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内緒の魔王くん  作者: 如月結花
第1話「内緒の魔王くん」
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1話目・その2

 人間界に、彼の姿は在った。

 魔王の息子、名はエル・ヘッシェルヴェン・ロアキーヌ・ド・サタン。

「ここが人間界…か。」

 魔界からやって来た直後、目にした景色を、彼はじっくりと見下ろす。

 エルは両親に別れを告げた後、城の地下へ降り、そこから城の者達が用意してくれた移動魔法によって人間界のとある場所へと降り立った。

 とある場所とは、エルが学校に通う間暮らすことになる、高層マンションの一室。

 その窓から見える景色を、彼は人間界にやって来て初めて目にした。

 窓を開けベランダに出ると、そのまま地上を観察し始める。

「魔界とは随分と違うようだな。何よりこの縦長の建造物、恐らく魔王城より高いではないか。それに、あの中央を走る四角い箱のような物体は何だ?ううむ、人間の技術からは学ぶことが多そうだ。」

 と、そんな独り言を呟く。

 林立される建物、街行く人間の多さ、その中心を高速で行き交う車たち…それらを感慨深げに見ていたが、暫くすると踵を返し、今度は自分の生活拠点となる室内を見回し始める。

 エルが降り立ったのは4LDKのマンションで、一部屋ずつがそれなりの広さを持ち、壁紙や配置された家具などは、どことなく高級感を漂わせる。

 魔王城しか知らないエルにとって、限定された空間というのは多少狭苦しいという思いもあったが、この場所が人間界でもかなり裕福な人間だけが住むことを許される場所だろうというのも想像に難くない。

