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内緒の魔王くん  作者: 如月結花
第3話「遊園地の魔王くん」
20/63

3話目・その4

 休憩を挟んだ後、身体に負担のなさそうなアトラクションを選び二つ巡った。

 どちらも待ち時間がそこそこ有った為、この時点でお昼ご飯を食べるのに丁度良い頃合になっていた。

「そろそろお昼にしよっか。」

 茉莉はそう提案し、現在地から一番近い広場へと足を向けた。

 アニマルランドの広場は全て、持ち込みの飲食用スペースを兼ねており、利用客の需要に合わせ、遊園地内各所に数ヶ所点在する。

 3人がやって来たのは、小さな噴水を取り囲むようにして、テーブルやベンチが螺旋らせん状に配置された空間だった。

 丸いテーブル天板の表面には、水辺にむ動物のイラストがプリントされている。一つ一つが違う動物のようで、中には名前の分からないようなマイナーなものも存在する。

 また、噴水の中には石で出来たカモの親子が鎮座している。

 動物なら何でも良いのか、と思ってしまうほど節操無く見えるが、これも慣れてしまえばアニマルランドならではのおもむきと思えるのだから不思議なものだ。

 それらのテーブルの一角に陣取ると、茉莉は鞄から二段重ねの、おせちの重箱を思わせる正方形の箱を取り出した。

 この場にも、彼らの他に、親子やカップルがお弁当を食べる姿が、ちらほらと見受けられる。

 持ち込み自体禁止の遊園地も多い為、茉莉はアニマルランドが持ち込み禁止でないか、及び飲食可能なスペースを予め調べていた。

 しかし、そんな事前の下調べなど微塵も感じさせない様子で、

「お弁当作ってきたから、皆で食べよう。」

 茉莉はにっこりと、目の前の二人に笑いかけた。

「わざわざ作ってきてくれたのか。大変だったであろう?」

「ううん、料理作るのは好きだし、大丈夫だよ。あ、でも、ちょっと量は足りないかも。魔王くんが、リアちゃんも来るって言っといてくれれば、ちゃんと三人分作ったんだけどねー。」

