91
二度あることは三度ある。
うちのうっかりさんがまた水袋を忘れて行ったので、僕は三度目に届けに来た。
確か、一度目に届けたとき、ブブと出会った。
二度目で、おっちゃんに会った。
だったら、今回も何かあるかもしれない。
ちょっと怖いような、けどなんだかその中にちょっぴりだけ、不思議な期待もあるような。
そんな気持ちに胸をどきどきさせながら、僕は畑のなかを歩いていた。
広い広い畑に、人影は見えない。
たくさんの人が働いているはずなんだけど。
いつ来ても、働いている人の姿を見ないなって思う。
もっとも、今は夏真っ盛りで、人の背丈より高い作物はいっぱいある。
その中に紛れてしまったら、もしかしたら、すぐ近くにいても分からないかもしれない。
その辺の草陰から、突然、誰か出てきたら、びっくりするな。
そんなことを思いながら、ふらふらと僕は歩いていた。
ピサンリは、どの辺りにいるのかな。
聞いておけばよかった。
誰かに聞こうにも、誰もいないし。
そのうち会えるだろう、って呑気に考えて、ピサンリの名前を呼びながら歩いていたんだけど。
行けども行けども、さっぱり誰とも出会わなくて、そのうち不安になってきた。
ここの畑って、どのくらい広さがあるのかな。
とにかく、見渡す限り、視界の端から端まで、畑はあるんだけど。
もしかしたら、一日歩き回っても、会えない、なんてことも、あるのかも?
ピサンリはもちろん、水がなくて困っているだろうし。
この暑さだから。なるべく早く届けてあげたいんだけど。
少しずつ、気持ちはあせりはじめた。
って言っても、なにかいい解決法を思い付くわけじゃないんだけど。
僕はピサンリの名前を呼ぶのはやめて、ヌシ様の笛を吹くことにした。
笛の音なら、僕の声より遠くに届くし。
ピサンリなら、この音を聞けば、きっと僕だって気づいてくれるだろう。
土笛じゃなくてヌシ様の笛にしたのは、こっちの方がブブのお気に入りだからだ。
案の定、ブブは喜んで、僕のマントから飛び出ると、辺りをぐるぐると飛び回り始めた。
ブブってば、ご飯のとき以外は、ずぅっと僕のブローチになってるけど。
本当は、こんなふうに自由に飛び回るほうが、幸せなんじゃないかな。
だって今のブブは本当に楽しそうで。
ぐるん、ぐるん、って、自由自在に辺りを飛んでいたから。
そのときは僕、忘れていたんだ。
ブブは、畑を荒らす悪い虫で、町の人たちに見つかったら、退治されてしまうってこと。
仲間たちはブブのこと受け容れてくれて、家では自由にさせていたし。
辺りには誰の姿も見えなかったし。
すっかり油断してしまっていたんだと思う。
なにより、緑の畑で楽しそうに飛び回るブブの姿を見ていたら。
きっとこれが一番いい姿なんだ、って思ってた。
ブブは、楽しそうに飛び回りながら、僕の歩くのに合わせてついてくる。
僕はずっとブブの喜びそうな、明るい歌を吹き続けた。
すると、どうだろう。
辺りの畑から、たくさんの虫たちが、一斉に飛び上がったんだ。
いろんな虫がいる。
本当に、ありとあらゆる種類の羽のある虫たちがいた。
こんなにたくさん、いったいどこに隠れていたんだろう。
虫たちは辺りを覆い尽くし、お日様の光さえ遮ってしまう。
それに圧倒されて、僕は、ただ、ぽっかりと口を開けたまま、様子を見守っているだけだった。
そこへ突然、耳をつんざくような叫び声が響き渡った。
それは、案外、僕のすぐ近くだった。
叫び声に驚いた虫たちは、一斉にどこかへ逃げてしまった。
あっという間に、明るい夏の日差しは戻ってきた。
振り返ると町の人がひとり、口をあわあわと開いたり閉じたりしながら、こっちを指差していた。
何を言っているのか、はっきりとは分からないけれど、虫、虫、と繰り返しているように思った。
腰が抜けてしまったのか、地面にへたり込んだまま、それでも地面に手をついて、必死にずるずると後退ろうとしていた。
「あ。驚かせてしまって…」
すいません、と言おうとした僕は、その先は何も言えなかった。
最初、恐怖の表情を浮かべていたその人は、僕を見て、はっきりとその目に怒りを滾らせたからだった。
「………!
…!…!
……!
……!」
彼は何事か叫び続けていた。
僕を激しく非難し、それから、誰か人を呼ぶように、辺りをきょろきょろと見回しながら叫んでいた。
え?
いや、僕は…なにも…
説明をしようとして、いやでも、この状況は、言い訳をしたところで通じないかもしれない、って思った。
そのときになって、僕は自分のやらかしたことの重大さに思い至った。
このままじゃ、僕は悪い虫使いってことになってしまう。
どうしよう、どうしよう…
おろおろと辺りを見回した。
だけど、僕の目に映ったのは、助けではなくて、ますます状況を悪くしそうなことばかりだった。
あんなに、人影は見えなかったのに、作物の波をかき分けるようにして、あっちからも、こっちからも、人がこっちにやってきていた。
なんだ、なんだ?とやって来た人々は、叫びながら僕を指差す人を見ると、みんな怒りの視線を僕に集中させた。
怒りの視線って、痛みを感じるんだ、って僕は初めて知った。
ずきずきと傷むからだを庇うように両腕を回して、僕はゆっくりと後ろに下がった。
だけど、下がった先にも、僕を睨む人たちはいた。
僕にはもう、どこにも逃げ場はなかった。
そのときだった。
どこからともなく、どこどこどこ、という太鼓の音が響きだした。
おっちゃん?
僕はあちこちきょろきょろしてその姿を探そうとした。
けれど、その姿はどこにも見当たらなかった。
太鼓の音は、ずっと同じ場所からじゃなくて、まるで畑をぐるぐると巡るように、さっき右から聞こえたかと思えば、今度は前から聞こえてきた。
太鼓を抱えて移動しているにしても、あまりにも素早く、方角も定まらない。
それに、さっきはすぐ近くに聞こえた音も、次の瞬間には、うんと遠くになっている。
それはまるで、おっちゃんが同時に百人くらいいて、あっちこっちで太鼓を叩いているようだった。
「!!!!!」
その叫びは、うんとうんと遠くの畑で上った。
誰かが叫び声のしたほうを指差した。
そこには、紛れもない祓い虫の大群が、黒雲のように広がり始めていた。
僕の周りにいた人たちは、一斉にそっちのほうへ駆けだした。
ほんの一瞬で、僕の周りには誰もいなくなっていた。
ほんの少し間、僕は躊躇った。
あの人たちと同じ場所へ行くのは、怖かった。
だけど、その躊躇いはすぐに消えさった。
ブブの姿が、辺りにも、僕の胸にもなかったからだった。
ブブが、退治されてしまう。
もしかしたら、ブブも、あの大群のなかにいるのかもしれない。
僕は急いで町の人たちあとを追いかけた。
その間もずっと、不気味な太鼓の音は続いていた。
近づくにつれて、祓い虫の大群は、真っ黒い雲のように、辺り一面を覆い尽くしていた。
まだ畑には襲い掛かってはいなくて、けれど、狙いを見定めるように、高いところから、じっと畑の作物を眺めていた。
僕は周りにいる人たちの顔を、きょろきょろと見回した。
けれども、ピサンリもルクスも、ここにはいなかった。