 そしてそんな場所を用意してくれた両親には感謝しなければならない。

 彼は心の中で、魔界で別れた両親に「ありがとう」と告げる。

 それからエルは、適当に広めの個室を選ぶと、そこで魔法の言葉を発し始める。

 言語として意味を持たない十数個の単語を口に紡ぐと、彼の目の前の空間から大量の荷物が飛び出してくる。

 それを見て、うんうんと頷き、

「こちらでも魔法は使えるな。」

 と、口に出して確認した。

「しかし、人間に魔法を使う所を見られてはいけないという約束だけは、不便なものだ。」

 難しい顔をしながら、魔法によって取り出した荷物を整理していく。

 大体は服や生活必需品の類、魔王城の書庫から暇つぶしにと、くすねて来た本が数冊。

 もし魔法がなければ、どのようにしてこういった物々を人間界まで持って来れば良かったのだろうか…と、彼は苦慮していた。

 彼の言う()()とは、彼が人間界に行くと言った日から、数日後に伝え聞かされたことだった。

 人間には魔法が使えない。人間の中に混じって、魔人ではなく人間として、人間の知識を学ぶべく、人間界へと赴く。

 その為には、エルが魔人───人間とは異なる存在であるとは、周りから悟られてはいけない。

 もしエルが人間の前で魔法を使えば、人間達は恐怖し、エルを人間以外の生物だと明確に位置付けることになるだろう。

 だから、彼は人間界に行く際に、魔法を使うのは最低限必要な時だけ、そして、絶対に人間に魔法を見られてはいけない…という取り決めを交わしたのだった。

 その約束事に関してエルに不満がある訳ではない。

 むしろ、人間だったらどのようにして、どのような手段を用いて、先ほどの荷物を持ち運ぶのだろう…と、純粋に疑問に感じているのだった。

 魔王城に人間界のことを知る者が居た為、話を聞いたり読み書きを含む勉強はこの半年でしてきたとはいえ、その者達から聞いた話よりも実際に見て生じた謎は多かった。

 それら全てを、人間界にいる間に自分の知識にするのだ、と改めてエルは決意する。

「…その為には先ず、学校か。我の通う学校の位置を把握しておかねばなるまい。」

 下見も兼ねて、彼はそのまま自室を飛び出した。

 マンションの共用廊下に出るとエルは真っ先に、そこから見える部屋の位置を確認した。

 いざマンションへ戻っても、自分の部屋が分からなくなっては元も子もない。

 次に辺りを見回し、目印となる物、及び階下へ降りる手段を探した。

 その両方は、然程時間を掛けずに見付かった。

 20という数字の書かれた目立つ表札、それと階段だった。

 階段を使って1階まで降り、マンション入り口の透明な扉押し開けると、初めて人間界の大地を踏みしめる。

 マンションの廊下と同じコンクリート敷きであった為か、それには何ら感慨は湧かなかった為、敷地の外へ出る。

 通行する人間に不審に思われないよう、最大限の注意を払いながら人の流れと同化し、まだ少し肌寒い風が吹き抜ける街路を歩くこと15分足らず。

 エルは一切の迷いなく、目的の学校へと辿り着く。

 それもそのはず、方向さえ間違えなければ、マンションから一直線に歩けば良かったのだから。

 エルの通うことになる学校の名前は、私立久十里学園くじゅうりがくえん。人間界の日本という国の首都に存在する私立高等学校の一つ。

 学校の規模は極めて大きく、校舎も三館に別れ、立派な外観と派手さが目を引く。

 エルは今日初めて人間界に来た。そしてこの学園に来るのも当然、初めてだ。

 入学式は明日から、と父親である魔王は言っていたが、エルの本音としてはもう少し早く人間界に来て、人間としての生活に慣れておきたかった。

 魔界では現魔王にさえ一歩も引かず我を通すエルであっても、見知らぬ土地で尚且つ魔法も使わず一人で暮らさなくてはならないのは、やはり不安が残るのだ。

 エルは未だ人間としての振る舞いを分かってはいないのだから。

 緊張していた為に、此処に来るまでは気付かなかった自身に向けられる視線にも、ようやく気付いたところだった。

 先程から道行く人々がエルのことを見て、クスクス笑って通り過ぎるのだ。

 笑われていることは分かれど、彼にはそれが何故なのか理解は出来ていない。

 黒マントに身を包む彼は明らかに世間から浮いているのだが、それを自覚出来ないのである。

 理由の分からない恥ずかしさもあり、彼は早々にマンションへと引き返すこととなった。




 マンションに戻ったエルは、自分の過ちに気付いた。

 鍵を持っていない。

 出掛ける際は、鍵となるカードを持ち歩くようにと何度も言われていたのに、すっかり忘れてしまっていた。

 魔王城では自室に鍵を掛ける習慣がなかった所為もあるが、致命的なミスだった。

 当然、そんな時、人間としてどうしたら良いのかなんて知る由もない。

 魔王の息子は自分の不注意を呪い、焦った。

 だが、ずっとこのままドアの前に立ち続けている訳にもいかない、中へ入らなくては。

 思考を巡らせる。どうにかして部屋の中に入る方法を模索する。

 直ぐに思い付いたのは、鍵を何か別の方法で開ける、ということ。

 これは魔法を使うことになるだろうが、試す価値はある。

 エルはまるで不審者のように、キョロキョロと何度も周囲に人が居ないかを確認した。

 魔法を使うところを人間に見られてはいけない、という約束を守る意味で、最大限の注意を払っているだけなのだが、これはこれで怪しかった。

 もしも誰かがエルの行動を目撃していたら、間違いなく通報しただろう…と思えるほど、彼は挙動不審であった。

 幸いにも周囲に人影は無かったが、それを確認しても尚、エルの心拍数は上がりっ放しのまま、上擦った声で魔法の言葉を発する。

 意味を持たない単語の羅列が繋がり、扉の鍵を開け得る魔法を紡ぎ出す。

 しかし、エルが知っている鍵とは全く別物のようで、その構造を理解しないまま行使した為に、魔法によって鍵が開かれることはなかった。

 エルが知っている鍵とは根本的に違うのだから、当然の結果なのだが。

 魔界で言う鍵とは、ドアと壁を接合して固定する魔法を言う。

 魔法の言葉の最後に、鍵となる単語を追加することで、それが開閉のキーワードになるというものだった。

 どちらにしても他人が作った鍵なら、キーとなる単語を知らずに開けられないのだから、エルには目に見えて落胆する様子はない。

 だがこうなると、次の手を考えなければならない。

 次に時間を置かず思い付いたのは、扉を破壊すること。

 この考えは強引であるし、騒ぎを起こす訳にもいかない。扉自体も頑丈そうに見え、魔法以外では破壊出来そうにない。そもそも壊した後ちゃんと直せるか分からない…と、問題点が多すぎるので、直ぐにエルは頭の中から考えを排除する。

 では他にどうしたら良いのか…彼はまた一つの方法を思い付く。

 魔法で空を飛び、窓から部屋の中へ入る、である。

 エルにとって一番現実的な選択肢であった。だが、如何せん人の目が多すぎる。

 人間界へとやって来て初めて目にした人通りの多い街並み。そこから人間達がふと見上げれば、確実に自分が空を飛んでいる場面を目撃されてしまう。

 未だ陽も高い現在の時刻では、行動に移すのはリスクが大き過ぎた。

 しかし夜ならば…と、彼は思う。

 人間は夜目が効かない。目撃されることは、恐らくないだろう、と。

 よし、ではこのまま夜まで待とう…。

 心の中で自分に言い聞かせるようにそんな台詞を吐くと、エルは夜まで人目を避けられる場所を探すのだった。




 結局、エルは陽が完全に落ちるまで、マンションの屋上からこの街を眺めていた。

 陽が傾くに連れ、肌寒い空気は、次第に肌を切り裂くような冷たさへと変化していった。

 それ故に、本来ならすっかり身体は冷え切ってしまうところだが、流石にそんな状態でただ何時間も待っているのは、エルであっても辛かった。

 だから細心の注意を払い、事前に体温を一定に保つ魔法の言葉を紡いでいた。

 夜も更け、人通りは疎らになり、街の明かりは少しずつ、その明度を下げていく。

 そろそろ良いだろう…と、エルは改めて屋上から眼下を見下ろす。

 そして、飛ぶ。

 文字通り()()()

