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叙事詩~紡がれるうた~   作者: 伊達と酔狂
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二日目

 ♪ 二日目




 入学式翌日。

 立志館・本校舎一階にある一年A組の教室に零と雫はいた。兄妹で同じクラスになってしまい、零は気恥ずかしを感じていたが、雫は素直に彼と同じクラスになれたことを喜んでいた。朝のショートホームルームが終わり、担任の土方(ひじかた)一文字(ひともじ)が教室を出て行くまでは。


「うにゃー、零くんってかわいいよね~」

「あ、あの、藤枝(ふじえだ)さん。そんなにくっつかないでくれませんか……」

「藤枝さん、だなんて他人行儀ねぇ。(ゆき)って呼んでよ♪」


 クラスメイトの藤枝(ふじえだ)(ゆき)が零の身体にくっつくようにすわっている。

 藤枝は長いストレートヘアーで、左側の一房だけを三つ編みに結っていた。淡く光る雪のような、白いビロード生地のリボンが印象的だ。身長は零より高い。好奇心旺盛な猫のように彼女は零に興味をしめしていた。

 ふたりの様子をがまんして視ていた雫は、


「うれしそうですね、兄さん?」


 満面の笑顔でいった。が、よく視るとこめかみの辺りがヒクッヒクッと痙攣しているのがわかる。


「え、そそそ、そんなことないですよ?」


 口ごもりながらも、零は胸のうちで喜びの声をあげた。


 ――ついにぼくにも春が来たか!? でも、雫の笑顔がちょうーコワイ!!


 ふたりのやり取りを見て藤枝は猫のように笑う。


「にゃははー。それにしても零くんって頭イイんだね。立志館にトップで合格するなんてスゴイ! それにかわいいし、女の子にモテモテでしょう?」

「いえ、そんな……。トップで合格したのも運が良かっただけで……。ぼくなんかより妹の雫のほうがすごいですよ」


 本気でそうおもっている零の貌は、そこはかとなく妹を自慢できて嬉しそうだ。


「またまたぁ、謙遜しちゃって~」


 零の腕に藤枝は自分の腕をからめた。困惑しながらも零の貌は嬉しそうにゆるんでいる。


「藤枝さん。もう止めてくれませんか? 兄さんが困っています」


 この人は敵! とおもいながらも雫は笑顔でいった。


「雫ちゃん、お兄ちゃんをあたしに取られるとおもって焼もち焼いてるのかにゃ?」

「焼もちではありません。事実をいっているだけです。ね、兄さん?」

「零くん、あたしのこと迷惑かにゃあ?」


 藤枝は零の首に腕をまわすし顔を近づける。彼は慌ててみせるが、とてもうれしそうだ。


「!? 藤枝さんはどうして、なんの権利があってそんなに兄さんにくっつくんですか!」


 雫の堪忍袋の緒が切れた。


「うにゃあ? だって零くんかわいいし。雫ちゃんもかわいいけど、あたし女の子に興味ないのよねー。それとも雫ちゃんは女の子に興味津津(きようみしんしん)なのかにゃあ?」

「私は兄さん一筋です!」

 

 雫も零に抱きつく。


「うわっ、雫! どさくさにまぎれて痴女みたいにぼくの身体をまさぐるのは止めてくださいって、そこはダメ――――――!!」

「ははは、楽しそうだね、天宮君。でも、そろそろ授業が始まるよ?」


 ふたりの少女にされるがままになっている零を視て、前の席にすわる奥森(おくもり)深伽美(ふかみ)が人当たりのいい笑みを浮かべていった。彼の身長は零よりも低く、中性的な顔立ちをしている。ショートカットにしたボーイッシュな少女のようにも視えた。

 予鈴のチャイムが鳴ると、雫と藤枝は残念そうに自分の席に戻った。

 ふたりの痴女から解放された零は脱力し机の上に倒れこむ。


「うう……もうお婿さんにいけない……」





 時刻は十二時二十分。

 昼食の時間だ。

 校内にはバッハのヴァイオリン曲、Sonata G―moll BWV.1001 がながれている。

 一時限目以降、雫と藤枝が零をはさんで異様な視線をぶつけ合い火花を散らしていた。四時限目の授業の時には彼を取り合うようにしてふたりは席を立ち口論をくりひろげた。お祭り好きが集まったのか、クラスのみなも二手にわかれ応援を始め(そのなかには零をうらやむ声もあったが)さすがに見かねた世界史の教諭、担任の土方(ひじかた)一文字(ひともじ)は騒ぎのもとである三人に罰をあたえた。

 

 その罰とは、購買部にある謎の自販機で絶賛発売中の『一発昇天! 天まで昇れ!』心臓の弱い方はご遠慮くださいと、赤字で注意書きされた栄養ドリンクを飲ませることだった。

 結果、三人は撃沈。

 授業が終わるまで三人は一言もしゃべらなかった。

 授業初日からここまで騒ぐ生徒は珍しいのだろう、授業が終わると土方は、


「おまえらまた騒いだら次は『阿鼻叫喚! お笑い地獄!』を飲ますからな」


 左手に持った日本刀の鞘で肩をトントンと叩き、うれしそうに笑いながら出て行った。


「……気持ち悪いです……」

「うにゃあ……。なに、あの劇薬は?」

「なんでぼくまで……」

「ははは。三人とも大丈夫?」

「土方先生、帰り際に怖いこといってたけど、いったい何種類あるんだろう? あの劇薬……っていうか、なぜあんなモノが購買に?!」

「さっき見てきたけど、他にも『狂喜乱舞! 死ぬまで踊れ!』ってのがあったよ」

 

 零の疑問に奥森が答えた。昼休みになると彼はひとりで購買部へ行きパンを買ってきていた。四人の中で彼だけ弁当持参ではなかったからだ。購買部に行ったおり、彼は設置されている謎の自販機でドリンクの種類を見てきたのだろう。


「……なにを考えてあんな商品を出しているのでしょう? どこの会社ですか……?」

 

 憔悴しきった貌で雫がドリンクの入っていたビンのラベルを見る。

 ビンには『KISARAGI Foundation』と記載されていた。


「にゃはは。この会社、食品もだしてるんだー。有名だよねー、変な商品を出すので。一部のコアな人には絶大な人気があるみたい。あれ、でも『キサラギ』ってうちの会長さんも如月って苗字だったけど、なにか関係あるのかにゃ?」


 苦笑しながら藤枝は、なんとなく奥森が買ってきたパンを見た。パッケージに『憤死する辛さ! キミも暴君』『トラウマになる美味さ! 屋台のおもひで』と書かれたカレーパンと焼きそばパンを彼は買ってきていた。


「……奥森くんってチャレンジャーにゃ……」

「? でも先輩たちも買ってたし、大丈夫じゃないかな」

「ねえ。時間ももったいないし、そろそろ食べようよ」


 教室を見回し零がいった。

 教室にいる生徒たちは仲がよくなった者同士で、グループを作り、机をよせあっている。同様に零たちも机をよせあっていた。零の横には雫、正面には藤枝がすわり、その隣に奥森がすわっている。


「ところで。奥森さんはいいのですが、なぜ、藤枝さんまでここにいるのですか?」

 

 心の底から不思議そうに雫はいった。


「にゃ? だって食事はみんなで食べたほうが美味しいでしょ?」

「そうですね。みんなで食べたほうが美味しいですよね? 兄さん、奥森さん」

「あの、ふたりとも? ぼくは四人で仲良くステキで楽しいランチタイムを過ごしたいなあと愚考する次第でありまっていうかお願いしますからふたりとも仲良くしてください!」

 

