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川を渡ると、そこにはまた荒れ野が拡がっていた。
ピサンリは御者席に乗って器用に馬車を操っている。
ルクスとアルテミシアは荷台に。僕はピサンリの隣に乗っていた。
どこまで行っても荒れ野は続く。
行けども、行けども、変わらぬ景色だ。
みんなにリクエストをもらって、僕は、笛を吹いたりもしたんだけど。
荒れ野はとても乾燥していて、吹き口に唇がはりついて、かなり辛い。
アルテミシアも、喉が痛いと言って、あんまり歌ってくれない。
ルクスはときどき退屈そうに竪琴をつま弾いたりしたけど。
あんまり気合を入れた曲は弾いてくれなかった。
ピサンリは、僕らのなかじゃ一番、元気だった。
みんなの気を引き立てるように歌ってくれたり、いろいろと喋ってくれたりもするんだけど。
なにせ、僕らみんなして、あんまり元気がないもんだから。
そのうちに、ピサンリもしょんぼりして、黙ってしまうようになった。
野営の度に、アルテミシアは水場を探す。
けど、新鮮な水はなかなか手に入らない。
旅の途中だから、本格的な井戸を掘る、というわけにもいかないんだけど。
どうしようもないときには、半日くらいかけて、井戸もどきを掘ることもあった。
前にピサンリが旅したときには、ここまで大変だということはなかったらしい。
荒れ野には草も生えて、あちこちに、小さな泉や小川もあったそうだ。
やっぱり、森だけじゃなくて、平地も、少しずつ、荒廃しているのかな。
食料も、もらってきたものはすぐに底をついて、ルクスとピサンリのふたりで、狩りをしている。
僕も、頑張って草の実とか、食べられる根っことか探すんだけど、なかなか、お腹いっぱい食べられることはなかった。
せめて次の町に着けば、なんとかなるんだろうか。
そういえば、川沿いの町では、お金もいくらかもらった。
僕らはあまりお金を使う習慣がなかったから、気づかなかったんだけど。
これから先の旅では、必要になることもあるから、って。
町に着けば、食料を買うこともできるかもしれない。
そうしたら、久しぶりにお腹っぱい食べよう。
畑の野菜とか、あったらいいな。
鉢いっぱいの生野菜のサラダ。ふかした芋。穀物の入ったスープ。
それから、もし、あったら、プリン。
馬車に揺られながら、僕はそんなことばかり考えていた。
けれど、行けども行けども、町は影も形もなくて。
毎日、馬車でがたごと揺られていると、からだも痛くなってくる。
だからって、お腹がすいて、歩く元気もない。
そのうちに、僕は御者席に座っているのも辛くなってきた。
荷台に移ったけど、こっちは揺れが直にからだにくるから、御者席よりもっと辛い。
仕方なく、もう一度御者席に戻った。
いくらなんでも、体力なさすぎにもほどがある。
情けないって、思うんだけど、どうにもならない。
滑り落ちないように縄でくくりつけてもらって、そのままくたっと半分気を失ったような状態で、僕は運ばれていった。
久しぶりに、ふ、と目を開けると、辺り一面、緑の畑だった。
なんだ、また夢か。
そう思って目を閉じると、ふわぁっ、という歓声が聞こえた。
この声、さっきも聞こえた気がする。
だから、僕、目が覚めて…
え?
今度ははっきりと目が開いた。
ふわぁっ、と叫んだのは、ピサンリだった。
そこは周り一面、緑の畑で、美味しそうな作物が、たわわに実っていた。
すごい。楽園だ。
と思った瞬間だった。
なにか大きな音が、耳のなかに、きーん、と響いてきた。
いや、これは、あれだ。
音じゃない。
あのヌシ様の、きぃぇぇぇぇぇっ、という叫びに近い。
多分、僕以外には聞こえていない。
その証拠に、みんな顔を輝かせて、辺りの畑を眺めている。
こんなに、作物はたくさん実っているのに。
こんなに、美味しそうに見えるのに。
ここには、あの、叫び声が満ちていた。
すると、カーン、カーン、カーン、という音がどこからか聞こえてきた。
高いカーンに低いカーン。重たいカーンに、軽いカーン。
カーンにもいろいろある。
このカーンは、みんなに聞こえる音だ。
不思議だと思ってきょろきょろしてたら、大勢の人たちがぞろぞろと行列を作って歩いてきた。
みんな手に鍋やら鉢やら持っていて、それを棒で叩きながら鳴らしている。
それぞれ手に持っている物が違うから、いろんなカーンがあるらしい。
行列の先頭には、縄で縛られた人が輿に乗せられていた。
輿の前を先導するように歩く人は、棒につけた鈴を振り鳴らしている。
あれは、なんの、行列なんだろう?