 空中で魔法の言葉を発し、身体の高度を操った。

 そのままゆっくりと高度を落とし、自室のベランダへと着地する。

 彼はそこで違和感に気付く。

 部屋が明るいのだ。

 恐らく無人の部屋に外部から明りを付ける手段は無い。なのに、彼の部屋には明りが灯っている。

 もしかしたら部屋を間違えたのか…と、確認をしてみるが、窓にはカーテン等も無く、彼が人間界に来て初めて見た部屋の内部と同一の物であることは、疑いようがない。

 では何故、部屋の主であるエルが不在であるのに明りが灯されているのかと言うと…誰かがこの部屋の中にいる、それだけは間違いないだろう。

 人間界に来て間もないエルに、人間の知り合いなど居ようはずもなく、誰かが訪ねて来ることはない。

 泥棒…という線が一番ありそうだ。

 もし遭遇して襲われたとしても、魔人には、人間には対抗出来るべくもない魔法という切り札がある。

 だからエルは泥棒という加害者を想定しても、全く怯むことはなかった。

 それに、泥棒というのは最悪の想定であり、そんなことは滅多に起こるものではない。

 一呼吸の間を置いて、彼は勢いよく窓を開け放つ。

 学校へ下見に行く前、地上を観察する為に一度ベランダに出たのだから、その窓の鍵は開いたままだった。

 躊躇なくエルは部屋に踏み込む。そうして、居るはずの第三者の気配を探る。

 いきなり物陰から襲われても対応出来るよう、警戒を解かずに歩みを進める。

 エルの緊張を破ったのは、部屋の中にいた者の、聞き覚えのある声だった。

「おかえりなさいませ、エル様。随分遅いご帰宅でございますな。あと、土足厳禁ですので、靴はお脱ぎになって下さいませ。」

 見慣れた顔だ。

 魔王城で昔からエルの身の回りの世話をしていた、人間界で言うところの執事のような存在。

「何だ、お前だったのか、グラゼル。」

 グラゼル…と呼ばれた老齢の男は、頭を垂れることでエルに応える。

「…鍵を忘れてしまって、な。…入れなくなってしまったのだ。」

 ばつが悪そうに、目を逸らしながらエルは続ける。

「私が何度も鍵を持ち歩くようにと言い聞かせましたのに、エル様はすっかりそのことをお忘れでございましたか。」

「う、うるさい…!こうやって自力で戻って来られたのだから、問題なかろう!そ、そもそも何故グラゼルがここに居るのだ!我はお前が付いて来るなど聞いておらぬぞ!」

 開き直り、話題を変えるしかないと思ったエルは、立て続けにそう放った。

 しかし状況が変わる訳ではないだろうことは承知の上だ。

 律儀にも、彼が言った両方に、グラゼルは答えた。

「問題はありますぞ、エル様。エル様は人間界におられる間、人間として振る舞い、過ごして頂かなければなりません。人間では不可能なことをされて、それが周囲に知られてしまえば、人間界に滞在することは出来なくなってしまいます。勿論、エル様お一人では今回のようなことが起こる可能性もありました故、お目付け役として魔王様よりエル様のことを任されたのでございます。それにエル様はご自身で家事はなさらないでしょう。お世話係として従者が同行するのは当然の理でございます。」

「くっ…!」

 エルはグラゼルが苦手だった。

 何を言おうが怒る訳でも戸惑う訳でもなく、常に冷静に、エルの意見に瞬時に答えを吐き出すからだ。

 その出される答えが大体正しいものだから、魔王の息子はこのグラゼルという男が苦手だった。

 エルがそれっきり何も言い返さないことを認めたグラゼルは、「ですが…。」と再び口を開く。

「今までと環境も違う人間界という場所で、心が先走ってしまうのも無理はないのかもしれません。今回はエル様も充分に反省され、考えた上で、夜に魔法を使いベランダから部屋へと戻る…という答えを出されたのでしょう。最善ではありませんが、妥協出来る答えということで不問と致しましょう。」

 このグラゼル・アルエインという男は、少なからず人間界のことを知る魔人の一人である。

 知識がある故、エルが人間としての振る舞い続けられるか監視する役目を任されたのだろう。

 人間に対してグラゼルよりも知識を持たないエルが何を言っても、彼を言い負かすことなど出来はしまい。

 グラゼル自身も、エルが現時点で最善策を思い付けるほど人間達の暮らしを分かっていないことは認知しているので、今回は大目に見る、と言ったのだ。

 それを理解しているから、エルが暫くの間を置いてからようやく絞り出した応えはこうだった。

「………そう言ってくれると助かる。」

 素直にグラゼルの言葉を聞き入れる、だ。

 それを聞いた老執事は、満足そうに頷いた。

「それでは、お食事に致しましょうか、エル様。」

「ああ、そういえばこちらに来てから何も口にしてはおらぬのだったか…。」

「では遠慮せずお召し上がり下さいませ。只今お持ち致します、席に掛けてお待ち下さいませ。」

「うむ。」

 魔人の食事も、人間の行うそれと変わらない。

 魔王の息子エルは、執事グラゼルの作った料理を美味しそうに食す。

 そんなエルを、グラゼルは子供の成長を見守る父親のような眼差しで見るのだった。




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