第64話 「十二単牡丹」
私が大阪の高校から東京の高校へ転校してきたのは、秋色次第に濃くなる九月のことだった。
父の仕事の都合で転勤という、なんともありきたりな理由だった。大阪は長く住んでいたので、ちょっと寂しく思った。
慣れた転入手続きを済ませ、慣れた自己紹介を教壇の横に立って済ませた。
男子は目を輝かせ、あからさまに喜んだ。ガッツポーズをしている人もいた。
女子は違った。その華やかな笑顔に反して、瞳の奥は夜の底をうつしたようだった。何人か、横目でこちらを見ながら、ひそひそと内緒話をしていた。
最初は、私の席の周りに人がよく集まった。
どこ出身? 可愛いね! 顔ちっちゃいね! モデルやってるの? アドレス教えて!
たわいのない話をした。
しかし、月日が経つにつれ、徐々に、彼女たちとの間柄に亀裂が入っていくのを感じた。
はじめは、たいしたことはなかった。
グループの会話のなかで、あれ? いま無視されたかな? とか
トイレに入ったとき、そこで溜まっていた人たちが私を見るや否や、まるで返す波のようにサッと引いて行ったくらいだ。
決定的になったのは、二学年で一番人気があった沢谷俊の好意が、私に向けられていると噂になったことだった。
厄介なことに、この高校におけるカースト制度の頂点に位置する桜木舞子の想い人らしく、それ以来、私の高校生活は悲惨を極めた。
シカトは当たり前。頻繁に私物がなくるようになった。聞こえるように悪口を言う。流言蜚語に悩まされるなど、枚挙にいとまがない。
しかも、それはどんどんエスカレートしていった。
もともと、嫌な予感はしていたのだ。このクラスは絶対に馴染めない。そう思った。
「牡丹さん。あの、何か悩みとか......ない? もしよかったら、聞くよ?」
下校中、私の横を歩く沢谷俊が照れくさそうにしながら、唐突にいった。
「なんで? なんもないよ」
だからあっちへ行け。おまえのその下心丸見えな行為が、余計に私を苦しめることになるのがわからないのか。という機微を漂わせていった。
彼は困った風に笑うと、
「そっか。でも、本当に困っていたら俺に相談してほしい。必ず力になるから」といって、風のように去って行った。
それから、幾日も彼は私にそういっては寂しそうに立ち去っていくを繰り返した。
私はその後ろ姿を見ようともせず、空に泳ぐいわし雲をぼんやりと眺めていた。
どうして私なんだ。もっと、他にもいるだろう。なぜ、私——
たしかに、自分は他者と比べて容姿がいいと自負しているし、実際、何度も告白されたことがある。
よくモテることを知っている。好きになるのは仕方がない。
けど、あなたが私を好きになってほしくなかった。
否。
あなたは私を愛するべきではなかったのだ。
私は前を向き、明日の文化祭の準備のことを憂鬱に想いながら、長い坂道を下った。
明日なんて来てほしくなかった。けれども、明日は必ずやってくる。頼んでもいないのにやってくる。
「じゃあ、多数決でとりま〜す。ちゃんと手をあげてくださ〜い」
黒板に箇条書きで幾つか出し物が書いてある。劇、喫茶店、お化け屋敷、クイズ、迷路、釣り堀などなど。
どれでもよかった。適当にナチス式敬礼よろしく、挙げている手の群れに紛れ込ませればいいやとおもった。
最終的に、一番多かったお化け屋敷になった。しかし、それこそが奴らの罠だった。それに、私はまんまと嵌ったのだ。
全ては仕組まれていたことだった——
結果、私は犯された。暗がりをいいことに、私を何人もの男たちがまるで鳥葬のように集り、服を脱がし、情動のままに貪り喰った。
悲鳴なんてあげなかった。そんなことをすれば舐められる、余計に面白がると思ったからだ。
思うようにはさせない。私は逆らい続けてやる。
私は半裸の状態で立ち上がり、破れたブラウスをセーターとブレザーで隠し、脱がされたスカートを履きなおした。
太ももをなぞると、手に白濁色の液体がべっとりとついた。
「ねえ、絶対何かあったよね?」
沢谷俊が眉をひそめて話しかけてくる。いつもの長い下り坂。
自転車通学の人は、さぞ大変な思いをしているのだろうなと、他人事に感じながら、私は通っている。
谷沢俊は自転車通学だった。最近、電車通学に切り替えたという話を風の噂で聞いたのだ。
「だから、何もあらへんって。沢谷クンの思い違いや」
「だって、俺、聞いたんだ......」
「なにを?」
「......クラスの奴らが、牡丹さんと、あの、その、えと......ヤったって。それに、一人じゃない。五人くらいだ。もちろん、ウソ、だよね?
