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三洲華大学クトゥルフ神話探偵部  作者: 向陽日向
第三章 地上の太陽と原初の魔王
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深淵へのカウントダウン

「飛んで火にいる夏の虫だったなあ!」

「おうおう! ご苦労だったな。さあ? それを渡してもらおうか?」


 今までの人生で最悪な目覚めだった。

 起床した直後、ぼうとする頭に耳障りな声が絶えず響く。

「ううぅ、マジ、タイム。お腹痛い……死ぬかも……」

「おいアマァ! その汚ねえ舌、丸焦げにして魚のエサにしてやろうか?」


「……ごめん二人とも。やらかしてしまったよ」

 数人の男たちに捕らわれ刃を向けられているのは前内と民さんだ。二人の姿が眠気眼に飛び込んできて、ぼんやりしていた頭が一瞬にしてクリアになる。


「お前たちをこれからハスター様のもとへ連れていく! 有難く思いながら死ねっ!」

 逆らうと鮮血が舞う事態になりかねないので、大人しく従うことにする。


 住処の外は以前よりも混沌とした雰囲気に包まれていた。

 臭気に満ちた風が吹き荒れ、真っ黒な雲が空に蓋をしている。分裂を繰り返す月の前を薄黒色の雲の筋が駆け足で通り過ぎていく。嵐の前兆を予感させた。


 後ろ手に縛られ、膝をつかされた二人の後ろに五人の崇拝者が立っている。それぞれが短剣を持っていた。【夢の国(ドリームランド)】にいた奴らと同様、全員緑色のローブ姿でフードは脱いでいる。髪型こそ違うが、全員同じような顔つきに見える。

 既に住処は多くの崇拝者に囲まれていた。まるで見世物を一目見ようと集った野次馬の群れだ。隙をついて逃げ出すことは不可能だろう。


「…………ぜったい渡すもんかっ!」

 俺の横で月山さんは蜂蜜酒をぎゅうと大事そうに抱きしめる。

 ここで仮に手渡しても、身の安全が保障されないことは火を見るよりも明らかだ。

「良い度胸じゃねえか子ネズミちゃんよお?」

 ねちっこい視線が月山さんに突き刺さる。


「大事なお友達の頸動脈が切れる瞬間、そんなに見てえのかあ?」

「あんたらに飲ませる酒なんて一滴もないわ!」

「あんだとぉ?」


 あくまで毅然と振舞う月山さんだったが、一人が前内の胸倉を掴んで刃を首筋寸前まで近づけたことで、牙城が崩れるように涙が一筋零れた。

「血の噴水を見てえらしいな?」

 前内は覚悟を決めたのか、静かに両目を閉じた。


「やめろっ!」

 気づいたら叫んでいた。無我夢中だった。

 泣きじゃくる月山さんを一歩下がらせる。蜂蜜酒を抱く両腕は小動物のように小刻みに震えていた。


「蜂蜜酒は渡す。だからそれをどけろ」

 前内の首筋寸前まで迫っていた刃が、今度はこちらへ向けられる。

「立場がわかってないようだなあ? どけてほしけりゃ、差し出すもん差し出せやあ!」

「さあ月山さん。それを」


 俺の意図を察したらしい彼女はブンブンと首を振る。涙が四散するのも構わずに。


「これがないとっ! うちたち帰れな――」

「同じ命は二度とつくりだせないんだ!」

 きゅっと唇を結んだ後、震える両手で蜂蜜酒を差し出してくれた。底部からやや上の部分を持つ。唯一の現実への帰還切符――だが命の重みに比べたら遥かに軽いではないか。


「よせっ、ダメだニジュ――」

 間髪入れずに男が前内の口を塞ぐ。その蛮行に横の民さんは涙を流しながら頬を膨らませる。狂人かもしれないが、大切な命に違いない。

 一歩踏み出し、蜂蜜酒を差し出す。


「これでいいだろう?」

 前内の口を塞いだ男は別の男に顎で合図を出す。合図を受けた男は短剣をこちらに向けたまま俺の二、三メートル前まで迫り、空いた手を差し出してきた。


「わかっているだろうな?」

 目の前の男から無言のプレッシャーがひしひしと伝わる。握られた短剣は一切ブレず、真っ直ぐこちらに牙を剥いている。


 小細工は通用しないと悟り、そのまま蜂蜜酒を差し出そうとした時だった。

 ――なんだ?

