第26話 「脱出の鍵」
パンパカーナとルトは長い長い廊下を、バケツとホウキを持って歩いている。
背筋をまっすぐ伸ばして、足取りは機敏に、しかし表情は柔らかく。
五歩踏み出す毎に他の使用人や甲冑とすれ違うので、その度に足を止めて挨拶をする。
仕方がなかった。これが就労一年に満たない新人の礼儀であり、しきたりだ。
(いい加減、日が暮れちまうぞ)
ルトが細かく口を動かして言う。
(耐えろ。あと表情が硬い)
パンパカーナに嗜められ、ニコッと笑顔を貼り付けるルト。
横目で見ると不自然なほどの笑顔だったので、脇腹を肘で小突いた。
(やりすぎだ、ばか)
ようやく廊下の突き当たりまでたどり着く。
すると道は二つに分かれており、ここでパンパカーナたちは躊躇なく右の道を選択する。
宮殿の右半分だ。一日で宮殿の全貌を暴くことは不可能だと考え、今日は右半分を調査することにした。
(ルト。この先に階段が見えるけれど、上と下どっち?)
(うーん、下! ここはやっぱ、地下室を目指しに行くべきだろ)
(確証はあるの? たとえあったとして、鍵はどうするんだ。錠前くらいはあると思うぞ)
ルトは近くに誰もいないことを確認すると、スカートの前にあるポケットを叩いてみせた。
チャリンチャリンと金属同士がぶつかる音が聞こえる。まさか——
(へへ、さっきの使用人長から拝借させてもらったのさ。手に職はつけておくもんだ)
前方から使用人二人組みが歩いてきたので、立ち止まり、頭を下げる。
そのままの状態でパンパカーナは口許に笑みを浮かべ、ルトに親指を立てて見せ、
(よくやった、ルト!)
と囁いた。
(もっと褒めてくれていいんだぜ? さあ、使用人長が気づく前にさっさと行こう)
意気揚々と囁くルト。
いざ行かんとすると、甲冑がやってきたので、パンパカーナたちは再び頭を下げた。
宮殿は三階建てで、最上階は玉座の間と女王陛下の執務室など、重要な部屋が用意されている。
二階はパンパカーナたち、使用人の部屋が主である。ルームシェア方式で二人一組や、四人一組など組み合わせは多岐にわたるが、各部屋にはベッドはもちろん娯楽、浴室、キッチンが完備してあるので不便さは感じない。
そして二階から階段を降りて、現在は一階。
ここは医務室や客間がある階だが、鍵がかかった部屋が多く、謎が多い場所である。
とりあえず、近くにあった部屋のドアノブを回してみる。
開かない。次、開かない。隣、開かない。その隣、開かない。
(ちくしょう! 全部閉まってんじゃねえか)
どの部屋にも表札のようなものはなく、開けてみなければ何の部屋なのかわからない仕様だ。
(とりあえず、怪しそうなところから鍵で開けてみよう)
(怪しいって、俺に言わせりゃ開かない部屋の全てが怪しいぜ——それに、鍵が多すぎてどれがどれだかわからない)
そう言ってルトはそっと、ポケットから鍵の束を見せる。
パッと見て、百個くらいはあるのではないかと思った。
使用人長はどのように判断しているのかと、理解する範疇を超えていた。
(仕方ない、夜に出直そう)
ルトは肩をすくませて言う。
「夜! もし見つかったらどうするんだ。今は掃除用ぐを——」
ルトがとっさにパンパカーナの口を塞ぐ。
(バカ、声が大きい。聞こえたらどうするんだ)
(ほへんなさい)
(今晩、使用人長が鍵について何か言うはず。そこでいかにシラを切り通すかが問題だ。できるな?)
パンパカーナは無言で二、三回頷き、肯定の意思表示をした。
(よし、あとは晩飯まで適当に掃除するぞ)
解放されたパンパカーナはぷはっと息を吐き出し、
「大丈夫だ、ルト! これでも私は——」
と誇らしげに言いかけたが、
(声が大きいっての!)