 エルの問いかけに、茉莉は冗談めいた口調で笑った。

「ああ。それについては、我に非があるな。」

 妹は勝手に付いて来ただけなので、エルとしては少々複雑だが、それは今更暴露することでもない。

 それに、茉莉の言い方から、冗談だという事も分かる。

 エルはそのまま大人の対応をしたのだ。

「うそうそ、冗談だよ。足りなかったら買って食べるのも、遊びに来てるって感じがして楽しいもんね。」

 もう間接キスの件は引き摺っていないようで、茉莉は楽しそうに笑う。

 その笑顔に釣られたかのように、

「そうだな。」

 と、エルも微笑を浮かべる。

 2人が楽しげに会話を交わす傍ら、リアの目は只一点に釘付けだった。

 お腹が空いているのもあるだろうが、期待に満ち溢れた目で、弁当箱が開かれる瞬間を、今か今かと待っていた。

 それに気付いた茉莉は、

「リアちゃんが早く食べたそうだね。」

 と、彼女の期待に応えるように、弁当箱の蓋を開ける。

 正方形の箱が開かれると、そこにはお弁当と呼ぶには些か手の込んだ料理が、色彩豊かに並べられていた。

 上の段には、ほうれん草のおひたし、玉子焼き、ちくわの唐揚げ、ミートボール、タコさんウィンナー、れんこんやごぼう、しいたけの煮物、等など。

 下の段はというと、ハムカツ、レタスと玉子、ポテトサラダ、三種のサンドイッチが己が存在を主張する。

『はぁ…美味しそう。』

 リアは箱の中に形作られた景観に、うっとりした。

『茉莉姉ぇ、いただきます!』

 そして、言うが早いか、サンドイッチに手を伸ばし、掴み、口へ運ぶ。

「ま、待って!リアちゃんストップ!!」

 慌てて茉莉は、リアがサンドイッチを握る手を掴んで止めた。

『ご、ごめん茉莉姉ぇ…まだ食べちゃダメだった?』

 何故止められたのか、本人は理解していない。

『リア…お前、もしかして馬鹿なのか?』

 エルも、茉莉が止めた理由に気付いたようで、呆れながら頬杖をつく。

『はぁ!?馬鹿って何さ!馬鹿はそっちでしょ!?』

 気付かないリアは、エルに罵倒される理由が分からないでいる。

 その様子にエルは溜め息を吐くと、

『”それ”ごと食べる気か、お前は?』

 と、妹が気付かなかった問題点を指摘するのだった。

 食べる時に手が汚れないように、という配慮の元、サンドイッチにはサランラップが巻いてあった。

 リアは気付かず、そのまま口に放り込もうとしていた。

『な、なっ…!』

 見落としていたのだ。言葉にならなかった。

 リアの様子から、何とかサランラップごと食べることは回避出来たと安心した茉莉は、

「手が汚れないようにって、ラップに包んでおいたんだけど、最初に説明しなかったボクも悪かったね…ごめんね、リアちゃん。」

 と、落ち着いて謝罪の言葉を述べた。

『意地汚くサランラップまで食べるな。と茉莉も言っておる。』

 しかし、エルは意訳ってレベルではないほど曲解した台詞をリアに告げる。無論、翻訳ミスなどではなく、からかっている。

『ぜ、絶対言ってないし!そもそも茉莉姉ぇはそんな言い方しないんだから!馬鹿兄貴!てきとー言わないでよ馬鹿!!』

 エルの言い方が心無い所為もあるが、大部分は自分だけ気付かなかった恥ずかしさで、リアは捲くし立てた。

「け、喧嘩はダメだよー!」

 茉莉は戸惑いつつも仲裁に入る。

「すまぬな、茉莉。悪ふざけが過ぎたようだ。」

「うん。じゃあちゃんと仲直りしたら、ご飯にしようね。」

「うむ。」

 あっさりとエルは聞き入れた。茉莉はこの兄妹にとっての良いブレーキ役となっているのだった。

『からかって悪かったな、リア。』

『まぁ…謝るんなら許してやってもいいよ。』

 自分だけ怒ってるのも馬鹿みたいだし、と心の中で続ける。

 兄妹の仲直りを見届けると、茉莉は可愛らしい細長のケースを三つ取り出し、その内の二つを、エルとリアに差し出した。

 中には箸が入っていた。

「茉莉…もしかして、本当はリアが来ることを知っておったのか?」

 箸の用意が人数分あるのだから、エルの疑問も尤もだ。

「そんな訳ないよ。落としちゃった時の為にって思って、予備を持ってきておいたんだけど、正解だったね。」

 しかし、考えるまでもなく、言葉が通じないのだから、簡単な意思疎通以外は全てエルを通さなければ知る由もないことだった。

 彼に知られることなく、茉莉がリアを遊びに誘うのは無理がある。

 用意が良いだけか、とエルも納得した。