 視界の端で何かが動いたのだ。


 それは細長い物体で、暗黒の空に向かって高々と伸びていき月を貫通した。

 その方角はハリ湖がある方角だった。


  *


「おい! 何が起きている!?」

「わ、わかりません!」

 男たちに明らかな動揺が広がり、瞬く間に集団に伝播した。


 はじめは小さな揺れだった。

 しかしそれは徐々に大きくなる。まるで地の底から何かが這いあがってくるような、不気味な存在が寝返りを打ったような震動だ。


 そこへ、大勢の男女が住処へ走ってきた。全員緑色のローブ姿なので崇拝者だろう。

 ――おいでなさいました、と先頭を走っていた女性崇拝者は言った。五人の男たちを含めた集団から甘美な吐息が次々に漏れる。集団のそこかしこから賞賛の声が上がり、次々と飛び交っていく。


「――ついに、きやがったか」


 幸いにも口が自由になった前内がポツリと漏らす。

「あちゃあ……もう少しオネンネしていればいいのに!」

 民さんはがっくりと肩を落としている。


「さ、さあ! それをよこせえ!」

 目の前の男は酔いしれた表情を引き締め、蜂蜜酒を渡すよう迫ってきた。

 その時、一際強い揺れが襲った。


 揺れにより、一歩後退してしまう。咄嗟に身を引くような動作になってしまった。

 ヤバい、と思ったが既に遅かった。


「そんなに風穴開けてえかあ!」


 どうやら渡すのを拒否したと思われたらしい。

 迫りくる短剣の刃先から身を守ろうと、手にした蜂蜜酒の瓶を盾代わりに突き出した。

 あっと思った時には刃は見事に瓶を砕き、中身がカルコサの大地にぶちまけられた。


 ――やっちまった。

 どんどん染み込んでいく。一滴残らず飲み尽くされるのに一分もかからなかった。


「貴様あ! ハスター様を愚弄するか!」

 不届きな一言を漏らした前内に、今度こそ短剣の刃が迫る。蜂蜜酒も失われた今、どうすることもできない。自分の無力さを呪うばかりだ。


「――たまには僕も肉体労働してみるとするか」

 命の灯が消える寸前にもかかわらず、前内はニヤリと笑った。

 その首が徐々に鱗で覆われ、妖怪のように伸びていく。まるで蛇のように――。


「二人にお願いなんだけど、今の僕を見ないでもらえないかな?」

 黄色がかった瞳が向けられた後、ついに首に切っ先が突き立てられた。しかし固い鱗に阻まれたのか、刃を握った男はさらに力を込めるもそれ以上刺さらない。


 奴の要求通り咄嗟に目を閉じる。

 暗黒の中、喧騒と怒号が縦横無尽に飛び交いはじめた。


「なっ! 貴様蛇人間の末裔か!?」

「殺せっ! ハスター様の御前を汚させるな!」


 大勢の人間が揉みくちゃになる騒音が全身を貫き、思わず地面に向けた目を開ける。

 ぶちまけられた蜂蜜酒は既に見る影もない。瓶を握っていた手は濡れ、仄かにアルコールの匂いが充満している。

「丸瀬くんっ! 手!」


 同じように目を開けた月山さんが、驚いた表情で俺の手を指さす。

 蜂蜜酒は全て地面に飲み尽くされたかと思っていた。


「……ギリギリ全員分あるかな」


 瓶の大半は砕かれたが、瓶の底部がコップ代わりとなり少量残ったのだ。

「飲み足りないかもしれないけどさ」

「仕方ないよ。我慢する」

 頬を膨らませた月山さんはピースサインを浮かべる。空いた手でそれに応える。


「おまたせ。なんだい二人とも、ニヤニヤしちゃってさ」

 ちょうど、前内の肉体労働も終了したようだ。いつの間にか震動も止んでいる。

 拘束していた男五人をはじめ、多くの崇拝者らが倒れている。ローブをはだけさせながら一目散に逃げ去る男女の姿もあった。前内の首を見るも刺された痕跡は見当たらない。


「光生、あんたセンスあるよ。今度紹介状書いてあげるねん」

「生憎、僕は傍観するのが好きなタチですから」

 神話世界の一勢力に加わる気はないようだ。奴らしい返答だった。


「……ゴメン前内くんっ! その……ちょっとだけ見えちゃった」

 正直な月山さんを見習い、俺も頭を下げることにする。

 呆れたように一息ついてから前内は続けた。


「ベテランの先生に頼んで記憶を消してもらおうかな」

「いいじゃない! 可愛いし! 減るもんじゃないでしょ!」

 茶々を入れた民さんを本気で睨み返す前内だった。


  *


 不気味な胎動こそ止んだものの、依然として悍ましい存在の気配が漂っている。

 住処へ繋がる一本道から通りに出ると、多くの集団が虚ろな表情で行進している場面に出くわした。口々にハスターを称える呪詛を零し、トボトボとハリ湖を目指している。


 ハリ湖に広がる光景――片鱗と一度接触した身としては馴染みのものだ。

 血走った視線を暗黒の水面に向ける崇拝者。

 何故その名を叫ぶのかわからないまま、祈りを捧げる集団。


 ハリ湖底から伸びる醜悪な二本の触手――。

 未知なる冷ややかな感触が不意に忍び寄る。ハスターの悍ましい醜腕の感触だ。


「おまたせ。広野先生に連絡したよ。直に迎えを寄越すってさ」

 住処に残っていた前内が合流し、邪なイメージを晴らしてくれた。

