忍び寄る黄衣の王
日付が変わる直前の深夜、その者はとある本を読んでいる。
一見、何の変哲もない本だ。
黄色の表紙には《沈む谷――The Sinking in Valley――》とある。
ページ数は二百ページほどで、全二章からなる小説だ。
表紙にはタイトルの他に、クエスチョンマークを象った奇妙なマークが描かれている。
深夜とあって物音は少なく、十分ほど前に部屋の外で犬の遠吠えが二、三回してからは水を打ったような静寂が漂っている。
ページをめくる手は止まらない。
元々速読が得意な者ではないが、余程ハマったのか次々と活字を追っていく。その凄まじい速度に対応するため、彼の両目はまるで両生類のようにギョロギョロと動く。見開かれた目が酸素を求め充血しているにもかかわらず読み続ける。捲り続ける。
まるで憑りつかれたかのように。
やがて第一章が終わり第二章に突入したが、彼の動きに遜色は見られない。
むしろ加速したようである。
血走った目から涙が零れ乱雑なページ捲りのため紙が破れてもなお、一度巻かれたからくり人形のように、決まった動きを繰り返すのみだ。
――※〇×は偉大なり※〇×は偉大なり
肝心の部分は明瞭に響かず、上手く言葉にならない音だ。
もはや読むというより、ただ捲っているに過ぎない。
※〇×は偉大なり※〇×は偉――。
壊れた念仏が不意に止まったとき、その者の姿はなかった。
部屋に残されたものは、ボロボロに破れた一冊の黄色い本のみ。
その後、彼の行方はようとして知れない。