 仲裁ではなく零が懇願すると、


「うん、そうだね。僕も四人で食べたいな」

 

 奥森がやんわりと同意した。


「まとめてくれてありがとう、奥森くん!」

 

 四人で食べることを奥森も同意したので、渋々ながらも雫は引き下がった。

 ようやく四人は昼食を食べはじめる。 


「あ、このだし巻き卵、ちょうどいい薄味で美味しいね」

 

 綺麗な形に焼けた、だし巻き卵を食べ零が感想をもらすと、


「ホントですか? よかった。それ作るのに苦労したんですよ?」

 

 不機嫌そうな雫の貌がほころんだ。


「それ、天宮君の妹さんが作ったんだ。手作り弁当かぁ、羨ましいな」

「あの、奥森くん、その……ぼくのことは零でいいよ」

「そう? じゃあ、僕のことも深伽美って呼んで」

「……あの、気を悪くしたらごめんね? 深伽美ってちょっと変わった名前だよね?」

「うーん、そうかもしれないね。……でも、僕はこの名前をとても気に入っているから、あまり気にしてないんだけどね」

 

 大切な思い出を語るように奥森はいった。


「あたしのことは雪って呼んでね! そしてあたしは零くんの彼女に立候補中だから、清き一票も、清くない一票もお待ちしています!」

「な、なにいってるんですか藤枝さん?!」

 

 食べていた物を、零は吹き出しそうになった。


「雪って呼んでっていってるのにー。あたしが彼女じゃイ・ヤ?」

「からかわないでくださいよ。ゆ、雪さん」

「にゃははー」


 どこまで本気なのか藤枝の貌からは判断できない。


「そうですよ。兄さんの彼女は私ですから。ね、兄さん?」

「地動説が天動説になったとしてもそれはありえません……」


 兄さんヒドイです! と叫ぶ雫をスルーして零は奥森に話しかける。


「深伽美くんはお弁当じゃないんだね」

「うん。(うち)は両親が共働きだから。自分じゃ作る気になれないしね。零君のところは?」

「家は両親がしょっちゅう出張していて、ほとんど家にいないから雫と二人暮しみたいなものかなぁ。家事はほとんど雫がしてくれるんだけど……手伝うっていっても手伝わせてくれないんだよね」


 苦笑し、零は藤枝に尋ねる。


「雪さんは?」

「にゃ? あたしんとこはね、父さんと二人暮しだから、家事はあたしがほとんどやってるよん」


 かわいらしい弁当箱からプチトマトをとり口に運ぶ。


「そうだ、零くん。今度あたしの愛情がたっぷり詰まった愛妻弁当もって来るから楽しみにしててねー♪」


 もぐもぐと美味しそうに食べ藤枝はいった。


「兄さんのお弁当は私が作りますから。どうぞ藤枝さんはお気遣い無く」

「うにゃー。それは残念」


 雫に釘をさされるが藤枝はたいして残念でもなさそうだ。


「……」


 雫が弁当を作ってくれるのはうれしいと零はおもう。だがその反面、心苦しくもあった。

 たまには購買部や食堂を利用して彼女の負担を減らすのもいいかもしれない。彼がそう考えていると、


「!?」


 突然、奥森が机の上に倒れた。

 手には『トラウマになる美味さ! 屋台のおもひで』が握られている。

 倒れた奥森を藤枝が介抱するのを見て零はおもった。

 

 ……食堂にしよう、かな……。





 立志館の生徒会室は校舎一階と最上階の六階(学生動乱以降に予備として作られた)の二部屋ある。その一つ、一階にある生徒会室の中に入ると、まず目に入るのは窓の外にある大きな一本の桜の木だ。はらはらとしずかに花を散らせているのが窓から見える。


 適度な広さをもった室内には観葉植物がおかれ、壁にはボッティチェリの作品、ヴィーナス誕生のレプリカが飾られている。

 部屋のなかには入り口の他にもドアが二つある。入り口から見て右手側と左奥にもドアがあり、右手側に見えるドアがいまは開いていた。

 

 部屋の中央には大きな会議用のテーブルとイスが六つ。上座に当たる席に生徒会長の如月がなにかを待つようにすわっていた。が、彼はおもむろに席を立つと、開いているドアまで行き、


「副会長、先程からにんにくとオリーブオイルのいい香りが私の食欲中枢をイイ感じに刺激しているのだが。まだできないのかね? このままでは私が大変なことをするかもしれないよ?」


 隣室にいる遠野に声をかけた。


「いまできましたよ。だから大変なことはしないでくださいね――絶対」


 キッチンに立つ遠野はシンプルなデザインの黒いエプロンを着け、長い髪を首の横で簡単にまとめている。生徒会や保安部は交代制で夜間勤務もあるのでキッチンはそのための設備だ。

 トレイを持って遠野は如月の待つ隣室へゆく。トレイの上にはできたばかりのペペロンチーノ、サラダ、クロワッサン、アッサムの葉で淹れたアイスティーが二人分載っている。おとなしく席についた、如月のまえにそれらをおき、彼も窓の外が見える席にすわった。


「副会長。君がそこにすわると、せっかくの美しいものを愛でながらの食事も、画竜点睛に欠くというものだよ?」

「桜なら見えるでしょう?」

「ふっ。わからないのかね?」


 乱れてもいない髪をおおげさにかきあげる。


「副会長が窓側にすわる。君と君の後ろに見える桜。はかない夢へといざなうように散り行く花びら、ほほえむ、きみ。……ああ、美しい! まさに一服の絵! 眼福の極みだね?」


 遠野は苦笑する。


「ありがとうございます。でも、そうするとわたしが桜を見ることができません」

「美とは時に悲劇的で、残酷なものだよ」

「お昼、いらないんですか?」

「副会長。共に美を愛でようではないか!」


 遠野はほほ笑み、いただきます、といって食事を始めた。如月も、いただきます、といって黒手袋をつけたままの手でフォークを持ち、パスタを食べ始める。


「副会長の作る物はほんとうに美味いね。何度食べても飽きがこない」

「ありがとうございます。ですが、会長もたまにはご自分で用意してくださいね?」

「私に昼食を抜けと!?」


 食事を終えると如月はアイスティーをゆっくりと飲んだ。遠野が食べ終わるのを待っているのだろう。まだ食べ終わらない遠野を待つ間、彼は外の桜を眺めた。

 生徒会室から見える桜は、他の桜と違い一本だけ離れたところにある。桜の近くには花壇もあり、春の小さな花を色とりどり咲かせていた。他にもいくつか花壇が見え、いまは咲いてはいないが、季節がくれば花が咲き、風にゆれるのだろう。


「今年も美しく咲いたね」

「ええ……」


 フォークをおき遠野も桜を見つめた。

 その横顔をさりげなく如月はうかがう。いつものように遠野はやわらかなほほ笑みを浮かべている。が、なにかをおもい、そのおもいを桜に重ねているのか、彼の横顔にはどこかおもいつめたような雰囲気がわずかにあった。

 桜を見つめながら遠野は、


「二十二年間。卒業した後も、彼女の――舞綴(まいつづり)(しおり)さん『(ページ)を繰る手』のおもいだけは、未だ帰らぬ人を待っているのかもしれませんね……。約束を信じて……。だから、こんなにも……」


 呟くようにいった。如月は飲んでいたグラスをおき、


「どこにでもある悲劇だね。しかし、相模(さがみ)星史郎(せいしろう)氏『煌星(こうせい)』は約束を破ったわけではない。――果たせなかっただけだ」


 いつも通りの口調でいった。


「『学生動乱』終結と引き換えに、ですか……」

「そうだ。立志館生徒会の歴史の中で最大の功績であると同時に、最大の被害――死傷者が出てしまった事件でもある。そして……彼女は祈ったはずだ。もう二度とこのようなことが無いように、と」

「……そうですね……」


 (かお)をすこし伏せ遠野はうなずいた。


 かさねた記憶

 祈りの声

 消えることない

 約束と誓い


 ……律子さん、わたしはうまく笑えていますか……?