「それじゃあ、いただきまーす。」

「うむ、いただくぞ。」

『茉莉姉ぇ、いただきます!』

 三人は各々食事前の挨拶を済ますと、茉莉の手作りのお弁当に手を付け始めた。

『ようやく茉莉姉ぇのご飯がちゃんと食べれるよ。』

 リアは心底嬉しそうに口に出した。

 その台詞に、エルには些細な疑問が生じる。

『この間、食べたのではないのか?』

 エルの言う”この間”とは、執事グラゼルがテストと称して茉莉に料理を作らせた時のことである。

 リアもグラゼルに加担し、エルを二人から遠ざける役を担っていたが、今更それを責める気はない。

 尤も、当のリアは一切悪いとは思っていない様子だが。

『あの時はさぁ、グラゼルから嫌がらせされてて、味わうどころじゃなかったし…。』

 怒りの捌け口を向けるが如く、玉子焼きを箸で突き刺しながら、リアは口を尖らせる。

『グラゼルが嫌がらせなどするか?まぁ、嫌味くらいなら人間界に来てからは、しょっちゅう言っておるが。』

 不審そうにエルは言う。

 リアは話を聞きながら玉子焼きを口に放り込み、

『あ、美味しい。』

 と、次の瞬間には至福の表情を浮かべていた。

『おい、聞いておるのか?』

『………ん、聞いてるよ。』

 別に無視した訳ではない。

 余りに美味しかったものだから、つい口から漏れてしまっただけだ。

 口の中の物を飲み込むと、リアは面白くなさそうに続けた。

『だって変な透明のがかかってたんだよ?剥がせないからって破ったら口に入るし、保温されてるかと思ったら冷めてるしで、嫌がらせとしか思えないじゃん。』

『変な透明?もしかして、サンドイッチにも巻いてある、それのことか?』

『…あぁ、これだよこれ。あーもー、見たら苛ついてきた!』

 思い出してよっぽど頭にきたのか、リアはサランラップを力任せに引き千切ろうとする。

 その暴挙を見て、茉莉はすぐに止めに入った。

「だ、ダメだよリアちゃん。ちゃんと剥がさないと…。」

 茉莉に止められたのではリアとしても逆らい難いようで、大人しく、剥がす方向性に切り替える。

『少しは学習をしろ。というか、思い出したが、グラゼルもリアが一度残した物を食べるとは思わなかったと言っておったぞ。』

 エルはその時グラゼルが頭を抱えていた姿を思い出し、呆れ顔のまま指摘する。

『何よ、そんなの私の勝手じゃん。』

 リアは何度か大雑把に指で引っ張るのだが、中々思うように剥がれてくれず、苛々をぶつけるように、きつい口調でエルに当たる。

『まぁそうなのだがな。…仕方がない、貸してみろ。』

 サンドイッチをリアから取り上げると、エルは繋ぎ目から綺麗にサランラップを開いてみせる。

『…何でそんな簡単そうに…。』

 理不尽な憤りは、当然エルに向けられる。

『知識の差であろう。』

 綺麗に開かれたものをリアに返し、エルは勝ち誇ったように笑った。

『へぇー、じゃあその知識とやらを披露して貰おうじゃん。このサランラップってのをグラゼルが付けた理由を説明してよ。』

 兄の態度にいらっとしたリアは、睨みつけながら挑発的な台詞を吐く。

『そ、それは…恐らく、付けなければならない理由があったからなのであろうな?』

 半年に渡り人間界のことを勉強したと言っても、かなり偏った知識である。

 エルにサランラップに対する細かな見識など、あるはずもなく、視線を泳がせながら誤魔化していた。

『目ぇ逸らした!兄貴も分かってないんじゃん!茉莉姉ぇー!』

「どうしたの、リアちゃん?また魔王くんに虐められちゃった?」

「茉莉、人聞きの悪いことを言うでない…!」

 リアは喚き、茉莉は首を傾げ、エルは頭を抱える。

『この透明のくしゃくしゃが何の為にあるのか兄貴も知らない癖に、私のこと馬鹿にしたんだよ!』

「サランラップが何の為にあるのかを、リアに説明して貰えぬか?我も上手く説明出来なくてな。」

 都合の悪い部分は、こうして訳さない時もあったりする。

 言えば茉莉も不機嫌になるだろうから、それは避けたいという一心なのだ。

「う、うん。それは良いけど、食べ終わってからにしない?」

 エルは頷き、茉莉はサンドイッチを口に運ぶ。

 それからエルは、そのことをリアにも伝え、三人は昼食を再開した。

 お弁当の量は、三人分と言っても差し支えない程あったが、それでも二人分として作っていた為に、サイズの大きいおかずやサンドイッチは偶数しか入っていなかったりと、たまにエルとリアで取り合いに発展することもあった。