ぼんやり見ていると、行列のほうも僕らに気づいたみたいに立ち止まった。
そして一斉に、僕らにむかって今にも飛び掛かりそうに身構えた。
え?ちょっと、待って?僕ら、怪しい者じゃないよ?
びっくりして様子を見ていたら、行列のなかから、代表らしき人が前に進み出た。
彼は平原の言葉でなにか言った。
それに、ピサンリがなにか答えた。
どっちも平原の言葉だから、何を言っているのかは分からないんだけど。
少なくとも、あちらは、あまり友好的な態度とはいえないようだ。
それに反してピサンリは、丁寧で落ち着いた口調だった。
「今すぐにここから立ち去れ。
さもなくば、処刑だ。って、言ったんだ。」
僕の後ろからアルテミシアがこっそり教えてくれた。
しょ、処刑?
それはなかなか、穏やかならないな。
「ピサンリは、どうして処刑されるんですか?
僕らはここを通りかかっただけです、って答えた。」
ルクスも続けて教えてくれた。
そのときだった。
縄をかけられて輿に乗せられていた人は、突然、なにか叫びながら暴れ出した。
捕まえようとする人たちの手を振り切って、こっちにむかって走ってくる。
僕はびっくりして、それから、恐ろしくて、おたおたしてたんだけど。
いち早くルクスは馬車を飛び出して、その人の傍に駆け付けた。
「…あ、あの人、は…?」
「もしかしたら、あの人も通りかかっただけで処刑されようとしてたのかな?」
アルテミシアはそう教えてくれた。
なるほど。
それは助けなくちゃ、だ。
ルクスは逃げてきた人の縄を掴むと、追手から守りながら馬車にまで連れてきた。
ルクスと逃亡者のふたりが馬車に飛び乗ると、ピサンリはすぐさま、馬車を走らせた。
僕らは元来た道を引き返すように逃げた。
しばらく行くと畑は途切れて、荒れ野へと馬車は進んでいった。
畑を抜けるまでは、口々になにか叫びながら、追いかけてきた人たちも、ここまでは追いかけてはこないみたいだった。
いったん馬車を止めて、やれやれ、と僕らは息を吐いた。
ルクスは逃亡者の縄を解くと、怖がらせないように静かに、平原の言葉で何か言った。
「事情を話せ、って言ったんだ。」
アルテミシアは教えてくれた。
逃亡者は僕ら全員の顔をぐるっと見回した。
ピサンリよりももっと年は上。中年くらい、だろうか。
落ち着きのないおどおどした目をしている。
確かに、ついさっきまで、処刑されかかっていたんだから、怯えていても仕方ないのかもしれない。
アルテミシアは水袋からカップに水を入れると、薬草を一つまみ入れてから逃亡者に手渡した。
ふわっと、ここにもいい香りが漂ってくる。気持ちの落ち着くお茶だ。
逃亡者はアルテミシアの渡したカップを恐る恐る見ているけれど、口をつけようとはしない。
確かに。そうすぐには見ず知らずの僕らのことを、信用できないのだろう。
ルクスは、ふん、と鼻をひとつ鳴らすと、逃亡者の手からカップを奪って、自分で一口飲んだ。
それから、またそのカップを逃亡者の手に押し付ける。
逃亡者は、ルクスのことを、いったい何をするんだ、という目をして見ていたけれど。
意図は伝わったのか、恐る恐る、カップのお茶を一口飲んだ。
ふぅ。
お茶を飲んだ逃亡者が、そう一息吐くのを聞いて、僕らも全員、緊張が解けた。
確かに、僕らだって、緊張してたんだ。
だいたい、逃亡者は僕らのこと怖いかもだけれど、僕らだって、この人のこと、怖いものね。
それから逃亡者は、ゆっくりと話し始めた。




