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いきなり強い力で襟首を掴まれた。
首が締まって、声が出せない。
そのままぐいぐいと畑のなかに引っ張り込まれた。
ようやく解放されて、ぜいぜいと息を吐いた。
涙でかすんでよく見えない目を上げると、そこにおっちゃんがいた。
「!!!」
おっちゃん!と叫ぼうとした僕の口を押えて、おっちゃんはしぃっと唇に指を立てた。
僕が何度も頷いてみせると、おっちゃんはようやく僕の口を塞いでいた手を離してくれた。
ぶ、ぶ、ぶ、ぶ、ぶ、という音がして、僕の近くにブブが飛んできた。
他の虫と同じ顔をしていても、僕にはそれはブブだと分かった。
「その子がわたしを呼びにきたんですよ。
あなたを助けてくれ、ってね。」
おっちゃんはブブのほうを見ながらそう言った。
「やれやれ。
今はあまり目立ちたくないんですけどね。
可愛い使い魔の頼みなら、仕方ない。」
おっちゃんが指を差し出すと、ブブは器用に指先を掴むようにして止った。
その指をおっちゃんは僕の目の前へ突き出した。
「褒めてやってください。
そうすりゃこの子の霊格が上ります。」
「れいかく?」
「魂のレベル、みたいなものですよ。」
魂のレベル?はよく分からないけど、ブブのおかげで助かったのは事実なので、僕は盛大にお辞儀をした。
「ブブ、有難う。君のおかげで助かった…のかな?」
「なんで最後、疑問形?」
耳ざとく、おっちゃんに尋ねられる。
僕はちょっと、しまった、と思う。
「…ぃぇ…あの…」
まさか、あなたは悪者じゃないんですよね、なんて尋ねられないし。
するとおっちゃんは、ふふふと笑い出した。
「わたしのことは信用ならない、と。
ふむ。確かに、そうですね。」
いや、あの、肯定、なさいます?
ぎょっとして見ると、また、ふふふと笑った。
「確かに穢れは目には見えませんし、そう言われても、にわかには信じ難いでしょう。
なに、信じられないなら、わたしのことは信じなくても結構です。
とにかく、使い魔に頼まれたことは果たしましたから。
それじゃあ、わたしはこれで。」
それだけ言ってそそくさと立ち去ろうとする。
僕は慌てて、とっさにおっちゃんの襟首を捕まえた。
ぐえっ、ってなったおっちゃんが、恨めしそうにこっちを見たけど。
さっき、同じこと僕もやられたし。
それに、おっちゃんと僕の身長差だと、襟首、掴みやすいんだよね。
なにより、この間はあっという間に逃げられてしまったから。
今度こそ、どうしたって捕まえておきたい、って焦ったんだ。
「あの。もうちょっと、話しを…」
僕は慌てておっちゃんから手を離して、おろおろと言った。
「わたしと一緒にいるところを見られたら、あなたの方がまずいのではないかと思いますけどね?」
おっちゃんは襟元を直しながら、ため息を吐いた。
「わたしは、希代の悪党虫使い。
それで、いいんですよ。」
どこか諦めたように、おっちゃんは言った。
だけど僕は、やっぱり、聞いておきたくて、急いで質問した。
「…畑の穢れ、というのは、何?」
「説明を聞いたところで、信じる気はあるんですか?」
こっちをちらっと見たおっちゃんの目は、僕の心を見透かすようだった。
僕は途端に不安になって、だけど、急いで首を振って、今は余計な考えは頭から追い出した。
「知らなければ、信じることも、疑うことも、ちゃんとできない。」
ふむ、とおっちゃんは唸って、確かに、と頷いた。
「ならば、お話ししましょう。
しかし、ここじゃ、まずい。
わたしの隠れ家に来てもらえますか?」
僕がうなずくと、おっちゃんは、それじゃ失礼、と言って、いきなり僕の額を掌で押した。
ぐらっと後ろに倒れ込んだ感覚があって、え?と思ったときには、僕は真っ暗闇のなかにいた。
「…っこ、ここが、隠れ家?」
辺りをきょろきょろと見回すけれど、何も、見えない。
夜目は効くはずなんだけど、まったく光のない場所では、それも効果はないらしい。
「いえいえ。
ここはただの通路です。
さて、無事にわたしについてこられますかな?」
おっちゃんはなんだか楽しそうに言った。
「…ついて行けなかったら、どうなるの?」
「永遠にこの暗闇のなかをさ迷い歩くことになりますね。」
う。
それは大変だ。
僕はおっちゃんの袖かなにかを掴もうと手を振り回したんだけど。
声はちゃんと聞こえるのに、僕の手は何にも触れなかった。
すると目の前で、ぶ、ぶ、ぶ、ぶ、ぶ、という音がして、ぼんやりと明りが見えた。
「ふふ。
あなたのために案内をするそうですよ。」
それはからだを淡く光らせたブブだった。
「ブブ?
こんなことできたんだ?」
「この子は、他の子より、少しだけ霊格が高いですからね。
しかし、無理をさせたら、すぐに力尽きますよ。」
「!!!それは大変だ!
ブブ、無理しないで。
僕なら自分でなんとかする。」
僕はブブの方へ手を伸ばしたけれど、ブブは僕の手には止らずにそのままゆっくりと飛び始めた。
大変だ。
ちゃんと追いかけないと、ブブが力尽きてしまう。
僕は焦ってブブの光を追いかけた。
「…ふむ。
あなたにはやはり、素質があるようだ。」
暗闇のなか、おっちゃんがそんなことを呟くのが聞こえた。




