第72話 主人を止める力がなければ、かけがえのない居場所になればいいじゃない
どこまでも灰色の世界だった。
地面があるのかも、空があるのかもわからない。
私はただ、その場に立ち尽くしていた。
やがて、どこからともなく笑い声が響いてくる。
女性特有の、あの聞き覚えのある嘲笑めいた響き。
ひそひそと交わされる声は小さいながらも、この静寂の中では異様なほど鮮明に耳に届いた。
「ねえ、見た? またひとりでいる」
「いつも空気読めてないよね」
「がんばってるつもりなんだろうけど……ふふっ」
目を凝らし、必死に辺りを見回してみても、人影はおろか影すら見つけることができない。
けれど、確実に囲まれている感覚が私を圧迫していた。
見えない視線が四方八方から突き刺さり、肌に鋭い痛みとなって感じられる。
何一つ悪いことをしていないのに、まるで重罪人のように責め立てられているような錯覚に陥っていた。
私はただそこに立っていた。
動いたら何もかもが崩れ去ってしまいそうで、足を一歩前に出すことすらできずにいた。
私は目の前のことに必死だっただけなのに。
私はただ————
声は音にならずに、喉の奥で泡のように消えていく。
どうしようもない無力感。
どれだけ手を伸ばしても、届かない。
どれだけ頑張っても、笑われるだけ————
やるせない。
苦しい。
悔しい。
わかってほしい。
私が、どれだけ————
その時、ふっと意識が引き戻された。
まどろみの底にいた私は、重たいまぶたをかろうじて持ち上げる。
薄暗い天蓋の向こう、淡い光の中に、見慣れた影があった。
「テレシー?」
「————起こしてしまいましたか」
私がかすかに声をかけると、彼女は顔を上げる。
振り向いたテレシーは、ひどく悲しそうな顔をしていた。
「主人の邪魔ばかり……使用人失格ですね……」
そんなこと、ないのに。
だけど私は黙っていた。
言葉を挟むより、今は彼女の想いを静かに聴いていたかった。
「クセル様から、あなたのことを任されていたのに……肝心なときに私は————結局、こんな事態になってしまいました」
いつもの感情を表に出さない冷静な口調ではなく、ただ苦しそうに言葉を紡ぎ出している。
「私の立場では、犯人を捕まえて断罪することも叶いません。そして……勇者達がマリナス様を連れて行くことも、止められなかった」
テレシーは私なんかよりも強い女性だ。
自分の身は自分で守れるし、強い芯を持っている。
本来、私なんかに付き従うなんて、分不相応だ。
そんな彼女が、私のためにそこまで思ってくれることが、とても嬉しくて—————
とても辛い————
「……そんなに自分を責めないで」
ようやく声が出た。
情けないほど掠れていたけれど、それでも私は言わなければと思った。
「私は……テレシーがいないと本当にダメダメなんだから。全部自分でできるフリして、でも……本当は、テレシーがいないと何にもできないの」
王宮の廊下に出れば、私はこの国の王女だ。
そんな私も、クロ達のおかげで、冒険者になることができた。
だけど————テレシーの前では、ただの普通の女の子になれる。
全ての仮面を脱ぎ去って、自然体でいられる。
私にとって、かけがえのない居場所だ。
だから、テレシーがいなきゃダメなのだ。
帰れる場所がなければ、私は冒険することができない。
「————行ってしまわれるのですね」
テレシーは、少しだけ目を伏せながら、私に問う。
私は静かにうなずいた。
「うん……行かなきゃ。できることを、やらなきゃね」
脳裏に様々な人物の姿がよぎる。
お母様、リゼッタ、王宮の人達————
冒険者になって関わった、冒険者の人達————
大切な、勇者の仲間達————
そして、クロ————
私に期待してくれている人のために、私は頑張らなきゃ。
私の静かな返事に、テレシーはわずかに微笑んで言うのだった。
「忘れないでください————私はずっと……マリナス様のことを見ていますからね」
彼女のその言葉は、まるで誓いのように感じられた。
私は再び目を閉じる。
少しだけ、心が温かくなっていた。
*
次の朝
王宮の前に勇者達が集まる。
朝の清々しい空気の中、それぞれが決意を胸に秘めて立っていた。
レックス、ラウム、レオナ、武者丸、ニカ、チカ。
そしてクロと————
王宮から冒険者の装備を身につけたマリーが、勇者達の元に駆けつけた。
「さあ————行くぞ」
レックスの力強い掛け声とともに、全員が歩き出す。
足音が石畳に響き、新たな冒険の始まりを告げていた。
勇者達の、グランドクエスト攻略が始まった。
読んでくださりありがとうございます。
主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。
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