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主に逃亡者と話しをしたのはルクスだった。
ふたりの話しは、平原の言葉だったから、僕にはほとんど何を言っているのか分からない。
アルテミシアやピサンリに通訳してもらって、ようやく話しの内容は分かった。
逃亡者は、ここよりもっとずっと遠くの街から来たらしい。
若いうちに、いろんな世界を見た方がいい、というのが、逃亡者のお祖父ちゃんの口癖だった。
ずっと、それを叶えられなかったけれど、とうとう去年、一大決心をして、旅を始めたんだそうだ。
不思議な人たちの棲むという森を目指して旅を始めた逃亡者は、さっきのあの町を通りかかった。
え?不思議な人たち、って、もしかして、僕らのこと?
森に棲んでる、って言うからには、森の民のことなんだろうけど。
森の民は、べつに不思議ではないと思うな。
町の人たちは、森へ行ったって、不思議な人たちとは滅多に出会えないって言ったそうだ。
確かに。森に棲むほとんどの森の民は、平原の民と交流することは好まない。
森の民は、たとえ同じ森の民同士でも、知らない人には、基本的に接触は避ける。
もちろん、自分たちの森に、余所の人が入ってきたら、ちゃんと気づくんだよ。
もし、なにか、悪さをしようというのなら、そりゃあ、なんとかして出て行ってもらえるようにするんだけど。
ただ、迷い込んだ、とか。
ただ、見物に来た、とか。
ただの通りすがり、とか。
そういう人は、基本、放っておくんだ。
だから、滅多に会えない、というのは、そりゃそうだろうって、思う。
むしろ、森で森の民に会うってことは、なにか迷惑だと思われていて、出て行け、って言われるってことだから、いっそ出会わない方がいいんだ。
だけど、ピサンリといい、この逃亡者といい、森の民って、そんなふうに、憧れられるもの?なんだろうか。
べつに、平原の民とも、そう大して違いもないと思うんだけど。
話しが直接には分からなくて、とびとびに通訳してもらうせいだろうか。
ついつい、頭のなかは、余計な考えがとっ散らかってしまう。
逃亡者は町の人たちに言われた。
この先は荒れた土地が続いていて、川沿いに小さな町があるだけで、他に平原の民の棲むところはない。
その小さな町には、悪逆非道のリョウシュがいて、町の住民はみんな、そのリョウシュの奴隷にされている、って。
おいおい。ちょっと待って。悪逆非道、は、言い過ぎなんじゃないの?
確かに、ちょっと、あれ、なところはあったかもだけど。
町の人たちは、リョウシュのこと、そこまで嫌ってはいなかったし。
リョウシュの屋敷で働いている町の人も、たくさんいたけど。
ちゃんとお給金ももらっていたし、奴隷ってわけじゃない。
それにこの先には川沿いの町しかない、って。
ピサンリのいた村は?忘れられてる?
なんだか、離れた場所に行くと、いろいろと、話しが違ったことになってる、気もする。
川沿いの町のリョウシュは、変な水を、からだにいいと言って売りつけてくる、怪しいやつだ。
その町の連中も、怪しいやつらに決まっている。
だから、そんなところには行かないほうがいい。
と、言われたらしい。
なんか、さんざんな言われようだねえ。
それよりも、この町にも、昔、旅の森の民が通りかかった、という伝説がある。
だから、そんな未開の地へわざわざ行かなくても、ここにいれば、もしかしたら、森の民にも会えるかもしれない。
伝説、って…
森の民って、平原の民から見たら、そういう存在なの?