 遠野は桜を見つめ、いまは亡きひとにおもいをはせた。





「会長。デザートは召し上がります?」


 昼食を食べ終えた遠野が尋ねた。


「無論、ありがたくいただくよ」

 

 遠野は席を立ち、食べ終わった食器をトレイに載せ、キッチンへデザートを取りに行く。

 数分後、彼はキッチンから持ってきたデザートを如月の前におき、席にすわった。持ってきたのはホイップクリームを添えたシフォンケーキとダージリンのファーストフラッシュで淹れたストレートティー。セカンドフラッシュのように完成されてはいないが、わかわかしい香りや味がこの季節にはあっていると、遠野はおもっている。


「凛さんと桜さんはどうしています?」


 紅茶に小さじ一杯のグラニュー糖を入れ、遠野は音も無くかきまぜると静かに口にはこんだ。


「ふたりとも昨日の件も含め最近の犯罪について調べているよ」


 シフォンケーキに添えてある生クリームをつけて如月はうれしそうにケーキを食べる。


「さすが。対応が早いですね」

「まったくだね。彼女等が優秀なおかげで私たちはこうして美味しい食事を楽しめるよ」

「英雄くんとヴェルミナさんは、学院の外で見回り中ですか。あ、でも、そろそろ戻って来る頃ですね」

「ふ。それはどうかな? 英雄君は今頃、ヴェルミナ君と二人きりであんなことやこんなことをしているかもしれないよ? ああ! 口ではいえないそんなことまで!? くう~、実にうらやましいね!」

「なにをいってるんですか会長。ヴェルミナさんが一緒なんですから、ちゃんとお仕事をしていますよ」

「……副会長。君にはロマンがないのかね?」

「会長にはモラルがないんですよね?」

「なにをいっているのか理解に苦しむが、私はモラルの塊だよ?」

「会長の脳内宇宙はきっとわたしたちとは別次元なんでしょうね」

「私こそ、宇宙の真理!」


 なにもいわずに遠野はほほ笑んだ。


「ところで副会長。生徒会に入ってもらうかは別として、私は個人的に『彼』と話がしたいとおもっているのだが、どうだろう?」


 校内に流れる曲がバッハのPartita h―moll BWV.1002に変わった。


「……」


 沈黙する遠野。

 そんな彼を視て、如月は背もたれに寄りかかり吐息をこぼす。

 室内にイスの軋んだ音が響いた。


「……」

「……」


 少し開かれた窓から桜の花びらが一枚、室内に迷い込んだ。花びらは一度テーブルの上に落ち、すぐにまた、風に舞って床に落ちて行った。


「……」

「……副会長。君は放置プレイが好きなのかね?」

「一生放置しておきましょうか?」

「やさしい君にそんなことはできないよ。副会長。最終的に決めるのは彼自身だ」

「そうですけれど。その契機をわざわざつくらなくてもいいのではないですか? 少なくともあと二年間は……。それに、わざわざこの時季に人員を増やす必要性はないとおもいます」

「ふむ、たしかにそうだね。だがけっきょく、誰かが生徒会に入ることになる。その別の生徒なら危険にさらされても構わないと?」

「そんなことはいっていません」

「ふふ、わかっているよ。いまのは私が悪かったね。すまない。しかし、宙ぶらりんのままでは企業や悪い大人、西側の連中に狙われやすい。それに彼が優秀なのは校内に到っては周知の事実だ。選挙になれば誰かに推薦されるだろう。そうなればほぼ確定だとおもうがね? 拒否権があるとはいえ、副会長の話からすると彼の性格ではまず断れまい。もって九月までだ。それにいまなら――」


 世界を皮肉るように如月は笑う。


「もれなく私たちがついてくる。大変お買い得ですよ、奥さん?」

 

 後半の科白を無視し、遠野は観念したかのように小さな吐息をこぼした。


「……わかりました。ですが、彼が生徒会に入りたくないといったら、そのときはおとなしくあきらめてくださいね……」

「わかった。そのときはあきらめよう。だが、選挙になったらどうするのかね?」


 わたしがなんとかしますよ、といって遠野はほほ笑み言葉をつづける。


「それでは後日、多少の面識があるわたしがお誘いしてみます」

「いや。こういう事は早いほうがいいだろう。放課後に、私が放送で生徒会室に来るよう彼に伝えるよ。それでいいかね?」

「もちろんダメです」

「即答かね?」

「どうして会長自ら放送をする必用があるんです? 本日中にというのなら、わたしが放送部の方に呼び出しをお願いしておきます」

「副会長、君は私のことを誤解してないかね?」

「理解はしていませんが、よくしっていますよ」

「なにをしっているのだろう? パンツの柄かね?」

「違います。例えばこの後、わたしが放送部の方にお願いした後に、会長は職権乱用して放送内容を変えるか、御自分でなさろうとするでしょう? そんなことをすれば、来てくださる方にも来ていただけませんよ?」


 シフォンケーキの最後の一口を食べ如月は紅茶を飲み干した。


「御馳走様でした。いや~、副会長の作った物はほんとうに美味い。ところで君は、私をいぢめて楽しいのかね?」

「会長はわたしを困らせて楽しいのですか?」

「楽しいに決まっているだろ?」


 なぜか誇らしげに胸を張り、如月は答えた。


「私は自分が面白いとおもうことしかやらないのだよ!」

「今日から一週間、会長はおやつ抜きですね」

 

 にっこりと遠野がほほ笑むと、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。





 雲がのんびり流れゆく青空。

 古びた鐘楼がある鐘ヶ台高校の屋上に春の陽光が降りそそいでいる。しかし、そこには鳥の歌声も木々の囁きも聞こえてはこない。代わりに聞こえてくるのは、そこで生活する人々とそうでない物が作りだす街の喧騒。昼時だけあっていっそう賑やかに聞こえてくる。

 屋上には、生徒会の者たちと保安部の生徒十数人が集まっていた。仲良く昼食を食べているわけではない。


「これが、俺の力か……!」


 寿は身体の内に存在する、力の奔流に歓喜の声をもらした。唇を笑みの形に歪める。


「満足してもらえましたか?」

 

 興奮の収まらない寿に神楽が尋ねた。


「ああ。これなら立志館の奴らを潰すことができそうだ」


 神楽を視る。


「……これだけの力、どうして自分で使わない? わざわざ俺の下に入る必要はないだろう。俺を殺すことだって出来たんじゃないのか?」


 厭らしい笑み。


「ボクは『彼等』の力の一部しか使えないんです。能力の許容量を超えてしまいますから。ボクに出来るのは基本的に召喚(よぶ)ことだけなんですよ」


 芝居がかった仕草で肩を(すく)め、神楽は苦笑。


「たしかに自分の中にもう一人、誰かがいるってのは負荷がデカイな。お前は許容量を超えて壊れるか……。それで、これからどうするんだ? お前のことだからなにか考えてあるんだろ?」