 そうして、仲良く…とは言えないまでも、悪い雰囲気ではなく、茉莉の作ったお弁当は瞬く間に消えて無くなった。

「割とお腹いっぱいになっちゃったね…。」

 はりきって作ってきたものだから、色々詰め込みすぎてしまっていた。

 二人だったら食べ切れなかったかもしれないので、茉莉は作り過ぎたことを反省した。

「そうか?我はまだ食べられるが。」

「そ、そうなんだ…。」

 茉莉やリアより多く食べていたはずのエルが、まだ食べれると言っているのだ。もしかして、魔王くんは大食いなのかな…と茉莉は思う。

 自分が小食だという発想は、何故か出てこない。

「それで…サランラップ?」

「ああ、うむ。」

 中身が綺麗に無くなった弁当箱を鞄に押し込みながら、茉莉はエルに問いかけた。

 売り言葉に買い言葉であった為、食べ終わる頃には本人達は忘れ去っていたくらいだが、茉莉は至極丁寧に説明を始める。

「えー…コホン。ではまず、サランラップは人間にとって、なくてはならない存在で───」

 という、大げさな言い回しから始まるのであった。

 長時間放置しなければならない時は、空気中の不純物が入って劣化しない為に、密封する蓋の代わりにする。

 電子レンジで食べ物を温めるときは、サランラップを使わないと表面が乾燥してしまう為、使用するのは当たり前。

 お弁当のおかずなども、予め作ってラップした後に保存しておくことで、朝の調理時間が短縮出来る。

 おにぎり作るときにサランラップ使えば、握る時に手が汚れないし、そのまま持っていけば食べる時にも汚れない。

 等など、事細かにサランラップの利便性を説いた。

「…と、まぁそんな感じかな。」

 ようやく話が終わると、やりきった、という風に素敵な笑顔を見せる茉莉なのだった。

「奥が深いのだな…サランラップというものは。」

「それほどでもないけどね。」

 聞き終わったエルが神妙な顔をしているのを見て、茉莉は苦笑を漏らす。

 リアは今の話から、グラゼルが嫌がらせでサランラップをつけてた訳じゃなかったんだ、と理解することが出来た。

 知りたかったことが知れて満足すると、

『すっきりしたら、また遊びたくなってきちゃった。』

 と、再び遊びたい気持ちが湧き上がるのだった。

『そうだな。遊ぶとするか。』

「うん、じゃあ今度は何に乗ろっか?」

 二人も賛同し、次はどこへ向かおうかと相談しながら広場を離れるのだった。

 その道中のこと、リアは異色な建物を発見し、声を上げた。

『ねぇ、あの建物なに?』

「えーと…。」

 と、茉莉はパンフレットで、リアが指し示した建物が何であるかを確認する。

 書かれていた内容に不安を覚え、答えを告げるか少し迷うのたが、

「………温水プール…かな…。」

 嘘をついてもバレるだろうと思い、普通に答えることにした。

 行きたいって言い出しませんように…とは心の中で祈る。

『プール?って何?』

『泳いだり出来る施設だな。』

 それにはエルが答えると、リアは一瞬目を見開き、興味を示す。

『行きたい!』

 無情。茉莉の祈りは天に届かなかった。

「リアがプールに行きたいと…───」

「無理!」

 エルが言い終わる前に、言葉を遮って、茉莉は反射的に叫んでしまう。

「ん?な、何かあるのか?」

 突然の激しい拒絶により、気圧される形でだが、エルは質問を返す。

「え…あ、その…水着ないから無理だよ…?うん、無理だよ!」

 咄嗟に叫んでしまったのが恥ずかしくて、語気を弱め、まるで自分に言い聞かせるようにしながら、茉莉は返事を返した。

 それを聞いて、エルはリアと一言二言ひとことふたこと会話を交わし、再び茉莉に話しかける。

「なあ茉莉、あそこに水着貸し出ししますという看板が…───」

「なんでそんな目ざといの!?」

「いや、リアが見つけたのだが…。」

 確かに看板があるのにも気付いたけど、言わなければ分からないと思ったのに…。

 茉莉はどうにかして行かないで済む方法がないか模索するが、あまり良い考えは浮かんで来ない。

 更に逃げ道を塞ぐように、

『ねぇ行こうよ、茉莉姉ぇー。』

 と、リアが茉莉の手を引っ張り始めるのだ。

「わっ…ちょ、リアちゃん…!」

 突然のことに慌てる茉莉だが、あまり強い力ではなかった為、体重を後ろに傾けることで、踏み止まることには成功する。

「まぁ少しくらい良いではないか。リアもこれほど行きたがっておるのだ。」

