第65話 「ぼや騒ぎ横丁」
エニシの足元には、アメリカの某大手玩具メーカーの女児向け玩具もかくやと思わせる、虹色の髪をした少女が倒れ伏していた。
体に纏っていた漆黒の鎧は、カサブタが剥がれるように、ポロリポロリとはがれていく。
やがてそれらは風に舞い上がると、空気中で雲散霧消した。
少女の顔は安らかに見えた。鎧の隙間から煙を滑り込ませ、軽い酸欠状態にしたのだ。
しばらくの間、目を覚ますことはあるまい——
「相性が悪かったのお、お前さんよ」
エニシは「よっこらせ」というと、少女の傍らで胡座になり、パンパカーナとグラサン侍の戦闘を見物しはじめた。
「さてと、お手並み拝見といこうかのお」
といい、煙を深く吸い込んだ。
パンパカーナが発砲し、グラサン侍が的確に弾丸を捉え、刀で打ち払う——それを繰り返している。
徐々に距離を詰めるグラサン侍。八発目を発砲した瞬間、
彼は前傾姿勢になり、あたかも地を這う蛇がごとく勢いでパンパカーナの懐に潜り込んだ。
切っ先が心臓に狙を澄ます。しまった。速い——殺される——
パンパカーナはとっさに躱そうと、上体を右斜めに捻った。
しかし、彼女の意思を無視した体は宙へ浮き、さながらワイヤーアクションのように、民家の瓦屋根へふわりと着地した。
グラサン侍は空を斬ると、おもむろに刀を構え直し、眉根を寄せた顔でパンパカーナの方へ向いた。
困惑。
パンパカーナは、なぜ屋根の上にいるのかと疑問に思った。
私は「跳躍しろ」などと自身の体に命令した憶えはない。
それに、あいにく、私はあんな跳躍力は持ち合わせていない。
体を見ると、腰あたりから煙が纏わりついている。
ふと鼻腔をヤニ臭さが刺激したので、まさかと思い、
エニシと鎧の騎士がいるであろう場所へ目をやると、そのまさかだった。
彼の元へ煙の渦が帰っていくところが見えた。
煙で私の体を捉え、運んだのだろう。しかし、エニシめ、すでに彼奴を倒していたのか!
予想以上に強い。パンパカーナはゴクリと唾を飲んだ。
エニシは片手を口元へ当てがい、大きな声でいった。
「お〜い! しっかりせんかいや〜! 死ぬど〜!」
「う......うるさい! 手出しは無用だ!」
「いや、さっきのは危なかったじゃろ......」
エニシの眉がピクリと動き、叫ぶように「避けろ」といった。
パンパカーナはハッとしてグラサン侍のいる方を見やると、今まさに、こちらへ斬りかかってくるところだった。
白刃が瓦を叩く音が響く。左へ転がり、避けた。
不安定な足場の上で、すぐさま体勢を立てなおし、スナイパーライフルを構えた。
標的を丸の中へ収める。人差し指を透明な引き金へかけ——撃つ。
しかし、弾丸は刃によって切り裂かれた。
「止まるな! 手数で勝負しろ!」
エニシが呼びかける。
こちらはスナイパーライフルだ。走りながら当たるものかと、パンパカーナは思った。
「無茶をいうな! きっと、命中しない」
「ほいじゃあ、なんか派手な技ぶちかませや!」
グラサン侍が走る。パンパカーナも走る。
屋根を伝い、時々立ち止まっては撃ち、弾きかえす。
このままではダメだ。いずれ、体力と魂の限界がやってくる。
相手の方が実力は上だろう。奇策でもなければ、現状を打開することはできない。
もしくは——
エニシはパンパカーナに対して違和感を感じていた。
どことなくだが、いまいち実力を出し切れていないというか、
彼女に元々備わっていたものが欠け落ちているというか......。
動きは悪くない。しかし、問題は魂の神器だ。
あれは遠距離及び支援用とみえる。それにしては、戦い方が近距離戦を意識している感じだ。
そしてときたま見せる、左肘を上向きに曲げて、何かを持つような癖——
彼の類稀なる洞察眼は、彼女の本質をたやすく見抜いた。
「おい! パンパカーナ! お前さん、もう一個ないんけ!」
パンパカーナは必死にグラサン侍の猛攻を紙一重で回避している。
汗がなん滴も頬を伝い、息が荒くなってきている。
エニシは腕を組んで顔をしかめ、うんと唸った。
こちらの声に応える余裕すらない、というわけか。
もし仮に奥の手として、もう一つ武器を隠し持っているなら、使い時は今が適当だろう。
しかし、どうも、さっきから使う素振りがない——
あいつ、さてはどっかで失くしやがったな!
なんてこった! もったいない!
あれほど高いポテンシャルを秘めているのに、その力を存分に発揮できていないなんて!
自分が彼女に手を貸してやれば、あんな野郎、ちょちょいのちょいでやっつけられるんだが——
しかし! それでは彼女のためにならない。自力で苦境を突破してこそ、良い経験値が手に入るというもの。
いや待て、このままでは彼女が死んでしまう。
逸材をこんなところで見殺しにしてしまうのは、あまりに惜しい!
それでも殺すか?
否。
それは罪咎だ、愚行だ、心得違いというものだ!
揺れる揺れる、葛藤に次ぐ葛藤。
エニシは拳で膝を叩くと、おもむろに立ち上がろうとした。
そのとき、パンパカーナが彼の方を見ていった。
「手を出すな! これは、私の戦いだ!」
怒号とともに言い放った覚悟の言葉。
エニシは中腰の状態で動きを止めた。彼女とグラサン侍との距離は約三メートルだ。
パンパカーナは腰に付けたポーチに手を突っ込む。何かを取り出し、口へ放り込んだ。
何回か噛むと、ろうそくの火を消すのを大袈裟にするように、思いっきり息を吹いた。
口からは火炎放射器のように炎が噴き出し、その様はドラゴンのブレスを思わせる。
加えて、彼女は銃口を炎の渦中にいるグラサン侍へ向けると、巨大な青い火の玉を撃ち出した。
「灼熱魔弾!!」
大爆発が起こり、周囲にある物を吹き飛ばす。
熱風が肌を撫でつけた。砂埃が竜巻のように舞い、迫ってきたので、腕で目を守った。
おさまると、仰向けに倒れているパンパカーナと、炭と化したグラサン侍が立っていた。
グラサン侍は死んでいた。エニシは「パンパカーナ」と叫ぶと、煙の上に乗り、パンパカーナの元へ駆け寄った。
「おい! パンパカーナ! お、おい、しっかりせえ! 大丈夫か!」
「......エニシ」
黒い煤まみれのパンパカーナは、薄眼でエニシを見て掠れた声でいう。
「おお! 生きとったんか、ワレ! 心配させよってからに、ええ? おい!」
パンパカーナは口許を緩めると、眉をひそめて、
「......エニシ、うるさい」
といって、
徐々に暗くなる視界で大騒ぎしているエニシを見ながら、パンパカーナの意識はあたりで燻る煙のように消散した。




