第30話 騎士は血涙の味を知る
アンジェリカとハニがゲストルームで対面していた頃。
応接間では、真の城主ルスヴンが孤軍奮闘の戦いを始めていた。
応接間にいるのはルスヴンとカイニスの他、カミラとその連れ、そしてエヴァの計五名。
カミラ一行は静観の姿勢であり、加勢は期待できない。何故ならば、ルスヴンには協会法違反の容疑がかけられているからである。
愛しの裏城主エヴァは、絶対に味方でいてくれるだろう。
しかし、彼女は罪は罪、愛は愛と分けて考える女だ。ルスヴンが牢獄にぶち込まれたとして、一切抗議せず、刑期が終わるまで悠々自適に待っているに違いない。
さらにいえば、笑顔で背中を蹴ってくるタイプである。
ここにルスヴンの味方はいない。
だから、増やす他なかったのだ。
怒れる騎士カイニスを籠絡──ではなく納得させるべく、ルスヴンがとった策はひどく単純なものであった。
「カイニス君、きみの国はマジでクソだよね!」
カイニスは、捨てられた令嬢を追いかけてきた騎士である。
祖国に対し、思うところの十や二十はあるに違いない。そう考えたのだ。
結果、選ばれたのは悪口。
高みから火に油を注ぐスタイルである。
相手が鎖で簀巻きにされているのをいいことに、ルスヴンは意気揚々と隣国の蛮行を語る。
「きみの国ってば、うちの庭に御令嬢を捨て続けてるんだよ。一度や二度じゃない。百年間に渡り何度も、何度もだ!」
両腕を大きく開きアピールするルスヴンだが、その顔と上半身はいまだに床に張り付いたままだった。
裏城主の許可が下りず、土下座を解除できないためだ。
前日、エヴァの手により慈しまれた口髭を床に擦り付けながら、ルスヴンは続ける。
「アンなんとかさんだって、うちの庭に捨てられていたんだ。それは酷い姿でね!」
「…………」
「ところで、どうしていつも御令嬢をギタギタに痛めつけてから贈ってくるんだろ。きみ達ってぼくのことを残飯処理機か何かだと思ってる?」
「貴様……ふざけているのか?」
気のせいだろうか。
カイニスの顔が赤黒く変色している。
騎士の額に走る血管は山脈のごとく。
なんなら目も充血していて怖い。
小刻みに鎖をかち鳴らすカイニスに、カミラの連れの老女が囁く。
「坊や、我慢しな。殴るにしても、あんたのお姫様についてもう少し事情を聞き出してからにおし」
「おばあちゃん、今、殴るって言った?」
「あんたにババア呼ばわりされる筋合いはないよ」
冷たい。
さすが師匠の連れだ。
打ちひしがれたルスヴンだったが、気を取り直して説得を再開した。
「そんなに怒らないでほしい。むしろ喜ぶべきだよ。アンなんとかさんは助かったんだからさ。まあ一回死んじゃったけど」
「…………」
「だけど、捨てられた御令嬢と忠義の騎士かあ。ぼく、きみ達みたいな負け犬根性のある奴らが大好きなんだ。だって共感できるからね!」
ルスヴンは引きこもりだ。
日々接するのはエヴァと他数名の使用人のみ。社交など数十年は放置してきた。
故に、彼の対人スキルはゴミである。
しかも、百年単位で熟成されたゴミだ。
血涙を流し、口から血の泡を吹いているカイニスを見ても、何故そうなっているかを理解できない。それがルスヴンという男なのだ。
ルスヴンは笑顔で言った。
「ぼくら、仲良くできると思わないかい?」
「────きさまァ!!」
カイニスがのたうち回る。
恐ろしくなったルスヴンはカイニスから視線を逸らし、頼みの綱のエヴァを見上げた。
裏城主、氷の微笑である。
「旦那様。少し黙っておれ」
「ハイ」
速攻で妻に阿るルスヴンだった。
◇
堪えなければ。
生きて、アンジェリカ様をお救いせねば。
カイニスはただそれだけを心に刻み、血を噴き出してまで鬼の非道に耐えていた。
先の荒野で見た暗い菫色の瞳。
気高く凛々しかった主君を絶望の淵に落とした者へ、激しい怒りを覚えずにはいられない。
息を荒げて屈辱に耐える精神は臨界を超え、カイニスはふと我に返る。
悪女エヴァンジェリーヌはともかく、軽薄な鬼の男は先程から不思議なことを言っていた。
