33
それから数日。
ルクスは毎日忙しく飛び回って、村の人たちといろいろ準備をしていた。
森には、病気の人や、お年よりや、小さな赤ん坊のいる人以外、ほとんど村人全員が来てくれることになった。
それだけ大人数が移動するとなると、馬車の用意や、食料の支度も必要になる。
本当に、大仕事だった。
それでも、村の人たちは、嫌な顔ひとつせずに、協力してくれる。
実際に森を見てきたのはピサンリと僕だったから、僕らは、森の様子を皆に説明したり、特別に必要なものを考えたりした。
雨の日だとしても、いくらかは粉が飛び散るかもしれないから、粉を吸い込まないように、口元を覆う布はあったほうがいいだろう。
傘はさせないだろうから、雨避けのマントも要る。
アルテミシアは食料の準備に大忙しだ。
これだけの大人数の移動だ。
野営で料理をするのは大変だから、そこは簡単に保存食で済まそうということになった。
みんなには悪いけど、ご馳走は全部終わって村に帰ってからだ。
その保存食作りだって、大仕事だった。
そうして、着々と準備を進めていたある日。
風のなかに、かすかに、雨の匂いを感じた。
花壇の花たちも、もうじき雨がくるよ、と歌い始める。
それをルクスに伝えると、いよいよ、出発になった。
馬車を何台も連ねての大移動だ。
その先頭に、馬に乗ったルクスがいる。
アルテミシアは最後尾の食料を積んだ馬車にいるはずだ。
僕は、列の真ん中辺りで、ピサンリの操る馬車に乗せてもらっている。
僕らの馬車には、みんなに配るマントと口覆いが山のように積んであった。
前も後ろも、ずっと馬車が連なっていた。
僕は、ピサンリの隣に座っていたけれど、なんだかずっと落ち着かなくて、そわそわしていた。
「これでも齧るかのう?」
ピサンリはそう言ってポケットから小さな袋を取り出して手渡してくれた。
袋を開けると、干し芋が入っていた。
僕はひとつもらって齧った。
噛みしめると甘い味がして、ちょっとだけほっとした。
ピサンリは自分もひとつ口にくわえて、袋をポケットにしまった。
ピサンリって、僕よりずっとからだは小さいんだけど、ポケットのいっぱいついた服を着ていて、そのポケットにはびっくりするくらいいろんな物が入っている。
木の実や、道端で摘んだ花、何かの道具、石ころ…、それからくしゃくしゃになって、元は何だったのか分からなくなったもの。
それから必ず、何かちょっとした食べ物。
あのポケットは、見るたびに不思議だ。
「う、ん?どうかしたのかの?」
僕がじっと見ていたからか、ピサンリはこっちを見てにこっとした。
「う、ううん。べつに。」
僕は慌てて目を逸らせた。
けど、うっかり言ってしまった。
「ピサンリのポケットって、不思議だね?」
「そうじゃろうそうじゃろう。
わしも、ときどき、自分のポケットが不思議になる。
ようもまあ、こんなものが入っておった、となあ。」
ピサンリはからからと笑い飛ばした。
「本当に、この世には不思議なものがたくさんあるのう。
三日後の雨を予想できるお力も、賢者様にとってはなんということもないのかもしれんが。
わしらには、とてつもなく不思議なものじゃ。」
「自分にない力を持つ相手のことは、みんな不思議に思う、だっけ?」
「そうじゃ。
じいさまが、よう、そう言うておった。
じいさまのことを、わしは、よう、不思議じゃ、不思議じゃ、と言うておったからかのう。
じいさまから見れば、わしの方が、よほど、不思議じゃ、と。」
「確かに。
僕も、こうして力を貸してくれる人たちって、不思議だって思ってる。」
「なあんも。不思議なことなどありゃあせん。
わしらにとっては、当たり前、よ。」
なんだよなあ。
僕はピサンリのほうへ手を伸ばして言った。
「お芋。もうひとつ、もらってもいい?」
「おう。なんぼでも、召し上がれ。」
ピサンリはまた袋ごとお芋をくれた。
僕はひとつもらって、ほくほくと齧った。
このお芋も、平原の民が畑で作ったものだ。
噛みしめると甘くておいしい。
ピサンリもひとつ齧って、にこっとした。
「今年の畑はとても出来がようて、皆、喜んでおるのよ。
それもこれも、賢者様方のおかげじゃ、と。
その賢者様方のお役に立てるというのじゃから。
そりゃあ、皆、張り切ってお手伝いするじゃろう。」
「僕ら、べつに、なにも特別なことはしてないんだけど、ね。」
「わしらも、なぁんも、特別なことはしとりゃせんよ。」
僕らは目を合わせて、お互いに笑い合った。
野営の予定地まで来ると、アルテミシアたちがみんなに保存食を配ってくれた。
料理はしなかったけど、お湯を沸かして温かいお茶を飲んだのが、とても美味しかった。
それから、みんな馬車で横になって眠った。
夜は少し寒くて、僕とピサンリは背中をくっつけあって眠った。
そうしていると、背中がぽかぽかして、なんとか眠れた。
明くる朝も保存食と温かいお茶をお腹に入れて出発した。
今日はいよいよ、森に着く日だ。
朝からどんよりと曇っている。
まだ降りだしてはいないけれど、今にも降りだしそうな感じ。
遠くに見える黒い帯がだんだんと近づいてくる。
よく見るとその手前のところには、白い色も混じっていた。
ひゅうと風が吹いてくる。
季節外れな少し暖かい風。
風は地面に散った白い粉を巻き上げる。
僕らは白い粉を吸い込まないように、口を覆う布をしっかりと巻きつけた。
森へ近づくにつれて、がらがらという馬車の車輪の音だけが聞こえるようになっていった。
みんな、息を呑み、からだをこわばらせて、じっと前のほうを見ている。
やがて、白く枯れた森が見え始めた。
そのときだった。
さーっと、白い雨が空から落ちてきた。
細い細い糸のように、雨は白い森を洗っていく。
白く立ち枯れた木々は、こんな優しい雨にも耐えられずに、あちこちで、すっ、すっ、と崩れていった。
「雨が降る度に、こうして崩されたのかのう。」
そうかもしれない。
僕らが気づく前に、もうとっくの昔に。
雨に崩れて。風にさらわれて。
森たちは、なくなっていってたのかもしれない。
それでも、白く枯れる病は、次々と次の森を侵すから。
いつか、森全部が、なくなってしまうかもしれない。
今ここで、これを止めなければ。
森の手前に馬車を止めて、みんな荷物を背負って歩き出した。
病に侵されていない森との境界までは、こうして歩いて行くしかない。
いつもはわいわい賑やかな人々だけれど、今は誰も、口をきかない。
ただ、黙々と、歩いていた。




