第30話:戻れない側
本作は毎週水曜・土曜の21時に、2話ずつ更新予定です。
放課後の校舎は、昼間よりも静かだった。
窓から差し込む光はオレンジ色で、
廊下に伸びる影がやけに長い。
透は下駄箱で靴を履き替えながら、
昨日のことを思い出していた。
相馬恒一。
三年生。
軽い口調と、軽くない言葉。
――できない自分に、慣れる。
考えないようにしていたのに、
ふとした拍子に、頭に浮かぶ。
「……気にしすぎだな」
独り言ちて、校舎を出た。
*
少し離れた別の場所。
人気のない古い運動施設の裏手で、
相馬は一人、壁にもたれていた。
スマホの画面は割れている。
通知は来ていない。
それでも、相馬は画面を見つめ続けていた。
「……まだ、かよ」
小さく呟く。
右手を、そっと握る。
その瞬間、空気がわずかに歪んだ。
コンクリートの壁に、
細いヒビが走る。
相馬は、すぐに手を離した。
「っ……」
歯を食いしばる。
――出すつもりじゃなかった。
――触っただけだ。
それでも、力は反応する。
「はは……」
乾いた笑いが漏れた。
「止められねぇって、こういうことか」
以前は、違った。
強く思えば出た。
集中すれば、収まった。
でも今は――
出さないつもりでも、滲む。
相馬は、ポケットから古い包帯を取り出し、
手のひらに巻きつける。
隠すためじゃない。
“抑える”ためだ。
効果があるかどうかなんて、
もう分からない。
*
そのとき。
背後で、靴音がした。
「ここにいたか」
低い声。
相馬は振り返らず、
肩越しに答えた。
「尾行は趣味悪いっすよ」
「確認だ」
黒い服の男が、二人。
距離はあるが、逃げ道はない。
相馬は、ゆっくり立ち上がる。
「今日は、何の用ですか」
「経過観測」
「……まだ“管理対象”って言わないんだ」
男は、感情のない声で答える。
「判断は保留だ」
相馬は笑った。
「優しいですね」
「違う」
一拍置いて、続く。
「まだ、処理するほどではない」
その言葉に、相馬の指がわずかに震えた。
「――はっきり言いますね」
「事実だ」
沈黙。
夕焼けが、三人の影を地面に落とす。
「なあ」
相馬は、空を見上げたまま言った。
「もしさ。
誰かを守ろうとして出た力で、
壊れたものがあったら」
男たちは答えない。
「それでも、事故ですか」
返事はない。
それが、答えだった。
「……そっか」
相馬は、軽く手を振る。
「じゃ、また連絡ください。
生きてたら」
男たちは何も言わず、背を向ける。
足音が遠ざかり、
完全に聞こえなくなった頃。
相馬は、その場にしゃがみ込んだ。
「戻れねぇな……もう」
呟きと同時に、
地面の小石が砕け散る。
今度は、止められなかった。
*
その夜。
透は、家の灯りを見上げて立ち止まる。
いつもと同じ。
守りたい場所。
でも――
相馬の笑顔が、頭をよぎる。
あの人は、
どこに帰るつもりなんだろう。
透は、知らない。
その問いが、
もう自分にも向けられていることを。