牡丹さんが、そんなことするわけ、ないよね?」
頼むから嘘だといってくれ。そういいたげな顔で、懇願するように私を見ていった。
そして、そのことが私をさらに憤らせた。こいつはいったい、なにを知りたがっている。
否定してほしいのか? 残念だけど、それは事実だ。
体が憶えている。忘れたくてもわすれられない、あの絡みつく触手のような手、手、手。
恋焦がれる人が、純潔だと思っていた人が、実はとんでもなくビッチだったと知ったら、
この男はどう思うだろうか——軽蔑し、恋慕の情に心を燃やしていた炎がフッと消え、冷たく突き放すに違いない。
見てみたくなった。この男が、どんな反応をするのか......。
私は笑顔の仮面をしっかりと貼り付け、
「それは本当や。その人たちがいっていたのは、紛れもない事実や」
「嘘だ! ありえない!」
「ううん、本当」
「絶対嘘だ! 牡丹さんは、そんなことをする人じゃない!」
彼がいい放った一言。それは、私の逆鱗に触れた。
ダムが決壊するが如く溢れ出す感情の激流。
もう誰にも止められない。落ち着いてくれという彼に構うことなく、私は涙を流しながら、
いままで自分がどれだけ苦しかったか、どれだけ辛かったかを、一滴残さず吐露した。
どれほど時間が経ったかわからない。ただ、とても長い時間だった気がする。
意外なことに、彼はまっすぐな瞳で私を見つめたまま、目をそらすことなく、すべてを聞いてくれた。
真剣で、真直な心で、ずっと、何もいわず——
私が力尽きたとき、彼は私をそっと優しく支えてくれた。そして、抱きしめてくれた。
暖かくて、力強かった。
その日、私は彼と初めてキスを交わした。
仮面はいつの間にか、彼の手によって、取り払われていた。
何日か経つと、私たちの関係に勘づく者たちが現れはじめた。
悪事千里を走る。そのことはすぐさま桜木舞子の耳へ届けられた。
彼女が激昂したことは、いうまでもないだろう。
そして、彼女の恣意的な意趣返しは、とうとう、私の高校生活に終止符を打ち、ついでにこの世界との楔を断ち切るきっかけになった。
いわずもがな、沢谷俊との絆も——
「あなたの願いは何ですか?」
銀髪の不埒な格好をした女性がいった。
そのギリシャ神話に出てくる神殿のような場所で、私は覚醒した。
頭を押さえる。断片的な記憶のピースが寄り集まってくる。
そういえば、たしか、私は教室で......クラスの連中の前で......見知らぬ男に......俊クンが見てて......それで......。
「俊クンは! 俊クンはどこや!」
「俊君? それは、何のことでしょう」
女性は首を傾げていった。
「せや、わかったわ。ここは、夢か」
と私は意図せず、震えた声でいった。
「いいえ。違います。ここはアンダーグラウンド。私はあなたの願いを何でも一つ叶えることができます。
ただし、それには条件があります。異世界に君臨する魔王を倒していただくことです」
と女性は凛とした、透き通るような声でいった。
頭が混乱しそうだ。わけのわからない話しだ。アンダーなんとかやら異世界やら魔王やら、何がなんだか。
私は自室の机にて、血で短冊に呪いの言葉を書いた。それからプツリと意識が途切れたのだ。
ここへ来て、急に沢谷俊に謝りたい衝動に駆られた。彼の眼の前で痴態を晒したことを謝りたい。
まさか、二度も強姦されるとは思わなかった。人垣の奥で犯される私を見る彼の顔はどんなだっただろう。
思い出せない。過去の記憶を反芻しようとすれば、必ず出てくる白痴の巨体。
私は沢谷俊に会いたい。その確固たる信念を胸に抱き、微笑する女性にいった。
「ウチの願いは、ウチと俊クンだけの世界が欲しい。そのためには、なんだってやったる」




