第35話:もう隠せない
本作は毎週水曜・土曜の21時に、2話ずつ更新予定です。
師匠が現場に着いたとき、
すでに空気は落ち着かされていた。
割れたアスファルト。
歪んだ街灯。
人々を遠ざける黒い影。
――手際がいい。
「事故処理班」が動いた後の匂いが、
はっきりと残っている。
師匠は、視線を一巡させてから、
一人の少年に目を留めた。
結城透。
救急車の灯りに照らされて、
立ったまま動けずにいる。
肩は強張り、
拳は、まだ震えていた。
「……」
師匠は、何も言わず近づく。
透は、気配に気づいて顔を上げた。
「……師匠」
声が、掠れている。
「怪我は」
「……ありません」
即答。
でも、それは“体”の話だ。
師匠は、それ以上聞かなかった。
*
少し離れた場所。
相馬恒一は、担架に乗せられていた。
意識は、ある。
だが、目は虚ろだ。
師匠は、その右手を見る。
包帯は裂け、
抑制具は、意味を失っている。
(完全に、越えたな)
一線を。
戻れない側へ。
「……」
師匠は、静かに視線を戻した。
透の方へ。
*
「出したな」
師匠の声は、低い。
透は、何も言えず、
ただ頷いた。
「止められたか」
透は、首を振る。
「……出せたけど、止められませんでした」
その言葉に、
師匠は一瞬だけ、目を伏せた。
「そうか」
責めるでもなく、
慰めるでもなく。
ただの確認。
「守ろうとして、出したんだな」
「……はい」
透の声が、かすかに震える。
「でも……」
言葉が続かない。
師匠は、続きを待った。
「……俺が出した力で、
怖がらせました。
泣いてる人も……」
透は、歯を食いしばる。
「守りたかっただけなのに」
その言葉を聞いて、
師匠は、ゆっくりと息を吐いた。
「だからだ」
透は、顔を上げる。
「だから、もう隠せない」
はっきりとした声だった。
迷いのない、判断。
「今までのは、偶然で済んだ。
間に合った、で誤魔化せた」
師匠は、続ける。
「だが今のは違う。
お前は“出そうとして出した”」
透の胸が、強く鳴る。
「それはもう、
気づいていないふりができる段階じゃない」
*
透は、唇を噛んだ。
「……俺、どうすれば」
師匠は、即答しなかった。
少しだけ、
考える時間を置く。
「選ばせる」
「……え?」
「力を使うか、使わないか。
守るか、逃げるか」
師匠は、透を見る。
「どれも、正解じゃない。
だが――選ばなかった場合の責任は、
誰も取ってくれない」
透の脳裏に、
相馬の顔がよぎる。
――選べなくなる前に。
「……俺は」
声が、震える。
「俺は、まだ……」
「分かっている」
師匠は、遮るように言った。
「だから今は、
“止める”ことを教える」
透は、はっと顔を上げる。
「出すな、じゃない」
師匠は、昨日と同じ言葉を口にする。
「出して、止めろ」
前と同じだった。
でも、意味は違う。
「お前が止められなかったものは、
いずれ、誰かが止めに来る」
その“誰か”が、
どういう存在か。
透は、聞かなくても分かった。
「それが、嫌なら」
師匠は、透の肩に手を置く。
「自分で止められるようになれ」
*
救急車の扉が閉まる音がした。
相馬が、運ばれていく。
師匠は、最後にそれを一瞥する。
「……時間は、もう多くない」
それは、相馬のことか。
透のことか。
あるいは――
もっと別の何かか。
透は、拳を握りしめた。
怖い。
でも。
逃げたくはなかった。
守りたい場所が、
はっきりと、そこにあるから。
師匠は、静かに言った。
「覚悟しろ、透」
「次は、
本当に“選ぶ”ことになる」
夜の空気が、
重く、沈んでいた。