カイニスは眉を顰める。
令嬢を捨てるとはどういう意味だ。
“牙の谷”送りとはその名の通り、この地の鬼へ贄を捧げる儀式だ。
儀式には神官が共に出向き、贄の受け渡しを見届けると聞く。
アンジェリカの出立の際も、神職へ下った第二王子が同行し、事の次第を見守っていたはずだ。
だが、考えてみれば。
国から牙の谷まで駆けてきたカイニスは、第二王子一行の姿を一度も見ていない。
引き返していたとしても、すれ違いもしないのは妙ではないか。
見たのは、使用人数名と騎士らの死骸のみ。
「どういうことだ」
カイニスを秘密裏に呼び戻し、この地へ送り出してくれた高貴なる御方。
アンジェリカに手を貸した罪で幽閉されていた彼は言っていた。
『今、全てを明かすことはできない。だが、アンジェリカは──我々は騙されていたんだ』
あの言葉は、ただ冤罪を指していたわけではないのかもしれない。
一連の追放劇のみならず、儀式そのものを疑えという意味だとすれば。
“牙の谷”送りの実態とは、つまり。
「まさか、そんなはずは」
簀巻きのまま深く思考し始めたカイニスの耳がぴくりと動く。
それは騎士としての本能。
忠義のなせる超技能であった。
「アンジェリカ様」
ぼそりと呟いたカイニスの頭上から老女が問いかけてくる。
「どうかしたのかい?」
「アンジェリカ様の声がする」
「あたしにゃ何も聞こえないよ」
「いいや、そんなはずはない!」
カイニスは海老反りになって反論する。
鈴の鳴る音に似た、麗しの声。
騎士にはその声がはっきりと聞こえていた。
しかし、問題はそれが悲鳴であるということだ。
「アンジェリカ様をお助けせねば!」
「ちょっとあんた、急に動くんじゃないよ。どこへ行くつもりだい」
「アンジェリカ様のもとに決まっているだろう!」
老女の尻に敷かれたまま、カイニスは懸命に身体を動かした。
鎧と鎖と老女が重りとなり、不自由な身体はいっこうに進まない。
しかし、それでも諦めるわけにはいかないのだ。
「アンジェリカ様!」
カイニスが這いずって進むたび、遠かったはずのその声が近付く。
それはもう、ものすごい勢いで。
「うん?」
騎士は疑問に頭を捻った。
それも束の間、アンジェリカの声が応接間の前の回廊に響き渡る。
「ぁぁあああ!?」
「アンジェリカ様!? アンジェリカ様!!」
「いやあああぁぁぁ──……!!」
アンジェリカの悲鳴は応接間の前に到達。
そして、通り過ぎていった。
カイニスが呆然としていると、何か擦れるような激しい音が響く。
暫くの後、場違いなほど軽快な足音が鳴り、応接間の前で止まった。
「皆様、アンジェリカ様をお連れしました」
弦楽器のような、甘く嫋やかな声が告げる。
「ごめんなさい。両手が塞がっているので扉を開けてほしいです」
それに呼応して、ソファで茶を啜っていた鬼が腰を上げた。
「もう、ハニったら仕方がない子ね」
軽やかに扉へと向かう鬼の顔には笑み。
まるで、我が子を慈しむような優しい表情だ。
事態についていけず困惑するカイニスの上で、老女が深い溜め息を吐く。
「先に謝っとくよ、騎士の坊や。うちの子がごめんね」
カイニスが反応するより早く、応接間の扉が開く。
現れたのは黒髪に褐色肌のメイド。
そして、口から血を流し失神しているアンジェリカだった。
「捨てられ小娘はまだ寝ているの?」
「いえ、先程まで起きておられたのですが、また気絶してしまわれました」
「あらあら、手のかかる新生ね。さすが、ルスヴンが転化させただけあるわ」
部外者の鬼達が和やかに話す中、カイニスは限界まで目を見開き、ぶるぶると震える。
「貴様ら、よくも! よくもアンジェリカ様を! 殺す! 殺す殺す殺す──!」
喉から血を吐き絶叫するカイニスを咎める者は、誰一人としていなかった。
冤罪追放令嬢の物語を紐解けば、国を蝕む陰謀が露わとなる……王道ですよね。
「これからどうなる?」と思われた方、
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