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第10話 知らない人から飴を貰ってはいけません

 

 ベントは焦っていた。

 

 いない。

 いない。どこにもいない。

 

 廊下まで絨毯の敷き詰められた豪華客船内を練り歩き、目を皿にしてくまなく探しているつもりだというのに、目的の人物達が見つからないのだ。


「どこだ。どこにいる」


 低く呟く偉丈夫の眉間には深い皺が刻まれていた。


 彫刻のように整った体躯に深緑のスーツを着込み、貴族然とした立ち居振る舞いをみせるベントだが、いかんせん顔がまずい。

 あまりの険しさに、すれ違う人々が皆、大回りで避けていくほどである。


 ベントは胸ポケットにしまった木札を取り出す。何かの拍子に状況が変わっていないかなどと、あらぬ望みをかけたのだ。


 無情にも木札には一切の変化なく、数十分前のメッセージが刻まれたまま。


 ベントは頭を抱え、壁に寄りかかった。


「何故、こうなる……!」


 この木札は、協会にて使用される連絡ツールである。とある鬼の能力を転用し、簡易なメッセージのやり取りを可能とする代物だ。


 メッセージの送信者は、本日の仕事を共にするはずだった協会付きの狩人である。


 名はダグラス。

 ダグラスとはそれなりに長い付き合いがあり、ベントは彼のことを信頼できる狩人だと評価していた。


 温厚でありながら、どんな状況であっても臨機応変に行動できる胆力のあるダグラス。

 ちょっとやそっとの変人程度ならば呵呵大笑してまとめ上げてきた、とびきり有能な狩人。


 彼ならばと見込んで、ハニを挨拶の実地訓練に送り出した直後のことだ。

 ダグラスからの連絡が届いたのは。


『嫁出産。俺欠勤。代役非協会員。連絡不可。ほんとうにすまない。娘誕生。ダグラス』


 せめて協会の狩人に引き継いでほしかった。

 ついでに言えば、引き継ぎ相手の名前くらい教えてくれてもいいのではないだろうか。


 ダグラス程の男でも、我が子の誕生には動転するものらしい。


 ひどく青褪めながらも、ベントはなんとかメッセージを送り返した。


『おめでとう。こちらは何とかする』


 かくして、ベントはハニの後を追うことになったわけだ。


 しかし、である。


 彼女は姿を消した。

 狩人との合流地点、パーティ会場、甲板。どこを探しても影も形もない。


 最初は甘く考えていた。

 彼女も目立つ容姿である。道行く人に確認したところ、合流地点までの目撃情報はあったのだ。

 しかし、以降の足取りがとんと辿れない。

 

 船を一周し、パーティ会場に戻ったベントは、乱暴にクラバットを緩める。

 視線を巡らせれば、近くの人々が蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


「おかえり。あの子はまだ見つからないの?」


 ただ一人、悠々と近付いてくるのは亜麻色の髪を揺らす小さな淑女。

 片手にワイングラスを持ち、ご機嫌な様子のカミラだ。

 