「ええ。会長は思う存分その力を(ふる)うことが出来ますよ」

「そうか。これで目障りな立志館を潰せるな。楽しみだ」


 悦に入ったように、くっくっく、と寿は嗤った。頭の中で立志館の生徒会を潰しているところを考えているのだろう。もちろん、その後のことも。


「その時には約束どおり、ボクを生徒会に入れてくださいね」


 ああ、と肯き、寿は何気ない動作で近くの生徒数人を――燃やした。

 神楽の時と同様に声を出す間も無く数人の生徒が灰燼(かいじん)と帰す。それはまるで、自分に逆らえば殺すとでもいうような、脅しとも取れる行為だった。


「!? 会長、なにを……!」


 副会長の木野原はおもわず責めるような声をだした。


「はははははは! 見たか、木野原? こいつは確かに焼き加減が難しいぞ! 今度はもっと上手く焼かないとな!」


 周囲の生徒たちは理不尽な行為――暴力に、今度は自分が燃やされるのではないかと恐怖を感じながら引きつった笑みをうかべる。


「木野原、遺族には適当な理由をつけて金を出しとけ」

「……わかりました」


 不満を押し隠すように(かお)をふせ、木野原はうなずく。 

 その様子を観察するように神楽は視ていた。


(いいのか正義? このような者に力を貸して)


 自分だけに聞こえる女の声を神楽は聞く。


(べつに、いまはいいよ。でも、いざとなったら――喰らってしまえ)


 機嫌よく喋りつづける寿の声を聞き流しながら神楽は屋上のフェンスへと歩いて行く。眼下に見えるのは街をゆく人々。早足で道を行く背広姿のサラリーマン。付き合い始めたばかりに見える初々しいカップル。子供の手を引いて歩く母親。平和に見える、どこにでもある光景。

 だが、その光景をながめる神楽の眸には焔がゆれていた。

『罪』を燃やさんとする――断罪の焔が。

 


 

 帰りのショートホームルームが終わり担任の土方が教室を出てゆくと、教室に放課後特有の空気が流れた。そのなかでも特に零ほっとしているように視える。

 昼休み以降の授業でも零を挟んだ雫と藤枝の戦いはつづけられた。しかし、土方の罰に懲りたふたりは目立つ騒ぎを起こさなかった。かわりに静かな、ネットリと熱いバトルが展開された。


「藤枝さん。授業中、兄さんにちょっかい出すのは止めてくれませんか」

「ちょっかいなんて出してないよー。ただ、机をくっつけて授業を受けてただけだけど? それに授業中以外ならいいのかにゃ?」

「揚げ足を取らないでください! 授業を受けるのに手を握ったり、腕を組んだり、肩を寄せ合う必要はありません!」

「うにゃにゃ? あたしそんなことしてたっけ?」


 からかうように藤枝はとぼけてみせた。あきらかに雫の反応を楽しんでいる。だが彼女は零にちょっかいを出していただけではない。授業もしっかりと受けていた。わからないことがあれば零に尋ねたりもしていたようだ。そこらへんはしっかりしている。

 なにをいっても藤枝に流されてしまうので雫は矛先を零に変えた。


「兄さん」

「ハ、ハイ?」


 裏返った声で零は返事をした。ふたりのやり取りを彼はけっきょく止めることができなかった。されるがままだった彼はなにをいわれるのかと、こわごわ彼女の貌をうかがう。我ながら妹に対して情けないなあ、とおもいながら。


「兄さんだって迷惑ですよね?」


 問われた零は授業中のことを思い返す。

 たしかに授業中、あれだけ密着されると授業に集中できない。だが、藤枝はかなりかわいい。

 そんな女の子に親しくされて悪い気がする男がいるだろうか? いや、いない! 

 そうおもっても彼は口に出していえなかった。

 

 ……だって、雫が怒ると怖いんだもん!


 返答に困り、彼は助けを求めるように奥森を見る。

 が、奥森は机に寄りかかって苦笑し首を横に振るだけだった。


「いや、あ、あの……えーと……」

「兄さん!?」

「迷惑かなぁと、おもうようなおもわないような? ぼくも、その、一応健全な高校生ですからそのことをよく考慮していただきたく……わかる? ぼくだって思春期青春大売りだしなワケですよ!」

「ヒドイ兄さん! 昨日あんなに白くて熱くて濃ゆいモノを私に飲ませたくせに!」

「?!」


 教室に残る生徒たちの様々な視線が零に集まった。


「……ふたりはそういう関係だったの?」


 呆然と少し引きながら奥森がいった。


「ち、違うよ、深伽美くん! それは雫が今日は寒いからって『農狂(のうきょう)牛乳(濃厚味)たっぷり溜めて出しました!』でホットミルクを作って欲しいっていったから!」

「にゃはは~。あたしも飲みたいなー。零くんのホットミルク」


 妖しい笑みを浮かべながら藤枝がいった。


「兄さんのホットミルクを飲めるのは私だけです!」

「ふたりとも意味ありげにいわないでー!」


 零が叫ぶと、それにかぶさるようにハウリングの音が校内に響いた。

 ハウリングがおさまると、


「ハハハハハハッ! 副会長、一週間おやつ抜きでこの私は止められんよ! だが、せめて三日ぐらいにしてくれないかね? 取引として、いまなら凛君のマル秘写真を君に進呈しよう!」


 設置されたスピーカーから如月の声が聞こえてきた。

 さて、と前置きして如月は放送をつづける。


「一年A組の天宮・零君。まだ下校していなければ、いまから一階生徒会室まで御足労願おうか。君に話しがある。副会長も君のことを気にかけているようだ。私の副会長の気を引くとは――少し妬けるね?」


 この発言で校内の文化部部室棟から女子生徒の嬌声が上がった。


「次の同人ネタもやっぱりこれで決まりよね!」

「部長! 新人が興奮して窓から飛び降りました!」

「望×蒼は鉄板よね!」

「ぼくは、蒼×望もいいとおもます……」


 中には男子生徒の声もあった気がするがそれはおいておこう。

 如月の放送はつづく。


「ところで、天宮君。君には可愛い妹さんがいるとのことだが、まったく羨ましい限りだ。家ではどうなのかね? うん? 私にも可愛い妹がいたならそれはもう――」


 ピー、という規制音が放送に入った。

 次に聞こえてきたのはヘンデルの『水上の音楽』だった。





 放送室(三階)のドアを朱神はいきおいよく開けた。

 部屋に入ると同時に彼女は上着の懐から文字と記号の書かれた一枚の符を取り出し、


(ばく)!」

 

 マイク前にすわる如月に放った。放たれた符は注連縄(しめなわ)に変化し、彼を強固に縛り上げた。

 だが、彼は平然と己を縛り上げる縄をみて、


「私はこれでもノーマルな趣味でね。縛られてもうれしくはないのだが……」

「な!?」

手品師(マジシヤン)ならこれぐらいできて当然だね?」

 

 見事な縄抜けを披露し、如月は窓際に跳んだ。


「くっ、相変わらず器用なマネを!」

「ふふ、喜んでもらえて光栄だよ」

「誰も喜んでなどいません!」

「ふむ。それもそうだね。いまどき縄抜けなどでは誰も喜ばないか。では次のマジックを――」

「わたくしは望君のマジックを観にきたのではありませんわ!」


 悔しがりながら如月に指を突きつける。


「望君、これ以上、御自分の恥をさらすのはおやめなさい! いいえ。これはもはや生徒会の恥です!」


 ないをいまさら、と放送部の生徒たちはおもった。が、誰もつっこまなかった。


「私は美しい兄妹愛のあり方を説いていただけなんだが? それに、芥川氏もいっていたね? 天才の一面は明らかに醜聞を起こし得る才能である、と。つまり、私は天才! しかし、天才とは周囲の者に理解されることが少ない。ふ、現実とは哀しいものだね?」

