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見ている保健室の光景に、かなえの体から流れてくる見知らぬ景色が重なってきた。晶紀は目を閉じると、保健室の光景は完全に消え去り、その見知らぬ光景がはっきりと見えてくる。
体育館のような板張りのフロア。四角く空けて、周りを生徒たちが囲んでいる。
足元には、防具を付けたまま床に倒れている人が何人かいる。
倒れている人に、手を差し伸べるものの、その手を腕で退けられてしまう。
神経を研ぎ澄ますと、聞こえてくる声があった。
『長坂先生……』
かなえの声に違いなかったが、いつもと違う聞こえ方だった。晶紀は思った。これはかなえの記憶だ。
『もうあなたに先生と呼ばれる立場じゃない』
『違います。先生はいつまでも私の先生で……』
ナンデ? ワタシガツヨスギルカラ? 思いは晶紀にも感じられた。
数人の生徒が近づいてきて、かなえと長坂先生の間に入ってきて二人の間に距離を作る。
『先生が勝つはずだったのに!』
『なんであんたがそこに立ってるの?』
『バケモノ!』
生徒達は、かなえに罵声を浴びせると、長坂先生の防具を外して先生を連れ、武道場を出て行ってしまった。
バケモノ…… という心の中で繰り返した言葉と同時に、深い悲しみが伝わってきた。
古風な塀で囲まれた大きな屋敷だった。
壁を回って門に立つと表札に『長坂』と書いてある。かなえが長坂先生の家を訪問した? なんのために? 晶紀は考えた。
『どちらさま?』
長坂先生の声ではない。かなえが長坂先生にお話があってきた、というといらっしゃるか見てくると言う。おそらく、お手伝いさんなのだろう。
『先生はお出かけになっています』
繰り返される同じ光景。
雨の日も、朝や夕方に時間を変えて、同じ長坂先生の家を訪ねた記憶。
長坂先生は、かなえと会うことを拒否している。居留守をつかわれているのだ。と晶紀は思った。
それを知っていて、何度も訪問している。いつか会ってくれると信じている。
ある日、同じように長坂先生の家で呼び鈴を押すと、お手伝いさんが言った。
『ストーカーとして訴えますよ。もう二度とこないでください』
かなえが、せめて長坂先生からその言葉を聞きたいというが、お手伝いさんは取り合ってくれない。
『先生!』
かなえは門の外から屋敷へ叫ぶ。
『先生、長坂先生!』
インターフォンから声が聞こえる。
『やめてください。近所迷惑です! 叫ばないでください』
何度も繰り返し先生の名前を連呼していると、パトカーがやってきて、降りてきた警官に止められた。
『こちらのお宅と、ご近所から通報があってね』
かなえは、警官に連れられてパトカーで署に連れていかれた。
最後まで屋敷を目で追っていたが、先生の姿は見えなかった。
パトカーの後部座席から見えなくなる長坂先生の屋敷に向かって言った。
『一言、謝りたかっただけなのに……』
パトカーで警察の取り調べを受けた後、警察から声を掛けられて、警察でも剣道の稽古をするようになった。
警察でもかなえの強さは際立っていた。警察官の間でも、かなえの強さが広まっていくと同時に、真光学園で剣道部をつぶしてしまったうわさも広まっていた。
年の瀬が近づいてきたころ、剣道部の無い真光学園に進学するか、一度真光学園の推薦を断って別の学校に行くか、担任の先生に相談した。
『剣道の推薦を受けるのは、無理じゃないかな』
部活のことなど少しも分かっていなかった担任が、そう言った。
『真光学園の剣道部をつぶした噂、ボクの耳にすら入っているんだ。普通の学校なら君を採らないだろう』
『あ、あの』
『成績的にも、受験は無理だろう。このまま真光学園の推薦で進学する以外選択肢はないよ』
『……』
剣道に、部活に、出来る限りの時間を費やしてきた、かなえの中学生活が思い返された。
かなえは先生から目をそらし、呆然と並んでいる机や椅子を眺めた。
『剣道は、警察やお父さんの道場で続ければ』
高校の部活を前提とした大会はすべて出場できなくなる。
誰も座っていない机や、椅子が並ぶ風景が、涙で歪む。
たまらなくなって、かなえが机に顔を伏せると、先生は立ち上がった。
『すまんな。お願いだからこのまま真光学園の推薦を受けてくれ。これを蹴られてしまうと、次の学年で推薦が出来なくなる』
担任教師が教室を出て行くとかなえは大声を出して泣き始めた。
晶紀の目に入ってくる映像が消え、真っ暗になった。
目を開くと、そこは保健室の風景だったが、少し光が変わっていて、歪んでいた。
手の甲を目に当てると、そこが濡れた。私も泣いているのだ、と晶紀は思った。
「モウ…… ヤメテ」
「かなえ。もう終わったことだよ」
晶紀の涙とかなえの涙が、同じところへ落ちて混じった。
「もう泣かなくていいの」
そう話す晶紀の頬を、さらに涙がつたって落ちた。




