表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三洲華大学クトゥルフ神話探偵部  作者: 向陽日向
第三章 地上の太陽と原初の魔王
50/56

修道院狂奏曲③

 荒れ狂うムーン・ビーストは大きく腕を振り上げ、崩れかかった修道院にトドメの一撃を繰り出す。いよいよ天井からの落石が増え、背後の祭壇は一際大きな落石を受け、無残にも崩壊した。


「今しかないっ! さあ!」

 すぐ横で唖然とする月山さんを立たせ、少年を再び抱き上げる。

 クトゥグァが燃え上がり、プラズマ球体である【炎の精】たちが飛び交う。目と鼻の先を通過するも、その火力は冷気で大きく削がれており熱さをあまり感じなかった。


 落石と地響き、大震動の中、ムーン・ビーストが拵えた大穴から辛くも脱出する。

 修道院周囲一帯は完全に雪が解け、まるで春の訪れを感じさせる風景が広がっていた。


 剥き出しの地面で小さな新芽がいくつか芽吹いている。

 修道院から三十メートルほど離れたところで、腰が砕けて前のめりに倒れた。両腕に抱いた少年の頭を庇うように倒れたお陰で、彼は無傷だった。


「……こんなのいるって聞いてないし! もう! 前内くんのいじわる!」

 ちょこんと女の子座りする月山さんの頬には煤がついている。先程よりかは幾分か表情に生気が漲っていて、胸がすうっとした。


 修道院は既に原形を留めていない。

 ムーン・ビーストの剛力とクトゥグァの炎により、ほんの数十メートル先で石造りの伝説の修道院は雪解けが進む大地にひれ伏そうとしていた。


 一際大きな火柱が上がり、次いで雄叫びが聞こえた。

 両者の喧嘩は佳境を迎えていた。

 鼻と舌の粘液塗れの花を全開に見開き、あらん限りの咆哮をするムーン・ビースト。


「よもやここまでとは。この滾る高揚感、クトゥルフと張り合ったとき以来ぞ!」

 対するクトゥグァは変幻自在の炎を乱舞させ巨体と対峙している。それは大きな魔人のような姿に見えるが、どこか欠落していて不明瞭な形だ。明確に指摘できない形なのだ。


 形がない巨大なクトゥグァの周囲を火球の群れが飛び交い、ムーン・ビーストの鼻や舌に次々と飛び込んでいく。激痛からか、甲高い叫びがこだまする。咲き乱れた無数の花から絶えず粘着質な液体が零れ、首を振ったことで周囲に四散した。


「メザワリ ハスター サルコマンド テリトリー テリトリー ムクイ ウケヨ」

 ムーン・ビーストも黙っていない。

 鋭利な鉤爪をクトゥグァに突き立て、大きく口を開け舌の花を咲かせた。次の瞬間躊躇なく燃え盛る炎に噛みついた。


「おお……おお! おお!」

 乱れ飛ぶ炎の欠片がみるみるうちに凍り付き、雨の如く地面に降り注ぐ。

 地鳴りのような絶叫が全身を貫き、それはレン高原に響き渡る。


 空気が震えている。

 大地が、星が、その行く末を見守っている。

 否、それしか出来ないのだ。


 終焉は唐突に訪れた。


 苦痛に喘ぐ声を漏らしながら、ムーン・ビーストが徐にクトゥグァの上半身に抱きつくように密着したのだ。突然の行動に一番驚いたのはクトゥグァ本人だったようで、引き離そうと炎をさらに大きくした。飛び交う【炎の精】たちも鼻や舌のみならず、ムーン・ビーストの全身に特攻を繰り返した。


「おのれ、我をここまで愚弄した罪、その命をもって――」

 そこでクトゥグァの言葉は途切れた。

 さらに言うと、クトゥグァそのものが消失したのだ。


 同時にムーン・ビーストの姿もなかった。トリックなどない。完全なる消失だった。

 一つだけ気になったことを挙げるとするならば、消失の直前、ムーン・ビーストはその醜悪な鼻先を天に向けたという一点のみ。

 天――自らの故郷である、月に向けて。


  *


 吹き荒れていた吹雪は止んでいた。凪を思わせる静かな風が頬を撫でていく。

 クトゥグァとムーン・ビーストの死闘が突然の幕引きを迎えた後、唖然とする俺たちを尻目に少年だけがはしゃぎ声をあげていた。


 やがて轟音と火柱を目撃した少年と同じ特徴を持った者達が集まってきた。

 少年と同じくらいの子もいれば、大人もいた。

 大人は少年をそのまま大きくしたような外見で、特に腕回りや太ももが太くがっしりしている。体毛はより茶色がかっていて、見上げるような身長の者もいる。ちなみに褌の色は個々でバラバラだった。