「またそのような戯言を。これ以上、放送をつづけるのでしたら、わたくしにも考えがありますわ――白虎(びやつこ)!」


 朱神は神族を召喚した。白虎は名前の通り白く美しい毛並みの虎の姿をしている。体躯は3メートルほどだろうか。だが、召喚された白虎の貌はどことなく迷惑そうだった。まるで、こんなことで自分を召喚するなとでもいうように。


「ふふ。それが凛君の私に対する愛の表現なんだね?」


 恍惚とした貌をし彼はいった。


「あ、ああ、愛の表現などではありませんわ!」

「星のきらめきを秘めた爪で私を捕らえる、か……。いいだろう。存分にかかってきたまえ! と、いいたいところだが、さすがに白虎君はシャレにならないからね。私は退散することにしよう。美しい兄妹愛を語れなくて非常に残念だよ」


 窓を開け、


「さらばだ、明智君!」


 如月は外へと飛び出した。


「貴方は怪人二十面相ですか!」


 怒鳴る彼女を尻目に白虎と放送部員が、やれやれといった貌をしている。


「な、なんですの、貴方たちのその態度は?!」


 誤魔化すように怒ってから、彼女は彼の後を追った。

 放送部の生徒は何事もなかったように椅子にすわりなおすと、零に生徒会室へ行くよう、その旨を繰り返し伝えた。放送部員のポケットには隠し撮りされた朱神の写真(健全)とそのデータが、しっかりと収められていた。





 一年A組の教室。


「……最初の放送は無視するとして」

「兄さん、いまこそお昼過ぎのドラマのような、愛がどろどろ溢れる、ふたりの私生活をみなさんに発表するときです!」

「そんなウソは発表しないでください!」

「私たちの間にはすでにふたりの子供が! 上は女の子で、下は男の子です!」

「うわー、理想的だね――って、いませんから!」 


 気を取りなおし、


「う~ん、なんだかよくわからないけど、とりあえず生徒会室に行けばいいのかな?」


 戸惑いながら零はいった。


「零くん、あたしも一緒について行っていいかにゃ? なんかおもしろそうだし」


 自分の腕を零の腕にからめて藤枝がいうと、すぐさま雫が、


「結構です。兄さんには私がついて行きますから。藤枝さんは帰るなり、部活を見学するなり、地球の果てに行くなり、好きにしてください」


 さらりと酷いことをいいながらふたりの腕をほどく。


「にゃにゃにゃ? あたしは零くんにいったんだけどな。雫ちゃんは零くんなのかにゃ?」


「あの、ふたりとも――」

「兄さん、すみませんがちょっとのあいだ、目を閉じていてくれませんか? 私はいまから藤枝さんにステキな眠りをプレゼントしようとおもっているので」


 本能が危険を察知し、零と藤枝は一歩退く。


「雫さん、目が笑っていませんよ?」

「うにゃ、ステキな眠りって……?」

「安心してください。痛みなんて感じさせませんから」


 なにが安心なんだ!? とふたりはおもったが、そこには突っ込まず零は話しを戻した。


「なんで呼ばれたのかわからないけど、とりあえず生徒会室に行ってくるよ」

「そうね、一緒に行きましょ、零くん」

「兄さんは私とふたりで行くんですよね?」

「……あー、深伽美くんも一緒に来ない?」

「いや、遠慮しておくよ。帰って『月に代わってお仕置だあ!』の再放送見たいし」


 鞄を持ち、


「それじゃ、また明日」


 爽やかな笑顔を残し奥森は教室から出て行った。


「兄さんは私と行くんです!」

「あたしも一緒に行きたい、行きたい、行きた~い!」

「……」


 ふたりの言い争いを自分では止められないと判断し、零はこっそり教室を出て行くことにした。

 しばらく歩くと騒がしい声が背後から聞こえてきた。





 一階、生徒会室。

 重厚な雰囲気をかもしだす扉には、正式名称の『生徒会執行部』と刻まれたプレートがついている。

 扉の前に立った零は迷っていた。

 この扉を開けてもいいのか、と。

 この先へ進んでしまったら、もう二度と帰って来られなくなるのではないか?

 そんな根拠の無い、漠然とした不安と恐れを彼は感じていた。


 ……なんだろう、胃の中をなにかがうねるような感覚……息苦しい……。


 昨日の事を思い出す。


 ……遠野先輩、か……やっぱりちょっと、怖いかなぁ……。


 一度大きく息を吸い、ノックしようと手を伸ばすと、


「兄さん?」

「零くん?」


 心配そうに貌を曇らせた雫と藤枝が声をかけてきた。


「え、なに?」

「顔色が悪いですよ、兄さん」

「大丈夫、零くん? 今日はやめておこうか? 体調が悪いのなら無理しないほうがいいよ」


 雫はいつものように心配し、藤枝は猫のような笑みを消して、驚くほど真剣な貌でいった。

 初めて見る藤枝の真剣な貌に零は驚く。こんな貌もできるのか、と。ふたりにいわれ、彼は額に軽く触れてみた。冷たい汗が指先に付着する。

 自分でおもっている以上に緊張しているのだろうか?


「……大丈夫。用事は早く済ませたいから」


 笑顔をみせ、零は軽く扉をノックした。

 硬い、乾いた音が小さく響く。


「少々お待ちくださいませ。いま、扉をお開けいたします」


 扉の横に設置されたインターフォンから声が聞こえ、しずかに扉が開かれる。室内からあらわれたのは、


「!?」

 

 侍女服に身をつつんだフェレスだった。


 ――入学式の時にも見たけど、本物のメイドさんですよ!!


 感動に打ち震える零と後ろのふたりにフェレスは、


「どうぞ。なかにお入りください」


 笑顔をみせ、落ち着いた声で入室をうながした。

 失礼します、といって三人が徒会室に入ると入学式の時に見た役員が一人を除いて全員そろっていた。入り口から見て左奥、上座に如月、窓側に朱神、廊下側に大地がすわり、武内が窓に背をあずけ腕を組んで立っている。テーブルの上には人数分のアールグレイが載っており、室内にベルガモットの香りがただよっていた。


「うお! めちゃくちゃかわいい子がふたりもいるぞ! ねえねえ、今度オレとデート――」


 雫と藤枝を視て武内は駆け寄ろうとしたが、寸前のところでフェレスの手刀に阻止された。


「失礼いたしました」


 気絶した武内を窓側のイスにすわらせフェレスは三人に謝罪。かおを上げると彼女は入り口から見て右側に見えるドアへ行き、


「遠野様。お客様は三名様です。ワタクシもお手伝い致します」


 来客を告げた。


「三名様ですか? わかりました。ヴェルミナさんはイスの用意をお願いします。こちらはすぐ用意できますから」

「かしこまりました」


 頼まれたフェレスは予備のキャスター付のイスを移動させる。三人にすわるよう促し、彼女は気絶した武内のとなりにすわった。零がフェレスに見蕩れていると、視線に気づいた彼女は清楚な笑みをみせた。


「兄さん」

「な、なに?」

「メイドの格好なら私がいつでもしてあげますよ。もちろん、いろんなご奉仕つきです!」

「妹にそんなことされてもうれしくありません……」

「にゃはは。だったらあたしがメイドさんになってあげるわよん♪」


 侍女服姿の藤枝を零は想像してみる。


「……」


 お願いします!! と零はおもった。


「ふっ、天宮君。君の気持ちは同じ男としてよくわかるよ。やはりメイドは男のロマンだね?」


 テーブルに肱をつき指を組んだ姿勢の如月がいうと、


「なにが男のロマンですか」


 キッチンからエプロン姿の遠野がやって来て、あきれた声でいった。

 手には三人分の紅茶を載せたトレイを持っている。


「会長と同じだなんて……」


 ティーカップを零たちの前におき、遠野は憐れむように零を視て、ふうっ、と嘆息。


「がんばって生きていってくださいね?」

「あれ? もしかしてぼく、なぐさめられてますか……?」

「ふふ、気のせいですよ?」

 

