探偵と美少女
「……以上が、我々が住むこの世界と【夢の国】の違いだと思います」
いつもは少数の三洲華大学クトゥルフ神話研究会だが、長期休み明けの発表会はその様相をがらりと変える。
サークル棟の拠点となる部屋に、立ち見が出るほどの多くのメンバーが詰めかけ、スクリーンに視線を注いでいる。
プロジェクターの光が狭い室内を浮遊する埃を白日の下に曝し、スクリーンに表示された『ご清聴ありがとうございました』の文字を照らしている。壇上に上がった四人のメンバーが深々とお辞儀をする。それに合わせて狭い部屋に拍手が反響する。
今日、九月二十日から新学期が始まった。
昨日までの遊びとバイト三昧の日々が終わり、講義と課題の日々が望んでもいないのに舞い戻ってきたのだ。
登校早々、県内でも上位に入る広さらしい体育館で学長の有難いお言葉に耳を傾けた。少しだけ目を閉じていたつもりが、気づいたら終わっていた。その後、一コマだけ講義を受けた。体育館で少しウトウトしたからか、何とか寝ずに乗り切ることが出来た。
「続いて丸瀬班、お願いします」
司会担当の先輩に名前を呼ばれ、ビクッと上体が震えた。
「さて、僕らのターンだ。ニジュウ」
隣に座った前内光生が膝に乗せた灰色のハンチング帽を両手で弄っている。
サラサラな黒髪は相変わらず長く、銀縁眼鏡のフレームの上にかかっている。本人曰く少し切ったらしいが、まだまだ切る余地はある気がする。白い無地のシャツに珍しく紺のジャケットを羽織っている。ジーパンにスニーカー姿なのは、夏休み前から変わらない。
ちなみにニジュウとは俺のあだ名だ。
名前は丸瀬丸雄――丸が二つ続くので、よくこのあだ名がつけられる。初めて呼ばれたのは確か小学生の頃だろうか。十年近く経つので、愛着すら感じる。
「ささ、二人とも。用意はいい?」
前内の向こう側に座った月山ひかるが発表原稿を持って立ち上がる。ぱっちりした瞳に射抜かれ、一瞬ドキリとする。
翻った際、黒髪ボブヘアが耳の横で小さく揺れた。夏休みまでポニーテールだったが、バッサリ切ったらしい。白ワンピースの裾を優雅になびかせ颯爽と壇上に向かっていく。周囲のメンバーの視線を釘付けにしていることに、果たして気づいているのかどうか。
カバンから資料とデータが入ったUSBメモリを取り出し、前内とともに月山さんに続いた。
*
発表の議題は『夏休み中の調査について』だ。
俺たちが所属するクトゥルフ神話研究会は、文字通りクトゥルフ神話について調査・研究をしている。といっても、普段は好きなエピソードや邪神について語り合い、ボードゲームであるTRPGをプレイしたりするだけの集まりだ。
そんな研究会が唯一真面目に調査に乗り出すのが、夏休みなどの長期休暇中だ。
メンバーで数人のチームを組み調査内容を決め、実際に足を運んで調査してレポートにまとめるのだ。元々前内とは組んでいて、いつものように二人で行動しようとした際、当時の先輩から『華が足りん』と言われ、偶然居合わせた月山さんを誘ったのが始まりだ。
彼女はメンバーからも人気で、こんなむさ苦しいチームに入ってくれるわけないと思っていたが、快く加わってくれたのだ。以来、調査の際はいつもこの二人と組んでいる。
発表会は決まって長期休み明けの初日に開かれる。
メンバーが一堂に会する貴重な機会だ。ちなみにメンバーリストは作成されていないのでメンバー総数は不明だ。もしかすると今日が初日というメンバーもいるかもしれない。
クトゥルフ神話とはアメリカの怪奇小説家ラヴクラフトとその友人たちによって築き上げられた架空の暗黒神話体系である。
