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翌朝。
僕らは屋敷の人々に見送られて、町へ戻ることになった。
僕はうっかり忘れる前に、ちゃんと返しておこうと笛を取り出した。
「あの。これ、借りたままになってた。ごめんなさい。」
そう言って差し出した手を、リョウシュは僕のほうへ押し返した。
「その笛は、賢者様に差し上げます。
私が持っているよりも、きっとお役に立ちましょう。」
「え?けど…」
確かに僕は笛が大好きで、この笛の音は、僕の土笛と同じくらい大好きだけど。
それでも、流石にもらっちゃうのは気がひけて、急いで首を振った。
そしたら、リョウシュは、にこっと笑った。
それは初めて見た笑顔だった。
「昨夜、ヌシ様のために、笛を吹いていらっしゃいましたね。
あの音を聞いて、これを吹けるのは、賢者様の他にはいないと、思ったのです。
私は、この笛をまともに吹くことができなくて、ヌシ様も狂わせ、あのような化け物にしてしまった。
笛の音の狂いにも気づけなかった。
私には、この笛を持っている資格がありません。
だから、どうか、賢者様、お願いいたします。」
リョウシュは僕の手にしっかりと笛を握らせて、その手を上から強く握った。
うーん、困った。
それでもまだ迷っていたら、つかつかと僕らの世話をしてくれていた少女が歩み出て言った。
「もらってください。
そうして、時々、それを吹いて、ヌシ様やご主人様や私たちのことを思い出してください。」
「もらっとけば?
お前、その笛、結構、気に入ってるんだろ?」
ルクスも横から言った。
えー…そんなぁ…みんなに、そう言われちゃ…
「いい、のかな?」
「いい、ですとも。」
リョウシュは満点の笑顔で頷いてくれた。
僕は早速、もらった笛を吹いてみた。
清んだ音がとても綺麗だ。
もちろん、その笛で吹くのはあの歌。
ヌシ様の、この町の、みんなの歌だ。
僕の笛に合わせて、みんな歌ってくれた。
僕は、みんなの声をもっと引き立てるように、笛を吹いた。
声と笛の音と。
絡み合って、いい歌になる。
すると、湖の水面が、ざわざわと波立ち始めた。
陽光を反射して、きらきら光るなかに、なにか、銀色の光が浮かび上がった。
ぱしゃっ!
心地よい水音と共に、湖に飛び上がったのは、美しい、銀色の魚だった。
「ヌシ様!」
皆が一斉に叫んだ。
僕もびっくりして、目はその魚に釘付けだった。
魚はほんの一瞬だけ姿を現して、またすぐに湖の底深くに潜ってしまった。
だけど、その場の大勢が、確かに、その姿を見ていた。
よかった。ヌシ様。無事だったんだ。
僕は、それが嬉しくて嬉しくて、もういっぺん出てきてくれないかと、しつこく笛を吹いたけど。
ヌシ様は、もう姿は見せてくれなかった。
ヌシ様と話すためにも、この笛、返したほうがいいんじゃない?
そう聞いてみたけど、持って行けと、強く言ってもらえた。
今、こうしてここで吹いて歌った。それで十分なんだ、って。
元々、この笛はそう吹くものじゃなかったらしい。
宝物庫、という名の物置の奥にずっと放置されてたとか。
そもそも、代々のリョウシュでヌシ様の姿を実際に見た人は少ない。
いるかいないか分からないのに、わざわざ宝物の笛を引っ張り出して吹いたりはしなかったらしい。
見た人だって、一生に一度きり、とかだったらしい。
だから、ヌシ様のことだって、ただの伝説だって言うリョウシュもいた。
現在のリョウシュは、たまたま、リョウシュになったその日に、ヌシ様の姿を見た。
だから、わざわざ伝説の笛を引っ張り出して、吹いてみた。
多分、笛の音がそれで合ってるかどうかも、考えなかったのかも。
物置の奥から引っ張り出した、伝説?の笛だもの。
音が鳴るだけ、すごい、だったのかもね?
ということは、あの笛、実際に使ったのって、もしかしたら、あの笛を作ったゴショダイサマと今のリョウシュだけなのかも。
ってことは、あの丸めた皮をつっこんだのって、ゴショダイサマ?
ヌシ様の歌を後代にも伝えようとしたのかな。
けど、それで音が鳴らなかったのは、予想外だったね。
その日は町に帰って、僕ら、あの前にもお世話になってたピサンリの友だちのお家で、またお世話になることになってた。
町へ着くと、もう、お祭り状態で、びっくりした。
町の人たちは僕らのこと大歓迎してくれて、僕ら、広場に作られた舞台みたいなところへ連れて行かれて、盛大な拍手喝采を浴びた。
前の年、不作だったから、食べ物は町にはあまりなかったんだけど。
みんな、少しずつ持ち寄って、ご馳走を作ってくれた。
リョウシュも屋敷の食糧庫の食糧を町のみんなに配ってくれたみたい。
よくよく見ると、町の人たちには、前にいた村の人たちも大勢混じっていた。
町のことを心配して、保存食をたくさん持って駆け付けた人たちだった。
みんなが持ち寄って、みんなが工夫して作ってくれたご馳走だ。
僕は早速、リョウシュからもらった笛を吹いた。
うん。この町の歌には、やっぱりこの笛の音が一番合う。
町の人たちも、みんな声を揃えて、ここでも大合唱になった。
川の水も戻ったし。
川底のゴミはきっといい畑の土になるし。
今年は、たくさん作物が実るだろう。
僕はそう確信した。
途中、何回も引き留められて、なかなか家に着かなかったんだけど。
暗くなるころ、ようやく、辿り着いた。
そうしたら、あの子どもが、本当に、飛ぶみたいに駆け寄ってきて。
僕の足に、ぎゅうって、抱きついた。
「ごめんね?
遅くなって。」
僕は子どもの頭を撫でて謝った。
子どもは、ううん、って、一応、首は振ってくれたんだけど。
手は、絶対に離してくれなくて、ちょっと困った。
一晩、そのお家にお世話になって、翌朝、出発することになっていた。
朝早く、ピサンリは馬車を用意してくれた。
その朝は、子どもは、何故か、僕を引き留めなかった。
だけど、目に涙をいっぱいに溜めて、ずっと僕のほうを見ていた。
小さい子をだっこ、とか、あんまりしたことないんだけど。
僕は思い切って子どもをだっこして、ほっぺたにほっぺたをくっつけた。
思ったよりひんやりして、まあるい、弾力のあるほっぺただった。
ちょっと、甘い匂いがした。
「また、いつか。」
僕にはそれしか言えなかったけど。
子どもは、鼻のつまった声で、僕の言うのを真似した。
「また、いつか。」
まだ言葉は話さない幼子だけど。
頑張って、そう言ってくれた。
そこへ、大勢、町の人たちが駆け付けてきた。
みんな、手に手にいろんな物を持っていて、役に立つから持って行け、と馬車に積み込んでくれた。
あの、いや、そもそも僕ら、そんなに荷物、持ち歩かないんですけど…
というわけにもいかないし。
有難く、全部もらうことにした。
そんなこんなで、来たときより大荷物になって、僕ら、町を出発した。
川には水がたぷたぷに戻っていた。
渡し守の舟に、馬車ごと乗り込む。
乗ってみると、意外に大きな舟だった。
川沿いには大勢の人が駆け付けて、手を振って見送ってくれた。
僕らも、いつまでもいつまでも、手を振っていた。