 エプロンを外し、遠野は三人にほほ笑んでみせた。


「ようこそ、生徒会室へ。まずは、あたたかい紅茶でも召し上がってください」



 


「………………」


 自分に集まる視線を感じながら零は、注目されるのは苦手だな、とおもった。

 恥ずかしさに汗が滲んでくる。 


「妹さんは来るかもしれないとおもっていたが、まさか、もう一人、連れてくるとは……そうしていると、まるでハーレムものの主人公みたいだね?」


 雫と藤枝に腕を組まれて坐る零を視て、如月が愉快にそうにいった。


「す、すみません、大勢で来てしまって……」

「にゃは。会長さん、あたしお邪魔なら帰りますよ?」


 ひかえめに藤枝がいうと如月は首を横に振った。


「いや、かまわない。君もいたほうが天宮君も話しやすいだろう」

「そんなことないですよね、兄さん?」

「零くんはあたしがいたほうがいい?」


 アハハハハ、と零は乾いた笑みで応えながら、誤魔化すように桜の絵があしらわれたティーカップに手を伸ばした。春といっても、まだ少し肌寒い。あたたかな湯気とベルガモットの香りがやさしく彼の緊張をほぐす。口にふくめば、ほのかな甘みがじんわりと広がった。

 

 ……紅茶ってこんなに美味しいかったっけ……?

 

 左右を見れば紅茶を飲んだ雫と藤枝も感嘆の吐息を漏らしていた。


「あの、わたしが紅茶好きなものですからお出ししましたが、緑茶やコーヒーもあるのでそちらがよろしければ遠慮せずにおっしゃってくださいね?」


 三人を気遣って遠野が尋ねた。紅茶好きというだけあって、テーブルに上にはホットウォータージャグ、ミルクピッチャー、シュガーポット、砂時計などのティーセットが置かれている。これらはすべて彼の私物だ。


「いえ、大丈夫です。ぼく、こんなに美味しい紅茶はじめて飲みました」

「あたしも……。いつも、ティーパックのやつにゃー」

「ほんとうに美味しいです。どこのメーカーですか?」


 感嘆の吐息をもらし、雫が尋ねる。


「仏蘭西のマリアージュ・フレールです。よかったら一缶、帰りにプレゼントしますよ?」

 

 ほほ笑みながら遠野がいうと三人は、ありがとうございます! とうれしそうに礼を述べた。


「副会長の淹れる紅茶はほんとうに素晴らしい。どれぐらい素晴らしいかというと――」

 

 如月は大地の横にすわる遠野を頭から爪先まで鑑賞するように視て、うなずきを一つ。


「素晴らしいね?」

「あ、蒼くんの紅茶、わたしもす、す、……一番美味しいとおもうのです……」


 如月と張り合うかのように、しかし、だんだんと小さくなる声で大地がいうと、


「ありがとうございます」


 遠野がやわらかい笑みを彼女にむけた。


「……」


 ふたりのやり取りを見て朱神は大地の素直さをほほ笑ましくおもい、また、少し羨ましいとおもった。


 ……わたくしも桜さんのように素直になれたらよいのでしょうけれど……。


 吐息をひとつ、そっとこぼす。


「どうしたのかね、凛君? ため息など()いて。なにか悩み事でもあるのなら私にいってみたまえ。より悩みと人生に深味が増すかもよ?」


 お代わりを遠野に頼み如月がいうと、


「なんでもありませんわ」


 怒ったように朱神は応えた。胸のうちで大きなため息をこぼすが、すぐに姿勢を正す。


「それよりも望君、本日の件ですが」

「ふむ。そうだったね」


 うなずき、如月は正面にすわる零を視る。


「さて、本題に入ろうか。天宮君、君は在学中にこれといった目的がなにかあるかね? 勉学、部活、研究、そして女子更衣室やシャワー室の覗き。心血を注ぐような胸トキメク目的があるのかな?」

「最後の一つは? いえ、なんでもないです。いまのところは特になにもありませんけど……」

「それはよかった。ならばどうだろう? 私たちと一緒に、血沸き肉踊る爽やかな青春の思い出を作らないかね?」

「女子更衣室を覗いてるほうが楽しそう――あっ……」

「兄さん?」

「あははは! えーと、それってどういう意味でしょうか?」


 意味をはかりかねて零は首をかしげた。


「遠まわしにいうとだね、生徒会に入らないかってことだよ」

「生徒会に、ぼくが?」


 あまりにとうとつな誘いだったため、零は突っ込むことも忘れ呟くようにいった。


「うにゃにゃ?! 零くんすごい! スカウトだ!」

「……」


 驚く藤枝とは対照的に紅茶を飲む雫の手が止まった。不安げに零の横顔を見つめる。


「ちょっと待ってください。たしか生徒会に入るには選挙で選ばれなければ入れないはずだとおもいましたが……」

「ふむ。たしかに基本的にはそうだが、欠員などがある場合などは私たちで補充要員を入れることができる。入学式の時もいったはずだが聞いていなかったのかね?」

「そう、なんですか……?」


 新入生代表の挨拶で頭がいっぱいだったので聞いていなかった。

 

 ……なんでぼくが? 入試トップだから? 能力は……昨日、遠野先輩に見られてるか……。でも他にも能力者はいるだろうし、雫だって……。


「天宮くん。拒否権はありますから、(いや)なら断ってもいいんですよ?」

 

 返答に困る零にやんわりと諭すように遠野がいった。


「そう。拒否権はある。だが、どうだろう? 副会長の話からすると、君はずいぶん高い能力を持っているようだ。その能力を皆のために役立ててみないか? 苦しんでいる者を、虐げられている者を、犯罪や理不尽な暴力から護り助ける仕事を私たちとしてみないかね?」

「ぼくが、みんなために……?」


 如月の誘いに零のこころが揺れる。

 雫はこころを揺らす零の横顔を不安そうに見つめ、彼の上着の裾を無意識につかんだ。彼女が、兄さん、と口を開きかけたとき、


「会長。そうやって詐欺師のように、天宮くんの人の()さにつけ込む言い方はどうかとおもいますよ?」

 

 非難まじりに遠野がいって言葉をつづける。


「生徒会の仕事は命の危険もありますし、軽い気持ちでやれる仕事ではありません。ですから、よく考えてくださいね?」

「そう、ですよね……」


 うなずき、零は考える。

 命の危険。

 生徒会に入れば否応なく危険がともなう。自分が大怪我をするかもしれない。死んでしまうかもしれない。生徒会に入ればそれはしかたのないことなのだろう。

 だが、生徒会に入れば、誰かを助けるために、誰かを傷つけてしまうかもしれない。最悪――殺してしまうことだってあるかもしれない。そんなことは、自分にはできそうにない。いや、したくない……。こんな自分では、とてもじゃないが生徒会の仕事は務まらないだろう。

 この話は断ろう、とおもい零はいいにくそうに如月を視る。


「あの――」

「天宮君、私は返事を早急に求めてはいない。短い時間で導かれた答えは、あまり良い方向に進まないことが多いからね。取り返しのつかない結果を招くこともある。焦らずに自分で考え、選ぶといいだろう」

 

「進むべき――自分の道を」

 

 室内の時が止まった。

 遠野とフェレスを除く生徒会役員が呆けた貌で如月を視ている。


「……望が変になったぞ」

 

