第27話 「出せ。出すな、じゃない」
本作は毎週水曜・土曜の21時に、2話ずつ更新予定です。
「母さん」
夕食の準備をしている母の背中に、透は声をかけた。
「これから、しばらく――
夕飯、俺が作れない日が増えると思う」
包丁の音が、止まる。
「部活?」
「……それに近い」
嘘ではない。
でも、真実でもない。
「帰りも遅くなる。
ご飯、作れない日もあるから……無理しないで」
母は振り返り、透の顔をじっと見た。
「体、壊さない?」
「大丈夫」
即答だった。
考えれば、揺らぐと分かっていたから。
母は少しだけ困ったように笑って、鍋の火を弱めた。
「分かった。
じゃあ、私がちゃんとやる」
その言葉に、胸の奥が締めつけられる。
「……ごめん」
「謝らなくていい」
それ以上、理由は聞かれなかった。
聞かれないことが、救いだった。
透はエプロンを外し、リュックを背負う。
玄関で靴を履きながら、台所を一度だけ振り返った。
いつもの灯り。
いつもの匂い。
――守りたい場所。
扉を閉め、夜の空気に身をさらす。
*
コンクリートの床は冷たかった。
天井は低く、灯りは必要最低限しかない。
ここがどこなのか、透は知らない。
ただ一つ分かるのは――
学校でも、街でもないということだ。
「ここなら、見られない」
師匠の声が、壁に反射して返ってくる。
「……誰にも、ですか」
「ああ。少なくとも、今お前を探ってる連中にはな」
透は喉を鳴らした。
徹の顔が、一瞬だけ頭をよぎる。
師匠はそれ以上説明しなかった。
代わりに、床の中央を指差す。
「立て」
透は言われた通り、そこに立つ。
逃げ場のない空間。
音も、風も、外の気配もない。
「……やってみろ」
師匠の声は、変わらない。
けれど、ここに連れてこられた時点で――
もう“前と同じ”ではない。
透は息を吸う。
胸の奥にある感覚。
いつの間にか、ずっとそこにいる“何か”。
(これを……どうすればいい)
今までは、勝手に出ていた。
間に合った。
動けた。
偶然で済ませられる程度に。
でも今は違う。
「出そう」と思った瞬間、
何も起きない。
透の指先が、わずかに震えた。
「……できません」
その言葉に、師匠はすぐ返さなかった。
数秒の沈黙。
重たい、判断の時間。
「できない、じゃない」
師匠は一歩、近づく。
「出してないだけだ」
透は顔を上げる。
「今までのは、無意識だ。
守りたい、間に合わせたい――
そう思った瞬間に、勝手に出ていただけだ」
師匠は、低く続ける。
「だが、これからは違う」
「……どう違うんですか」
「制御が要る」
その一言で、空気が変わった。
制御。
それは、才能の話じゃない。
覚悟の話だ。
「力は、便利なものじゃない」
「使うってことは、責任を持つってことだ」
師匠は、透を見据える。
「お前はもう、
“知らなかった”では戻れない」
透は、何も言えなかった。
胸の奥の“何か”が、
はっきりと、そこにある。
怖くはない。
でも、軽くもない。
「今日はここまでだ」
師匠は背を向ける。
「次は、出せ。
出すな、じゃない」
一瞬、言葉を区切ってから。
「出して、止めろ」
透は、その背中を見つめながら、静かに頷いた。
名前もない。
正体も分からない。
それでも――
ここに連れてこられた時点で、
もう始まってしまったのだと理解していた。




