セレファイス調査②
三ヶ所目は都中央に位置する神殿に通じる大通りを隔てた西、商業地域にあるため一旦大通りに出る。
先程までのジメジメした空気が一転、爽やかな風がコートの襟を揺らした。
通りには多くの人々が行き交い、中には猫人間と会話しながら歩き去る人もいる。遠くの高い煙突からモクモクと黒煙が天に向かって伸びている。地球温暖化についての議論が激しさを増すにつれ、現実世界ではあまり見かけなくなった光景だ。ブラウン管テレビといい、この世界の技術水準は数十年前の地球に酷似しているのかもしれない。
「その筈なんだけど――」
前内の視線が上空の一点を見つめ静止する。
聳え立つ煌びやかな建物を覆い隠すような大きな影が広がっていき、巨大な空飛ぶ船がゆっくりと進んでいた。建物の先端と船の船底を縦に走る竜骨との差は、ここからでは驚くほど狭く見える。
風に靡く帆には奇妙なマークが描かれている。
「星間船の類だろう」と前内。「ガレー船だったかな」
「ガレー船って人力だろう?」
船の側面でオールらしき長い物体が上下にゆっくりと動いている。あれで浮力を得ているのだろうか。都の人々には特段珍しい光景ではないらしく、興味深そうに足を止めているのは俺たちしかいない。
不思議なガレー船を見送り、通りを歩くと都中央に聳える大きな神殿が見える。ギリシャやエジプトなどでみられるような荘厳な外観なのが遠目でもわかる。
是非神殿を間近で拝みたいところだが、仲間の猫はこのまま通過するようにと手招きしている。
そのとき、大通りに沿うように並んだ彫像が視界に入った。
等間隔で何体も飾られているが形はどれも一緒で、イルカのような生物に乗った老人を象っている。老人の左手には大きな槍が握られ、右腕は機械のようなメカニカルなもので覆われている。義手なのかもしれない。
「通り名は【大いなる深淵の大帝】。さて、名前は何でしょう?」
幸いにして名前は把握していた。通り名はメモしておこう。
「【ノーデンス】だな」
「そんな知識豊富なニジュウに質問」
唐突に始まったのは恒例の『前内ドリル』。今のところ正答率ゼロパーセント。
「ノーデンスは銀の腕を持つことからケルト神話との関わりが指摘されたが、これを指摘したイギリスの言語学者は誰でしょう?」
知・る・わ・け・が・な・い。
「正解は――トールキンでした」
「あの指輪物語の?」
連続不正解記録を更新してしまった。
ノーデンスが現実世界よりも【夢の国】で知られた存在なのは知っていたが、ここまで奉られるほどのものとは思わなかった。
前内によると、ノーデンスはこの世界の南方に位置する島に聳える【ングラネク山】に住む、漆黒の蝙蝠のような姿をした【夜鬼】を支配していることから守り神として信仰の対象になったのではないか、とのこと。ちなみにニャルラトテップとは対立関係だ。
ノーデンスは【旧き神】の主神で、旧支配者の仇敵とされている。【旧き神】については【セラエノ断章】にその記述を見ることが出来る。
これは牡牛座を構成する恒星の一つであるセラエノにある大図書館に保管されていた石板を訳したものである。もともと旧支配者らがノーデンスからその秘密を盗んで保管していたものだ。
ノーデンス像に別れを告げ、仲間の猫の案内通り西に向かい、商業地域へ入った。
港が近いとあって、たくさんの魚介類が店頭に並んでいる。店の主人らの景気が良い声が響き、多くの人々が店先で足を止めている。早速購入した魚を一匹咥えて歩き去る猫人間の姿もあった。
現実でも馴染み深い一般的な魚もいれば、鱗から突起が生えたものや鰓が脚のように変化したものなど、とても食用とは思えないものまで幅広く売られている。
「【深きものども】みたいだね」
「さすがに食わないだろ」