「何を悠長に飲んでいる。元はと言えばお前が受けた話だろうが」

「ええ、そうね。アルエから私が受けた話をお前に回して、お前がハニに投げた。違っていて?」

「投げていない。挨拶に向かわせただけだ」


 ぎりりと歯をかち鳴らし、ベントは反論した。


「カミラ、貴様、ハニが心配ではないのか」

「心配だけど、あの子も一応一人で動ける程度には訓練を積ませたじゃない」

「おれがな! お前の教え方が壊滅的なせいで、おれが一から十まで教える羽目になったんだ!」

「お前も楽しそうだったじゃないの。手とり足もぎじっくり教えてくれた、とハニも喜んでいたわよ」


 もいではいない。


 確かにハニが自発的に足をもぎ取った場面はあった。しかし、きつく叱って以降は彼女の無茶も減り、マトモな指導が出来ていたはずだ。


「そんなことはどうでもいい! 今はハニだ。あれを探すぞ!」

「いやよ。お前だけで探しなさい。私は今日ワインに溺れると決めているもの」


 素気無く答え、カミラが鼻をひくりと動かした。


「なんとも瑞々しい香りね。幼子の気配に触れるとこちらまで若返るような気すらするわ」

「そうか、変態趣味も大概にしろよ。そして、仕事をしろ」

「はいはい。必要があれば動くわよ」


 カミラは生返事でパーティ会場の片隅を見つめている。まさか、本当に子どもの香りとやらに惹かれているのだろうか。


 やや引いてしまい、ベントは逃げるようにその場を後にした。



   ◇



 ベントがハニを探し回っていた、その頃。

 アッシュは頬杖をつき、読書に勤しんでいた。


 場所は客室。二名一部屋の個室で手狭、ランクは低いものの居心地はそう悪くない。

 基本の居住空間に寝台が二台、簡素な丸机と椅子が添えられている。


 アッシュは椅子に掛けており、その背中には熱視線が注がれ続けていた。


 色々面倒になり、アッシュは本を閉じる。

 

「狩人様、休憩は終わりですか? お仕事を始めるなら手錠を外してほしいです」


 呼びかける声は寝台の上から聞こえた。

 アッシュは振り返り、目を眇める。


「外すわけあるか」

「そこをなんとか」


 銀の手錠で鬼の能力を封じられた上、シーツで簀巻きにされた少女、渾身の訴えである。


「鬼の能力がなくてもミツ時代に戻るだけですけど、やっぱり不便です。心がざわざわして疲れてしまいます」


 シーツから顔だけ出して話しかけてきた彼女は、出会った当初より随分と落ち着いた様子だ。

 いや、むしろ落ち着きすぎている。


 言っている意味がよく分からないことはともかく、肝が据わりすぎてはなかろうか。


 アッシュは頭をかいて適当に応えた。


「疲れたならそこで寝てろ」

「寝るも何も転がされています」

「暖かくて快適だろうがよ」

「まあまあですね。マットが少し固いかもです」


 簀巻きのまま我が物顔でベッドに転がる少女を眺め、アッシュは口元をひくつかせた。


「お前なァ、今の状況が分かってんのか?」

「仕事中にそれらしき作業もせず引き篭もる──ずばり、サボタージュ中ですね?」

「外れちゃいねェがそこじゃねェ」


 美貌の蓑虫にツッコミを入れる。


 なんと図太い神経だろうか。

 鼻水を垂らして泣いていたくせに、飴玉一つで回復するとは。


「まったく、お前は本当に何なんだよ」


 アッシュは舌打ちをした。

 この能天気な少女のせいで足止めを喰らっているのだ。苛立ちもする。


 現在、協会の賛助会員である同行者がパーティ会場に向かっている。


 作戦の鬼側担当者であるアルエ。

 彼女に接触できれば事態を共有できると踏んで、嫌がる同行者を無理矢理送り出したのだ。

 

 とにかく、今は静観するしかない。

 ただし、少女が妙な真似をしないよう、少し脅しをかけておくべきだ。


 そう判断し、アッシュは少女の転がる寝台へと腰掛けた。

 

