補講14
さりげなく最終話。
「お帰り、ルカ」
「ああ。ただいま。客人が来ていたようだな」
宮廷から戻ってきたルカは真っ先に息子の顔を見に行った。ベビーベッドの前にいるエルザは、それを見て苦笑する。彼も、自分の子が可愛くて仕方がないらしい。二人そろって親ばかである。
「ああ。私の教え子二人と、ダニエレがね」
エルザが答えると、「そうか」とうなずき、ルカはあうあうと口を動かしているレネを抱き上げた。
「いい子で待っていたか?」
「それ、真顔で言うセリフじゃないよ」
赤子にも真顔で話しかけるルカだ。いや、ルカやエルザが赤ちゃん言葉を使い始めたら、それはそれで気持ち悪いのでこれがあるべき姿なのかもしれないが。
実際、レネは育てやすい子のようだ。夜泣きはあまりしないし、体も丈夫。使用人たちは『将来は美人で頭のいい子になりますね』という。彼らもレネが可愛いらしい。
「父と母がエルザの体調がいいようだったら、レネの顔を見に来たいと言っていた」
「ああ……うん。わかった。うちの両親も来るかも」
それどころか姉妹も押しかけてきそうな気がするが、定かではないので言わないでおいた。
「では、大丈夫だと手紙を出しておく」
「うん。よろしく」
特にロレーナには妊娠中何かと相談にのってもらったので、早くレネを見てもらいたい。エルザは父親の腕の中ですよすよと眠っているレネの柔らかい頬をつついて顔をほころばせた。癒される。
たいてい、ルカは帰ってきてから夕食になるまでこうしてレネを抱っこしている。子供の世話を手伝ってくれる夫として感謝するべきなのだろうか。しかし、彼が手を出すと何事も遅い。不器用なわけではないのに、手が震えているのだ。いわく、壊しそうで怖い。とのこと。
気持ちは分からなくはないが、ミルクをレネの服にこぼした時はさすがに怒った。あまりにもルカがしゅんとするので、途中でおかしくなって笑い出してしまったが。その光景を見た使用人たちには引かれた。基本的に、ルカはポンコツ、エルザはクールで通っているので。
「教え子に、助手にしてくださいって言われてびっくりしちゃったよ」
「……いいんじゃないか。お前の教えが良かったと言うことだろう」
「前向きにとらえるとそうなるのか……」
ルカの思わぬポジティブシンキングに感心するエルザだった。
「私みたいに嫁き遅れなければいいんだけどね」
でも、ロザリアは美人だから大丈夫か、と自己完結するエルザ。エルザの場合は本人のやる気もなかったし、今思えばルカが良く出入りしていたから、他人が入り込む隙なんてなかった。ロザリアの場合とは違う。
そんな少しずれた心配をしているエルザも、さすがに、後に自分の弟と教え子が結婚することになるとは思わなかった。
「相変わらず元気ですね~。えいえいっ」
両親が食事をしている間、レネは使用人がみている。今日はカティヤがその権利を勝ち取ったようで、彼女はレネと楽しそうに遊んでいる。抱き上げてそっとゆらすと、きゃっきゃとレネが声を上げる。
「……楽しそうだねぇ、カティヤ」
「はい! レネ様可愛いです」
と、カティヤは屈託なく笑う。この子、今年でいくつになるんだったか。十七か? 年の離れた弟の面倒を見ているくらいの気分なのかもしれない。カティヤの様子から、『母と子』と言うようには見えない。まあ、エルザとレネでも見えないかもしれないけど。
「いつもありがとう、カティヤ」
「旦那様から礼を言われるとは! ああ~。でも、レネ様と離れるの、つらい……」
「同じ屋敷の中にいるでしょうが……」
まじめ天然のルカと自由人なカティヤのやり取りにツッコミを入れるエルザは、カティヤからレネを受け取った。
「ほらレネ。おやすみなさーい」
エルザはレネの手を取って小さくカティヤに向かって振る。カティヤも「おやすみなさ~い」と笑顔で手を振りかえした。切り替えが早い。
「……元気だな、彼女は」
「あのパワー、ちょっと分けてほしいよね」
と、言うことがもう年寄りである。もう三十路の身としては、十代の体力がうらやましい。いや、カティヤが正確に何歳なのか、よくわからないけど。