 魔法が上手く扱えないという劣等感が根幹にあるにせよ、リアは身体を動かすのが好きなのだ、という事を理解しているエルは、積極的に妹の行動を止めようとはしない。

 むしろ彼の言動から察するに、プールに向かうことに協力的だとも言える。

 茉莉は、まるで危機感のないエルの態度に少しだけだが腹を立て、

「ボク男なんだからまずいって!リアちゃんの興味を別の物に向かせてよー!」

 と、語気を荒らげて、しかし声自体は囁くほどの大きさで、必死に助けを求める。

 それを聞き、エルは顎に手を当ててしばらく考え込む。

 そして出た答えは、とてもあっさりしていた。

「…いや、うーむ…不可能だろう。」

「諦めないでっ!?」

 茉莉は心が折れそうだった。

 追い打ちのように、リアが手を引っ張る力は次第に強くなり、遂に均衡が崩れ、茉莉は完全に引き摺られてしまう。

 その証拠に、ずりずりと、靴底がすぐにすり減ってしまいそうな音を立てて地面と擦れ合っている。

 だが、そんなことに構っていられる茉莉ではない。

 すぐに次の手を打たなければ、このままリアは茉莉をどこまでも引き摺って行くに違いない。

 プールへ行くことを阻止出来ないなら、発想を変え、自分がプールに入らなくて済むような提案をすれば良いのだ。

「そ、そうだ…!ボクは泳がないで見てるから!…ってリアちゃんに説明して魔王くん!」

 茉莉が咄嗟に思いついたのはそれだ。

 急かすように語調を強め、茉莉はエルに乞う。

「うむ。そのくらいなら構わぬぞ。」

 別にエルだって茉莉を困らせたい訳ではないのだから、すんなりと承諾された。

 しかし、エルが茉莉の言葉を伝えた後でも、一向に引っ張る力が緩められる様子はない。

 それどころか、説明してもらう前より強くなったようにも思う。

「………止まってくれないよ!?」

「ああ…言い難いのだが……」

 エルは目を逸らし、申し訳無さそうな表情を浮かべ、続ける。

「泳げないなら泳ぎ方を教えるから、と……。」

「………そういうことじゃないのにー!?」

「すまぬ、茉莉…どうか無事にリアから逃れてくれ。」

「そんなー!?無理だよ無理ぃ!止めてよぅぅ!!」

 魔法で無理矢理引き止めることなら出来なくもないが、流石に人目が多すぎる為、エルがこの場で茉莉にしてやれることは、もう何もない。

 最悪、茉莉が男だとバレてしまった場合でも、今日一日の記憶をリアの中から消すくらいは出来る。

 なるべく使いたくはないが。

 だから、茉莉が自力でどうにかしてくれることを願うのだ。

「とーめーてぇええぇええええ!!!」

 必死の訴えもリアには届かず、茉莉はそのまま建物内の女性用入り口へと連れられて行く。

 二人が女性用入り口へと消えるのを見送ったエルは、茉莉の無事を祈りながら男性用入り口を通り、更衣室へと入る。

 温水プールとはいえ、まだ春先なので利用客は少ない。

 更衣室には疎らに人の姿を見かけるだけだった。

 夏になれば人も増えるようで、室内は結構な広さがあり、また、掃除も行き届いているようだ。

 壁際には洋服店にある試着室のような、カーテンで区切られたボックススペースが並設され、着替えの際に肝心な部分を晒さなくて済む配慮がされている。

 コイン式ロッカーも多数用意されていて、安全面に関しても心配は要らないだろう。

 女性用の更衣室も同じ造りなら、水着次第で誤魔化せるのではないか。

 頑張り次第で何とでもなるぞ、茉莉…と、エルは心の中で無責任な声援を送る。

 そうして更衣室の中を一通り見回した後、エルは水着の貸し出し用カウンターへとやって来た。

 そこで係員に声をかけ、いくつかのデザインの中から自分好みの物を選ぶという運びで、膝丈ひざたけほどのスイムパンツをレンタルすることにした。

 ついでにタオルも販売していたので、後で必要になるだろうと購入する。

 急ぎ気味に着替えを済ますと、着ていた服と持ってきた鞄、それと買ったばかりのタオルをロッカーに押し込み、鍵をかけて足早にプールへ向かう。

 豪雨の如き降り注ぐシャワーの通路を抜けると、温水プールの全貌が見えてきた。

 ウォータースライダーと、それが落下する先には円形のプール。7レーンの50mプール。水深の浅い子供用プール。流れるプール。真ん中にネットの貼られた、水中でビーチバレーを行う為のプールが2面。

