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その夜。
帰ってきたルクスとアルテミシアに、僕は昼間ピサンリと話したことを話した。
二人は、うーん、とそれぞれ唸った。
「で、お前は、ピサンリに、あの書物を見せてみたい、って思ったわけか?」
「少なくとも、ピサンリなら、すらすら読めるだろうからねえ。」
あの書物は平原の民の言葉を平原の民の文字で書いてある。
それをピサンリに見せたら、書いてあることを、僕らの言葉にして説明してもらえると思う。
「事情を話せば、ピサンリは、僕らのことを、泥棒だとは思わないんじゃないかな?」
僕の両親のことも、ピサンリには話した。
彼の地へ行くことを拒んで、世界を救う方法を探していたことを。
森の民としては、とても珍しい、変わった人たちだ。
けど、ピサンリは、変わった人だとは言わずに、立派なご両親じゃのう、と言ってくれた。
ルクスはうーんともう一度唸った。
「その前に、俺も少し読めるようになったからさ。
今ここで読んで聞かせるから、ちょっとつきあってくれないかな。
ピサンリに見せるかどうかは、それを聞いてからにしてもらいたい。」
「ルクス、あれが、読めるの?」
「お前、俺がずっと遊んでばっかりいると思ってたのか?」
ルクスはちょっと僕を睨む。
「ぃゃ、そんなことはないけど…」
「俺はお前やアルテミシアみたいな特別な能力はないからさ?」
「べつに、特別なんてことないと思うけど…」
アルテミシアはともかく。僕のは全然特別じゃない。
誰だって、よくよく見たり聞いたりしたら、分かることだもの。
僕が困ると、ルクスは、ふふん、とちょっと笑った。
「言葉、習うなら、たくさん話すのが一番だと思ったからな。
俺、もう、日常会話なら、ピサンリや村長なしでも、困らないな。」
なーーーんと!それは、すごい!!
僕は尊敬の眼差しでルクスを見つめた。
ルクスはちょっと照れたみたいに僕から目を逸らせて続けた。
「文字も、もう、そこそこは、ね。
ただ、そもそも、俺たちの知らない単語ってのがいくつもあるからな。
その意味が分からないのは辛いところなんだけどな。」
そう言いながら、ルクスはあの書物を持ってきた。
「まだ、最初のところだけなんだけどさ。
この書物を書いたやつが、どうしてこの書物を書くことにしたのか、ということが書かれているんだ。
最初の異変は森の中から起こった。
泉が枯れ、沢は干上がり、草木は萎れて、実をつけなくなった。
森に棲む者たちは、異変を感じ取り、はるか遠くの至福の地へと移り住んで行った。」
ルクスは書物の文字を指でなぞりながら読んでいった。
それは以前にも一度聞いた文章だった。
「平原に荒廃の兆候が現れたのは、森よりもずっと遅かった。
平原の民がようやく重い腰を上げたとき、森の民はもうほとんど残っていなかった。
しかし、実際には、それ以前から、平原の民は、薄々、世界の荒廃を感じていた。
ただ、それを見ないようにしていただけだった。
今すぐ、何かが変わるわけではない。
そのうちに、きっと、誰かがなんとかしてくれる。
自分じゃない、誰かが。
ただ、今は、首を竦め、からだを屈めて、やり過ごすとしよう。
多くの者はそう考えた。
そして、それは、多くの者にとって、最善の手でもあった。
やがて、英雄は現れ、世界は救われた。
しかし、もしも、その英雄よりも早く、誰かが、荒廃を直視して、手を打っていたら。
自ら、英雄になる勇気を持つ者があったら。
この世界は、もっと多くの物を失わずに済んだかもしれない。」
その辺りまでは、旅の人たちに教わって読んでいたところだ。
「やっぱり、英雄は、いた、のかな?」
「ここには、そう書いてあるなあ。」
「ピサンリはいなかったって言ったけど。」
「その英雄のことは、平原の民にも知られてはいなかった、ということじゃないか。」
もし本当に英雄がいたなら、その名前が伝わっていないのはおかしい。
ピサンリはそう言った。
だから、英雄はいなかったんだ、って。
「英雄はいなかった。
世界の崩壊を人々はただ見ているしかなかった、って。
ピサンリは言ってた。」
「ぎりぎりのところで、その英雄は世界を救ったんじゃないか?
