第13話 リンゴは医者の商売敵
アッシュとハニが地下で共闘を始めた頃のこと。
ベントはハニの捜索を続けていた。
結果は芳しくなく、船内を数周し終えてもハニは見つからない。
仕方なくパーティ会場へと戻ってきたベントを迎えたのは相変わらずの群衆だ。
カミラは頼れない。
飲んだくれているからである。
ついには見知らぬ男に絡みに行ったようで、相手は狼狽した顔で愛想笑いを浮かべていた。
普段ならば介入し止めるところだ。
しかし、珍しいことに相手の男は人間で、この社交界においてはそれなりの古株である。
同族喰いのカミラが人間を喰うはずもなし。
暫く放置していても許されると判断し、ベントは辺りを見回した。
表情の険しさはもはや凶器と化し、人々は通り魔でも目撃したかのように遠ざかっていく。
「うん……?」
だからだろう。
その男が目立っていたのは。
普通の人間であれば、ベントを目視した瞬間に背を向けて逃げる。
しかし、その男は違った。
忙しなく辺りを見回し、パーティ会場を練り歩いているのだ。
額には恰幅の良い体格だけでは説明できないほどの大量の汗。
パーティに相応しくないうらぶれたシャツが背中に張り付いてしまっている。
余程焦っているのだろう。
彼はベントの登場によって開かれた空間に気付かず、ふらふらと迷い込んできた。
小走りで動き回っていたらしく、息が荒い。
そもそもが不摂生で体力がない可能性もある。
人間の、それなりに資産を持っている中年にはありがちな形態だ。
ベントは辺りを見回した。
逃げ遅れた、あるいは鋭い眼光に縫い止められた哀れな給仕からリンゴのジュースを受け取り、踵を返す。
ベントは中年男に近付き、背後から声を掛けた。
「そこの君、そう、貴方だ」
物凄い勢いで振り返った中年男に内心驚きつつ、手にしたグラスを渡す。
「探し物か。少し落ち着いてはどうだ」
「こりゃどうもご親切に──あ、その、ああ」
鼻息で曇ったメガネを拭き、ベントを見上げた瞬間、怪しげな中年男はついに呼吸まで怪しくなった。
「まさか、そんな、ほ、ほんもの!?」
ベントをまじまじと見た後、男は一気に青褪め、口をぽかんと開けて震え出す。
渡したグラスからジュースが溢れるほどの動揺っぷりだ。
「初対面だと思うが、どこかで会ったか?」
「いえ、いえいえいえ! いやね、つかぬことをお伺いしますが、本日はご血族の皆様でこちらに……?」
「ああ、百年ぶりに新生が出たのでな。挨拶がてら、宴を体験させようと参じた」
「ほぎゃあ!?」
謎の悲鳴を上げた男を見下ろし、ベントは鼻をひくつかせた。
中年男は当然のように汗臭かった。
しかし、気になったのはそこではない。
染み付いた生活の匂いだ。
近付くほどに濃くなる、アルコール臭。
血、そして薬の匂い。
怪しい。
いくらなんでも怪しすぎる。
今回の仕事は人身売買の摘発。
鬼と人が手を組んで人間の幼子を拐かし、下衆の輩に売り飛ばしているらしい。
言うまでもなく、薬は誘拐の常套手段だ。
「貴様、少し話を」
ベントが声を抑えて詰め寄れば、同時に中年男も動く。
すわ逃走するかと思いきや、彼は勢いよくその場で膝をつき、上半身を投げ出すかのように頭を下げた。
「すみません!!」
「…………」
「悪気は! 悪気はなかったんです!!」
ベントは黙り込んで男を見下ろす。
彼の薄くなった頭頂部にまで浮かぶ汗をみて、それまで脳内に浮かんでいた推論を取り下げた。
密売組織に携わる人間がこれほど簡単に罪を告白することなどありえない。
呆れるほどに潔い、それは見事な土下座であった。