 武内が眉をしかめた。


「変とは失礼だね、英雄君。まあ、サヘラントロプス以下の脳ミソしか持ち合わせていない君には、私の素晴らしさは理解できないだろうが」

「っざけんな! 誰が猿人以下の脳ミソだ!」

「気にすることはないよ、英雄君。私の心はカエサルよりも広く、寛容だからね。君の愚かしさを責めたりはしないよ? ふむ。そうだね、今度から英雄君のことはトゥーマイと呼んで親しむことにしようか」

「そんな愛称で親しむな!」

「そんな愛称とは心外な。生命の希望という、とても素晴らしい意味なのだよ?」

 

 やれやれ、と如月は肩をすくめる。


「英雄様、如月様がまともな発言をなされたらなぜ変なのです?」


 手を頬にあて、フェレスが武内に尋ねた。


「こいつはなぁ、二十四時間フルタイムで有害電波を放ってるような奴だぞ? そんな奴がまともなことをいったら変っていうか、それはむしろ異常だろう」

 

 なるほど、とフェレスは納得した。


「凛君。いま私の人格がさらっと否定された気がするのだが、気のせいだろうか?」

「気のせいではありませんわ」

 

 如月はおおげさにため息をつく。


「君たちは私のことを誤解しているようだね。一度ゆっくりと時間を掛けて話し合う必要があるとおもうが? ……桜君。その憐れむような()はなにかね?」

「あ、えっと……その……。が、がんばってください!」


 大地はあわててティーカップを受け皿に戻し、彼を励ますように笑顔をみせた。

 ふっ、と如月はさびしげに笑い前髪を掻きあげる。


「副会長。最近、私の素晴らしさが理解されないことが多いのだが……。世の中、納得出来ないことばかりだね?」

「そうですね。わたしも納得できないことばかりです」

 

 まったくだね、と如月は何度もうなずき紅茶を飲む。


「にゃはは。おもしろい会長さんだね、零くん」

「そ、そうだね……」


 藤枝に曖昧な返事する。

 

 ……ほんとうに、ここに来て良かったのかなぁ……?

 

 彼らのやり取りを視て零は少し不安になった。


「ところで天宮君」

「は、はい?」

「今日の、妹さんの下着はなにい――」

「あなたはなにを訊いているんですの!」


 朱神が速攻で如月にツッコミを入れた。彼女はそのまま怒涛のお説教モードへ突入する。しかし、彼は彼女のいうことに対して微妙な反論で応じ、火に油をそそいだ。


「気にしないでください、天宮くん。これはいつものコミュニケーションですから」


 呆然としている零に、遠野が苦笑しながらいった。


「このままでは話しが終わらないので、わたしが話をつづけますね。会長もいっていましたが、いますぐ返事をする必要はありません。よく考えてから返事をしてください。こちらに気を遣う必要はありませんから」


 そういうと遠野はしずかに席を立ち、


「用件は以上です。本日はお越しいただき、ありがとうございました」


 眉尻を下げ、すまなさそうにほほ笑んだ。




 太陽が地上に口づけをしようとしていた。

 空は青、浅葱(あさぎ)、朱、橙、紫色などの色が複雑にかさなり幻想的な美しさをみせている。

 立志館の正門からつづく桜並木も夕暮れのなか、しずかにその花をちらしている。

 せつなさがこみ上げてくるような光景を、ぼんやりと眺めながら零と雫は歩いていた。

 手には帰り際に遠野から渡された紙袋を持っている。

 コツ、コツ、とレンガ敷きの道を歩く足音。

 ふたりの歩調は普段よりもいくぶん遅い。

 藤枝の姿が見えないが彼女とは正門のところで別れていた。


『今日は面白かったね! それじゃ、また明日。ばいにゃーん♪』


 鼻歌を歌いながら元気に帰ってゆく姿を見送って、いまは二人きりだ。

 風が吹き、マフラーしか防寒対策をしていない雫が小さくふるえた。

 春とはいえ四月上旬に吹く風はまだ肌寒い。

 

 ……珍しいな、雫がコートを忘れるなんて。


 足を止め、自分が着ている黒のハーフコートをふるえる彼女の肩にかける。


「ありがとう、兄さん」

「珍しいね? コートを忘れるなんて」

「こうすれば兄さんがコートを貸してくれるとおもって。ああ、兄さんの体温と匂いが私を!」

「いますぐコートを返してください……」

「兄さんも私の体温と匂いを求めているのですね?」

「求めてません!」

 

 嘆息をこぼし、


 ……これでぼくが風邪を引いたら……。


 彼女に看病される自分の姿を想像して、彼は身震いした。

 帰ったらすぐ、湯船につかろうとおもった。


「やっぱりコートがないと寒いですか?」

「いや、大丈夫だよ。アハハハハハ!」

 

 ふたりは止めていた足を動かし、再び歩きはじめた。

 しばらく無言で歩いていると、


「……兄さんは、どうするつもりですか?」


 雫が不安そうに尋ねた。

 どうするつもりとは無論、生徒会に入るか否かだ。


「そうだね……どうしようか……」

 

 困惑した貌で零はいった。


「兄さんはさっき、断ろうとしていませんでしたか?」

「……」


 さすが、雫はぼくのことをよくわかっているなあ、と彼は苦笑する。

 たしかに、彼はすぐに断ろうとしていた。誰かを傷つけたり殺したりしたくはない。自分には生徒会の仕事はむいていない、と。


「断ろうとは、おもっているんだけどね……」

「断りにくいのなら、私が――」

「いや、大丈夫。あの人たちなら断っても嫌な顔はしないとおもうから。ただ……」

「ただ?」

「……どうしてぼくを誘ったのかなぁっておもって。遠野先輩もそうだけど、あそこにいた人たちって全員すごい人でしょ?」

「そうですね、そこはやはり護国司の生徒会ですから……」


 あの生徒会に自分はほんとうに必要なのかだろうか? と彼は疑問におもう。


「そうだよね……。それならべつに、ぼくなんか必要ないんじゃないかな? どうしてぼくを誘ったんだろう? 選挙でもないのに」


 帰り際、遠野からもらった紙袋を視る。中には紅茶の他に草団子とケーキが入っていた。

 それに、と彼は言葉をつづける。


「遠野先輩はぼくに、あまり生徒会に入ってほしくないっていうか、べつに入らないでもいいって感じだったし……」

「……」


 困惑する彼の横を歩きながら、彼女は考える。

 生徒会に誘われたのは、兄が入試トップだということと、能力者であることが彼らにしられたからだろう。生徒会が兄を欲する理由はそれだけで十分だ。彼らは、こうおもっているのではないか? 選挙になれば兄が生徒会に入ることになるだろう。だったら、いまのうちから兄を生徒会に入れ、早く仕事に慣れさせてしまおう、と。自分が彼らの立場なら同じようなことを考えたかもしれない。

 胸のうちで雫はつぶやく。


 ……選挙……。


 選挙になれば、おそらく兄は誰かに推薦されてしまうだろう。兄はきっと断るだろうが、押しに弱い兄のことだから、断りきれないかもしれない……。そうなったときは、自分が全力で兄の生徒会入りを阻止しよう。


 ……兄さんには生徒会の仕事は向いていませんからね。


 ふふ、と彼女は苦笑をこぼした。

 生徒会の考えは推測できる。しかし、ではなぜ、その生徒会の副会長である遠野があのような曖昧な態度をとったのだろうか?

 彼の顔をおもいうかべながら、彼女は昨日のことを思い出す。

 

 ……昨日の一件で遠野先輩にはわかったのかもしれません。兄さんには生徒会の仕事が向いていないということが……。


 だが、副会長という立場が、彼にあのような曖昧な態度をとらせたのではないだろうか? 彼の本心としては兄に生徒会に入ってほしくないのではないか? 生徒会室でのやりとりを視ておもったのだが、彼はきっと、やさしい人なのだろう。だから兄を、危ない目に遭わせたくないのではないか?