そりゃ僕ら、不思議な人って、思われてるわけだ。
確かに、旅の森の民は、ときどき、いる。
いや、滅多にいない。
だから、ものすごく珍しい。
けど、いないわけ、じゃない。
そして、そういう人たちは、平原の民とも進んで交流する。
だって、そのために旅してる人たちなんだから。
うちの両親なんかも、そうなんだけど。
一般的な森の民からすると、そういう人たちって、やっぱりちょっと、変わり者なんだよね。
とにかく、そんなことを言われて、逃亡者は、それなら、ってしばらくこの町に滞在することにした。
未開だの、怪しいだのと並べられては、この先へ行く気持ちなんて挫けてしまったんだろう。
この辺りの土地は、古くから開拓されてきたらしくて、ここには、大きくて立派な畑があった。
町の人たちは、ほとんどがその畑で働いている。
畑には、四季折々、いろんな作物が作られていて、それは、ここの住民の食料だけではなく、大きな街へ持って行って、売ることのできる品物だった。
逃亡者は、町に家を借りて、畑で働いて暮らすことにした。
ここに長く滞在するためにはお金も必要だった。
だけど、森の民に会いたい、という目的も果たさないうちに、街へ帰ってしまうのは、なんだか、残念だった。
う、ん?
ってことはさ。
「よかったね。
じゃあ、もう、とっとと故郷にお帰りよ。
ここでこうして、僕らにも会ったんだし。
ここにはこれ以上残る必要もないでしょう?
帰れる場所があるって、幸せなことなんだから。
僕だって、できることなら、ずっと故郷の郷にいたかったよ。」
思わずそう言ったら、ルクスにも、アルテミシアにも、ピサンリにも、怪訝な顔をむけられた。
「いや、まあ、そうなんだけど、さ。」
「まあ、確かに、その通りじゃのう。
余所者は通りかかっただけで処刑じゃ、なんて、物騒なところに、長居は無用じゃ。」
「だけどさ、この人、実は通りかかっただけじゃないんでしょう?
家借りて、畑で働いて、たんだから。」
アルテミシアの指摘に、みんな、うーむ、と唸る。
え?ちょっと、待って?
「じゃあ、この人が処刑されかかったの、って、ただの通りすがりだったから、じゃなくて?」
もしかして、本物の、悪者?
それも、処刑されるくらいの大物?
そんな人、助けちゃったの?
僕は思わずずずっと三歩くらい後退った。
「いやいや。ちょっと、待て。
もう少し、話しを聞こう。」
ルクスはみんなを落ち着かせるみたいに手で抑える真似をした。
…ごめん。
僕が余計なこと言った。
だけど、今のでちょっと、みんなこの人に対して警戒心を持ったみたいだ。
僕も怖いから、こそっとルクスの後ろに隠れた。
幸い、僕らの言葉はその人には通じてないから、今、話してたことも、分からなかったようだ。
きょとんとした目をして僕らを見回している。
この顔を見たら、やっぱり、この人はそんな大罪人には見えないな。
処刑されるほどの罪って、いったい、何だったんだ。
みんなの疑問はそれだった。
その人は、また話し始めた。
今度こそ、僕も余計なこと差しはさまないで、ちゃんと話しを聞かないと。
それは、去年の秋だった。
畑は順調だった。何もかも。
畑の仕事も順調だった。
ところが。
作物が実り、収穫を迎えようというころ。
とんでもない災厄がこの地に訪れた。
遠くの村が襲われた、という噂は、聞いていた。
けれど、その村から、ここまでは、ずいぶんと距離もあったから。
まさか、ここまでは来ないだろうって、誰もが思っていたらしい。
それは、虫だった。
ある日突然、黒雲のような虫の大群が押し寄せて、作物を喰い荒らした。
あっという間だった。
虫は一匹一匹は踏み潰せるくらいに弱いのに、大群になると、手に負えなかった。
町の人たちは嘆いた。嘆き悲しんで、そして、怒った。
そうして、その年、先に襲われた村のほうからやってきた旅人が、虫を連れてきたんだ、と言い出した。
彼は捕らえられ、牢屋に入れられた。
そうしてまた、畑作りは始まった。
この辺りは、冬も、雪は積もらないらしい。
だから、冬にも畑作りは続いていた。
冬の間は、虫の心配は要らなかった。
だけど、春が来て、夏も近づくと。
むくむくと、去年の恐怖が蘇りはじめた。
だから、町の人々は、彼を処刑することにした。
もう二度と、虫をこの土地に呼び込めないように。