「お前は今、おれに拘束されている。鬼の能力が使えない以上、お前はただのか弱い女だ。分かるな?」


 ホルスターから銃を引き抜く。

 動けない少女の目の前で、見せつけるようにゆっくりと弾を込めた。


 そうして、アッシュは少女に銃口を向ける。


「何発で死ぬか、試してみるか?」

「お仕事前の性能チェックですね。構いませんけど、シーツが汚れますよ」


 平然と答えた少女がもぞもぞと身動きする。

 不恰好にのたうった彼女は僅かに前進し、アッシュの銃へとその頭を近付けた。


「なるべく汚さないように頑張ります。気が済んだら止めてください。銃弾の無駄遣いになるので」


 にこりと笑うその顔の、なんと朗らかなことか。


 呆れ果てたアッシュは仕方なく銃口を下げ、ホルスターへと戻す。

 堪えきれず、深いため息が漏れた。


「付き合いきれねェな」

「賢明なご判断です」


 やや上から目線の言葉ながら、簀巻きで言われては腹も立たない。


 アッシュはもう一つの寝台へと身を投げ、大の字で横になる。

 無駄に豪華な照明が眩しく恨めしい。


 ちなみにこちらは同行者のベッドである。しかし、相手も細かいことを気にするような輩ではない。

 構わないだろう。


「狩人様、本当にここでサボっていていいんですか? 協会に怒られないですか?」


 少女がさらに話しかけてきた。

 横になったまま視線を合わせ、アッシュはひらひらと手を振ってみせる。


「協会といえば、だ。お前が本当に協会員で作戦を知ってるなら、おれの名前も聞いてるよな。当ててみろよ」

「はい。ダグラス様ですよね?」

「……大当たりだ」

「やった!」


 少女は嬉しそうに笑った。

 呑気なことだ。


 協会には通信網がある。

 真の協会員であれば、ダグラスが本件を外れたことも知っているはずなのだ。


 アッシュは顔を顰め、彼女に背を向ける。


「なァ、クソガキ。お前のご主人様がどうやって情報を掴んだかは分からねェ。だが、一つ確かなことがある」

「はい、何でしょう」

「そいつはお前を捨て駒にしたんだよ」


 意図の詳細は分からない。

 だが、無垢な少女に嘘を教え込ませて狩人に接触させるなど、悪党の手法以外の何物でもないだろう。


 悔しいことに、相手方の作戦は成功している。

 アッシュは情報漏洩の事実を突き付けられた上、鬼の少女を監視するために動けなくなったのだから。


 アッシュは目を閉じた。


 苛立ちが抑えきれないのだ。

 あるいは、自身が捨てられたと知った少女の反応を見たくなかったのかもしれない。

 何にせよ、的外れな感傷だ。


 暫くして、アッシュの背に少女の呟きが届く。


「何だかよくわかりませんが、捨て駒でも駒は駒ですよね」

「はァ?」


 思わず少女の方へと向き直れば、彼女はそれは幸せそうに目を細めていた。


「お二人のお役に立てたならうれしいです」


 甘く潤む瞳、唇には笑み。

 呟く声にすら喜びが滲むほど。


 何がそれほど嬉しいのか、それを嬉しいと感じることがどれほど虚しいことか、この少女は知らないのだろう。

 そう思い知った瞬間、アッシュの頭に血が上った。


「お前は──」


 声を上擦らせたアッシュを見返し、少女は晴れやかな顔で言う。


「ダグラス様、お仕事に行きませんか? 今なら私、何でも出来そうなんです」

「……だから、拘束は解かねェと何度も言ってるだろうが」

「手錠はこのままでもいいです。シーツは解いてほしいですけど、最悪、担いでもらってもかまいません」

「何でおれがお前を運ぶ前提なんだよ」

 

 アッシュは少女を適当にあしらいつつ、さりげない動作で時計を確認した。


 もうそろそろ、同行者がアルエと接触している頃だろう。

 少し待てば協会の重鎮が動く。

 そうすれば、この少女を保護してもらうこともできるはずだ。


 それまでは、何を言われても動くまい。

 そう考えたアッシュだったが、少女は目を輝かせて続けた。


「ほら、やっぱり聞こえます。助けてほしいと願う声が」

「いきなり何の話だ。宗教か?」


 アッシュが鼻白む間も、少女は耳を澄ませるように目を細めている。


「信仰ではなく願いです。これは子どもですね。二人、多分姉妹かな。誘拐されてこの船に運び込まれている。良かった、ここからそんなに離れてないですよ」

「……はァ? 本当に何の話だよ」

「もちろん、お仕事の話です」


 沈黙が落ちる。


「鬼による人身売買を食い止めるのが、今回のお仕事の目的ですよね?」


 眉を顰めたアッシュを見つめ、鬼の少女が怪訝そうに首を傾げた。


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