 その中で一番目を惹くのは、やはりウォータースライダーだ。

 様子を眺めると、ウォータースライダーからは、一定の間隔を開け、次々と人が蛇行しながら滑り降りている。

 最後に水中に放り出されるが、コースの切れ目は斜め上がりになっているので、入水前には多少速度が落ち、見た目ほど身体に負荷がかかる訳ではない。

 エルは遠目に見ているだけでも楽しそうだ、と感じる。

 早くウォータースライダーを試してみたい、と気持ちが急くのを我慢しながら、待つこと10分弱…勢い良く流れるシャワーの水壁を抜け、ようやく見知った2人の姿が現れた。

 胸元を強調した黒のビキニを身に着けたリア。

 フリル付きの白いビキニで、下はスカートタイプにのものを選んだ茉莉。

 外見だけなら可愛らしい少女に見える2人が揃ってやって来たのだ、気付いたプール内の男達の視線は、正に釘付けとなる。

 そして我先にと声をかけようとするのだが、当然プールサイドで待っていたエルの方が、彼らより早い。

 エルが少女達に向かうのを見て、プール内からは恨めしげな視線が送られるが、エルがそれに気付くことはなかった。

「あ、ま、魔王くん…お、お待たせっ…。」

 エルが向かってくるのを確認すると、茉莉は小走りで駆け寄るが、やはり水着だと恥ずかしいのか、顔を赤らめる。

「それほど待ってはおらぬ。それよりも、茉莉の方は大丈夫であったか?」

 助けてくれなかった癖に…と恨み事の一つでも言われそうではあるが、後の対応を考えれば、覚悟をしてでも聞いておかなければならない。

 だが、そんなエルの予想に反して、

「……う、うん。大丈夫といえば大丈夫だし、大丈夫じゃないといえば大丈夫じゃないんだけど…。」

 と、ぼそぼそと、何やら歯切れの悪い返事が返ってきただけだった。

 エルは不審に思うが、言い辛いのか、茉莉は中々答えようとしない。

『どうよどうよ、茉莉姉ぇの水着姿。魅力的でしょ?』

 そこに割って入って来たのはリアだ。

 妹の態度を見るに、茉莉が男だとバレた訳ではなさそうだ。

 ならば何故、大丈夫だったと言い切れないのだろうか…と、エルが思案を始めると、

『無視すんなー!』

 リアの蹴りが左足のすねを急襲し、エルは痛みで膝を付く。

「だ、大丈夫、魔王くん!?」

 茉莉はしゃがみ込み、慌ててエルが蹴られた場所をさする。

 さすりながら、茉莉はリアを見上げ、

「もう、リアちゃん、何でこんなことするの!」

 と、子供を叱る親のように放った。

『そ、そんなに強く蹴ったつもりなかったんだけど…ごめん、大丈夫、兄貴?』

 ばつが悪そうに、リアは謝る。

『うむ…いや、大丈夫ではない。リア…何ということをしでかしたのだ、お前は…。』

『ちゃ、ちゃんと謝ったじゃん…それに…蹴られたくらいでさ、そこまで怒るなんて、大げさだって…。』

 エルは足の痛みにではなく、別のことに対して怒っている。

 リアにはそれが分からない為、蹴った事に対して怒っているようにしか思えない。

 実は茉莉がエルの脛をさする度に、茉莉の胸がエルの肩に押し付けられるのだが、水着越しでも分かるほど柔らかい。

 この感触は、決して男のものではあり得ない。

 結果、辿り着く答えは、一つしかないのだ。

『リア、お前…茉莉に魔法を使ったな?』

 そこには、兄という体面は無い。

 ただ、盟約を犯した魔人を咎めようとする、魔王の体現だけが存在していた。




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