そうでなければ、今、ここに世界が存在しているはずがない。」
確かに。それは、アルテミシアの言う通りだ。
「おそらく。」
ルクスの声に僕らはそちらに注目した。
「この書物を書いたのは、世界の崩壊をぎりぎりで引き留めたその張本人なんじゃないかと思うんだ。
そして、そいつは、もっと早く動かなかった自分を責めていた。
この辺りの文章を読むと、それがよく伝わってくると思わないか?」
確かに、思う。
それに、それを聞いて、それ全部そのまんま、僕のことみたいだと思ったんだ。
「この書物の頭のところ、序章をまるまる使って、その後悔を書いているんだ。
要点だけ言うと、英雄は最初、世界を救うことを躊躇っていた。
というより、自分には到底無理だと思っていた。
関係ないとすら思っていた。
なのに、巡り巡って、世界を救うことになった。
誰にも知られない場所、誰にも知られない方法で。
けれど、英雄がもたついている間に、世界の崩壊は進んでしまった。
世界がこんなにぼろぼろになったのは、自分がもっと早く手を打たなかったからだ。
たとえ世界を救ったとしても、英雄の心には、強い後悔が残った。
こんな自分は英雄とは言えない。
だから、英雄は自分のしたことは、誰にも伝えなかった。」
だから、英雄なんていなかった、ということになってしまったのか。
「そのぼろぼろの世界を立て直した一人一人こそ真の英雄だ、とこの書物には書いてある。」
「それ、ピサンリも言ってた。」
僕はピサンリとの話しを思い出した。
「けれど、英雄はまた、自分が世界を救った方法を、後の世界に残しておくべきだとも思った。
だから、この書物を書いた。」
「ピサンリは、そんな書物があるなら、その書物を書いた人も英雄だって言ってた。
だけど、その書物はどこにもないから、それはただの伝説だとも。」
「だが、この書物は、確かに、今、ここに、ある。」
ルクスが一言ずつ区切って言うのを、僕は黙って聞いていた。
胸がどきどきしてくる。
かたかたと、体も震えだした。
「この書物の、最初の章の終わりのところに、こう書いてあるんだ。」
ルクスはそのページを開いて見せた。
そこにはひときわ大きく太い文字で書いてあった。
その文字を、ルクスはゆっくりと読み上げていった。
「この書を手に入れし者。
汝は運命に選ばれた。
ゆえに、汝は世界の崩壊を食い止めねばならぬ。」
……あああああ……
やっぱ、そうきたかあ。
ごめん。でも、ごめん。
僕には、そういう展開、無理だよ……
だけど、ルクスもアルテミシアも、思い切り真剣な目をして、頷きあっている。
う……
こっち、見ないで?
って、やっぱ、見るよね?
僕も仕方なしに、ちょっとだけ頷いてみせた。
顎が、ギクギク、した。
僕には無理だけど、ルクスとアルテミシアなら、大丈夫かも。
僕も、ルクスやアルテミシアに言われたことなら、手伝えるかも。
けど、その後に、ルクスが付け足した、最後の行の言葉は、さらに重かった。
「その命を捧げ、世界の礎となれ。」
「命を、捧げる?」
それって、僕らの命?
そんなの、嫌だ。
ルクスも、アルテミシアも。失いたくなんかない。
不安そうな僕に、ルクスはちょっと慰めるみたいに笑ってみせた。
「まあ、まだ続きを読んでないし、この命を捧げるってのが、ただの比喩なのか、それとも、実際に命を犠牲にするってことなのかは分からないんだけどな。」
ルクスはそう言ったけど、僕はごくりと息を呑んだ。
「もしも、ピサンリにこの書物を見せたら、ピサンリの命も犠牲になっちゃうかもしれないってこと?」
「これがそういう呪いの書物なのかどうかは、分からない。
ただ、もう見てしまった俺たちはともかく、他のやつは巻き込まないほうがいい、かもしれない。」
「ルクスがそこまで自力で読めたんなら、この先、もう少し、読み進めてみたらどうだ?
それで、安全だと分かってから、ピサンリには見せるほうがいいんじゃないか?」
アルテミシアも静かに言った。
本当、アルテミシアって、何を聞いても動じない。
おたおたするのは、いつも、僕だけ。
呪いの書物、なんてものが、本当にあるのかは分からないけど。
もしもこれが本物なら、ピサンリを巻き込みたくない。
だから、僕も、まだこれをピサンリに見せるのはやめておこうと思った。




