第6話 なかったことにされる
目を覚ましたとき、天井は白かった。
消毒液の匂いが、鼻をつく。
「……病院?」
体を起こそうとして、やめた。
頭が重い。
全身が、じんわり痛む。
「起きたか」
低い声がした。
横を見ると、見知らぬ男が椅子に座っていた。
スーツではない。
でも、病院の人間にも見えない。
「誰……ですか」
「関係者だ」
それ以上は名乗らない。
「君、名前は」
「……結城です」
「結城くん。今日のこと、覚えてるか」
「……はい」
建物の前。
歪んだ空気。
白い光。
「あのとき、何が起きたと思う?」
「わかりません。でも――」
言いかけて、止まる。
「俺が、行かなければ」
男は、少しだけ目を細めた。
「そう思う理由は?」
「……なんとなく」
「なんとなく、か」
否定も肯定もされない。
「安心しろ」
男は、淡々と言った。
「事故は“設備の不具合”で処理された」
「……え?」
「君の関与は、ないことになっている」
頭が、追いつかない。
「でも、俺は――」
「誰も、君の話は聞かない」
はっきりと言われた。
「世の中にはな、
“起きたこと”より
“起きたことにしたいこと”が優先される」
言葉が、胸に刺さる。
「怪我は軽い。
数日で学校にも戻れる」
男は立ち上がった。
「一つだけ、忠告だ」
こちらを見下ろす。
「君は、もう普通じゃない」
その言い方が、妙に静かだった。
「今日見たもの。
感じた違和感。
それを、誰にも話すな」
「……なんでですか」
男は、少しだけ考える素振りをした。
「話したところで、守られない」
それが、答えだった。
*
家に戻ったのは、夜だった。
母は、驚くほど落ち着いていた。
「会社から連絡があったよ」
「……なんて?」
「事故に巻き込まれたけど、
あなたに責任はないって」
その言葉が、逆に怖かった。
弟と妹は、何も知らない。
心配そうな顔で、俺を見るだけだ。
「大丈夫?」
「うん」
そう答えた自分の声が、遠く感じた。
部屋に戻り、布団に倒れ込む。
目を閉じると、
あの歪みが、はっきり思い出される。
あれは、幻じゃない。
「……俺、何なんだ」
呟いた声は、誰にも届かない。
そのときだった。
コン、と窓が鳴った。
「?」
カーテンを開ける。
そこにいたのは、昼間の男だった。
いつの間に。
どうやって。
「……不法侵入じゃ」
「細かいことは気にするな」
男は、あっさり言った。
「さっきの忠告、覚えてるか」
「……はい」
「じゃあ、これは独り言だ」
男は、夜の街を見下ろしながら言う。
「君が見たのは、
エネルギーが“暴れた”状態だ」
初めて、核心に触れる言葉。
「制御できない力は、
必ず誰かを傷つける」
「……俺は、誰かを」
「まだだ」
きっぱり言い切られた。
「だが、このままなら、いずれそうなる」
男は、こちらを見た。
「それでも、前に進むか?」
答えは、考えるまでもなかった。
「……進みます」
守らなきゃいけないものが、ある。
家族。
失ったもの。
まだ失いたくないもの。
男は、わずかに口角を上げた。
「なら、覚えておけ」
「力は、守る覚悟があるやつにしか扱えない」
「次に会うときまで、
生き延びろ」
そう言って、男は夜に溶けた。
*
窓の外は、何も変わっていない。
でも、俺は知ってしまった。
世界は、
知らないほうが楽なことを
平気でなかったことにする。
それでも。
目を逸らすつもりはなかった。