【深きものども】は海を住処にしている水棲生物の総称だ。彼らの最年長者である【父なるダゴン】をはじめ、全ての水棲生物の支配者であるクトゥルフを信仰している。ダゴンは上半身が人間、下半身が魚という人魚のような姿だったと考えられている。
彼らは蛇人間同様、人間社会に溶け込んでいるという。その血は子孫に色濃く受け継がれていて、その特徴は【インスマス面】と呼ばれている。歳を経るごとに外見が両生類のようになり、やがては海へと住処を変えるという。
商業地域の西の外れに『← この先 港・高速船乗り場』と看板にあった。このまま西に進むと、港があるらしい。大きな船が停泊しているらしく、城壁の先で風に靡く黒い帆が数枚見える。
「この世界にはセレファイス以外にも多くの都や町があるからね。そことの交易で船が使われているんだよ」
まるでガイドのような口調の前内。
セレファイスを筆頭に、猫の町ウルタールや貿易都市【ダイラス=リーン】などが各地に点在しているという。中には空中に浮かぶ都市もあるとか。
賑やかな店先を離れ、三ヶ所目の現場を訪れる。
五階建てのビルだ。マンションのようで、多くの富裕層が住んでいる。趣向をこらした彫刻が施された外壁からも品の良さが溢れている。
現場はその一室だ。事件後ドアは施錠されているらしいが、フェリスが知り合いに頼んで今日だけ開けてもらったという。今度、魚のプレゼントでもあげるべきだろうか。
内装も豪華なつくりだ。調度品の数々に金があしらわれ、複雑な模様が独特の空間を演出している。一ヶ所目同様、ヒトを象ったテープが部屋の隅に横たわっている。薄型ブラウン管テレビやソファーは無残にも破壊されている。
「被害者は漁を行う会社の男性役員。一人暮らし。婚活中だったみたいだね」
先程の生臭さが蘇る。どうやら彼もハスター以外の存在を崇拝していたらしい。
その証拠は部屋中に溢れていた。
「これは【父なるダゴン】か?」
彫刻はどれも男性の人魚を象っている。長い髭を生やした老人の顔をした人魚が、右腕を顔の前に掲げ祈るようなポーズを取っているように見える。犯人――イタクァの敵意を物語るように、中には頭がもげてしまっているものもある。
「現場に文献……僅かに水滴付着……拭いても湧き出る……これは」
文献が汗をかくとは何とも不気味な記述だ。しかし前内は物怖じせず答える。
「この文献は十中八九、【水神クタアト】だろう。被害者はダゴンをはじめクトゥルフを崇拝していた可能性は高い」
前内によると、【水神クタアト】は水棲生物についての研究が記述された書物だ。ダゴンのみならずクトゥルフについても言及されていて、崇拝者にとっては聖書に等しい代物だろう。周囲の温度が下がると汗をかく書物だという。
「これで三ヶ所巡ったことになるね。見解を聞こうかニジュウ」
「見解もなにもないだろ。被害者は全員、ハスター以外の存在を信仰していた。それが気に食わないイタクァは彼らを殺した。他の信者へ向けての警告も兼ねて」
「なるほど。僕と意見が一致するなんて。星辰正しきときだったりしてね」
「縁起でもねえ」
クトゥルフとハスターが復活して覇権を争い出したら地球終了だ。
「一旦戻ろうか」
手を合わせると、数多のダゴンの悲愴が伝わってきた。
*
「おうオマエら! 早かったじゃねえか!」
隠れ家に戻り、臭いコートを脱ぐ。同行していた仲間の猫たちも前足をブンブン振って鼻をかいている。相当我慢していたらしい。嗅覚が良いだけに相当堪えただろう。
「中々賑わっているだろう? ボクらの故郷ウルタールに比べて住人も多いしな!」
フェリスは徐に前脚を差し出す。招き猫が掌を返したみたいで、シュールな画だ。何のことか聞くと、フェリスは上ずった声で続ける。