「アリガト! ムーン・ビースト。ドレイ。ケンジョウ。ゾウダイ。クルシイ。ナカマ。コロサレタ。アリガト! アリガト!」


 集団の代表と思しき顎髭を生やした長老が頭を下げた。他の者たちも両手を組んでそれに倣う。

 片言の言葉なので若干苦労したが、彼らとムーン・ビーストの関係を知った。


 彼らはレン高原近くにある都市サルコマンドに住む亜人間の種族であり、ムーン・ビーストの奴隷として貢物を強いられ、日々苦しい生活を余儀なくされていたという。


 ムーン・ビーストは大昔月の裏側からこの地に飛来し、サルコマンドを侵略した。

 その後、彼らを奴隷化し食物や物品を貢納するよう迫った。中には月に連れ去られた者もいるという。死体であれ、再会出来た例は数えるほどしかないという。


 彼らの先祖はその圧倒的な力の前にひれ伏す他なかった。

 彼らは黒いガレー船で【夢の国(ドリームランド)】各地に出向いて交易を盛んに行っている。その収益の大半をムーン・ビーストに献上していたのだ。イタクァ事件を追っていたとき、港に停泊していた黒い帆が見えたがあれは彼らの船だったらしい。


 彼らの特徴めいた外見を忌み嫌う都市も多く、交易は決して楽ではないとのことだ。

 少年へ向けられた冷ややかな視線を思い出す。従って外見を誤魔化すため常にコートとカツラが必須とのこと。ちなみにカツラに角が生えている理由は彼らも知らず、起源は不明だという。


「アリガト! アルジ! アルジ!」

 少年はなおもはしゃいでいる。

 恐ろしい主に違いないが、今はまだ格好良い憧れでいいのかもしれない。怪獣アニメの怪獣が好きだった俺には彼の気持ちが少しわかる気がする。世界の仕組みを知るのはその後でいいのだ。


「アリガト! アリガト!」

 宴のような拍手がしばらく鳴っていた。どの者も、柔らかい笑みに包まれている。

 間もなくして少年の両親がやってきて、お礼を言われた。

 しばらく談笑した後、彼らは長老を先頭に都市へと帰っていった。


「ばいばい! 元気でね~!」

 両親と手を繋ぎながら、都市へ帰っていく少年の背中に月山さんが声をかけた。少年は振り返り、大きく相槌をうった。


「いっぱい食って、大きくなるんだぞ!」

 ふと少年が立ち止まり、こちらに駆け戻ってきた。

 何か言いたげな視線を向けたかと思うと、突然股間に巻かれた褌を外して俺に差し出した。赤面する月山さんをよそに少年は続ける。


「アカシ。アカシ。トモダチ。アリガト。オニイチャン」

 次いで、眩いばかりの視線を月山さんに向ける。


「オネエチャン」

「まあ、この子ったら……」

 二人で揉みくちゃにするように顔を撫でてあげた。


「いいお土産ができたわね」

 徐々に小さくなる背中を見つめながら、月山さんは耳にかかった髪を掻き上げる。ふんわりと柔らかい香りが風に乗って鼻腔をくすぐった。

「まずは回し方から覚えないとね」


 緊張を解くように一回咳払いして、さらに深呼吸をした。ひんやりした空気が肺に満ちて、体の芯をクールダウンさせた。


「この前のクッキーの隠し味、さ」

「えっ?」

 不思議そうに首を傾げる月山さん。背景の雪に匹敵するような真っ白な頬が胸を打つ。


 ――君の、向日葵のような笑顔が……。


「ゴメン、やっぱなんでもない」

「ええぇ~。なによ? 気になるじゃない」


 月山さんが両手で持つ蜂蜜酒の褐色瓶が日の光を透過し、白色の中に茶色の陽だまりをつくっている。

 赤面した顔を見られないように、スマホに目を落とした。


  *


夢の国(ドリームランド)】で丸瀬丸雄と月山ひかるが蜂蜜酒を辛くも入手したとき、前内光生は広野春子とコンタクトを取っていた。


『――そう。こちらの準備は出来ているわ。二人が戻ってくるまで通話は続けて――』

「いや……その、無理です。ごめんなさい」


 しかし耐えがたい嫌悪感により、広野の話の途中で通話を終えた。

 蛇人間には縁も所縁もない人間にとって、その力を行使し続けることは耐えがたき苦痛を伴うものなのだ。特に、精神面において。

 深呼吸し、気持ちが落ち着いてきたその時、住処の入口から騒ぎ声が響いた。


「痛っ……!? なによもう! レディに対する教育が必要かしらね!」

 何者かに突き飛ばされた民七海が住処の床にしこたま腰を打ち付ける。やかましい騒音を受け、寝息を立てていた丸瀬とひかるがモゾモゾと動いた。


「レディだあ? オレには薄汚い雌ネズミにしか見えないが――」

 大柄な男たちが土足で住処に上がりこんできた。先頭の一人が、横になる月山を嫌らしい視線で見つめる。


「良いネズミじゃねえか。どうだ? 差し出せば死に方くらい選ばせてやるよ」

 男たちの下品な笑い声がしばらく響いた。

「ひとまずおつかれ。それと、ごめん」


 前内はそう小さく呟いた。

 彼の視線の先でいつの間にか蜂蜜酒を抱いて眠っているひかるは、器用に抱いたまま寝返りを打った。


「妙な真似したら、わかっているだろうな? ああ?」

 短剣を翳した男の一人が、ゆっくりと前内に迫った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