 頑なに俺たちの前で蛇人間になることを拒んだ前内は一人住処で連絡を入れたのだ。コンタクトを終え、もう使わないとばかりにブレスレットを民さんに押し付けた。


「ほ・ん・と・う・に、いいの?」

「お・こ・と・わ・り・し・ま・すっ!」


 帰還のための準備を進めることにする。

 民さん含め、僅かに残った蜂蜜酒を回し飲みした。瓶の切り口に注意して喉に流し込むと、食道を通る懐かしい感覚が走る。時空の束縛が解かれた瞬間だ。


「またビヤーキーかな?」

「それがね」と前内。咳払いをしてから月山さんの疑問に答える。「どうも違うらしい」


 その答えは突然、飛来した。


『準備は出来ているかしら? どうも騒がしいわね。前回よりも手荒にいくわよ?』

 カラフルな光を発しながら飛来した生物はビヤーキー以上に奇怪な外見だった。


 通り沿いの空き地に着地したその生物は、一対の蝙蝠を思わせる翼をもっている。しかしそれ以外の外見的特徴は蝙蝠とは似ても似つかない。というより、現実世界の如何なる生物とも相容れていない。


 細長い薄桃色の胴体から昆虫のような四本の細長い脚が伸び、爪先立ちのような格好でカルコサの大地を踏みしめている。前方に向かって一対の腕が伸び、それは先端にいくにつれ甲殻類のカニが持つ大きな鋏形状をとっている。胴体の後方からはトカゲを思わせる長い尻尾が生えていて、時折左右に揺れている。


『紹介するわ――新たな手駒【ユゴスよりのもの】よ。仲良くしてあげてね』


「こいつは……驚いた」

 あの前内ですら息を呑むほどだ。月山さんは声をかけても反応がない。民さんは何故かゲラゲラ笑っている。

「遠いユゴスからほんとご苦労なこったね~」

 民さんが思うのも無理はない。


 ユゴスとは冥王星のことだ。

 神話世界においてこの生物は鉱物資源のためにしばしば地球に飛来し、人類と協力関係を築くこともあれば敵対することもある。高度なテクノロジーを伝授してくれるときもあれば、脳を取り出されユゴスに連れていかれることもあるのだ。


 その見た目から甲殻類と思われがちだが、彼らは正確には菌類に近い生物である。


 その証拠が――彼らの頭にある。

 キノコの形状をした未知なる菌類が群生し、頭を形成しているのだ。

 無数に生えた頭の内、どれが耳でどれが鼻の機能を有しているのか未だに解明されていない。是非知りたいところだが、脳だけになって生きるのも嫌なので控えることにする。


 各々のキノコが蠢く光景はまるで直立したナメクジが体をヒクつかせているようだ。菌類特有のねっとりした香りも相まって、思わず視線を外した。


『切符は持ったわね?』

 広野先生の声がしたとき、無数の頭がピカピカと極彩色な光を発した。飛来したときに見た光で、会話するときにカラフルな光を点滅させるらしい。


 現実への切符の確認を済ませ、各々が【ユゴスよりのもの】に掴まる。

 身長は約百五十センチほどだというが、大きな翼も相まってそれ以上に感じられる。

 ビヤーキーほど乗り心地は良くない。しかし途中で降ろされても困るので我慢だ。特等席である背中に月山さん、開いた爪の間にそれぞれ前内と民さん――俺は尻尾と胴体の境目に座り翼の付け根を吊革代わりにした。


 全員の搭乗を確認し、【ユゴスよりのもの】は静かに浮上を開始した。四人の運搬は重労働らしく、疲れたサラリーマンのようなため息が零れながらの離陸であった。


 しばらく飛行した後、眼下に暗黒の水を湛えた巨大なハリ湖が見えてきた。

 既に多くの人々が逃げ惑っている。

 それらを上空から監視し、音もなく背後から忍び寄り器用に掴み上げる鳥がいた。ハスターの奉仕種族であるビヤーキーである。本来の生態とはいえ、広野先生に使役されていた個体とのあまりに冷酷なギャップに戦慄するばかりだった。捕まった者らを躊躇なく湖に落としている。まるで縦横無尽に動くUFOキャッチャーのようだ。


 湖の中心――そこで蠢く影を見た。

 己の象徴たる二本の触手を水面から伸ばし、捧げられる生贄たちの悲鳴をエサにほくそ笑んでいるのだ。


「二人とも見なよ!」

 爪に掴まった前内の視線を追う。

「どうやら講義中みたいだね!」

 逃げ惑う人々の中で、その男だけは平然と湖を見つめている。


「うそ――あの先生が?」

 その人物を認めた月山さんが絶句する。


 イタクァにクトゥグァ――どちらも三洲華大学の教員だった。それらを束ねる黒幕も同じ大学関係者であることは、もはや当然の解として頭をもたげていた。


 それが今、証明された。

 眼下の湖畔に立つその人物は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だった。


『シートベルトの締め忘れにはご注意を』

 カラフルな光が視界を染める中、こちらに向かって吼える複数のビヤーキーがいた。

 次の瞬間、感じたことのない浮遊感が全身を包んだ。

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