


平原の民と森の民とでは、時間の流れ方が違うんだ、って聞いたことある。

そんなに長い時間、平原の民と一緒にいたことないから、あまり実感はないけど。


「わたしが一人前になったとき、郷長は、わたしに郷を出て行くように言いました。

 もう立派に自分の力で生きていける。

 そのわたしを、これ以上、森に置いてはおけない、と。

 両親は泣いて郷長に懇願しましたが、郷長の考えは変わりませんでした。」


それは、辛かっただろうな。

郷長は、ときどき、非情なことを言う。

だけど、それは、本当に郷のことを思ってなんだ、って、分かってる。

分かってるけど、僕らも、郷長に逆らって、置いていかれた、んだっけ。


僕らは生まれた郷で、当たり前のように、一族とずっと一緒に暮らしている。

自分から郷を出て行かない限り、出て行くようになんて、言われることもない。

だけど、それって、実は、すっごく幸せなことだったのかもしれない。


おっちゃんは、ずっとずっと、森で育ってきたのに。

多分、森以外の場所なんて、知らなかったのに。

ここはお前の居場所じゃない、出て行けって、言われたんだ。


「郷長を、恨んだ?」


「いいえ、まさか。

 郷長はとても立派な方で、誰より、郷の皆のことを思っている。

 郷長の命令は絶対なんです。

 そんなことは、森の民なら、常識でしょう?」


おっちゃんに言われて僕は苦笑してしまった。

おっちゃんは平原の民だけど、もしかしたら、僕以上に森の民なところもあるのかもしれない。


「ただ、せめて、次の夏至祭りまでは、共に森で暮らさせてほしい、と。

 その願いは聞き届けられました。

 夏至祭りの翌朝が、わたしの旅立ちの日と決められていました。」


けれど、それが、大きな過ちだったのです、とおっちゃんはため息をついた。












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