死んでも世界は続く
葬儀から一夜明けた。
朝日も小鳥のさえずりも、何も世界は変わっていない。
だが、ハンナがいないという事実だけ突きつけられて、そこから離れることはできなかった。ハンナがいなくても世界が滅びるわけではない。
私は着替え、議員宿舎の廊下へ出る。もう、後ろ方肩をトントンと叩いてくれない。
部屋のドアの前でなぜかハンナが待っていてばったりなんて二度とありえないんだ。
私はハッとして後ろを振り向いた。
「ハンナ…?!」
確かに後ろにいた気がした。ハンナが私に微笑みかけていた気がした。
だが、誰もいない。あるのは空間だけ。いるわけがない。
「私は疲れているんだ…」
私は私自身に言い聞かせるように呟いた。ちゃんと睡眠時間を確保しているはずなのに、異様な疲労感だった。
私は一人とぼとぼと歩く。話そうにも話し相手がいない。いつも並走してくれた彼女がいないのだから。
流石に誰もいない空間に話しかけるわけにもいかない。
会議室に入ると、私とハンナ以外全員いた。
「おはようございます。ウォール議長」
エマリー軍代理が落ち着いた声を出した。
「おはよう。エマリー軍代理」
すると、エマリー軍代理が立ち上がって
「ハンナ諜報長官のことお悔やみ申し上げます。葬儀の時、挨拶できず申し訳ありません」
「いや、いいんだ。気にしないでくれ」
葬式の後、フィール外交部長に連れられて建物裏に行ってしまったわけで、エマリー軍代理が探しても私のことを見つけられなかったのだろう。
肝心のフィール外交部長は私のほうを見ると、居心地悪そうに赤面しそっぽを向いた。当然だ、あんなことがあったのだから。私も居心地が悪い。
ウージ財務部長には会釈をしておき、私は席に座った。
「これより行政調整会議を始めます。今回はハンナ・オンバーン諜報長官暗殺事件についてです。エマリー軍代理から」
エマリー軍代理が立ち上がり、
「この度は我が軍所属の兵士が卑劣なテロ行為を行ったことを陳謝いたします」
頭を深々と下げた。三、四秒下げ頭を戻す。
「軍代理として責任を痛感しており、参謀本部調査局による内部調査が現在進行形しています。その最終調査結果が発表され次第、エブレイ・ユートク准尉が所属していた第十七師団に処分を下す予定です」
「軍人が政権幹部を殺害する異常事態が起きたのに、軍代理のあなたはおやめにないのか」
ウージ財務部長が呟く。
「軍代理の人事権は議長の専権事項です。罷免されないのであれば職務を全うします」
エマリー軍代理を罷免にしたくはない。他に変わる人材もぱっと思いつかないし。
だが、あんまりにも上層部がぬるま湯だと現場から不満がたまるだろうし、何より軍を過信していいものかとも思う。
これはあくまで内部調査だ。
「フィール庶務部長」
「は、はい…!!」
いきなり話を降られたフィール外交部長兼庶務部長は驚いてこちらを見た。
「今回の事件を庶務部警察課は捜査していないんだよな?」
「え、ええ…。軍勤務中の出来事でしたので、軍に任せるということでした」
「ちゃんと庶務部警察課としても事件化して捜査をかけろ」
「軍への捜査は機密性の高い情報もあるため、難しいかと思います」
エマリー軍代理が横槍を入れた。
「内部調査が自分の組織へ甘くなるのは当然だ。軍人が起こした事件を軍人が調べるのは信頼できない。庶務部警察課は軍が再び信頼を取り戻すためにも徹底的に調べるように」
「はい…!!」
「軍も警察課の捜査へ協力するようにしてください」
「はい」
一息つくと、エマリー軍代理が質問を投げかけてくる。
「ハンナ諜報長官の後任はお決めになられましたか?」
「いいや。今のところ任命しないとクロス党首に伝えた」
話を聞いていたフィール外交部長は驚いた顔をして
「いや、良くないと思います。諜報部をトップ不在で放置するのはまずいんじゃないでしょうか」
「私が決めたことだ」
「そうですか…。ネルシイが大規模な軍事演習をやるとユマイル外交部に通達が来ています。諜報部がこの状態、参謀本部調査局が内部調査に拘束されることを考えると、情報収集体制が少し不安です…」
「二週間後?」
「そうです」
「それまでに何とかする」
「何とかって…二週間で諜報部全体を把握するなんて不可能でしょう」
「全部を管理する必要はないが、この機会にちゃんと諜報部の膿は出し切っておかないといけない」
「そうですか。ウォール議長にお任せします」
フィール外交部長が投げやりに言った。
「あと、ネルシイの軍事演習を非難しなくていいんですか?」
「そっちは『注視している』くらいの表現でいい」
「分かりました」
フィール外交部長が頷く。
「ウージ財務部長は軍事予備費のことで軍との調整が残っているだろうしそちらを頼む。参謀本部とうまい具合に調整してくれ」
「はい」
「では各員解散」
「お疲れ様でした」
行政調整会議を終え、私は議長室に戻ろうかと思い歩き出す。
みんなの後ろについていくと、背中をたたかれ呼び止められた。
叩かれたとき思い出がフラッシュバックして、くらっとした。
ハンナが…ハンナ諜報長官が後ろにいて私の手を叩いているようだった。
「ハ…!!」
私は錯覚に支配され、何かに押され勢いよく振り返った。
「…エマリー軍代理か」
当たり前だ。ハンナが後ろにいるわけがない。ハンナの葬儀はもう終わり、会議室にもハンナの姿は当然ない。ありえないんだ。なのに強力すぎる思い出に引っ張られ、狂ったことを考えてしまった。
「どうした?」
「内密にお話したいことがあります。午後、軍代理の職務室に来ていただけませんか?」
内密に話がしたいか…。エマリー軍代理とはそういうことはあまりなかった。一体何があったのだろうか。
「…行政調整会議では伝えられなかったことなんだな」
「だからこうして申し上げているんです」
「分かった。午後五時に私の予定が開くから、その時でいいな」
「了解いたしました」
部屋を出るときに、エマリー軍代理が振り返る。
「余計なお世話ですが、無理なさらないでくださいね」
「…無理しないとこの仕事はやれない。曲がりなりにも私はこの国の最高責任者だ」
「そうでした。申し訳ありません」
エマリー軍代理はそのまま会議室を出て行った。




