第25話 「囚われのバガボンド」
パンパカーナは瞼をゆっくりと持ち上げると、華々しく彩られた天井としばらく見つめ合った。
自身の肩と胸のあたりを慎重に撫でる。
しかし、予想していた感触とは異なり、違和感なく指は柔肌を滑っていく。
かけ布団をガバッと剥がし、目視で射抜かれたであろう場所を確認する。
何もなかった。
何事もなかったように、跡形もなく、傷は消え失せていた。
それに、服装は純白のネグリジェになっていることに気がつく。
パンパカーナは眉をひそめて考える。
誰が、いったいどうやってここへ連れてきたのか——
——あの女は倒したのか、戸賀勇希は無事なのか、そもそもここはどこなのか......。
と、コンコンとノックの音。
ドアノブがぐるりと回転し、豪奢な扉が静かに開かれる。
そこから顔を覗かせた若い女性はこちらを見ると目を丸くしたと思いきや、すぐににっこりと微笑み、パンパカーナに歩み寄りながら労りの言葉をかける。
「お体に異常はございませんか? どこか、痛みなどは?」
「いや、大丈夫だ。問題無い——あの、ここは」
パンパカーナは恐縮気味に答える。
メイド服のようなものを着た女性は笑顔のまま、
「よかった。ここはシーボ国宮殿・医務室でございます。ちなみに私、レベッカ女王陛下に仕えさせていただいている使用人でございます」
「以後、お見知りおきを」、と言って軽く頭を下げた。
「あ、ああ。よろしく。傷の手当ても、あなたが?」
女性はふるふると頭を左右に振って否定する。
「いえ、あなたはレベッカ女王陛下直々に治療していただいたのですよ」
「そうだったのか、それは名誉なことだ。あとでお礼に参らねばならないな——ところで」
「はい、なんですか?」
「私の着ていた服などはどこにあるのか、知っているだろうか」
「申し訳ございません。随分と汚れていたようですので、まこと勝手ながら処分させていただきました。それに、ここではあのようなモノはふさわしくありませんので」
女性は声色、顔色一つ変えず淡々と一定のリズムで言う。
パンパカーナは少し残念そうな表情になる。
「まあ、私の血でも染み付いていたのだろう。仕方ない。この服はいつか返すから」
女性は笑顔のまま、
「返さなくても結構ですよ」
と、間髪入れずに言った。
思わず言葉に詰まるパンパカーナ。
「で、では——外へ案内してくれないだろうか」
「どうしてですか?」
女性は依然として表情を崩さない。
「なぜって、仲間を外に待たせているのだ。安否も気になる」
「なりません。私用での外出許可は基本的に禁じられています」
「——っ! 待て、それではまるで——」
「はい。あなたは本日付でレベッカ女王陛下の使用人として、ここで半永久的に勤めて頂くことになりました」
「馬鹿な」
コンコンと再びノックする音。
今度は先ほどよりも若い声がした。
「レベッカ女王陛下がおみえになりました」
すると、バラのようなドレスを身に纏った豪奢な女性が現れた。
オレンジ色の髪とパッチリとした大きな目。
それに、他者の目を引くほど大きな胸。
窓から射す光を背に立つその姿は趣があり、神秘的に思える。
「大丈夫かしら?」
レベッカの放った一言。
それはまるで優しく抱かれているかのような安らぎを感じさせ、パンパカーナは不思議な感覚にたじろぐ。
「大丈夫です、女王殿下。あの、わざわざ傷を治していただいてありがとうございました」
ダブルベッドから降り、深々と頭を垂れるパンパカーナ。
最初に入ってきた女性の頬がピクリと痙攣した。
「礼には及ばないわ。顔を上げなさい」
レベッカはツカツカとパンパカーナに歩み寄ると、顎を人差し指に乗せて、
「あなた、やっぱり可愛いわね」
と、恍惚とした表情で言った。
「な......」
パンパカーナはさらにたじろいだ。
背筋に氷が張り付く思いだったが、抵抗することはできなかった。
「フフ。あなたたち、彼女にあれを着せてあげなさい」
「はい、承知いたしました。レベッカ女王陛下」
パンパカーナは力なく、ぺたんと赤いカーペットに膝をつく。
「そうだわ。あなた、名前はなんというのかしら」
去り際、レベッカは流し目で言った。
「ちっ......パンパカーナ・パスティージュ・パンナコッタだ。女王陛下」
レベッカは口許を緩めると、ドレスを翻して去っていった。
「さあ、パンパカーナ。この服に着替えてもらいますよ」
メイド服のようなものが、パンパカーナの前に差し出されていた。
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「相変わらず、この服には慣れん......」
パンパカーナはフリルが装飾されたスカートをヒラヒラと、大げさに広げて見せる。