「勿体ぶるなよ! どうせ隠してあるんだろう? 魚か? 何なら肉でもいいぞ!」
どうやら早速チップのおねだりらしい。
残念ながらお土産など頭の片隅にも浮かばなかったので、前内と共に首を振る。
「うげっ! マジで観光だけかよ!」
ムキィッと鳴いた拍子に両手の爪を曝け出す。歪曲したそれは普通の猫のものと変わらない。紐を綺麗に切断出来たのもこれのお陰だろう。
観光だけとは心外なので、現場を巡って掴んだ情報を前内が語る。特に最初の現場の被害者がニャルラトテップを崇拝していたらしいことを伝えると、フェリスは爪を引っ込めて沈痛な表情を浮かべる。
「ったく、ますます胸糞悪い犯人だぜ」
二ヶ所目の被害者は逆に嫌っていたとみられるが、これについては特に激昂したりはしなかった。理由を聞いてみると、至って普通の答えが返ってきた。
「オマエらの世界でも信仰の自由はあるだろ? 別にボクはニャルラ様が絶対神だとは思っていないぜ? ただ――」
尻尾を左右に揺らしながら続ける。
「信仰対象が違うってだけで殺すなんて言語道断だ。今回の犯人が許せねえのはそれが他でもないニャルラ様の意思で、仲間を殺された仇ってのもあるけど、何よりボク自身が信仰の自由を重んじているからなんだ」
猫から正論を言われる日が来ようとは思わなかった。これには前内も頷くばかりだ。ニャルラトテップと対立するノーデンス像が大通りを飾っている光景についても同様で「好きにすればいいんじゃないか」と言うだけだった。
犯人は間違いなくイタクァ――ハスター崇拝者だ。現実世界での犯行と合わせて、この世界でも魔の手を伸ばしているのは明らかだ。
「オマエらが観光しているとき、良いものを手に入れたんだ」
フェリスはブラウン管テレビ側面のスロットに細長いチップのようなものを差し込む。机の上のリモコンでスイッチを入れると、画面にリストが表示された。
スペニャリストに頼んで取り寄せた、最近の事件についての情報だという。しかし意味不明の記号だらけで読めない。「あいつ、コピペしただけじゃねえか」と文句を言いながらリモコンを操作してスクロールしていく。まるで録画番組の選定をしているようだ。
結果、直近の被害者でハスター崇拝者はゼロ。失踪者リストに記載がある者は無崇拝またはハスター崇拝者が多いとのことだった。崇拝者を中心に《沈む谷》を配ったのは明らかだ。
「おっ、被害者の死亡推定時刻も書いてあるな」
先程巡った三件の被害者の死亡時刻が書かれている。番号は巡った順に一致する。
①十日前の六時三十分~八時。
②八日前の十二時~十三時三十分。
③二日前の十時三十分~十二時。
「ニジュウ、どう思う?」
画面を見つめたまま呟く前内。眼鏡のフレームがチカチカ明滅している。
これといった規則性はない気がする。
いずれも午前中から午後にかけての時間帯だが――。
「なるほどね。あとは現実とのリンクか……こればっかりはどうしようもないな」
人に振っておいて勝手に頷き始めるクトゥルフ探偵だった。
「まだわからないのかい? 僕ら大学生には馴染み深い――」
その時だった。
ポケットに入れておいたスマホが突然震え出した。
さらに着信音も鳴り出し、混乱するばかりだ。先程マナーモードにしたので音は鳴らない筈なのだ。フェリスら猫軍団は全員がギョッと身構える。
「なんだ? 爆弾か!?」。
説明は後回しにして、前内を見る。
「【夢の国】に友達がいたなんて聞いてないよ」
お手上げとばかりに無邪気に笑う前内に、言い返すことが出来ない。
「うそだろ……?」
恐る恐るスマホの画面を見つめ、表示された文字に胸が一瞬高鳴った。
『着信 月山さん』――なおもスマホは嬉しそうにブルブルと震えている。