全宇宙を支配する【外なる神】をはじめ、太古の地球を支配していた【古のもの】や外宇宙から飛来した【旧支配者】らが織りなす地球の支配権を巡る争いなどが詳細に描かれている。異形の存在についても数多く書かれていて、その悍ましい強烈なビジュアルからホラー映画や小説など多ジャンルに引用されている。
俺たちが訪れたのは大学があるN県内に点在する資料館の数々だ。
神話にまつわる書物や異形の存在などネットでは調べきれない膨大で濃密な情報が展示され、神話に迷い込んだ旅人の気分を存分に味わうことができた。
「ほら、丸瀬くん」
気づくとメンバー一同の視線が注がれていた。プロジェクターの光がスライドの一枚目を照らし続けている。
「あっ、すみません。では丸瀬班、発表を始めます」
言い終えて、司会の先輩がストップウォッチを押す音がやけに大きく反響した。
*
「ふぅ、二人ともおつかれ」
何とか発表を切り抜けることができた。途中、言葉に詰まってしまったが月山さんのフォローのおかげで窮地を凌ぐことができた。
「そんなことないよ。うちもスライド一枚飛ばしちゃったし」
月山さんは恥ずかしそうに口元を隠す。いつもテキパキ発表をこなす彼女には珍しいことだった。そのまま発表が進んでいたらと思うと、何だか可笑しかった。
「月山さんの原稿にはいつも助かっているよ。ニジュウのは日本語が怪しいからね」
こいつ……しかし現代文の単位を取り損なったことを思い出し、ぐうの音も出ない。
「前内くんはいつもアドリブで話しちゃうから少し短めにしたの」
「さすがクトゥルフ美少女だね」
「えっへん! じゃあジュース奢ってもらおうかしら?」
おどけた月山さんに、我が物顔の前内が視線を向ける。
「ニジュウ、宝くじ当たったというのは本当かい?」
「買ってすらねえ」
それでも確かに、発表の後とあって喉が渇いた。そこでジュースを賭けたジャンケンをすることになり、見事に一人負けして財布の中身にも渇きを招く結果となった。
研究会の部屋から続々と人が出てくる。中には見知った顔もいるが、知らない顔のほうが多い。
三洲華大学のサークル棟には運動系・文科系問わず、三階建ての建物に約五十のサークルが居を構えている。ちなみに研究会の部屋は三階の隅っこにある。
今日は午前中で講義は終了なので、昼を過ぎた現在、多くのサークル会員たちが行き交っている。運動着姿もあるので、早速活動に向かうらしい。
サークル棟から外に出ると、日差しが容赦なく喉の渇きを促進させる。九月下旬にしては暑く、上着を脱いでいる学生の姿もちらほらいる。
近くの自販機で水分補給をして、しばらく発表の振り返りをした後、
「じゃあうち、料理サークルの打ち合わせがあるから行くね」
飲み干した空き缶をゴミ箱に入れ、手を振り立ち去る月山さんを見送った。
彼女は他にも読書サークルにも顔を出しているらしい。その行動力には舌を巻くばかりだ。
「どおりで料理うまいわけだね」
特に料理の腕はピカイチで、気の合ったメンツで夜通しTRPGをプレイした時も彼女は夜食を振舞ってくれた。しっかり腕を磨いているのだと感心してしまう。
「またご馳走に預かりたいものだね。じゃあ僕も、図書館行くから」
こっちの返答待たずに前内はスタスタと歩いて行ってしまった。
奴は三洲華大学附属図書館の、いわば虫だ。ひどいときは講義そっちのけで入り浸っているとか。それでいて単位を落としていないのだから不思議で仕方ない。
俺の方はといえば、これといって予定もないので帰宅することにする。
自宅は学校の最寄り駅から電車と徒歩で約三十分の距離にある。進学と同時に実家は出ているので一人暮らし中だ。ちなみに実家は同じN県内だ。前内と月山さんも同じく一人暮らしなので、チームを組んだ直後は慣れない生活について色々話した。
明日から講義地獄が始まるので、最後の晩餐とばかりに寄り道して帰ることにした。




