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季節外れに暖かな日だったけれど、雨に濡れたところから体温は奪われていく。
濡れたマントがずしりと重い。
歩き続けながら、次第に気持ちはぺしゃんこになっていった。
う。もう、帰りたい。
朝飲んだ温かいお茶が恋しい。
館の暖炉の前が恋しい。
柔らかくてぬくぬくしたベットが恋しい。
ファサッ、ファサッ、とあり得ないような軽い音をさせて、あちこちの木が崩れている。
その光景が恐ろしくて、必死に見ないようにしていたけど。
うっかり視界の端に何度も見てしまった。
「この辺りはもうだいぶ脆くなっているようじゃな。」
隣にいたピサンリが僕にむかって呟いた。
歩いても歩いても、白い森の果てには行きつかなかった。
こんなに遠かったっけ?って思う。
木に尋ねても応えはもらえない。
もしかして、まだ無事だった森も、この数日のうちに白く枯れてしまったとか?
僕は夢で見たあの光景を思い出した。
慌てて、周りの木を確かめたけど、あの森の木らしき姿はなかった。
奥に行くにつれて、雨に崩される木は少なくなった。
何日も雨風に晒されて脆くなっていくんだ。
この辺りの木は、まだ、白く枯れてしまってから、日が経っていないのかもしれない。
もう少し早く、手を打つことができれば、この辺りの森はまだ、無事だったのかな。
そう考えると、森に申し訳ない気になってくる。
ごめんね、気づいてあげられなくて。
せめて、まだ無事なところは、絶対に守ってあげなくちゃ。
気持ちを奮い立たせて、僕は歩いた。
それでも、前に来たときよりは、格段に辛くはなかった。
なにせ、前にも後ろにも、隣にも、誰かがいる。
ひとりぼっちで彷徨い歩くのに比べたら、どれだけ心強いことか。
行列の先頭にいるのはルクスだ。
進む道を決めて皆を導いてくれる。
ときどき、ちらりとルクスの背中が見える。
そのたびに、今ちゃんと正しい道を進んでいるんだって確信する。
ああいう人を賢者と言うんじゃないかな。
僕らは三人まとめて、森の賢者様、と村人たちからは呼ばれている。
水場を見つけるアルテミシアとか、格好いいから、あれは賢者様だよなあ、と思う。
それに、こんなふうに皆を導くルクスも、格好いいから、賢者様でいいよなあ、と思う。
僕も二人のおかげで賢者様って呼ばれてるけど。
やっぱり、ふたりのおまけ的存在?
草や花と一緒に笛、吹いてるだけだし。
笛、吹きたいって唐突に思った。
もちろん、行列を止めて、吹き始めたりはしないけど。
この歌のない森に。歌のなくなってしまった森に。
森は森ごとに少しずつ歌が違う。
彼らの歌は失われてしまって、もうそれは取り返せない。
だけど、たとえ、彼らの歌じゃなくても。
この森に、歌を響かせたい。
遠くからかすかに、森の声が聞こえ始めた。
たくさん歩いて、とうとう、僕らは、白く枯れた森の果てに辿り着いた。
無事な森はあまり元気はないけれど、確かにちゃんと歌っていた。
その辺りの木は、まだ雨に負けて崩れることはなかった。
だけど、軽く力を込めて押すだけで、ぼろぼろと崩れ落ちた。
僕らは横に一列に並ぶと、白く枯れた森のほうへと引き返していった。
そうして、その辺りの木を崩していった。
森の民は、木を伐らないわけじゃない。
家や道具を作るために、森から木をわけてもらっている。
だけど、切り株を残しておけば、そこからまたひこばえは生えてくるし。
木を殺している、という感覚はなかった。
だけど、今のこれは違っていた。
白く枯れた木は、切り株も残さずに崩れてしまう。
ここからはもう、ひこばえは生えてこない。
この地は、どうなってしまうんだろう。
あの、なにもない、荒れた地になってしまうんだろうか。
白く枯れてはいるけれど、そのあたりにはまだ、森だったころの気配が残っている。
こんなに、立派な、森だったのに。
今やっていることがあまりに辛すぎて、僕は思わずそこへしゃがみこんでしまった。
隣にいたピサンリが、びっくりして助け起こしてくれた。
