23
その日も、ルクスはどこかの力仕事を手伝うと言って出かけていった。
アルテミシアは、村長さんから何か頼まれごとをしたらしくて、やっぱり出かけていた。
残された僕は、ピサンリと二人で薬草畑の世話をしていた。
僕らの薬草畑はなかなか順調に育っていた。
森の薬草がここで育つか心配だったけど、なんとかなってよかった。
もう少し大きくなったら、町に持って行って売ってもらおう。
「ねえ、ピサンリ、この薬草って、町で売れるかなあ?」
「そうじゃのう。
草を見ても、使い途の分からん者がほとんじゃろうし。
いっそのこと、薬か何かにこしらえて、売ってはどうじゃろうか。」
なるほど。流石ピサンリ。
やっぱり相談してみてよかった。
「そっか。
この辺のは、干してからからになったのを石臼で挽いて粉にするんだけど。
石臼って、あるかなあ?」
「館にはないかのう。
しかし、村長の家にはあったと思うから、今度借りてこよう。」
「それは何から何まで助かるよ。」
本当、ピサンリがいてくれてよかったって、つくづく思う。
「さてと。
そろそろ休憩するかのう。」
ピサンリは腰のあたりをとんとんと叩いて立ち上がると、置いてあった布袋から焼き菓子を取り出した。
ピサンリのお手製ので、僕の大好物だ。
「あ、僕、朝、お茶淹れてきたんだ。」
僕は水壺に入れて持ってきていたお茶をカップに分けた。
ピサンリは微妙な顔をしてカップを受け取ったけど、お茶を一口すすって、うっ、と顔をしかめた。
「何度飲んでも、この匂いには慣れんのう。」
「体にはいいんだよ?
まあ、薬だと思って。」
いや、本当に薬なんだけど。
間引いた薬草の芽を干して煎じた物だから。
ピサンリは嫌そうに顔をしかめて僕を見た。
「薬というのは、どこか具合の悪いときに飲むものじゃろう?」
「具合が悪くならないように飲んでも効くんだよ?」
このやりとり、もう何回したかな。
もっとも、そんなこと言いながらも、ピサンリはいつもお茶は全部飲んでくれていた。
「やれやれ。森の民は用心深いのう。
いや、そうか。用心深いからこそ、なのかのう。」
ピサンリはため息を吐いて、ちょっと遠くを見つめた。
「…前に言うておったろう。
お仲間たちは、どこか、遠い…彼の地、じゃったか?
そこへ行ってしもうたと。」
うん、と僕は頷く。
「…それは、言い伝えの通り、なのかのう…」
ピサンリはため息を吐いた。
「この世界に滅びが近づくと、まず真っ先に、森の民がいなくなる。
それから、鳥や獣が姿を隠し、愚かな平原の民は、そうなってようやく、異変に気づく。」
「あ。それ、僕も聞いたこと、あるよ。
平原の民が気づいたころには、森の民はもういなくなっていた、って。」
「わしはのう、あれは、おとぎ話か、何かのたとえに過ぎんと思うておったのよ。」
ピサンリはもう一度ため息を吐いてお茶を啜った。
「現実に、この世界に森の民はおるじゃろう?
もし言い伝えの通りに、森の民が皆旅立ったのだとしたら、今ここにおる森の民はなんじゃ、ということになる。
しかしのう、シード、と言ったか?
そんなふうに残された者の子孫だとすると、筋は、通っておるのよのう。」
旅の族長から、僕らは種だと言われたことは、ピサンリにも前に話していた。
ピサンリは僕の顔をじっと見て尋ねた。
「やっぱり、この世界は、本当に、滅びるのじゃろうか?」
「僕らの間じゃ、みんなそう言ってた。
それはもう、止められない、って。
だから、みんな彼の地へと出立したんだ。」
だけど、それを止めたい、止めよう、って人たちもいないわけじゃない。
ルクスや、僕の両親のように。
ピサンリは腕組みをしてしきりに首を傾げた。
「あんまり滅ぶという実感はないんじゃが。
しかし、そういえば、古い井戸が枯れたのも、その崩壊の影響か?
いや、しかし、単に古くなったから枯れたとも思うしのう。
これだから、平原の民は、鈍いのかのう。」
「それは、分からない、けど。
でも、大昔に一度、世界が崩壊しかかったとき、結局、それを止めたのは、平原の民の英雄だった、って聞いたよ?」
あ、これって、言ってはいけない話しだったかな、と言ってしまってから思い出したけど。
ピサンリは、特段、変に思った様子もなくて、そのまま話しを続けた。
「そういう言い伝えもあるのう。
しかし、その、英雄、の名は、誰も知らん。
それも、おかしいとは思わんか?
それほどの英雄ならば、名前くらいは知られておろうに。」
「…平原の民も、知らないの?」
「少なくとも、わしは知らん。知っとるやつに会うたこともない。
それに、平原にはもう一つ、別の言い伝えもあっての。
大昔、世界の崩壊を人々は成す術もなく、ただ、見ているしかなかった。
しかし、ぼろぼろになった世界を、平原の民は生き抜いた。
そして、井戸を掘り、畑を作り、家を建てた。
その生き抜いた一人一人を、英雄と呼ぶ。
なるほど、それなら、その名は分からんでも納得できるかのう。」
そっか。そういう英雄だったんだ。
「確かに、平原の民はしぶといからのう。
世界の崩壊も、平原の民までは崩壊させきれんかったということじゃな。」
「それを言うなら、僕らだって、しぶといよ。
結局は、滅んだわけじゃないんだから。」
「なるほど。つまり、人というものは、しぶとい、ということじゃな。」
ピサンリは、僕の肩をたたいて、けらけらと笑った。
「だけど、世界はぼろぼろになっちゃったんだ…」
僕はピサンリの言ったことを考えていた。
それは想像するのも恐ろしいことだった。
「それ、そうなる前に、なんとかできたらいいのに。」
「大昔も、そう思うた者がおったそうじゃ。
その者らは、その方法を考えて、書物に記したのじゃと。
いつかまた、世界に崩壊が近づいたとき、今度は崩壊させる前にそれを止めようと。
まあ、それが本当なら、その者たちは、英雄かもしれんのう。」
「確かに。それは、英雄だ。」
僕はちょっと身を乗りだした。
すると、ピサンリは苦笑した。
「けど、そんな書物はどこにも残っとらんし。
その英雄の名も分からん。
それも、伝説の類じゃろうな。」
違う。
その書物は、本当にあって、僕らがその一つを持っている。
僕はそう言いそうになって、それでも、ぎりぎりでそれを飲み込んだ。
ピサンリは友だちだ。
信じられるって思ってる。
それでも、言えなかった。
「…もし、もしも、だよ?
そんな書物が本当にあったとしたら、その方法を試そう、って思う?」
ようやくそう尋ねた僕の声は震えていた。
ピサンリは、きょとんと僕を振り返ると、にかっと笑って答えた。
「当たり前じゃろう。
折角、大昔の英雄が教えてくれたのなら。
試してみんで、どうする。」
ですよね?
僕は、そのときのピサンリの答えを、ずっとずっと、考えていた。