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 第一話 ランチ会 前編

※本話には、家庭環境や恋愛観・価値観のズレを含む描写があります。

 日常会話風の展開ですが、会話の裏に潜むマウントや探り合いなど、人間関係に敏感な方はご注意ください。



誰かが主役になろうとするたびに、

誰かが滑り落ちる。


50代半ばの女たちが、

数ヶ月に一度だけ集う“ランチ会”。


それは、

愛と見栄と過去の亡霊をテーブルに並べる、

滑稽で哀しい女の戦場──




「ここのランチ、前に来たときより1,000円も高くなってない?」


 そう言って席に着いたのは小百合。

 ひときわ大きな声で店内を振動させるような陽気さをまといながら、彼女はずけずけとテーブル中央のメニュー表を引き寄せる。


「小百合、それは前に来たときのが安すぎたの。

 日替わりランチとパンケーキのセットが1,200円。あれって赤字だよ」


 冷ややかに突っ込んだのは桂子。

 ジャケットの襟を指先で整えながら、姿勢よく背筋を伸ばす。何事も正しくあるべきという彼女の性分は、今日もきっちりとアイロンがけされたシャツのように整っていた。


「うるさいわね。

 こちとら借金完済してんの。

 金勘定にはシビアなのよ、わかる?」


「はいはい、はいはい、わかりました〜」


 茶化すように手をひらひらさせたのは菜津。


 整えすぎた髪と過剰にカールした睫毛、やたら目立つピアス。ブランドロゴの入ったスマホケースをテーブルに置く音だけが、虚勢のように響く。


「小百合、また無職に戻ったの?今のご主人定年したんでしょ。

 え?え?今って完全ヒモ?」


「ちっがーうの!

 私、准看取ったの!こないだ!

 もう、国家資格よ!ふふっ、偉いでしょ?」


「小百合が准看?

 あんたの採血……。どれだけ刺すか怖くて病院行けないじゃん」


 可奈子が笑いながら言うと、小百合が目を吊り上げて詰め寄る。


「なにそれ、悪口?

 てかあんた、今日もまた黒ワンピか〜。

 独身女は喪服で気配を消すのが好きだよね〜」


「うん、小百合って本当ズケズケ言うよね。

 でも、そこが好きよ」


 そう言って可奈子はカップの紅茶を口に運ぶ。

 彼女の笑顔は変わらない。


 無邪気に見えるその表情の下に、観察者としての冷静さが潜んでいることに、6人のうち誰も気づいていない。


「ところでさ〜、亜美は今日来るの?」


 天然ボケ気味の桃子が話題を切り替えた。

 彼女は相変わらず軽装だ。うっすら胸元の開いたカットソーに男受けしそうなふわふわパーマを揺らしながら、自分のグラスにストローを突っ込む。


「来ないわよ。まだ産後太りだって。

 てかあの人、いつまで産むの?子だくさんってだけで尊敬されると思ってるのって、ムリだな」


 菜津がぼそっと呟いたその時、美知子が静かに口を開いた。


「亜美のとこ、長男が引きこもりって聞いた。

 可奈子、あんた知ってた?」


「うん。

 ……でも、それをこんな場で言わなくてもいいでしょ?」


 可奈子の声が少しだけ低くなった。

 美知子は、その気配に少しだけ目を伏せた。


「私、亜美の長男にバイト勧めようかと思ってたのよ。うちの店で。

 今なら厨房も手が足りなくて」


「いや、美知子んとこ、あれ店っていうか半分休憩所じゃん。

 あんなに長時間居座られて可哀想って思わないの?」


 桂子の言葉に美知子が苛立ちを隠せず、口元を強ばらせた。


「ねぇ、思ったんだけど……。

 菜津、最近ますます綺麗になったよね〜。

 海外旅行また行ったんだっけ?」


 桃子が空気を和ませようと話題を変える。

 しかし、可奈子は桃子の微妙な声のトーンに引っかかった。


(あ…また匂わせか?

 まさか、また菜津の旦那と……?)


 桃子の手元には、つい先日可奈子が偶然見かけた“あの男”とお揃いのスマートウォッチがある。

 菜津の旦那が付けていたのと同じモデルだ。

 だが、本人はまだ気づいていない。可奈子だけが知っている。


「海外?えぇ。もうすぐまた韓国。

 推しがね、カムバするの。

 ホテルもいつものグレードで行くの」


「へ〜、そんなに稼いでるんだ〜?

 あれ?でも菜津自身は、何して稼いでるの?」


 桃子が天然を装うことなく直球で聞く。菜津の笑顔が引きつった。


「い、いろいろ?

 モデルの時のコネとか……インフルエンサー的な……?」


「モデルって、菜津?

 デビューできなかったんじゃなかったっけ?」


 桂子がチクリと刺す。


「あ、それってマウント?」


 菜津の声が凍る。


「違うわ。ただの事実確認。

 私たち、もう50過ぎてるのよ。

 過去を飾っても今は隠せません」


 一瞬の沈黙。


 その時、可奈子が立ち上がった。


「ごめん、ちょっとお手洗い」


 誰にも言わなかったが、彼女のスマホには一本のメッセージが届いていた。


《次の旅、空きが出たよ。予約する?》


 彼女はふっと微笑んだ。

 今度の一人旅は、信州の山あいの町。昔、おばあちゃんと行った温泉地。


──私が勝ってるとか負けてるとか、どうでもいい。


 でも、あの子たちがマウントで心を埋めてる限り、私はきっと、自由だ。



ランチ会は続く。


嘘と見栄と嫉妬を並べながら、

心の奥の「本当」に誰も触れないまま。


次回は、ランチ後の二次会、

そして“あの秘密”が漏れ始める。


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