同じ部屋で寝るが、レネはベビーベッド、エルザとルカはダブルベッドで寝るようにしている。赤子をつぶしてしまいそうで怖いのだ。
「……ねえ、ルカ。大学の卒業式に行こうと思うのだけど」
「ああ……いいんじゃないか? ついて行くか?」
「言うと思ったよ」
とりあえず行くとは言っておいたので、当日、大丈夫そうなら卒業式を見に行こうと思った。
ルカがすよすよ眠っているレネをベビーベッドに寝かせる。あまり夜泣きをしないとはいえ、それでもやはり、夜中に起こされることが多い。たまにエルザが起きなくてルカが見ていることもあるけど。
△
大学の卒業式までの間にロレーナとジョットが尋ねてきてレネをかわいがって行った。他にもエルザの姉妹やルカの姉フィオナなどが来たが、みな言うことは同じで、「どちらに似ても美人で頭が良くなるね」とのことだった。
二ヶ月も経てばだいぶ体力も回復してきた。そのため、エルザはロザリアやイラリアの卒業式に顔を出していた。運が良いのか、その日は快晴だった。エルザは手を目元に掲げて空を見上げ、目を細めた。
「どうかしたのか?」
そう言うことを直球で聞いてくるあたり、やはりルカだ、と思う。
「いや、晴れてよかったと思って」
「そうだな……」
ルカも目を細めて空を見上げた。そろって空を見上げる変なイングラシア公爵夫妻であるが、公爵夫妻であるがゆえに誰も声がかけられなかった。
「せんせ~!」
楽しげな声が聞こえ、女子学生たちが集まってきた。十人弱のかなりの人数。あ、ルカがびくっとした。
「何なら離れてなよ」
女性陣に囲まれるのが必須の状況である。ルカにそう提案するが、学生たちの家族も来ている卒業式。若いお嬢さんなども卒業する兄、ないしは姉の雄姿を見に来ている。エルザの近くにいれば彼女の教え子たちに囲まれるが、『愛人でもいいので』などというお嬢さんたちにつかまることはない。
秤にかけた結果、一人でお嬢さん方につかまることより、エルザと彼女の教え子たちに囲まれることを選んだルカである。代わりにとばかりに、エルザの肩を抱き寄せた。
「いや~ん。ラブラブ~」
誰だいきなりそんなことを言ったのは。人数が多くてちょっとわからなかった。たぶん、別の研究室にいた子だと思うのだが。
「これはただの付属品だから気にすんな。みんな、卒業おめでとう。最後まで見てあげられなくてごめんね」
「いいですよぅ。赤ちゃんは?」
「置いてきたに決まってるだろ」
ちょうどロレーナとジョットがいるので、預けてきてしまった。今日中には屋敷に帰るので、大丈夫だと思う。たぶん。
「ええ~。先生の可愛い子供見たかったのに……」
と、唇を尖らせる女子学生。エルザは苦笑した。これだけ慕われていると思うと、うれしいと同時にやっぱり卒業まで見てあげられなくて悪かった、という罪悪感。
「卒業しても、また遊びに行きますからねっ」
「っていうか、先生、復帰するんですよね」
「まあ、その予定」
また子供ができようものなら予定は予定のままで終わってしまうが。さすがにエルザも研究が恋しくなってきた。産休育休中も論文を一本書き上げているエルザだが、やはり集中できない感じはある。
「おーい、お前ら! 学長訓示だぞ!」
「はぁい!」
女子学生たちはきゃあきゃあと騒ぎながら彼女らを呼んだ男子学生の方に向かう。女子たちが離れていってルカが肩の力を抜いた。
「女性恐怖症、まだ治らないのか」
「これでもだいぶマシになったんだが……」
「まあ、囲まれても平気になったもんね」
「お前がいたからな」
ナチュラルにいちゃつく二人に、やっぱり誰も近づけない。先ほどの女子学生たちは例外だ。
「エルザ」
「何?」
「……愛している」
突然の言葉に、少し前のエルザだったら「何言ってんの」くらいは言っただろう。しかし、今のエルザは微笑み、彼の肩に頬を寄せた。
「私もだよ」
これで最後となります!
続けようと思えばいくらでも続けられる気もしますが、とりあえずここで。
読んでくださった皆様、ありがとうございました!!