「まあそう言わんなさんな。可愛いし、似合ってるぜ?」
パンパカーナの隣で手を口許にやり、からかうように言う赤髪の少女。
「冷やかすな」
「おっと、おいでなすったぜ」
白色の巨大な扉が開かれ、二人の使用人を背後に引き連れてレベッカ・トラヴォルジェンテ・イモルタリータが現れた。
中央に敷かれた長い長いレッドカーペットを挟んで、その両端には使用人達がずらりと並んでいる。
言わずもがな、それらはすべて若く、美しい女性であった。
そして、レベッカの姿が完全に現れた時、皆、一斉に腰を折り、頭を垂れる。
悠然とした足取りで玉座に向かうレベッカ。
使用人達、一人一人を慈しむように見ながら歩く。
パンパカーナの前にスラリと伸びた艶かしく、美しい脚がやってくる。
その時だけ、時間の流れがやたらと遅く感じたのは気のせいだっただろうか。
その視線が性的ないやらしさを内包したものでないことを祈るばかりのパンパカーナであった。
ようやく濃密な時間が終わり、玉座に至ったレベッカはゆっくりと腰を掛ける。
それを皮切りに、頭を垂れていた使用人達は統率された、機敏な動作で玉座に正面を向ける。
集団の中で一呼吸遅れていたパンパカーナは、隣でクスリと笑う赤毛の脇腹を肘で小突いた。
レベッカの左脇に立つ眼鏡をした女性が、咳払いを一つする。
ややあって、レベッカが言葉を発する。
「我が愛しき娘達よ、本日も我のため、よく働き、よく尽くしなさい」
使用人達は再び頭を垂れ、
「「「はいっ! レベッカ・トラヴォルジェンテ・イモルタリータ女王陛下!!」」」
と、盛大に言った。
狂気だ。
パンパカーナはそう思った。
聞けば皆ほとんどの者が、自ら志願して女王に従事しているわけではない。
ならば何故、不平不満を言う者がいないのだろうか。脱走をしたという報告すら聞かない、おかしい。
パンパカーナは下唇を血が滲む寸前まで噛み締めた。
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「パンパカーナァ。もう五日目だし、そろそろ慣れたかい?」
赤髪の少女は、壁に体を預けて腕を組んでいる。
「まあそりゃあね。この服も家族みたいなものよ、ルト」
フリルのスカートをヒラヒラと揺らすパンパカーナ。
「はは、家族、ね。家族かぁ......」
遠い目をして天井を仰ぎ見るルト。
パンパカーナはハッとして、
「すまない! 失言だった」
と、言って頭を下げた。
「いや、気にしてないさ。ただ、元気にやってるのかねぇ、と思ってさ」
「ルトも無理やり連れてこられたのだったな」
「この国で盗みなんてしたのが運の尽きさ。あの時は腹が減ってて金もなくてさあ——」
そう話すルトはパンパカーナにとって、ここで知り合った唯一の友人である。彼女はここへ来て二週間と日が浅く、年齢も近いし、気が合うので自然と話すようになった。
旅の途中に屋台街で食べ物を盗んで逃げた途中、レベッカに仕える衛兵に捉えられて連行されたのである。
「そんで今では食い物に困らなくなったけどさ、ちょっと......窮屈だよねぇ」
そう言うとルトは、出窓から景色を覗き込んだ。
様々な形にデザインされた庭木があちらこちらに散らばっている。
噴水にカラフルな小鳥たちが集っているなか、微動だにしない甲冑が不気味であり、ある種の趣を感じさせるようでもあった。
「なあ。パンパカーナはここから出たい、とか思わないの?」
耳打ちをするルト。
「無理よ。誰にも見つからずに脱出するなんて。それに、宮殿内と外は衛兵だらけだ。すぐに捕まってしまう」
それに合わせて、声をひそめて言うパンパカーナ。
と、すぐ近くに使用人長が通りがかったため、とっさに顔を伏せて黙る。
使用人長は彼女たちを一瞥すると、何も言わずに立ち去って行った。
「あっぶなかったぁ! ドキドキしたぜ、ちくしょう」
「ほら、ここは油断も隙もないんだから」
パンパカーナがふーっとため息を吐く。
「せめて、武器がありゃまだマシなんだけどなぁ......」
「そうね......」
ルトとパンパカーナは、目の前にあるバラのような可憐な植物の油絵を見つめる。
静寂がしばし続く。
ややあって、ルトが指をパチンとならして、
「そうだ! 探しに行こうぜ、武器! 俺たちの荷物もどっかにあるかも?」
「うーん、期待はできないな。捨てられている可能性が高い」
魂の神器も。と思うパンパカーナ。
どうせここから出られないのだから、必要のないものだったが。
「いいじゃん、行こうぜ? 荷物が見つからなくても、何かあるかもしれない」
「何かって?」
「地下通路の鍵、とか?」
ルトの瞳が、キラリと光った。