──と、まあ。
そんなこんなで、ベントと中年男は状況を共有するに至ったわけである。
中年男の名はヤブ。
モグリの医者だという。
協会の賛助会員である彼は、知人の狩人に同行しこの船に乗っていた。
そこであるトラブルが生じ、このパーティ会場にいるはずの協会の重鎮アルエを探していたらしい。
「重くないですかね」
「仕方ないだろう。足並を揃えている場合ではない」
ベントは渋面で応える。
ヤブはやや横に広い体型で、有り体に言って重い。さらにいえば、外見通り運動不足で足が遅かった。
ヤブを置き去りに狩人の客室へ突入しては、非ぬ疑いを招いてしまう。
仕方なく、ベントはヤブを担いで走ることにしたのだ。
「ここです」
肩の上から聞こえるヤブの声に従い、扉の前で立ち止まる。
常ならばともかく、今はノックなどしている場合ではない。
ベントは勢いよく扉を開けた。
簡素な作りの客室には寝台が二台。
人の気配はない。
「あれ? 二人ともどこに行ったんだ?」
肩の上からも困惑の声が降ってきた。
道案内をするというから担いできてやったのに、まさか騙されたのだろうか。
否。
そんなことはどうでもいい。
ベントは部屋の一点をじっと見つめる。
今の今まで使用されていたと物語るベッドの上に、百合を模した髪飾りが落ちていた。
それは血族長が新生へ贈った装飾品。
黒髪に白が映えると褒められ、嬉しそうに何度もガラスの花弁へ触れていた少女の姿を、ベントは覚えている。
ばきり、と。
何かが壊れるような音がした。
「ああ、ドアノブが……」
ヤブが蚊の鳴くような声で嘆く。
手の中でひしゃげたドアノブを見つめ、ベントは低く囁いた。
「どういうことか、説明してもらうぞ」
◇
同行者が監禁紛いのことをやらかし、事態を解決しようと奔走したらば、現場は既にもぬけの殻。
自身の立場が非常に悪いと自覚しているのだろう。
怯え切った様子のヤブは、ベントに椅子を勧め、自ら床に座り込んだ。
流れるような土下座再び、である。
椅子に掛けたベントは足を組み、静かに問う。
「貴様の連れはダグラスから仕事を引き継ぎ、この船に乗った」
「ハイ」
「その後、予定された合流地点にて『我が血族を騙る不逞の輩』と遭遇し、銀の手錠により拘束」
「ハイ」
「情報漏洩による計画の変更を懸念し、同計画の鬼側協力者であるアルエへの接触を検討」
「ハイ」
「正体不明の鬼を放置もできず、同行者の貴様が会場に向かい、貴様の連れと鬼はこの部屋に残った」
「ハイ、仰る通りです」
平身低頭で床にへばりついたヤブを見下ろし、ベントは深い溜め息を落とす。
「────ならば何故、こうなっている!?」
「ハイ、全く分かりません! 面目ない!」
もはや涙声のヤブが答える。
ベントは頭を抱えた。
「すまない。ヤブ、貴様は悪くないのだ。だが、だがァ……!」
「うちの阿呆が申し訳ない。謝って済む問題ではないとは思うが、戻り次第、本人からも正式に謝罪を入れさせる」
頭を擦り潰す勢いで謝罪するヤブに首を振り、ベントは立ち上がる。そしてヤブの手を取り、無理矢理その身体を持ち上げた。
「ひいい!?」
「座れ。貴様に謝られる理由はない」
顔面蒼白の中年男を寝台へと投げ落とし、ベントは再び椅子へ掛ける。
ヤブはといえば、縮こまったままベッドの上で正座をしていた。
「貴様の連れ、アッシュだったか」
「ああ、そうだよ。知っているのか?」
「“不殺”のアッシュだろう。名は聞き及んでいる」
“不殺”のアッシュとは、その二つ名の通り、鬼を殺さず捕える異端の牙狩である。
