第28話:出せたけど、止められない
本作は毎週水曜・土曜の21時に、2話ずつ更新予定です。
夕食の時間。
透がいない食卓は、思った以上に静かだった。
母は鍋を火にかけながら、何度か時計を見る。
妹と弟は先に箸をつけている。
「兄ちゃん、今日も遅いの?」
「……そうみたいね」
それ以上、母は何も言わなかった。
透が“作れない日が増える”と言った意味を、もう理解している。
それでも、少しだけ――
いつもの席が空いているのが、気になった。
*
コンクリートの床に、足音が響く。
「今日は、出せ」
師匠の声は短かった。
前置きも、説明もない。
透は、中央に立つ。
胸の奥にある感覚は、はっきりと存在していた。
(出すだけなら……)
前回、できなかった。
今回は、できる気がする。
そう思った瞬間だった。
息を吸い、意識を集中させる。
胸の奥に溜まっていた“何か”が、反応した。
――出た。
空気が震える。
音もなく、圧だけが広がった。
「……っ」
成功だ。
透は、そう思った。
だが、次の瞬間。
止まらない。
広がった感覚が、引っ込まない。
むしろ、さらに外へ押し出されていく。
「……あれ?」
制御しようとする。
意識を戻そうとする。
でも、反応しない。
(やめろ……!)
床に、細かな亀裂が走る。
照明が、わずかに揺れた。
「師匠……!」
叫びかけて、透は気づく。
師匠が、動いていない。
止めない。
助けない。
ただ、見ている。
「……止まらない……!」
力は、透の焦りに正直だった。
制御しようとするほど、強く脈打つ。
「……っ、やめろ……!」
ようやく、意識が追いつく。
透は必死に、引き戻す。
出す、ではなく。
終わらせることを考える。
数秒。
それとも、もっと短かったのか。
空気の震えが、ようやく収まった。
透は、その場に膝をつく。
息が荒い。
「……出せたな」
師匠が、そう言った。
責める声でも、褒める声でもない。
「でも、止められなかった」
透は、答えられなかった。
「それが、今日の結果だ」
師匠は近づき、床の亀裂に目を落とす。
「力はな、出せるかどうかより――
終われるかどうかの方が、ずっと重要だ」
透は、拳を握る。
「……俺、ちゃんとやったはずなのに……」
「やったな。だからこそ、だ」
師匠は、透を見る。
「お前は“できた”と思った瞬間、止まる理由を失った」
その言葉が、胸に刺さる。
「守りたい、とかじゃない」
「間に合わせたい、とかでもない」
師匠は、淡々と続ける。
「もっとできると思った」
「それだけで、力は暴れる」
透は、視線を落とした。
怖かったのは、壊れた床じゃない。
自分が止めたいと思えなかった、その一瞬だ。
「……どうすれば」
「覚えるしかない」
師匠は言い切る。
「出して、止める」
「それができるまで、次には進めない」
少し間を置いてから、付け加える。
「今日みたいな失敗は、これから増える」
「……」
「でもな」
師匠は、背を向ける。
「止められなかったのに、
自分が怖くなったなら――
まだ引き返せる」
透は、ゆっくり立ち上がった。
胸の奥の“何か”は、まだ静かにそこにある。
消えもしないし、無くなりもしない。
でも。
(次は……止める)
そう思えたことだけが、今の救いだった。
出口へ向かう師匠の背中を見つめながら、
透は、初めてはっきりと理解していた。
――力は、もう戻らない。
――でも、自分は、まだ選べる。
そう信じたかった。




