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なんとか毒消しは飲ませたものの、熱はまだ高かったし、体に受けたダメージはそうすぐには回復しない。
アルテミシアが動けるようになるまでは、まだしばらくかかりそうだった。
ルクスと僕は、交代でアルテミシアの看病をした。
僕の両親の使っていた部屋に、寝台も二台あったから、僕らはその部屋を使うことにした。
そうして、そのまま僕らは、僕の家で暮らし始めた。
アルテミシアもルクスも、自分の家があったんだけど。
それぞれ一人ずつばらばらで暮らすよりも、今は一緒に暮らす方が安心だった。
二人の家族は、仲間たちと一緒に行ってしまった。
家族に置いて行かれるなんて、どんなに悲しいことだろう。
ただ、僕だけは、元々、この家で一人で暮らしていた。
僕の両親は、もうずっと前に、世界の荒廃を止める方法を探しに行く、と言って旅に出てしまった。
僕は一人残されるのは寂しかったけど、森を出て旅をするのは怖かったし、何より、ルクスやアルテミシアと離れたくなかったから、両親にはついて行かなかった。
一人で残っても、郷の人たちは何かと面倒をみてくれたし、ルクスやアルテミシアの家族は僕のことも家族の一員のように扱ってくれたから、困るようなことはなかった。
ただ、一緒に暮らそうと言ってもらったことは何度もあったけど、家だけはずっと一人でここに暮らしていた。
両親はときどき帰ってきては、森の外の世界の話をしてくれた。
あの土笛の作り方を教えてくれたのも両親だった。
どこか、森の外の、遠い遠い場所で作られているという、土の笛。
平原をどこまでも渡る風のような音がする
教わりながら作った笛は、思ったより上出来だった。
割れていないかと心配しながら恐る恐る竈から取り出したのは、ころんと手の中に納まる笛だった。
初めてこれを手に持ったとき、これはもう、僕の一生の宝物だって、確信した。
翌日、両親はまた旅に出た。
そして、それっきり、帰ってきていない。
だから、僕にとって、この笛は、ちょっと特別な物だった。
両親の形見、っていうのとはちょっと違うけど。
だって、形見ってのは、死んだ人を思い出すためのものでしょう?
僕の両親は、死んだと決まったわけじゃない。
あれからもう十年は経っただろうか。
この辺りの森の仲間たちは、もうほとんど、彼の地にむけて出立してしまったのに。
うちの郷だけ出立が遅れていたのは、僕の両親の帰りを待っていたからなんじゃないかと思う。
それでも、とうとう、族長様は、出立を決意した。
多分、これで、もう、ぎりぎりなんだ。
ルクスと僕の寝泊りしている部屋は、元々僕の両親の部屋だった。
そこには、両親が旅先で手に入れてきたいろんな物が、雑多に積み上げてあった。
なんとなく、勝手に触るのは気が引けて、長年、埃を被ったまま、そのままにしてあった。
奇妙な形のお面やら、ずしりと重たい書物やら、触るとなんだか呪われそうな用途の分からない置物やら。
単に、あんまり触りたくなかった、とも言える。
けど、ルクスはそんなことはまったく気にならないようで、早速、物珍しそうにあれこれと取り出しては眺め始めた。
何に使うのかよく分からない道具を、ああだこうだ言い合うのは楽しくて、僕もつられて一緒に見ていた。
中に一冊、不思議な書物があった。
書いてある文字は、見たことのないもので、まったく読めないけど。
とても綺麗な図がいくつも、いろんな色を使って描いてあって、その図だけでもどれだけ見ていても飽きなかった。
「なあ、これ、何の本なんだろうな?」
「さあ?
だけど、とっても綺麗だよね。」
僕らは毎晩その本を一緒に眺めるようになった。
眠くなるまで、ああだこうだと、図を指さしては話し合った。
「この図は、いったい、何の図なんだろうな?」
「迷路?地図?なにかの、模様、かなあ?」
「この文字は、図の解説か?なんて書いてあるんだろう?」
「さあ。
森の外には、僕らの知らない文字を使う人たちがいるって聞いたことがあるけど。
森の外の世界って、すっごく広いんだって。」
広い世界のことを、父さんも母さんも、目をきらきらさせて話していた。
だから、僕も、二人に、旅に行かないでほしい、って言えなかったんだ。
「お前の親ってすごいよな。
その広い世界を旅してるんだから。」
「…すごいのかな。
僕は森の外になんか行きたいって思わないけど。」
森は僕らの故郷だ。
水も食べ物も。着る物や、暮らしていくための道具も。
森は何もかも、与えてくれる。
この森を出て、どこか違う場所で暮らそうなんて、僕には到底思えない。
不思議な文字で何を書いてあるのか分からない本は、確かに珍しいけど。
そこに何が書いてあるのか、わざわざ知りたいとも思わなかった。
所詮、外の世界の物だもの。
僕らには関係ないだろう。
けど、ルクスはそうは思わなかったらしい。
あちこち漁っていて、どこからか僕の両親の書いた覚書らしいノートを見つけた。
「これさ、この文字の読み方じゃないか?」
「これは父さんの字かなあ。
父さんもあの本を読もうとしたのかも。」
「なあなあ、これ使って丁寧に読んだら、あの本も、読めるんじゃないか?」
「かもねえ。」
あんまり乗り気じゃない僕にルクスは小さく舌打ちだけして、あとはもう何も言わなかった。
けど、何日かして、いっぱい書き込みをした板を僕に見せて言った。
「どうだ。
とうとう、俺は、解読したぞ?」
「は?」
「これだ。ほら、見てみろ!」
そこにはあの本の奇妙な文字と、僕らの使う文字が並べて書いてあった。
僕はその文字を一文字一文字読み上げた。
「せ、い、れ、い?
う、ん?
せ、い、れ、い、って何?」
「さあな?知らん。」
ルクスはあっけらかんと首を振った。
なんだ。
僕はちょっと呆れた。
「それって、解読って言うの?」
「最初の一歩なんて、こんなもんだろ。
だけど、輝かしい一歩だ。」
ルクスは板を振り回して大喜びをしていた。
それがあんまり嬉しそうだから、僕ももう余計なことを言うのはやめた。
ルクスが楽しいんだったら、いいや、って思った。