「いたいっ」
ルトにゲンコツを喰らって涙目になっていた。
その様子を何人かの使用人に見られていたが、先輩に楯突いたので叱っていたのだというルトの詭弁によって事なきを得た。
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「何もなかったな」
使用人室のひとつであるパンパカーナとルトの部屋。
そこで風呂上がりのストレッチをしながらルトは言う。
「あ......ああ......晩御飯の......時でも......集会でも......な......」
逆立ちをしながら言うパンパカーナは、血が頭に上ってゆでダコのようになっている。
「たぶんあれだな、自分が鍵をなくしたと思って言うに言えないとかさ。まさか、誰かに取られたとは思うまいよ」
「そ......う......だな......でも......油断は......できな......い」
「まあそうだよなあ、何たって夜の屋敷の様子なんか皆目見当もつかないからな——ってか、何やってんだよ」
ルトは未知のものを見るような目でパンパカーナを見る。
関節を曲げて、抑圧されたバネが解放されるように、パンパカーナは宙で一回転すると、音もなく着地した。
「おお......。意外と運動神経いいよな、パンパカーナって」
「そうだろう? しかし、意外とは何だ、見た目も運動神経抜群に見えるだろうに」
そう主張するパンパカーナはお世辞にも「見える」とはいえず、低い身長にネグリジェ姿の彼女はむしろいいところの「お嬢様」に見えて、お花を愛でているのがお似合いだとルトは口には出さないが、そう思っていた。
「それで、動き出す時間だが、深夜一時でどうだろうか」
現在の時刻は午後十時。
準備をする時間も含めて、ちょうど良い時間であるといえる。
パンパカーナは少しムッとした不満感のある顔をして、
「そうだな。くれぐれも足を引っ張るなよ、ルト」
と言った。
ルトはパンパカーナの背後に忍び寄り、抱きついて赤らんだ頬を指で時計回りに円を描く。
「何だよ、何も言ってないだろ〜? 拗ねんなよぉ〜」
「うるさい、離れろ! 気色悪い、あっちいけ!」
逃げ回るパンパカーナをルトが追い回す。
と、部屋のドアがコンコンとノックされた。
瞬時に動きを止めるパンパカーナたち。ドアの向こうにいる人物の動向を探る。
「ちょっと、よろしいですか。パンパカーナ、ルト」
使用人長だ。
緊張が走る。心臓の鼓動が加速し、まるで耳元に心臓があるかのようだ。
それほどまでに鼓動の音が五月蝿かった。煩わしい、静かにしろ、集中させろ。
「なんでしょうか、使用人長」
ドア越しに、ルトが平静を装って言う。
どうする。どうする? どうする?
鍵はかけてある。しかし、開けろと言われれば拒否はできない。
盗んだことがバレたか? それとも、ドアの前で耳をそばだてていて、先の会話を聞かれていたのか?
「あなたたち、ちょっと——」
ゴクリと生唾を飲む二人。
鼓動はさらに加速する。
手に汗が纏わりつく。
口の中はカラカラになる。
無意識に瞬きの回数を制限している——やめろ、口にするな、あのことを喋るな。
「ドタバタと走り回る音が外まで聞こえてきていますよ。もう遅いのですから、いい加減になさい」
唖然とするパンパカーナたち。
ややあって、ようやく言葉を咀嚼し、飲み込む。
「「は、はい。申し訳ございませんでした」」
違った。
鍵の件とは全く関係なかった。
鼓動は徐々に速度を落としていく。
「では、おやすみなさい」
「「おやすみなさい、使用人長」」
少しして、パンパカーナたちはその場にへたり込んだ。
意図せず溜め込んでいた息を吐き出してやる。
「あー、心臓に悪いぜ、あの使用人長。今日、俺を二度目もドキドキさせやがった」
ルトは手をうちわ代わりにして顔を扇ぐ。そして「恋しちゃいそうだ」と言った。
「勘弁してくれ。そっちの気があるのは女王陛下だけでたくさんだ。もしかして、お前も——」
パンパカーナはピンクの絨毯に溶けるようにして倒れながら言う。
「まさか。俺はこう見えて、筋肉質の男が好みなのさ」
「ああ、イメージにぴったりだね」
「なんだか釈然としない物言いだな——まあいいさ。うまくいけば、明日にはここから出られる」
ルトは立ち上がり、パンパカーナに手を差し伸べる。
「ああ。準備は入念にしておかないとな——絶対、ここから一緒に逃げよう。ルト」
ああ、もちろんさ、と言うルトの手を掴み、パンパカーナは体を起こす。
それぞれの目には、決意の炎が揺らめいているようであった。