「……う~ん。考えてもしかたがないか」

 

 困惑しながら零がいうと、


「そうですよ。それに無理やり入れっていわれているわけでもないですし。あまり気にしないほうがいいです。嫌なら断っちゃえばいいだけですよ」


 彼の憂いを払うように、雫が明るい笑顔をみせた。

 そうだね、と彼は彼女に笑みを返す。


 ……雫にはいつも助けてもらってばかりだな。


 彼は胸のうちで彼女に感謝しながら、


「お土産にもらったケーキもあるし、早く帰って食べようか?」


 遠野からもらった紙袋を掲げてみせた。彼女が嬉しそうにうなずく。


「兄さん、兄さん! 私もちゃんと残さず食べてくださいね?」

「脱酸素剤は食べられません!」


 早く帰ろうといいながらもふたりは肩をならべゆっくりと歩いてゆく。

 木々の間に立つ街灯が、磨硝子(すりガラス)越しにほのかな乳白色の明かりを灯しだした。

 ライトアップされた桜の並木道。

 星たちが歌い始める。





 零たちが帰った後も生徒会室では話しがつづけられていた。

 テーブル上にはさきほど飲んでいたアールグレイではなく、シナモンミルクティーが用意されている。その横にはチョコレートケーキのオペラが、美しいたたずまいを魅せていた。


「おおむねいつもどおり、か」


 皆の報告を聴き終わると如月は紅茶を一口ふくんだ。ふと、大地を視る。十歳の身体ではもう疲れているはずなのに彼女は姿勢よくすわっていた。気遣うことはあるが、あまり彼女を特別扱いすることはない。本人がそれを望んでいなからだ。


「桜君。昨日の件だが」


 ティーカップをテーブルの上へ戻すと如月はいつもの調子で大地に尋ねた。


「はい、凛さんが調べたとおりでした。天宮くん兄妹を襲い、立志館を襲撃しようとしていた人たちの背後関係を、防衛機構に残っていた画像データをもとに調べましたが、県下の生徒会や不審な組織との関連性は皆無だったです。ですが……立志館のマザーシステムをチェックしていたら、バグのような不審な痕跡がありました。受験合格者発表の翌日に……」


 うつむきかけた(かお)を上げる。


「バグの可能性が高いのですが、ハッキリするまでもう少し時間がかかるのです……」

「気にすることはない、桜君。それだけでも十分だよ。何事も十全といはいかないものだ。それに、もしそれがハッキングされたものだとしても、その件に関しては副会長が護衛をしていたから事なきを得ている」


 遠野を視る。


「今日は何事も無かったのだろ?」

「ええ。何事もありませんでした」


 しょんぼりする大地にほほ笑みかけ、遠野は紅茶のお代わりを勧めた。

 しかし、と如月はおもう。

 

 ――桜君をてこずらせるとなると……相手に桜君と同等の電脳世界の住人がいると考えた方がいいか……。共犯なのか、協力者のかはわからないが……。


 指を組みなおす。


 「襲撃者に背後関係がないのなら、天宮君兄妹が襲われたのは偶然――たんなる彼らの気まぐれだったのだろうか? だが、ふたりを襲った彼らには不審な様子があったという副会長。英雄君が捕らえようとした男は何者かによって殺害され、そして今日、桜君が見つけたハッキングの可能性。断定はできないが、ふたりが襲われたのは偶然というより、むしろ必然だったと考えるべきではないだろうか? 仮にそうだとした場合、殺された男は捨て駒にされたのだろう」


 一名を除いて皆が肯く。


「しかし、そうだとすると、リーダー格の男を殺されたのは痛手だったね。手っ取り早く確証を得ようにも襲撃者は皆、英雄君が片付けてしまっている」

「申し訳ありません。まさかこんなことになるなんておもっていませんでした。これは指示を出した、わたしのミスです」


 頭を深く下げると、遠野は立ちかけたフェレスを眸で制した。


 「……」


 武内と襲撃者の戦闘中、フェレスはその場に居合わせなかった。

 もし、自分がその場にいればみすみすリーダー格の男を殺されることはなかったのではないか。たしかにその可能性はあっただろう。ならば、普段は必ずといっていいほど武内の傍にいる自分がその場にいなかったことにも責任はある。遠野だけが悪いのではない。いや、自分こそ謝罪するべきだろう。しかし、彼に制されてしまった。

 彼の意を汲んでフェレスは謝罪の言葉を飲み込む。

 かわりに、彼女は敬愛をこめ、遠野に黙礼をかえした。


「副会長。桜君にもいったが、どれほど優秀な者でもなかなか十全とはいかないものだ。それが可能なのは神である私ぐらいだね? 気にすることはない。それにしても英雄君も気が利かないね。どうせなら君が身代わりとなって燃えてくれればよかったのだが。君なら燃やしても死ぬことはあるまい?」

「ふざけんな! 死ぬに決まってんだろ!」

「そうですわね。英雄君ならきっと大丈夫でしょう。今度、試してみますわ」

「試すな!」

「英雄様、服が燃えても大丈夫なように、お着替えはちゃんと用意しておきますから」

「そういう問題じゃねえ!」

「心頭滅却すれば火もまた――」

「涼しくねえ!」

「あ、え、えっと……あ、あうぅ……」

「あうあうあうあうアアアアアアアアアアアァァァあああああああああああああぁぁぁあアア”!!」

 

 肺活量と力の限り武内は叫んだ。

 論点が完全にずれたところで朱神が咳払いをひとつ。


「望君」

「ああ、話しがずれたね。さて、偶然ではなく必然だった場合。相手の目的はなんだろうね? 単純に天宮君兄妹が狙いだったのか、それとも護衛する私たち生徒会が狙いだったのだろうか? 桜君が見つけた痕跡がハッキングされたと仮定した場合、それほどの者なら成績上位者には我々生徒会や保安部の者が護衛に付くこともわかっていたはずだろうしね。生徒会を狙っていたとも十分考えられる」

 

 組んだ指の上に顎をのせ如月は考える。


 ――天宮君(もしくは妹の雫君も)を目的とした場合。誘拐し何かに利用するつもりだったのか……? 


 たしか、彼らの御両親がNGO(Non Governmental Organizationの略。非政府組織)『自由の選択(D・D)』(Do your dutyの略)に所属していたな、それ絡みだろうか? いや、そうだとしたらあっさり手を引きすぎている。その可能性は低いとみていいだろう。可能性として高いのは、単発的にある立志館に対する逆恨みの犯行。しかし、そうだとしても、やたらと手が込んではいるが、襲撃してきた者たちがお粗末なのが気にかかる。それとも今回の件、もっと別の目的、意図があるのだろうか……。


 それぞれが思案するなか武内ひとりがケーキを食べ終えた。食べたりないのか彼が遠野にお代わりを頼むと、隣に坐るフェレスがため息をもらした。


「英雄様。食べてばかりいないで、英雄様も真剣に考えてくださいませ」

「あぁ? そうだなぁ……」

 

 フェレスの胸を視る。


「毎日、牛乳飲めば、おまえもオイッパイがで――」


 間髪いれずにフェレスが無言で、武内の肝臓のあたりに手刀を入れた。そこからさらに連撃を加える。どうやら胸の話題は彼女にとってタブーらしい。

 お代わりのケーキを持ってきた遠野は、テーブルの上に突っ伏している武内を視て苦笑。

 ピクリとも動かない彼とケーキを交互に視る。


「どなたか、ケーキのお代わりはいりませんか?」




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