「お辛いなら、あちらで休んでいなされ。」
そう言ってくれたけど。
みんな辛くても働いているのに、僕だけ休むわけにもいかない。
僕は首を振って、再び木を崩す作業に戻った。
ピサンリは心配そうにしていたけど、作業の続きを始める。
のんびりは、していられないんだ。
この季節のお天気は変わりやすい。
この雨も、そう長くは降り続かない。
雨の間にやらなければならない仕事は多い。
木を崩すと、そこに溝を掘った。
根っこのない地面は、嘘みたいにさらさらと掘れた。
だけど、地面を掘る作業に使う道具はとても重たくて。
僕は直に手がマメだらけになった。
「無理するな。
後は任せろ。」
僕の背中を叩いてそう言ったのはルクスだった。
ルクスは、あちこちの村人の様子を見て回って、具合の悪そうな人には休むように促していた。
僕は、情けないけど、休ませてもらうことにした。
僕の手も気持ちも、もう、限界っぽかった。
同じように休んでいる人たちは、何人かいた。
みんな、しょんぼりと情けなさそうに、うつむいていた。
だけど、元気な村の人たちは、せっせと作業を続けていた。
誰かが指示をするわけでもないのに、それぞれが分担し、協力しあって作業を進めていく。
その連携は、とても見事だった。
いつの間にか、誰かが小さな声で歌い出した。
すると、それに合わせて、みんなが歌い出した。
しょんぼりしていた人たちも、一緒に歌い出した。
歌の調子は、力仕事にちょうどいい感じだった。
単調だけど力強くて、ずっと励まされている感じがする。
荒れた土地に井戸を掘り、畑を作って生きていく。
彼らはとても強い人々なんだと思った。
辺りの景色はみるみる変わっていった。
ちょうど、雨の上るころ、白く枯れた森と無事な森との境界には、人が入れるほどの溝ができていた。
「水を流すぞ!」
アルテミシアがそう叫ぶのが聞こえた。
どこからか流れてきた水が溝を満たして、即席の小川になった。
僕らは無事な森を背中にして、溝に沿ってまた横に一列に並んだ。
雨は止んだ。準備も整った。
いよいよこれから、僕らは森を焼くんだ。
僕の目の前の森は白く枯れていた。
だけど、それはまだ、森の姿をしていた。
それを見ていた僕は、突然、激しい焦燥に駆られた。
「やめて!森を焼かないで!!」
僕は思わずそう叫んで白い森にむかって駆けだした。
だめだ、やっぱり、森を焼くなんて。
そんなことしちゃ、だめなんだ。
頭のなかはそれだけでいっぱいだった。
たとえ白く枯れていたって、ここはやっぱり森なんだもの。
誰かが追いかけてきて、僕の腕をつかんだ。
ぐいと引かれて、僕は地面に転んでしまった。
ぬかるんだ白い地面は、べしゃりと跳ねて、僕の視界は白く染まった。
「いやだ!いやだ!いやだ!」
僕は地面に座り込んだまま、幼子のように、べしゃべしゃの地面を叩いた。
頭の片隅で、自分のしていることを愚かだと思っていたけれど。
どうしようもなかった。
「ここにいちゃいけない。行こう。」
静かにそう言う声がして、目の前に白い手が差し出された。
僕は泣き叫ぶのを止めて、目をあげて見た。
アルテミシアだった。
「あたしだって、森の民だ。
君の辛さは分かるよ。」
アルテミシアは静かにそう言うと、僕の手をつかんで引っ張った。
「だけど、これは必要なことなんだ。」
低い声でそう言ったのはルクスだった。
「あーあ、もう、こんなんなっちまって、あーあ…」
嘆くようにそう言いながら、ピサンリは僕のマントをはらってくれた。
もちろん、そんなことくらいじゃ、べしゃべしゃの白い粉に染まったマントは綺麗にはならないけど。
ピサンリは、あーあ、あーあ、と繰り返して、いつまでも僕のマントを払っている。
その優しい手つきは、僕を慰めてくれているようだった。
僕は三人に連れ戻されて、元の列に戻った。
そこにいた村の人たちは、僕のことを気の毒そうに見ていたけれど、誰も責めたりはしなかった。
「大丈夫。森は強い。」
隣に立ったルクスは、僕の背中を励ますように叩いた。