討伐対象ですら命を奪わず無力化し、尋問や詳細な調査を要求する頑なさがあり、協会には直接属していない。
だが、腕は確かで、時折協会の依頼を受けている有能な狩人だ。
戦績のわりに年若く、だからこそ青い信条を掲げていられるのだなどと揶揄されることもしばしば。
その信条ゆえに早々に命を落とすだろうと予測されていた。
その男がハニを拘束したわけだ。
「よりにもよって、銀の手錠とはな」
「誓って、そちらの血族を傷付けるつもりはなかった。そこは理解してくれないか」
「分かっている。いきなり銀の弾を撃ち込まれなかっただけ幸運だ」
相手が“不殺”だったこと。
ハニ自身の警戒心が薄く、無抵抗だったこと。
これらは不幸中の幸いであったのだろう。
ハニも驚いて泣いたりしたようだが、『良識』を含む鬼の能力が封じられたところで、彼女にはニエの性質が残っている。
そもそも、彼女は心身のコントロールが得意だ。本人曰く『一部壊れている』とは言え、人や鬼とは比べ物にならないほど自己操作に長けている。
訓練中は銀に触れても問題なく動けていた。
彼女にとっての地雷を踏み抜かれでもしない限り、前後不覚になることはまずないはずだ。
そう己に言い聞かせ、ベントは眉間の皺を揉みしだいた。
「とにかく、二人を探さなければな。ヤブよ、不殺殿が向かう先に心当たりはないか?」
ヤブが申し訳なさそうに首を振る。
「全く。あいつも大概無鉄砲だが、そこまで馬鹿じゃあない。作戦が瓦解したと思い込んでいる状態で行動を開始するとは考えにくいな」
「では、別の何かに巻き込まれているのか?」
「いや……どうだろうね。部屋の様子から言って自ら出て行ったとしか思えないし」
確かにヤブの言う通り、客室に争いの痕跡は残されていない。
考えられるのは逃走。
何らかの問題を事前に察知し、事が起きる前に移動したのではないだろうか。
そう推察し、ベントは立ち上がった。
「ここで話していても埒が開かない。ヤブ、貴様は待機しろ。もし二人がこの部屋に戻ってきたら、これでおれに連絡してくれ」
「これは、協会の通信木札かね」
「そうだ」
木札をヤブへと投げ渡す。
ハニのために用意していた予備だ。
この仕事が終わればハニも晴れて一人前。
褒美の意味も込めて彼女へ渡そうとしていたものである。
本来、協会員以外への貸与は厳禁だ。
しかし、この状況では仕方あるまい。
「使い方は簡単、木札に話しかけてメッセージを吹き込むだけだ」
「はあ、便利だねこりゃ。送り先の指定は必要ないのか?」
「側面に文字が記されているだろう。おれの名前に触れてくれればそれでいい」
ヤブが木札を眺めすかして確認する。
「なになに。カミラ、ベント、レイン……?」
ベントやカミラが使用する木札と違い、ハニ用の木札は簡易機能版である。
通信先はたったの三件に制限され、木札のサイズもやや小さい。
初めての木札にもってこいだと、主に幼い子を持つ鬼達から高評価を得ている品だ。
ベントは口早に説明を続けながら、衣服の乱れを整える。
「片面が送信欄、裏面が受信欄だ。おれから連絡する場合もあるだろう。一応メッセージの受信時には木札が振動するが、時々確認してほしい」
「了解だ。もしアッシュ達が戻ってきたら連絡するよ」
ヤブが神妙な顔で頷いたその時、船が大きく揺れた。
時化かと思ったのも束の間、続いて地響きのような音が鳴り、俄かに船内が騒がしくなる。
音の発生源はそう遠くない。
複数人の争う声が聞こえ、子どもの叫び声、さらには銃撃音まで。
次第に激しくなる音に、ヤブとベントは顔を引き攣らせた。




