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スコップ1つで異世界征服  作者: 葦元狐雪
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第41話 「白銀」

 水を打ったように静まり返った湖畔で

血にまみれた男に抱かれる女は

飢えた吸血鬼のごとく、

男の肩に顔を埋めていた。


 引き裂かれたピンク色の繊維が彼岸花のように

拡がり、そよ風にたなびく花びらは

今にも千切れて飛び立っていきそうだ。

 どこか遠いところへ旅立つのだろうか。


 気まぐれな気流に弄ばれ、見知らぬ地へ

腰を下ろし、見知らぬ生きとし生けるもの

たちによって足蹴にされ、朽ちた花びらは

見知らぬ大地へ還るのだろうか。


 それとも、こっそりとついてきた種が

花びらから栄養を賜り、新たな命として

大地に芽吹くのだろうか——


「まあ私が惚れたのは、トガさんに内在

している秘めた力に対してなんですけどね」


 女はくすりと笑い、悪戯顔でいう。

 思わせぶりな告白の言い訳じみた種明かしを受けて、

男は眉ひとつ動かさず、まるで分かっていたかのように

端から血の滴っている口許を緩めた。


 男は泣いた。

 欷歔せず、慟哭せず、感泣せず、嗁呼せず、

啼血せず、号泣せず、哀哭せず、流涕せず——

 静かに涕泣した。


 悲しいからではない。また、哀しくもなく、

空虚だった心を充足させたり得る言葉に感涙

したわけでもなく。


 ただ、天女の羽衣に全身全霊を包まれている

ような安息感がそうさせたのだ。

 嬉しかった。豪奢な言葉で気取り着飾る必要はない。

 男はひたすらに嬉しいと感じていた。


「わかってる」


 湧き水の上澄みを掬い上げたように

清々しい声音で男はいう。


「残念と思わないんですか?」


 女はいった。


「ぜんぜん」


「本当ですか?」


「ああ」


「からかい甲斐のない人ですね」


「そうだな」


 赤く染まっていたはずの空は桃色へ。

桃色からクリーム色へ。

 雲や太陽さえ存在しない厖大なキャンバスは

次々と姿を変える。


「覚悟は、できていますか?」


 主の教を説く聖女もかくやという穏やかな声音で問う女。

 その言葉に臆することなく男は答える。


「ああ」


 スコップの柄に手を伸ばし、引き抜く。

 泥と土が先端に薄くこびり着いている。

 それを振り払うことも、拭おうともせず、

男は切っ先を懐に抱いた女の背中に躊躇なく突き立てた。


 痙攣するように体が跳ね、血にまみれた顔が碧の天を仰ぎ見る。

 この世の穢れをかき寄せたように混濁した瞳。

 心を持たざる傀儡は美しい空をみて、なにを思うのだろうか——


「私が初めてでいいんですか?」


 含みのある口調で女はいった。

 男は「ああ」といい、続けて、


「ラルエシミラこそ、覚悟はできているのか」


といった。


「はい」


 男は力を込めてさらに突き刺す。

女の体は再び痙攣し、奥へ進むに連れて

振動は強くなった。

肉をかき分けていくような生々しい感触が伝わり、

その感覚は全身を這いまわる。


 己の弱さを捨てる。泣き言など、二度というものか。

この柔肌に突き立てた魂の神器がその誓いである。

 男は柄を強く握りしめながら、


「ラルエシミラを殺したことは、絶対に忘れないから」


「はい」


女は男の固い拳を両手で優しく包み込んだ。

懇ろに、寄り添うようにして。


「助けたい人がいるんだ。でも、それを阻む者がいる」


「はい」


 湖から水が溢れ出す。

とめどなく、底から無際限に湧き出てくる。

あたりは一瞬にして海になった。

腰まで水に浸かりながら、男はいう。


「俺ひとりじゃ、絶対に勝てない」


「はい」


「だから、俺に力を貸してくれ」


 波が男と女を取り囲むように回りはじめる。

それは筒のようになり、高く伸びあがった。


「いいでしょう、力をお貸しします。その代わり、約束してください」


女は続けて、


「必ず、あなたの望みを叶えてください。それが約束です」


「約束する......絶対に」


男は信念の炎を宿した瞳でそういった。

どんな窮状にあろうと、決して諦めない。

圧倒的な熱意が込められていた。


「相わかりました——戸賀勇希、あなたに、私の全てを差し出しましょう!!」


 スコップを一気に引き抜いた。

 すると、女の体から星の瞬く夜空が噴き出し、

それが海に溶けて交じり合うと、

男と女は夜の中に飲み込まれた。


——————


—————


————


——



 淡い光だ。

橙色の炎が二つ、揺らめいている。

 挟まれるようにして、玉座に長髪の

男が腰かけている。あれは、アロウザール——


「よく帰ってきたの。戸賀勇希」


 青年の姿をしたアロウザールはいう。

 帰ってきた?

 俺はぼやけて見える白銀の糸束を指で触れてみると、

それが自身の髪であることがわかった。

 おかしいな。俺、銀髪だったっけ。


「それと、すまなかった」


 俺は思い出す。ああ、そうか、

俺はアロウザールに激昂したのだったな。


「真にラルエシミラとひとつになるためには、

半端な覚悟で臨んでもらうわけにはいかなかった

のだ。死と隣り合わせの状況と限界を超えた精神状態で

しか成し得なかった、それしか方法はなかったのだ......

許してくれ、戸賀勇希」


 俺はうなだれるアロウザールへ近づくと、


「気にしてなんかいない。俺こそ、

感情的にいろんなこと言ってさ、ごめん。

アロウザールさんは何も悪くねえよ」


「そうか......許してくれるか......」


 アロウザールは眉根を寄せながら、

泣き笑いのような顔をした。


 ふと、俺の手には伸びて剣のようになったスコップが

握られていた。その刀身は白銀に輝いている。

まるで、ラルエシミラが持っていた剣のように。


(あ! トガさん元気そうじゃないですか! よかった)


 突然頭の中でラルエシミラの声がした。

 俺は驚いて、あたりをきょろきょろと見回す。

 ラルエシミラを探すように。


(もう、いったでしょう? 私の全てを差し上げたのです。

トガさんと私は一つになっているんですよ)


 たしかに。髪の色は変わっているし、

目線の高さもだいぶ変わった気がする。

それに、顔とか肌の質感も違うぞ。

すべすべだ。

 俺はラルエシミラとしばし対話した。


 と、アロウザールが咳払いをし、


「戸賀勇希よ、仲間を助けに行くんだろう?

四方山話はことが済んでからでもよかろう」


「ああ、すまん。そうだな、もう行かねえと——」


 俺は出口である暗いトンネルへと駆け出す。

が、途中で足を止めて、アロウザールに

正面を向けると、頭を下げた。


「ありがとうございました。アロウザール師匠」


 アロウザールは肩を小刻みに震わせると、磊落に笑った。


「ガッハッハッハッハッハッハッ!! ああ、行ってこい!

そして全力で立ち向かってゆけ!」


 俺はもう一度頭をさげると、いつの間にか

肩にかかった白いローブを翻し、闇へ駆けた。


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